第18話
指定のラブホテルに着くと予約時間までまだ少しあった。フロントには簡易的なパーテーションで仕切られた待合室があり使わせてもらう事にした。
鏡を取り出し、化粧をチェックするふりをして自分の顔を見つめる。間接照明からぼんやりと浮かび上がる顔は、心なしか少し引きつって見えた。チークを濃いめに入れ直し、香水を吹き付ける。
場所見知り、なんて言葉あったっけ。仕事は同じなのに、場所に緊張してもじもじするなんてあべこべだ。落ち着かない。待ちきれなさに似た気分だったのに、時間になれば気が重くなる。さっきまでの威勢を取り戻すべく頬を叩いて立ち上がった。
客はベッドに腰掛けていた。以前より顔がふっくらとして見え、服装はスーツだ。
挨拶を済ませるとコースとオプションを確認した。今日は最初から六十分で予約を入れている。案の定オプションは付かなかった。
事務所に開始連絡をするとワンコールで店長が出た。手短に変更オプション無しを伝えると、すぐに電話を切った。客に向けて可愛い子ぶる為に普段はもっと愛想よく電話するけれど、あたしは緊張してしまいそれどころではなかった。客はさっきからなぜか一言も口を開かないのだ。
じゃあ始めますねと言いタイマーをセットした。あたしを見つめ微動だにしないので、仕方なく自分でスイッチを入れた。気味が悪かったけど久しぶりですね、と隣に座った。
「なんか、雰囲気変わりましたね、この前のネックレス、今日は付けてこなかったんですか? でも、スーツも似合いますね。ちょっとガラ悪く見えてグッときます。やだ、褒めてるんですよ」
無だ。無反応だ。どうしよう。客の真っ黒な目は依然あたしを見つめ続けている。怯んだら負けだと思い開き直る作戦に出た。
少し離れてはすっぱに足を組み、胸を寄せるように前屈みになった。髪をかき上げる。
「てかさ、一年ぶりくらいだよね? あたしの事覚えててくれたんだ。今日はオプション、いいの?」
効果は無いようだ。
わかった。もういい。付き合ってやる。
あたしはソファに移動してキャスターに火を付けた。荒技だけど状況を動かすにはこれくらい必要だと思った。それにこの状態の客からクレームが入るとも思えなかった。
あたしの風俗人生の歴史に残る長期戦だった。灰の山を作り、ひたすら携帯をいじり続けた。客がAVみたいな構図であたしの前に立ちはだかったのはプレイの終了十分前だった。こいつマジで何しに来たんだよ。何、と言うように客の顔を見上げる。
「阿久津の居場所を知っているか」
「はあ?」
「阿久津だ。お前の店の代表だ」
心臓が大きく鳴った。なんであんたが代表を? とっさに疑問をぶつけそうになったけど、それが店の不都合になったら嫌だと思い開きかけた口を引き結んだ。こいつが代表の友達とは思えない。
動揺を隠し、キャスターに手を伸ばした。思考の時間を確保すべくゆっくりとした動作で火を付けた。煙を吐き出す。
「知ってたらなんなわけ?」
「教えろ」
「なんでよ」
沈黙。
「てゆうか近い、離れてくれない。てゆうかそれ聞くために指名したわけ?」
「俺は阿久津を捜してるだけなんだ。用があるのは俺じゃない」
「尚更意味分かんない。その人が直接約束取り付けて会ったらいいじゃない」
「馬鹿女。居場所教えろ」
「なんだとてめえふざけんな男呼ぶぞ」
また黙る。客が口を開きかけた時、アラームが鳴った。終了だ。
「とにかく奴の居場所を教えてくれ。君の悪いようにはしないから」
今度は下手に出てきたけど、余計な事は言うまいと決めベッドサイドの受話器を取り上げた。フロントとやり取りしている間、客は茫然と言った様子で自分の足もとを見つめ立っていた。時間だから早く出て、まじで従業員来るよ。実際このホテルにアンクの従業員は来れないがそう言って脅してやると男はふらふらと出て行った。
一本吸うともう一度フロントに電話し男がホテルを出たことを確認する。あたしも自分の荷物をまとめ部屋を出た。
待合室で呼んでもらったらタクシーを待ちながら、頭の中を整理した。
誰かが代表を捜している。人を使って捜しているのだから食事の誘いではなさそうだ。それからあの客。一年前フリーで付いて、指名すると言われたものの今日まで音沙汰無しだった。目下一番の謎はなぜお前が、だ。そしてなぜあたしだったんだろう。
携帯の振動で我に返った。しまった、事務所への終了連絡を忘れていた。急いで出ると内勤だった。
ごめんごめんと謝ると長いため息をつかれた。説教を遮って切り出した。
代表が誰かに捜されてるみたい、と簡単に説明すると事務所に来るように言われた。
言われなくてもそのつもりだった。必ずタクシーで戻るよう念を押され、車に乗り込むまで電話を繋いでおくように言われた。
内勤の個人携帯でかけ直してもらうと少し冷静になってきた。
「ねえ、代表って阿久津って言うんだね、知ってた?」
今更だなと思いつつ何か話していたかったので聞いてみた。
「俺知ってたよ、書類にハンコつくの手伝わされた事あるし。最初読めなくて本人に聞いちゃったら、お前馬鹿だなって言われた」
上司の名前くらいは読めなよ、と笑うと本当だよなと笑いが返ってきた。それで少し緊張が解け、ほっとした。
到着したタクシーに乗り込むと電話を切って目をつぶった。
代表どうしちゃったのかな。半年も会えない人の思わぬ登場に、気持ちは高まるのに胸は冷えていくような感覚に陥った。戸惑いながらも車に揺られ、浅い眠りに落ちていった。
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