第09話 不動のゼロより変動のマイナス

 ──議会が終了して数日。

 広域農道の計画は一旦検討期間に入り、農村部のリーダー格の意見を募ってから、来月の議会で採否を決定。

 でも手応えとしては、現時点でもう確定っぽい。

 だって議会が終わってからの、議員たちの反応が────。


『お嬢様のご提案が成立するよう、各所へ根回しを行いますよ』

『決定打に欠けていたカジノ誘致、これで果たせそうです。礼を言いますぞ!』

『今度当家のパーティーへいらしてください。そこでさらに詳しい話を……ほほっ』


 ……だもの。

 組織構成がシンプルな分、提案から承認までの期間が短い。

 仮にこの計画を、令和日本で立ち上げたら……。

 承認までにどれほどかかるのかしら?


 ──コンッ! コンッ!


「……アイリお嬢様。面会希望者が、いらしておりますが」


 ドア越しのルドの声。

 待ちに待った来訪者──。


「フフッ……そろそろ頃合いだと思ったわ。男と女、どっち?」


「女性です。黒髪の」


「あら残念。あ、いえ……。むしろウェルカムかしら。来賓室へ案内してくれる?」


「承知しました。では──」


 華穂……か。

 いざ、お相手して差し上げましょう。

 玄関先で済ませてもいいんだけれど、それだと猫かぶりの華穂のことだから、ぐずぐず泣き続けるだけで、わたしまでみっともなくなっちゃいそう。

 二人っきりの来賓室で、本性丸出しにしてもらわないと……心の折り甲斐ないわ。

 そのためにも、ここは慌てず、しばらく待たせてあげましょ。

 三年間の農村暮らしが染み込んだその体で、上流階級の屋敷内に一人。

 ちょっと焦らして、そしてたっぷり緊張させてあげないとね。

 さあてこちらは、優雅に爪研ぎといきましょうか。

 ウフフフフ…………♪


***


 ──来賓室のドアの前。

 華穂、そろそろ出来上がってるかしらね。

 フフフフッ……では、いざ。


 ──ガチャッ……バタン。


「……お待たせ、華穂。きょうはなんのご用かしら?」


「……アイリ、あなたいったいどういうつもり?」


「はい? いきなりなぁに? これでもわたし、忙しい身なの。用件は簡潔に、かつ手短にお願いするわ」


「とぼけないでっ! あの農道計画よっ! 思いっきりうちの畑の上、通ってるじゃないっ!」


 苛ついてる苛ついてる……♪

 早口早口……ウフフッ♪

 元々怒り心頭だったんでしょうけど、焦らした分、苛立ちがプラスされたみたい。


「……ああ、あれね? あれは部下の発案で、わたしはノータッチ。まさか華穂たちの畑が潰されちゃうなんてねぇ。頑張ってお野菜育ててるのに、気の毒だわぁ」


「しらじらしい演技やめてっ! 道の駅って……あなた以外から絶対出てこないワードじゃないっ! 権力を笠に着た陰湿な手口……許せないっ!」


 アハハッ、怒ってる怒ってる。

 でもいくらあなたが悪態つこうが、この世界ではわたしが圧倒的強者!

 雀の囀り!

 弱い犬ほどよく吠える!


「それで? いったい華穂は……なんの用件で訪ねてきたの?」


「決まってるじゃない! こんな私怨だらけの農道計画、すぐに撤回してっ!」


「……私怨? 議員も議長も乗り気だったけれど? それにあなた一人だけが、こうして直談判に来るってことは……。農村部でも好評なんじゃない? 中抜きされない直売所を、子のため孫のために作れるって。ねえ?」


「くっ……!」


 小さな目を細めて、歯を食いしばって……まあ図星!

 もっとも農村部の動きは、議員たちを通じて入手済み……だけれど。


「農家は代々土地を受け継ぐもの。だから子や孫……あるいは百年先まで見据えて、土地を整える。子々孫々の繁栄が夢。そのためには、いまの負担を厭わない。娯楽はセックスだけ……なんて言っちゃう、快楽だけが夢のあなただもの。いま農家の間で浮いてるんじゃない?」


「ぐううぅ……」


 はい、痛いところ刺さった~!

 セックスマシーン華穂、言い返せない~!

 でもね、だけどね……華穂。

 元はと言えば、あなたの不倫が原因っ!

 そんな苦虫噛み潰した顔くらいじゃ……許さないわよっ!?


「ねえ、華穂……? まずはあの吊り橋の上へ、時を戻しましょ?」


「……えっ?」


「興貴とあなたが、不倫を心から詫びて……。わたしと興貴が夫婦、あなたは外野……って立場で、あらためて話し合いましょ? それが正解でしょ? ね?」


「しっ……知らないのよあなたはっ! この三年……あたしたちがどれだけ苦労したかをっ! その間に、本物の夫婦になってるってことをっ! 不倫のことなら、いくらでも謝るけれど……。これ以上あたしたち夫婦への……嫌がらせはやめてっ!」


 ……出た!

 加害者の被害者気どり!

 オリジナルのアイリが、リスカの真似事をしようとしたのと同じ。

 自分自身に非があるのに、被害者の席に必死にしがみつこうとする腐れ根性!

 根本の原因から目を反らし、いまの自分の痛みと不快感だけを主張する厚顔無恥!

 豆腐メンタルゆえの攻撃性特化!

 その豆腐…………ぐしゃっと踏み潰してあげるっ!


「……どうやら、建設的な意見は聞けないみたいね。感情論へ耳を貸しても時間の無駄だし、もう帰ってくれる?」


「アイリ、あなた……。こんなことして……コーキの気持ちが戻ってくると思ってるのっ!? コーキからの印象、ますます下げるだけよっ!」


 そんなの、百も承知よ。

 けれどね……華穂。


「華穂? わたし、お付きのかわいいメイドさんから、この世界のこんなことわざを教えてもらったわ」


「えっ……?」


「『不動のゼロより変動のマイナス』。なにも動かない状態が続くなら、一時的に不利になるのを承知で状況を動かしたほうがマシ……って意味。日本でいうところの『損して得取れ』、かしらね」


「き……聞いたことないわっ!? こっちのそんなことわざ!」


「あらあら。農村部って、学がない人多いのかしら? もしかして識字率も低い? ならばなおさら農道を整備して、『知の流通』を行わないとねぇ?」


「ぐううぅ……! 農家のみんなを……バカにしないでええっ! ぐすっ!」


 いいわ、いいわねぇ!

 ガチの泣きが入った華穂!

 これまでの華穂の泣きは、自衛のための嘘泣き。

 それも……自分だけは心の底から泣いてるつもりの、最低最悪な嘘泣き。

 その華穂をいま、本性の剥き出しの状態で泣かせたわ!

 まあまあ……いい気分っ!

 あと、さっきのゼロ云々のことわざねぇ?

 あれはルド考案の独自の教訓だから、ことわざとしては広まってないわよ?

 アハハハハッ!


「……だからわたしは、この農道計画を進めるわ。プラスだろうがマイナスだろうが、興貴の気持ちを動かすのが最優先。あなたたちが、あの吊り橋の上へと意識をリセットしたときに、撤回へ動いてあげる」


「ひぐっ……! ううぅ……ぐすっ!」


「議会で計画が承認されれば、領主の娘のわたしでも止められなくなる。コース変更もたぶん無理。ゆえに期限は一カ月弱。その間に不倫を心から詫び、興貴とわたしが夫婦の状態へ戻してちょうだい。ああ、それから……」


「まだ……なによっ!?」


「仮にあなたたちが他領へ逃げたときのために、手配書も刷ってあるわ。領主の一人娘、アイリ・ラモディールを自殺未遂へ追いやった容疑者としてね。あーあ、だれかさんがリスカを言いふらしてなければ、こんな手配書、なんの役にも立たなかったのになー」


「ひ……人でなしっ! あなたは鬼よっ! 悪魔よっ!」


「あら? この世界にも、鬼や悪魔っているの~? 教えてくださいませんか~? 三年先輩~?」


「ぐすっ……うああっ…………うわああぁああぁああぁああんっ!」


 ……フンッ!

 それよ、そのガチ泣き!

 その、床に這いつくばってのみっともない号泣!

 あの吊り橋でそれを見せていれば、こんな状況には陥らなかったの!

 あのとき、それができなかったってことは……。

 飛び降りも、わたしたちが止めることを見越した演技っ!

 けれど吊り橋が過剰に揺れて……予期せぬ三人落下。

 だとしたら……なおさら許せないっ!

 倍返しどころじゃない。

 数十倍……数百倍の苦渋を味わわせてあげるわ、華穂っ!


「……ルド、お客様のお帰りよ。玄関までお送りして」


 ──ガチャッ…………バタンッ!

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