第16話
話し声が聞こえる。静かなトーン。夢見ごこちで薄目を開けると店長と代表がいた。
しばらくうつらうつらしていたが、意識がはっきりしてくるとよく見とけだの長居しすぎだのと聞き取れた。店長が否定しない事に気付き、あたしは出来るだけ急いで、実際にはのっそりと身体を起こして謝った。自爆ですと訂正した。
それきり店長が淹れてくれたコーヒーを黙って飲み、あたしが立って歩けるようになると代表がアパートまで送ってくれる事になった。送ると言ってもアパートは真隣なので付き添いと言った方が正しい。
代表が一緒だったので初めてエレベーターに乗れた。引っ越しがある時みたいに全方向に布がビニールテープで貼られていて、たな子としては当然の疑問でこれ取らないのと聞いたら無視された。
部屋に着くと当たり前のように中まで入ってきた。前回来た時はすっからかんだったから、だいぶ生活感が出たと思う。
「お前どこで寝てんの」
久しぶりにちゃんと声を聞いた。
毛布に包まって寝てるというと、ベッド買ってやろうかと言われた。出て行くとき持ち出せないと言うと、代表は弾かれたようにあたしを見て、そして引き寄せた。
「抱きたい」
唸るように囁いた。あたしは断る理由も許す理由も見つからなくて困ってしまった。でも代表はあたしよりもっと困っているように見えたから、小さく頷いた。
申し訳なくなるくらい長く、優しく扱われた。そんなにしなくていい、そんな事しなくていいと訴えた。全て無視され、あたしはされるがままだった。
お酒が残っているから身体が余計に熱かった。喉が渇いたと言うと、くちびるを合わせぬるい水を与えてくれた。いつかの整髪料が香った。
あたしはたまらなくなって、首にしがみついた。そのうちに振りほどかれ、ひっくり返された時にはもう汗と涙でぐしゃぐしゃだった。暑かったから汗をかいた。でもどうして涙が出るのかは分からなかった。
朝起きると代表はいなくなっていた。
あたしはきちんと服を着て、毛布に包まっていた。夢かと思って切なくなったけど、腰がだるかった。
何こう、もっと消えない証みたいな物が欲しいと思った。あの人が欲しいと思った。もっと切なくなった。
この日を境に代表は町田から姿を消した。会わなくなって三ヶ月経った頃、店長に聞いてみると心配するなと言われた。
そう言われた事が無事ではない証拠のように思えてそれ以上は怖くて何も聞けなかった。
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