第19話


 店長はコーヒーを用意して待っていた。あたしは前置き無しですぐに切り出した。内容はもちろん、客の様子まで。


 話し終わると店長は見たことない顔をして今日時間あるかと聞いた。そんなものいくらでもある。一旦仕事に戻り、退勤したらベルスで待ってろと言われた。

 確かにあそこは相談事にもってこいだ。了解して待機する為にアパートに戻った。



 灰皿を持ってキッチンに立つ。

 シンク下の引き出しはアクセサリー入れと化していて、奥を手探るとがちゃがちゃと音がした。目当ての箱を掴み出すとフィルムを切った。火を付けて吸い込むと重苦い味が広がった。煙の量が多い。やたら不味いと思ったら外は雨が降り出していた。半分も吸わずに捻り消した。


 灰皿の中身を直接ゴミ箱にぶちまけると灰が舞い、床を汚した。その光景はあたしをひどく衝動的にさせた。

 十九本残ってるラークを箱ごと溺死させゴミ箱に叩きつけた。

 自分の抜け殻みたいな毛布に掴みかかるとライターで火を付けた。生地にはなかなか火が付かず、何度目かの失敗の後、突然我に返った。

 自分のした事が恐ろしくて、悲鳴を上げてライターを放り投げた。


 膝を抱え耳を塞ぐ。あんな男の口から代表の名前なんて聞きたくなかった。一生知らない方がましだった。今しがた殺しかけた毛布を今度は優しく抱きしめる。涙が出た。代表に会いたかった。



 ベルスの電気は消えていた。ノックをして店に入るとバーカウンターだけはぼんやりしたオレンジ色の明かりが点いていた。キッチンからマスターが出てくる。こんばんはと言いかけると手のひらを向けて制された。


「座りなさい。足下に気を付けて」


 マスターはあたしが来るのを知っていたようで、すぐに熱々の焼きそばとオレンジジュースを出してくれ、黙々と食べた。お互い話す事で何か壊れる事を恐れているようだった。

 食後マスターは速やかに食器を下げ灰皿を変えてくれた。一本吸い終わるまで待ってくれた。嫌な沈黙ではなかったが、ため息を煙で誤魔化すと火を消した。マスターと目が合う。


「怪しい影が代表に付きまとってるとか」


 マスターが囁くように言った。


「そうなんです、知っている事を教えてもらえませんか」


 思わず食い気味にかぶせてしまったがマスターはペースを崩さない。


「まずは代表を捜しましょう。居場所は本当に知りません。その後に影を突き止め無害の確認です。残念ながら我々には見当もつきません。言ってしまうと、候補が多すぎる。もしかしたらただのファンかもしれません」

「無害? 怪しい影は代表が消えた事と関係あるんじゃないですか? もう半年会ってません」

「分かりません。関係はあるかもしれないし、ないかもしれません」

「どうして代表は消えたんですか?」

「分かりません。しかし代表を見つけて影の存在を伝えたい。それをあなたに手伝ってもらいたい。お願い出来ませんか」

「それはもちろんそのつもりですけど、どうしたら良いのかわかりません。多分あたしは、その影以上に何も知りません」


 マスターは少しの間目を伏せ黙ると、思い切ったように顔を上げ小さな声で語り始めた


「代表が多摩センターから来たことはご存じですね。亡きお父様の事務所があった場所です。あそこはビルごと取り壊し土地も売ってしまいました。お父様の事務所の存続と引き換えに代表グループが始まったと考えて下さい。あなたのアンクや、系列店に当たるキャバクラの事です。表向きには無関係ですが、代表がお金を出しているバーやクラブもあります。しかしそれを良く思わない連中がいるのです。今回の件との関わりは分かりません。先程もお伝えしましたが、関係あるかもしれないし、ないかもしれません」


 なるほど、と思った。でも代表が町田に来たのは十年以上も前の話だ。今更どうして。見透かしたようにマスターは続けた。


「過去にひとつ何か噛み合わないと、長い時間経ってからしわ寄せが来る事もあります。そういう世界なのです」



 タイミングをはかったようにドアが開き店長が入ってきた。あたしの隣に座る。

 マスターは何事もなかったようにおしぼりを渡し灰皿を出した。二人分のコーヒーを出す。


「飯食ったか?」


 あたしのまわりの大人は皆食事の心配をする。焼きそば食べましたと伝えるとそうかと言ったきり黙ってしまう。


 ピースに火を付け目を細める。

 マスターは手早くシンクを片付けるとバックルームに入り静かに引き戸を閉めた。


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