第15話 アイリ

 ──夜。

 たぶんもう深夜。

 昼間のエッチで、心も体も昂ってて、なかなか寝つけなくて……。

 ベッドの中で、右へ左へ体を捻ってたけれど……。

 ようやく、眠気が……ン……ううん……。

 ……………………。


「すぅ……すぅ……」


『……オーッホッホッホッ!』


「ン…………?」


 だ……れ……?

 こんな真夜中に高笑い……。

 せっかく……眠ったところなのに……。

 それにしても、この声……。

 聞き覚えが……あるよう……な……。


『……それはそうでしょう。これはあなたの声、そしての声ですもの』


「……えっ?」


『そうね……。例えて言うならば、ここは魂の内側、夢の世界。肉体はしっかり就寝中ですから、安心して目を開き、声を発しなさいな。異世界のオ・バ・サ・ン♪』


「……はい?」


 ……とりあえず、目を開く。

 うつ伏せの姿勢で寝ていたわたしの目の前には、バスタブの石材に似た黒い平らな地面が、際限なく広がってる。

 遠くには、夜明けごろのような暗い空と、赤紫色の靄。

 正面には、薄暗い中で黒光りする、黒いヒール。

 腕立て伏せのような姿勢になって、目線を上げていくと……。

 黒いソックス、末広がりのスカートを備えた黒いドレス。

 開いた胸元と肩を出した両腕が、白々と浮かび上がってる。

 そして、細い首、尖った顎、高い鼻……。

 赤み交じりのブロンドに、髪飾りとしてバラっぽい赤い花が一輪。

 その姿って……アイリ!?


『わたくしは、アイリ・ラモディール! あなたがいま使っている肉体の、元の持ち主……ですわ! オーホッホッホッホッ!』


「まさかあなた……オリジナルのアイリっ!?」


 あまりに驚きに、体がバネのように跳ねて直立。

 真正面にいるアイリとわたしの目の高さが、微妙にずれる。

 ほんのわずか、こっちの視線が高い。

 些細なようでいて、強烈な違和感──。

 思わず自分の両手を見てみる。

 アイリより太い手首、アイリよりほんの少し短い指、生活感が染みた爪。

 なにより、右手首にリスカの痕がない。

 見慣れた、そしていまは懐かしい、亜依莉わたしの手……。


『……あちこち丸っこい顔。目立つ毛穴。随所にうっすら小皺。まあ典型的な、庶民の中年女性の顔……ですわね』


 鼻の頭が触れそうなほどの近さで、アイリが亜依莉あいりの顔を観察……。

 宝石のような瞳、高い鼻、皺一本ない赤桃色の唇……。

 そして……亜依莉わたしより一回り小さな頭!

 アイリってば……客観的に見ると恐ろしいほどの美女!


『けれど顔の芯は、なるほどわたくしに似てる。わたくしが庶民に生まれ、順当に年を重ねたならば……まあまあこのような姿だったのでしょう。興味深いわ』


「あ、あなた……。死んだ……はずじゃ……」


『ええ、自覚しておりますわ。けれど肉体には、ワインのおりのように意識が残っていますの。ゆえにあなたの夢の中へ現れることも、一言二言肉体から声を発することも、叶うのです』


「声を……発する……。ああっ! もしかしてわたしが、時々思ってもないことを口にしちゃうのって!?」


『ええ。そのもしかして……クスッ♪ だけれど、思ってもいない……というのは嘘ね。わたくしはここぞという場面で、あなたの本心を代弁してあげただけ』


「ほ、本心って……。わたしは……」


『人は少なからず、自分へ嘘をつかなければ生きられない。そこを咎める気はありません。けれど感謝の言葉一つくらいは、賜りたいものね』


「だ、だからわたしは、自分に嘘なんて……」


『わたくしの体、と~っても敏感だったでしょ? クスクスッ♪』


「うっ……」


『完成の美たるわたくしの肉体を、得たのですもの。セックスを試したくないわけないでしょう? ウフフフフッ!』


 アイリ……噂どおりの悪女……。

 けれどその美貌と、あどけない少女のような声色が、憎む気持ちを削いでくる。

 彼女は……最高級の小悪魔!


「それで……。あなたはわたしを、どうしよう……っていうの?」


『別に? なにも? わたくしはいまや、あなたの肉体の底にある残滓ざんさい。あなたがこの世界、そしてわたくしの肉体にしっかり馴染んだとき、そっと消えるわ』


「消える……。その割には、落ち着いているのね」


死後いま思えば、太く短い命だったのです。手首を切らずとも、近く別のことで落命したでしょう。享楽に走ったのも、わがまま三昧だったのも、己の人生の短さを、生まれながらに感じたゆえかもしれません。それを振り返る猶予をくださったあなたには、感謝しておりますわ』


 アイリ……。

 こうして話してみると、聞いてきた人物像と少し違う印象……。


『感謝のしるしに、わたくしの宝物を譲ります。あなたはその存在に、まだ気づいていないようですから』


「宝物……?」


『衣装ケースにある宝石箱、あれは上げ底。中にわたくし自慢のコレクションがありますゆえ、自由にお使いくださいな。では……ウフフフッ♪』


 あっ!

 アイリの姿が……うっすらと消えていくっ!


「ま……待って! もう……会えないのっ!? わたしまだ、あなたといろいろ話したいわっ!」


『あら光栄♥ けれど夜明けが近いから、今夜はここまで……ね。あと一、二回はこうして会えると思うから、質問は簡潔にまとめておいてちょうだいな。それでは、失礼……クスッ♪』


 両手でスカートをつまみ上げ、右足を一歩分下げて、軽く一礼。

 育ちのいい令嬢の、優雅な所作。

 それを暗闇の中へとフェードアウトさせていくアイリ……。

 ……………………。

 ……なぜかしら。

 彼女に……もう一度会いたいわ。

 図抜けた悪党は、悪党なりに人を魅了する……って聞いたことある。

 アイリは……悪女のカリスマだったのかもしれない──。


「ふわああぁああぁ~」


 ──朝。

 ふかふか枕に後頭部を埋めたまま、両手を掲げて顔の上へ。

 細い手首、細長い指。

 マニキュアで覆うのがもったいないほどの、血色のいいピンクの爪。

 そして……右手首を横断する赤いリスカ痕。

 アイリの体……だわ。

 ……………………。

 夕べのは……夢?

 ううん、夢かどうか、確かめるすべがある──。


「衣装ケースの……宝石箱……だったわね」


 二列三段の、木製の衣装ケース。

 軽装、ネグリジェ、下着といった、折り畳み可の衣類はここ。

 一番上の段、右側の引き出しに、細かい装飾が施された宝石箱がいくつか並んでる。

 存在は知ってたけれど、自分を着飾る気にまだなれなくて、手つかず。

 この中に上げ底の宝石箱があれば、夕べのアイリは本物……。

 とりあえず、一番大きな箱から──。


 ──カコッ……。


 ベッドの上で上蓋を持ち上げて、わきへと置く。

 赤い敷き物の上に並んだ、乳白色のペンダント、イヤリング、指輪がお目見え。

 パールとミルキークォーツの中間くらいの色合い、透明度の宝石。

 明るいコーデ用のセットかしら?

 けれど暗い衣装でも映えそう……。

 ……って、いまは宝石のチェックしてる場合じゃなくって、上げ底上げ底。

 しばし指輪を嵌めさせてもらって、空いた窪みをつまんで引っ張り上げる……。

 あっ……!

 赤い敷き物ごと、土台が持ち上がった!

 二重底だわ、これ!

 アイリの隠し遺産……。

 いったい、なにかしら……。


「……………………えっ」


 上段と同じ赤い敷き物の上で、ずらっと横一列に並んだ棒状のもの。

 人肌色をした、それぞれ長さと太さが微妙に異なる、男性器を模した物体。

 こ、これって……。


「アダルトグッズの、宝石箱や~!」


 ……って、いまのも正常性バイアス~っ!?

 そしてアイリ!

 どうしてこんなものを、カトラリーセットばりに丁寧に保管してるのっ!?

 わざわざ夢枕に立って教えるようなものじゃないでしょ、もお!

 ……ん、でも……。

 それにしても……とっても……。


「リアルね…………ごくっ」

 

 皺とか、血管とか……すごい再現度。

 樹脂製……かしら?

 さわった感触は、基本固いけれど……適度に柔軟性があって……。

 ちょ、これ……。

 握り心地が、めちゃくちゃ近いんだけど……。

 いま手にしてるのが、ちょうど興貴くらいで……。

 隣りの一回り上のサイズが、きのうのネムくん……。


「……………………」


 ……朝っぱらからなに考えてんのわたしっ!

 あーもうっ、アイリの高笑いが耳の奥で再生されてるっ!

 こんなの封印封印っ!

 わたしは断じて使いませんっ!

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