第15話
毎日仕事をして、時々内勤と食事をして、時々代表と会って、時々店長とコーヒーを飲んだ。つまり変わりばえしない日々を過ごしているとささやかなニュースが入ってきた。
町田に新しい店がオープンしたらしい。ビリヤードとダーツの出来るカラオケバー。盛りだくさんだ。
あたしは店長のお供として一緒に挨拶に行くことになった。代表は系列店のキャバクラのナンバーワンと開店初日に済ませたそうだ。
あたし風俗嬢だけどいいのかなと呟いた。
聞けば挨拶と言っても格式張った物ではなく、上は知った顔同士でありあくまでお祝いとして景気付けに幾らか落としに行くのだそうだ。代表のグループ名義で花も贈ってあるらしい。同じグループでも別の店として複数回行った方が賑やかになるからあたしが指名されたのもその辺りの事情だろう。
店内は外観から想像したよりも広くボックス席が三つとカウンターがあった。ダーツとビリヤードはフロアに出ていて、カラオケは別室になっていた。体力があれば一晩中遊べそうだ。天井が一面鏡張りになっていて、慣れるまで変な感じがした。
あたしは今日、時給のアルバイトとして飲みに来ている。ラッキーだ。遊んで金が手に入るようなものだ。
早々に挨拶を済ませるとシャンパンを入れた。店長さんを筆頭にスタッフのテンションの高い店で皆酔いが回り打ち解けてくると、小さい小さいといじり倒された。
笑って流していると、ショットグラスに入ったソーダのシャーベットが一列に光るトレイで出てきた。サービスのアイスと言われ喜んで一息に煽ったが、スピリタス入りの悪ふざけだった。あたしは盛大にむせるとトイレに駆け込んだ。爆笑が聞こえる。
個室に入るとしゃがみ込んで呼吸を整えた。
涙で滲んだアイラインを応急処置し、真っ赤になってしまった鼻はファンデーションを塗り直さなきゃだめだと諦め、深呼吸をしてから席に戻った。
スピリタス入りシャーベットを提供した張本人がグラスの水を持ってきた。警戒心全開で水を睨むとさすがにもういじめないよと言って笑った。おそるおそる口をつけると本当に水だった。よかった。これも酒だったら仕事とは言えぶちまけてしまうところだった。
飲む仕事がラッキーなんて思ってごめんなさい、胸の中で世界中のキャバ嬢に謝った。
トレイに残ったシャーベットは溶けてしまい、ただの青いスピリタスに成り下がった。全部店長が飲んだ。歓声が上がる。
あたしは新しく作ってもらった焼酎を舐めながら、時折襲ってくる吐き気と戦っていた。スピリタスを飲んだのは初めてだった。
まわりが何の話をしているのか脳が処理出来ないが、皆が笑ってるからおそらく面白いのだと判断し顔が勝手に笑った。はっきり聞こえるのは、これ以上飲みたくないもう飲めないという体の悲鳴だけだった。氷で薄まった水割りすら受け付けない。
声なき悲鳴が届いたのか店長があたしのグラスを取り上げると、さりげなく、かつ一気に空けてくれた。かわりに水を持たせると何事も無かったかのようにスタッフとの会話に加わった。
必死に目を開けて聞き役に徹した。仕事で来ている以上、粗相するわけにはいかない。頬が痙りそうだった。
どれくらいそうしていたのかわからない。三十分かもしれないし三時間かもしれなかった。店長はよそ行きの笑顔のままあたしにそろそろ行こうかと言った。ソウデスネと返し、店長さんとまだまだ元気いっぱいのオープニングスタッフの皆様に見送られ店を出た。恐ろしい人達だ。
ドアが閉まり喧噪が遠ざかると、気も遠くなった。少し歩くと血が下がる感覚があり、目の前が真っ白になった。
店長はあたしの腕を掴むと持ち上げるようにして速やかに路地裏に引き返した。
側溝まで引きずられると髪の毛を持ってくれた。もう捨てて帰って下さいと言いたかったけど、嘔吐が止まらず一言も喋れなかった。
頭の上で店長がラークに火を付ける気配がした。さすが元キャバクラの支配人だ。慣れてる。まだくらくらするけど、吐いたからか少しずつ冷静な自分が戻ってきた。
店長の携帯が鳴り、誰かと話す声が聞こえる。
目をつぶると頭の重みを強く感じた。
曼荼羅が見える。そのままゆっくりと重力に負け、店長の匂いに包まれた。
だめ、そのスーツはあたしには弁償できない。それが声になったかは分からない。
気が付いたら事務所にいた。
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