第42話


 手を振るアクツさんに見送られ、来た道を引き返した。


 帰り際に渡された名刺はステッカーではなく本物だ。固定電話の番号とTattooStudioAKTの文字のみ。シンプルなそれを眺めながら、ちっとも似てない兄弟だったなと思い出し笑いをした。

 洋平君はチラとあたしを見たけど、疲労困ぱい、といった様子で何も喋らない。人はタトゥーを入れるとしばらく老けるらしかった。



 山道を降りきると最初に見つけたコンビニでお茶と軽食を買った。


 突き直したばかりタトゥーを見せてもらうと、シーサーの巻き毛が返り血を浴びたように真っ赤に染め上がっていた。絵の上には保護フィルムが張られていて、遠目から見たらただの怪我人だ。

 ちょっと派手すぎじゃないかしら、洋平君はあたしの感想を察したのかこの発色は今だけでどんどん馴染んでいって……と説明してくれた。最後の方は聞き取れなかったけど、つまり色は落ち着くらしい。


 大人の男の人がこんなにダメージを負うなんてどれだけ痛いんだろう。痛みに興味があると言ったらお前なんか死んじまうぞと言い返された。もうタトゥーの話はよそう。



 おにぎりとパンを食べながら聞いた話を共有した。島の人を紹介してもらったと言うと、洋平君は本島に残る流れになった。


「俺はシエ島知らないからな。行ったって何にもならないからこっちで観光でもしてるよ。フェリー乗り場までは送り迎えするから」

「分かった。明日行く」

「明日かよ。本当に人さがししかする気無いんだな。でも、これからちょっと付き合ってもらうぞ。どうせ今日はやれる事ないんだし」

「タトゥー大丈夫?」

「次言ったらキスするぞ」


 洋平君は乱暴にシフトギアを変えると丁寧に発車させた。


 しばらく黙って乗っていると眠ってしまった。洋平君に起こされ自分が寝ていた事をしる。



「起きろよ。起きて窓の外見てみろ」


 視界いっぱいに青が広がっていた。日の光を反射して、時々真っ白が目を刺す。海底の岩を透かしているのか、所々に藍が混じる。水平線は緑だった。


 車が一直線に海を割って進んでいるような錯覚に陥った。水に囲まれていると思ったら、先が見えないほど長い橋の上を走っていた。


「すごいね。こんなに綺麗な海、初めて見た」

「離島に向かう橋なんだ。ここの海は綺麗だよ。よく見てな」

「離島に着いたら降りれるの?」

「当然だろ。砂浜を歩けるよ。観光客多いだろうけど」

「すごい」


 それっきり海に釘付けだった。こんなに素敵な場所があるなんて知らなかった。

 忘れないように、いつでも思い出せるように何色とも表現出来ない海を目に焼き付けた。


「なんてところ?」


 町田と同じ世界線に存在するなんて信じられない。


「コイノ島。もう着くよ」



 島の入口にはアクティビティの受付や、観光案内の看板があった。

 波打ち際を歩きたいならあった方がいいと言われてビーチサンダルを買った。早速履き替えると少し大きくて歩く度にぱたぱたと音が鳴った。

  


 海は冷たいものだと思っていた。島の海はあたしのくるぶしまでを包み込むようにして温めてくれた。

 サンダルを脱いでみた。波が引くと足の下の砂をさらっていく感覚があって気持ちが良い。いつまでも味わっていたかった。


 ワンピースの裾をまくりらふくらはぎの辺りまで進んでみた。水は透明で、足がゆらゆらと歪んで見える。この水に頭まですっぽり入ったら、揺らぎと温かさで眠ってしまうだろう。


 砂浜を振り返ると石階段に座り込んでる洋平は観光客に話し掛けられていた。写真を頼まれている。あたしは観光客に見る目あるじゃん、なんて思ってしまう。話し掛けやすそうなオーラはあたしには無いものだ。実際頼られれば笑顔で何でも引き受けてしまうだろう。自分より他人、洋平君は、そういう人だ。

 胸にもやがかかり、観光客にカメラを返すやいなや駆け寄って声をかけた。


「綺麗だった」

「よかったな」

「洋平君も来ればよかったのに」

「お前が可愛くて忙しかった」

「ご苦労さま」



 島には飲食店もあった。コーヒーを求めてカフェに入る。お店の前に足を流す水道があって使わせてもらった。ざぶざぶ洗えて乾きやすいビーチサンダルは便利だ。


「ここには来たことがあったの?」

「いや、存在は知ってたんだけど行かなかった。地元の人もここの海は綺麗だって言うから行きたかったんだけど、男ひとりじゃなあとか思っちゃって」

「ふうん。ひとりっぽい男の人いたよ。バズーカみたいなカメラで海の写真撮ってた」

「写真好きにはたまらないスポットだろうな。お前も撮ってもらえばよかったのに」

「だから写真嫌いなんだって」


 会話が止まり、目を見つめられた。 


「なあ、楽しい?」

「うん。気温と海が好き。どうして?」  

「お前の事楽しませ続けたらそのうち代表忘れんじゃないかと思って」

「いつも頭にはあるよ。見付からなかったらどうしようって想像すると怖いよ。あんまり考えないようにしてるけど」

「俺はそいつが見付からなければいいと思ってるって言ったら、軽蔑する?」

「手伝ってくれてるじゃない」

「そりゃお前に好かれたいからな」

「洋平君とは付き合いません」

「はいはい。なんか食う?」



 例えば代表と海に来る想像は出来ない。景色や人々と全く馴染めないだろう。だから陽の当たらない場所でいい。それでもいいから一緒にいたいと思っていた。

 洋平君は、あたしには少し、眩しすぎる。


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