第45話


 食堂を出て木の匂いのするカフェでアイスを食べた。洋平君が頼んだコーヒーは驚くほど苦くて声を殺して笑い合った。店内は静かなピアノが流れていてここが沖縄だという事を忘れさせる。

 この後どうするかと聞かれたけど、まだ昼前だ。あの狭い個室に戻ってもやる事がない。


「天気が良かったら海に行きたかったな」

「俺は晴れ男だから自分のせいだぞ」

「確かに洋平君て晴れ男っぽい。太陽に愛されてる感じがする」

「お前にも愛されたいよ」

「今日そんなんばっか。言われ慣れてきた」

「それはまずい。だってよ、お前は明日好きな男の元へ行くんだろ? わざわざ飛行機まで乗っちゃってさ。そんなのドラマじゃん。俺今んとこただのアホだよ。今日は可哀想な俺に神が与えてくれたチャンスってわけ。太陽どころか天気の神に愛されてんだな」


 ケラケラと笑う洋平君。顔が見れない。


「それに俺は代表が見つかりませんようにって焼肉行った日から毎晩欠かさず祈ってるんだぜ? 見つからなかったらお前は悲しむだろ。そこに俺が颯爽と現れるってわけ」

「見つからなくても洋平君とは付き合わないよ」

「なんで?」

「なんでって言われても」

「風俗嬢だから?」

「それもある」

「そりゃお前、晴れて結ばれたら何するより先に辞めさせるよ。俺の部屋に一緒に住んで、そんでCAの勉強でもしろよ」

「いいね」

「だろ? じゃあもう東京帰ろう? 帰って広い部屋で一緒に昼寝しよ?」

「ばか」


 あまりのくだらなさに頬が緩んだけど、アキ君の刃物のような目がよぎり慌てて引き締めた。


「じゃあ水族館でも行くか」

「沖縄にいるのに?」

「有名な水族館があるんだ。二時間はかからないよ。降り出す前に車取り行って、中入っちゃえば天気関係ないから。お前、遊べるの今日がラストチャンスだろ」

「イルカとかいるのかな?」

「いるだろ。あと有名なサメがいる。まあ行って確かめればいいじゃん」


 はい決定、と洋平君は起ち上がった。水族館なんて行った事がない。沖縄の海はこんなに綺麗なのに、行く意味あるのかな。




 水族館の入口は長いエスカレーターを上がった先にあった。途中振り向くと海が見えた。空と同じ灰色だ。それでも水平線は白色を保って揺らめいていた。


 館内はまるで海の中にいるようで、特にジンベエザメの大きな水槽は圧巻で立ちくらみがした。ラッセンの絵を思い出す。どこで目にしたのかは思い出せないけど印象的な海の絵だった。あの作り物の美しさは決して大袈裟ではなかったのだと知った。

 大小さまざまな生き物が主役に彩りを添えるように思い思い泳いでいた。地味なのも派手なのもいた。可愛いのも、そうでないのも。


 外と繋がるプールに出た瞬間タイミングよくアシカが水中で一回転した。ちょっとすました、すごいでしょと言いたげな顔に思わず笑みがこぼれた。


 身体を乾かすように陸地で昼寝するアザラシはアシカとは対照的にまるっと太っていて愛嬌たっぷりだ。時折鼻の穴がパクパクと動き、ヒゲを揺らす。スマートなアシカに比べて泳ぐのも遅そうだ。こんなに無防備で自然界で生きていけるのかしらとつい心配になってしまう。


 見守っているとアザラシが目を覚ました。真っ黒に濡れたまん丸の瞳が辺りを見回す。仰向けになっていた身体をぐるっとうつ伏せたがシルエットは変わらない。身体を軽くバウンドさせるようにのっしのっしと歩く姿には胸の中でヨイショヨイショとアテレコせずにはいられない。


 あっと思った時にはプールにダイブした。水槽の端から端を滑らかに往復する。ほとんどヒレが動いてるようには見えない。ターンの勢いで一直線に突き進んでいた。何度も何度も繰り返していた。


 動物や魚達は狭い世界で不幸せそうに見えない。力強い命をこれでもかと見せつけてくる。


 もし生まれ変われるなら、水槽の額縁みたいなこの赤いサンゴなんていいかもしれない。主役はあくまで熱帯魚だ。でも無いと物足りない。そんな存在。


 来てよかったと言った。洋平君は何も言わずにあたしの手を握った。

 展示をひとまわりし、併設のカフェで休憩してから退館すると雨がパラついていた。車に乗り込んだ瞬間本格的に降り出した。



 洋平君はシートを倒して頭の上で手を組んだ。あたしもまねをする。


「風俗はいつから?」

「ちゃんとしたのは十九かな」

「ずっと今の店?」

「ううん。でも一年以上続けてるよ」

「しんどくない?」 

「どうかな」

「いつまで続けるの?」

「分かんないよ。あんまりそういう事は考えない」

「代表の為?」

「それは関係ないよ。自分の生活がかかってるもん」

「お前がどんな生活してるのか全然想像出来ないよ」

「想像出来ない事ばっかりしてるよ」

「やめろよ」


 雨はどんどん強くなり、窓の外は見えなくなってしまった。ガラスを流れる水がさっき見た水面に重なる。


「お前が代表を諦めて仕事も辞めて、俺のとこ来るの待ってるよ」


 洋平君は起き上がるとシートを戻しエンジンをかけた。ワイパーが水を退けるとくすんだ世界が広がっていた。

 車が動き出してもあたしは起き上がれなかった。眠ったふりをしていると本当に寝てしまい、起こされた時にはゲストハウスの駐車場だった。


 雨は上がり、日は暮れていた。


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