第13話 正常性バイアス

 ──アイリわたしの寝室。

 さっき知り合ったばかりの男女が、流れるように重なる。

 結婚して以来初めての、興貴以外との結合。

 これって…………浮気?

 でも……この体は、独身のアイリのもの。

 肉体……あるいは書類の上では、これは浮気じゃない────。


「ンはあっ……!」


 初めて交わる男の、新鮮な挙動。

 アイリの若い肉体からとめどなく滲み出る、強く甘い快感。

 ううん……若さだけじゃない。

 アイリは特段、敏感な肉体の持ち主なよう。

 そしてこの美貌に、ネムくんは興奮の一途。

 わたしたちはいつしか、時間も、元の世界のことも忘れて……。

 だれからも裁かれることのない不貞に、精魂尽き果てるまで没頭した──。


***


「……前の世界のこと、引きずらないほうがいいですよ?」


 ──事後。

 少し距離を置いて、ベッドに並ぶネムくん。

 こちらの汗と動悸が引くまで待ってから、わたしの背中越しに声掛け。

 中身は年下だけれど、終わったあとでもエッチのこと話し続ける興貴よりかは、メンタル大人なのかも……。


「アイリさん、こっちへ来てからいままでに、元の世界の言葉、ちょくちょく口にしてません? たとえば……ネット用語とか、映画ネタとか」


「えっ……と……。あっ、してるかも。テレビ番組とか、漫画のこととか……」


「ハハッ、やっぱり。僕も同じでした。まだこっちに慣れてないからだろうって、最初は思ってましたけど……。どうやらそれ、正常性バイアスっぽいですよ?」


「正常性……バイアス?」


「んー……。異常時の中で、正常を維持し続けようとする意識……ですか。こっちの世界にない電子機器や人物の名前を口に出すことで、元の世界とまだ繋がってる……って錯覚を得て、自分を安心させようとしてるんでしょう」


「あ、それ……心当たりあるかも。思うだけじゃ不安で、つい口に出しちゃってることある……。マズい……かしら?」


「たぶん、マズいですね。身バレも心配ですけど、戻れない世界へ郷愁が募る、元の世界にあったものがこっちになくて腹が立つ。そういうのが積み重なると……」


「積み重なると……?」


「……わかりません、ハハッ。自分で言うのもなんですけど、僕、変人でしたから。こっちに慣れるの、早かったんだと思います。アイリさんの旦那さんたちも、二人だからそこらを乗り切れたんでしょう。けれどもアイリさんは…………うーん、危ないかもです」


 きびきびと服を着ながらの、ネムくんのアドバイス。

 すごくわかりみがあって、すんなり心に入ってくる。

 いままで体を繋げてた仲だから……っていうのも、あると思うけど……。


「やっぱり忘れたほうがいいのかな……。これまでの自分、これまでの生活……」


「忘れる必要はないと思います。でも、それにすがっちゃダメ。自分にすがりつくってことは、溺れてるときに自分の右腕で自分の左腕を掴むようなものでしょう。要するに……」


「……要するに?」


「たまには僕を、頼ってくださいね……ってことで! じゃっ!」


 じわじわベッドの縁へと移動し、シーツを身に巻いていたわたし。

 思わず立ち上がって、ドアノブにかけられた彼の手を、上から両手で押さえる。


「また……会ってくれるの?」


 ああっ……言っちゃった!

 まるで「またシてほしい」って言ってるみたいっ!


「それはもちろんです。同じ領内に住んでますから。あ、でも……」


「……なに?」


「リスカ以降、アイリさんが穏やかになってるって噂、割と広がってますから……。これからまた縁談が増えて、会うの難しくなりそうですね」


「そっ、そういうのはすべて断るわっ! 夫のことも……まだ片づいてないしっ! じゃあしばらくは……悪女っぽく振る舞うことにするわっ!」


「ハハッ、それも策ですね。でも僕にだけは、いまのように素のアイリさんで接してほしいです」


「それはもちろん。じゃ、また……ン……♥」


 つま先立ちをして、お見送りのキス……。

 ああああぁ……完全に恋人ムーブしてる……。

 これもきっとアイリ、元祖アイリのせいなのよ……。


 ──ガチャッ……バタン。


 ふううううぅ……。

 なんて言ったら……いいのかなぁ……。

 夢のようなひととき……とは、ちょっと違う気がするけれど。

 転生してから一番、心安らいだ時間だったかも……。

 ……ネムくん、夢中になってわたしを貪ってきた。

 大学生って言ってたから、わたしメンタル面でリードできてたのかも。

 興貴とやり直す前にあと一、二回くらいは……シてみ──。


 ──ぶるるっ…………くしゅん!


 あうっ、体に巻いてるシーツが冷たい……。

 汗とか、汗以外とか、二人でたっぷり染み込ませちゃったから……。

 下着、下着……。


 ──ガチャッ……バタン。


「アイリお嬢様。シーツをお取替えに来ました」


「うわあっ、ルドっ!? ちょっ……ちょっと!」


「以前のアイリ様は、殿方と交じり合われたあと、すぐにそうさせていました。慣れていますので、お気遣いなく」


「あ、あのね……ルド? あなたが慣れていても、わたしはね…………って、シーツ引っ張らないでっ!」


「このガウンをどうぞ。お風呂を沸かしておりますので、家人用の順路にて。シーツは洗濯、交換しておきます」


「それは、助かるんだけど……。次からはもっと……間を空けてから来てくれる?」


「次が……あるのですか?」


「あっ……いえ、その……。えっと…………お風呂入ってくるわね、アハハッ」


 わわっ。

 わたしもう完全に、ネムくんまた呼ぶつもりでいる……。

 するなら、興貴とやり直す前……。

 それとも……興貴とやり直せなかったときに、たっぷり慰めてもらう?

 ……………………。

 ……ああ、ダメっ!

 いまわたしの頭の中、セックスでいっぱい!

 まずはお風呂入ってサッパリしなきゃ!

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