第11話 富嶽

 ──中庭……。

 丸っぽくカットされた背の低い木が、行儀よく並んでる……。

 固い芝生が、足の裏でザクザクと音……。

 花壇には、一回り大きなマーガレットって感じの白い花がひしめき合ってる。

 人間の容姿が元の世界と同じ……ってことは、植物もそうなの?

 そう言えば馬車の馬も、普通に馬だったわね……。

 まだ見てないけれど、犬や猫もやっぱり同じなのかし──。


「……アイリさん」


「ひゃあういっ!?」


「おや、考え事でしたか。驚かせてしまってすみません」


 突然背後から、柔らかな印象の男の声。

 響きは紳士のようでもあり、少年のようでもあり……。

 そして高い位置。

 オリジナルの興貴よりちょっと高いくらい……のところから声が降ってきた。


「ネム……さん?」


「はい。あらためまして、ネム・ザシューです。その節はどうも」


 ネム・ザシュー。

 アイリをリスカへ追い込んだ男。

 緑の中で映える銀髪、その輝きの下では白々しく見えちゃう白いスーツ。

 濃いオレンジ色の、ちょっと吊り目気味な瞳は、ちょっと猫っぽい印象。

 顔は細いけれど、大きめな瞳と薄い唇が、童顔な印象ちょっと生んでる。

 背丈は……わたしより頭一個分高い。

 一八〇、楽に超えてそう。

 まあまあの……ううん、かなりのイケメンくん。

 年はアイリと同じくらい、かな。

 イコール、亜依莉わたしより結構年下……。


「謝罪の機会を下さるアイリさんの寛大さに、深く感謝します」


「え、ええ……まあ」


「では、あの池の傍らのベンチで、少々話を」


「あ……はい」


 ……あれ?

 予想に反して、すごく穏やかな物腰……。

 演技のつもりだったとは言え、アイリはこの人に振られてリスカしたのよね?

 うーん……手厳しいお断りをする人には、ちょっと見えない。

 この右手首の傷跡とこの人、いまのところ結びつかないかなぁ……。


「まだ……痛みますか?」


「いっ……いいえ、全然っ! 体調もすこぶる良好ですっ!」


「僕が言えた立場ではないですが、それはなによりです。さあ、どうぞ」


 あら、まあ……。

 ベンチの上へ、真新しいハンカチをスッ……と敷いてくれた。

 これ、興貴にしてほしかったことの一つ。

 登山慣れしてる興貴は、どこでも構わずベタっと座り込んじゃうタイプで……。

 隣に座ることになるわたしは、自分のハンカチやレジ袋をお尻の下に敷いてた。

 一度くらいは、わたしのお尻に気を使ってほしかったけれど……。

 農家に生まれ変わってるってことは……変わってないわよね、絶対。


「……お先に失礼します」


 わたしが腰を下ろすまで、座るそぶりを見せないネムさん。

 紳士だわ……よいしょっと。

 ……って。

 せっかく若い子の体へ転生したのに「よいしょ」はないでしょ、亜依莉。


「隣に失礼します。このたびは、本当に申し訳ありませんでした。アイリさん」


「え、ええ……」


 わぁ……。

 こうして並んで座ると、背の高さ……身長差が歴然!

 興貴もまあまあ背は高かったけれど、日本人体型だから座るとちょっと割り引かれてたのよねー。

 まぁ人のこと、言えない体型だったけれど……。


「……僕のような格下の者から破談を告げられれば、アイリさんが傷つくのも当然です。アイリさんから断りにくかろうと思ってのことでしたが、結果的には無遠慮……いいえ、大罪。本当に申し訳ありませんでした」


 ……あっ!

 そういえばルドが、下級貴族って言ってた!

 なるほど、格下の男から見合いを蹴られたから、アイリは拗ねちゃった……と。

 恐らくアイリは、はなからお見合いなんてする気なかった。

 ただこの人を弄ぼうと、遊び感覚で見合いの席に着いた。

 自分を必死に口説こうとしてくる脈ゼロ男を、内心で嘲り……。

 最後に蹴り飛ばして、高笑う。

 ところが思いもよらず食らった、格下からの手痛いお断り。

 意趣返しで、リスカによる狂言自殺。

 この人へ罪悪感を押しつけ、自分が優位に立とうとしたものの……失敗。

 そして望まぬ自害。


「こんな僕を、アイリさんはかばってくれた……。感謝しかありません」


「……はい? わたしが?」


「そんな、ご謙遜を。僕が裁かれないのは、こうしてお屋敷を訪ねることができるのは……。アイリさんが僕の名前を伏せていたから、ですよね?」


 ええと……ちょっと待って。

 そう言えばアイリの体へ転生してしばらくは、アイリの両親や主治医から自殺の理由を聞かれたけれど、亜依莉わたしには答えようがなくって……。

 そうこうしてるうちに興貴たちと再会して、二人が他領へ逃げ出した場合、リスカの原因として指名手配する作戦にしたから……この人、無罪ノットギルティなんだわ。


「え、ええ……まあ。実はわたしも、あのときは錯乱状態だったみたいで……。理由は覚えてないんです。ですからこのことは、お互いに忘れませんか?」


「なんとお優しい……。そう言っていただけると、救われます。ふぅ……」


 安堵の溜め息……。

 やっぱり悪い人では……なさそう?


「こう言っては失礼ですが……。お見合いのときと、ずいぶんとお人柄が違って見えますね。まるで別人のようです」


 ぎくっ!


「そっ……それは、ちょくちょく言われますね。あの件から、人生観も大きく変わりましたし……。けれど、アイリはアイリですわ」


 嘘は言ってない。

 アイリは亜依莉。

 この名前も重なりには、すごく助けられてる。


「言葉遣いや挙動にも、変化が伺えますが?」


「伏せっている間に、自己啓発本に目を通したりもしたもので……。オホホホッ!」


「では、日本で一番高い山は?」


「えっ……? 富士……山?」


「や! 正解です!」


「……………………」


 日本……。

 富士山……。

 あああああっ……!

 わたし、つい元の世界のことを口に…………。

 ……っていうか、彼……何者っ!?


「……誘導尋問失礼。僕の元の名前は、がわ合歓ねむ享年きょうねん二十二。当時大学生です」


「えっ?」


「見ましたよ、農道計画草案。あれを思いつくのは、日本人しかいないですよね?」


「えっ? ええぇええっ!?」

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