第6話


 結論あたしはクビにならなかった。


 箱に残されたあたしは保身すべく膝を抱え指を噛みぶつぶつ呟いていた。一体これからどうすればいいんだろう。


 思考中、小さくノックされ凍り付いた。店長だと思ったのだ。せめて追及される前に自分から謝りたかったのに。

 意気消沈してドアを開けるとレンタルルームのスタッフだった。俯き気味にお時間ですと伝えられた。またやった。本来は自分から退出しなければいけないのだ。荷物をまとめて飛び出た。もういやだと声に出た。


 電話はせず、直接事務所に向かった。

 鰐は店と繋がりがあり、そこから漏れる可能性がある以上先に謝ってしまうのが得策だ。

 その後は、店長が判断することだ。


 問題の金は店長にと渡された封筒にまとめてしまった。汗をかいた胸に突っ込まれた金をそのまま渡すのはあまりに生々しかった。

 封筒の口が閉まらなくなり、無理に押し込むと角に不細工な皺が寄ってしまった。ブスはあたしだと自虐も出た。



 外から事務所の窓を見上げると電気が点いていた。階段が長く感じる。深呼吸してドアを開けた。


 ――不思議だ。なぜか鰐が店長の椅子に座っている。足長えなと見とれているとウォーターサーバーがゴボゴボと鳴った。


 店長がコーヒーを淹れていて、あたしに気付くと無言でもうひとつコーヒーを用意してくれた。それでもう限界だった。嗚咽が出た。


 店長が振り向いて、目が合った。


「ごめんなさい」


 他に言うべき事があるのに、それだけ伝えるのが精いっぱいだった。


 全部この人が悪いんです、とそこでにやにやしてる男を指差してそう言いたかった。


 コーヒーと交換するように封筒を差し出した。店長は封筒を手に持ちじっと見つめるとその視線を鰐にやった。だって可愛かったからと言って両手を上げた。


 店長はため息をつくと座んな、と言ってブランケットを貸してくれた。

 女の子の忘れ物らしいそれは香水が染みついていて、その匂いはますますあたしを泣かせてしまった。あたしは人の気配に弱いのだ。人嫌いのくせに。



 安心しろとでもと言うように、こいつ店側の人間だからと教えられた。そりゃここにいるんだからそうなんだろう。……本当に?


 もう大人は信用出来ないと言って机に突っ伏して泣いた。店長はこの馬鹿は後で殺すから落ち着けと言って鰐の椅子を蹴っ飛ばした。

 箱ティッシュを投げ、まだ息の落ち着かないあたしにアンクの昔話をしてくれた。



 元々ここはセクキャバ、簡単に言うとスタッフの女の子に触れるキャバクラになる予定だったそうだ。計画の始まりはこの事務所の前身である私立探偵所の撤退だ。居抜きで使えるので手を付ける必要がなく、上階の広い部屋は長く空いていたのでキッチンを付け、ラウンジ風に改装するだけでよかった。


 目を付けたのは当時多摩センター駅に事務所を構えていた飲食関係の社長だった。元々繋がりのあった町田のある男が協力者になった。

 事務所部分が空いてからは話が早かったが着工決定後横槍が入る。営業中の騒音対策が不十分だとケチが付いたのだ。

 しかし同業が掃いて捨てる程いる界隈。社長も慣れていた。要は嫌がらせだった。払うものは払うつもりがあったし、協力者は顔が利くのでいざとなれば出てきてもらうつもりだった。


 ジャブとしてままごとのような通告書が送れてきた。ご丁寧に近隣住民よりとあった。嫌がらせは徐々にエスカレートしたが社長は気にしなかった。顔色を変えたのは施工主だった。協力者に紹介された会社だった。


 繁華街での新規開店に圧力がかかるのは珍しくないが、新しい施工主はきな臭さに早々に待ったをかけた。地元の会社ではなく、得体の知れぬ苦情に対処しかねたのだ。


 ご近所トラブルのはずが徐々に施工主とのトラブルに発展し、セクキャバ開店は宙に浮いた。協力者は板挟みされ煮え切らない返事をするばかりであった。

 喧嘩か戦争かという所で社長の心臓が止まった。鰐の父の話だった。



 多摩から成り行きを見ていた鰐は熱りが冷めるのを根気強く待った。満を持して町田に上陸したのは十年前だった。


 鰐はいわゆるインテリ系で、不動産を転がし金を作っていた。単身で方々飲み回り驚くべき額を落としてキャストに悲鳴をあげさせた。

 社長の立場を引きずり出すのも難しくなかったが、先々ではあえて黒服や店長達と積極的にコミュニケーションを取った。よそ者だが、どこへ行っても歓迎されるようになった。金と笑顔をばら撒いたが、目だけは取り入るべき相手を見極めようと常に鋭く光っていた。そして見付けた。


 夜職界隈で政治家と呼ばれる男がいた。その男の店は小さな小料理屋だった。半年ほど通い詰めるとママのささやかな生誕祭があり、億を落とした。その日のうちに男と外で会った。



 鰐は男に父の話を打ち明けた。


 男は酒を煽るとこう聞いた。何がしたいのか、と。

 

 鰐は正直に答えた。あのビルが欲しいと。


 男はしばらくグラスの底を見て黙り込んだ。思考の後、いいだろうと呟くように答えた。


 そのかわり親父さんの協力者の関わる店を虐めるのはもうよせ、そう言って伝票を掴んだ。



 鰐はその夜、古巣である多摩に戻った。当時傘下のキャバクラの総支配人として働いていた店長に会いに行ったのだ。


 そこでのやり取りは聞いていないが、オナクラANKはこうして誕生した。九年前の話だ。



 ちなみに内勤は店長が拾ってきた。

 初日から当然のようにここにいて、鰐をびっくりさせたそうだ。


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