第02話 異世界転生

 ────あれからもう、十日ほど……。

 吊り橋から落ちたとき、絶対死ぬと思った。

 っていうか、実際死んだはず。

 コケがいっぱい生えてる大きな岩が、みるみる迫ってくる記憶残ってる。

 とっさに体を丸めて頭をかばったけれど、あの高さじゃ無意味。

 けれど、わたしの体に残っている傷は…………切り傷一つだけ。

 右手首に真横に走る、ミミズ腫れのような赤黒い傷。

 いまいる部屋にある、立派な装飾の縁に囲まれてる姿見を覗くと……。

 ……そこには青島亜依莉じゃない、全然知らない若い女性。

 欧米人っぽい、目鼻立ちがくっきりとした顔つき。

 白い肌、うっすら赤みが混ざった金髪のナチュラルウェーブ。

 DNAガチャで引けなかった、憧れ続けた細い首と、尖った顎がある。

 けれど……かすかに、うっすらと、わたしの顔つきがある。

 こうなりたかった理想の自分……そんな姿。

 ……状況から考えて、わたしは「転生」をした。

 このアイリ・ラモディールという、わたしと同じ名前を持った十八歳の少女に。

 この異世界の、女に────。


 ──コンッ……コンッ!


 板チョコの表面のような色合いと模様の厚いドアから、金属音っぽいノック。

 ドアノッカー……っていうんだっけ、あのノック用の鉄の輪っか。

 あれの音。


「……アイリお嬢様、ルドです。お茶をお持ちしましたが、いかがですか?」


「あっ、はい。ありがとうございます。いただきます」


 シルクっぽい白いネグリジェの乱れを整えながら、底がふかふかで足音が鳴らないじゅうたんの上を、スリッパで歩く。

 そしてドアを開けに──。


 ──パタン。


 向こうからドアが迫ってきて、足が止まった。

 ……そう、この世界のドアは、西洋と同じ内開き。

 そしてわたしはお嬢様だから、使用人のためにドアを開けにいく必要もない。

 身に着いている、日本の主婦の感覚、習性。

 肉体はアイリでも、わたしの心は間違いなく青島亜依莉なのだ────。


「……お嬢様、ベッドでお待ちになられてください」


「す……すみません。ルドさん」


 ルドさん。

 わたしのお付きの使用人、メイド。

 年は……たぶん十四、五歳くらい?

 濃紺のメイド服。

 濃いブラウンの髪は、左右にまとめたシニヨン。

 額にはポツポツと小さなニキビ、そしてなにかの傷跡らしい小さな痣。

 鼻の頭には、うっすらソバカス。

 眉は手入れされていながらも濃く、ちょっとキツめな印象の瞳の上には、それを緩和させる丸眼鏡。

 出会って数日は、垢抜けない子と思っていたけれど……。

 素地はいいからきっと、主を立てるためにあえて地味な姿をしてるんだわ。

 ここはそういう世界。

 わたしはそうして、祭り上げられる身分──。


「……お嬢様。やはりあの件から、少し変わられましたね」


「えっ? ああ……そうね。死を間近に感じてからは、変わったわ。いろいろ」


 ──あの件。

 わたしがこの世界で目覚めたのは、この部屋のベッドの上。

 たくさんの見知らぬ人たちが、わたしを上から覗き込んでる。

 なんとも異様な光景。

 それから「間に合った」「生きててよかった」という、わたしの生存を喜ぶ声の連呼。

 わたしは、「あの吊り橋から落ちてなお、生還したんだ……」と、自分の運の強さに安堵した。

 意識がボーッ……としてることと、右手首にチクチクとした痛みがある以外、特に苦しみもなかった。

 見ず知らずの人たちが、わたしを助けてくれたんだ……って思ってた。


『わたしは助かったんだ──!』


 ……という安堵から、異世界転生を認識するのに、二日ほどかかった。

 このルドさん……青島亜依莉だったらルドちゃんと呼びたくなるほど年の差がある彼女の懇切丁寧な付き添いがなければ、まだ異世界転生に気づけなかったかもしれない。

 ……ううん。

 ヘタをすれば、別人の魂が宿っていると見破られて、殺されていたかもしれない。

 わたしにとっていまのところ、ルドさんは唯一の味方……。


「……お嬢様。例の件で、記憶を失っているというのは、やはり本当ですか?」


「え、ええ……そうね。ほとんどのこと、忘れちゃってるわ。おいおい、思い出していくと思うけれど……」


「……そうですか。僭越ながらしばらくは、無理に思い出さないほうがいいと思います。かの件は、かなりのショックでしたでしょうから」


「え、ええ……そうね。ありがとう、ルドさん」


 ──かの件。

 この肉体の持ち主であるアイリが、失血死の自殺をした件。

 イケメン侯爵との縁組に失敗し、悲観してリスカで自殺した件。

 わたしの命は世界の壁を越えて、抜け殻になった直後のアイリの体へ、するりと滑り込んだのだ……と、思ってる。


「ねえ、ルドさん。もう体調もいいし、そろそろ外を見たいわ。外出……できないかしら?」


「それにつきましてはいま、そんへ確認中です。許可が出ましたら、すぐにお知らせします。いましばらく、お待ちください」


「あっ……ごめんなさい。気を使わせちゃったわね」


「お嬢様へ心身を使うのが、わたしの仕事ですから。お気遣いなく」


 転生してからずっと、トイレと入浴以外では部屋から出られない。

 ほぼほぼ監禁生活。

 窓から見える景色は、高ーい山々と青い空と白い雲だけ。

 ギリ視界の端っこに、街っぽい家の並びがある。

 とにかく外へ出たい。

 ここがどういう世界なのか、もっともっと知りたい。

 そして……。

 一緒に落ちた興貴と華穂がどうなったか……知りたいっ!

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