第36話


 出勤すると事務所には内勤がいた。あたしを見ておはよんと微笑む。

 この前ドタキャンごめんねと言われた。忘れてたよ、気にしないでと言うと安心したように笑った。


 今日は暇だよとあくびをした。咥え煙草でこの時間女の子こないよと言われ、あたしも座ってキャスターを取り出した。


「最近、明るくなったよね」


 突然だった。そんな事言われたの初めてだ。


「どの辺が?」

「全体的な雰囲気? 最初に比べて喋るようになったしさ、感情豊かになった気がするよ。前は何か、人形みたいだった。無表情で何考えてるか分からない感じ。夜職じゃ逆パターンはよく見るんだよな。最初元気で、どんどん暗くなっちゃう子」

「向いてるのかな」

「ちゃかすなよ。真面目に言ってるのに。そう言えば明日から休むんだって?」

「そうなの。ちょっと実家に」

「そっか。戻ってくるよね?」

「当たり前じゃん」


 内勤は嬉しそうに笑った。待ってくれる人がいると思えてあたしも嬉しくなった。


「今日店長は?」

「さっきまでいたんだよ。パソコン持ってどっか行っちゃった。上がりのときには会えると思うよ」


 会えなくて結構だ。何か言われる気がして怖い。


「あくびうつさないでよ。あたしも眠くなってきちゃった」

「待機で寝てていいよ。着信だけ気付いてもらえれば。今日本当暇でさ、夕方から待ってる子に優先して客振ることになるし。ごめんけど」

「大丈夫。じゃあお言葉に甘えてそろそろ行こうかな」  


 立ち上がりかけたときだった。


「あのさ、何かあった?」

「何かって?」

「いや、ごめんね。俺らの世界で実家帰るとかってさ、まあそう言う事じゃん。俺だって空気読んで他の子ならほっとくよ。でも、もう二回も怖い目にあってるだろ。それでしばらく休みたいって、また変なのに脅されてるんじゃないの? 心配なんだよ。ねえ、俺に相談してみない? 俺に出来る事なら何でも手伝ってやるし。言えない理由があるんだろ。店長には絶対に言わない」


 なぜか内勤は泣き出しそうな顔をしていた。真面目な表情が苦手らしい。


「もう、何よそれ。本当に実家に帰るだけだよ。用事済ませたら直ぐ帰ってくるし。そんなに寂しがらないでよ」


 にっこり笑って事務所を出た。なぜかあたしまで泣きそうになって内勤の顔は見られなかった。



 待機室は確かにガラガラだ。暇すぎて何人か早上がりしたんだろう。アユもいなかった。

 あたしは壁側の席に座ってもたれると、貸し出しのブランケットにくるまり目を閉じた。


 明日あたしは沖縄に行く。


 アキ君の鋭い目の光を思い出す。

 傷付けてくれるな。目は言葉より雄弁だった。あたしは洋平君を傷付けるだろうか。あの優しい人に悲しみを与えるだろうか。

 あたしは内勤に嘘を付いた。今まで何でも話してきたのに、真剣に寄り添ってくれた瞬間に、裏切った。

 アユは本当のあたしを見て何と言うだろう。

 割り切れと言うだろうか。信用出来ないと言って去って行くかもしれない。


 この旅行がどうなるか分からない。願わくば誰一人、失いたくない。

 それでも、全てを捨てる覚悟で代表を捜しに行こう。それがあたしを明るくしてくれたらしいこの店に対する、唯一の恩返しのはずだ。


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