hikari
よだか
hikari
どこまでも続く快晴の或る日、何もない平坦な道の真ん中で少女が一人踊っていた。白い肌に艶のある長い黒髪が目立つ快活そうな少女だった。その場所には偶然にも私と少女の二人しか居合わせていなくて、昼下がりの葉擦れの音が季節の始まりを連想させた。いったいなぜこんな道端で年端もいかない少女が一人踊っているのか、それを何故私が見つけたのか等の問いは意味を持たない。涯の見えない青々とした空の下で少女は踊り続けた。誰に見られることを想定しているわけでもなく、観客を満たすためにそうしているわけでもないその行為は、踊りの何たるかを知らない私の目にも非凡なものであると理解させた。少女の表情はまるで揺れるひとひらの花のような儚さをはらんでいるようにも見えたし、その踊りは少女の持ちうるすべての感情をいっぺんに表現したかのような多彩な彩を見せた。歓びも哀しみも表現しきれないそれは、私の胸の内を支配するには十分な輝きを持っていた。声をかけることすら憚られるほどの眩い存在である少女は、自分以外の存在のすべてが喪失した世界に生きているかのように踊ることだけをし続けた。少女は笑みを絶やさない、その頬に滴る雫は決して流れを緩めない。そして何よりも、少女が踊りを楽しんでいた。その様はまるで舞台の上で音を捧げる大音楽団のようでもあったし、単調な日々の為に用意された祝祭のようでもあった。
暫くそうして見ていると少女は踊りを辞めて、その代わりに私をじいっと見つめていた。その時少女が何を思っていたのか実際のところ分からないが、少女は私を責め立てるような目つきをしているように見えた。私はどうしようもなかった。どうすることもできなかった。少女のような煌めきは私の人生には無縁のものであり、それを眺めるだけの自分でいることに満ち足りていたのだ。私は変わらずに傍観者であり続けるために目を合わせることをしなかった。少女は少しの間私を見つめていたが、私が少女の期待には沿えないのだと理解したのか踊りを再開した。その踊りは、先ほどまでと技術は何も変化していないけれど、私だけが感じられていた圧倒的なまでの存在感は無かった。坦々と体の細部をしならせて、用意された手順を踏むかのようなその行為はまるで何かに邪魔されて得いるような不自由なものに見えた。私は精彩を欠いた少女の踊りをただ眺め続けていた。風になびく木々の葉音がこの時間に彩を加えてくれている。まるでこの時間が少女に味方している、せざるを得ないほどにまで追い詰められているようだった。それほどまでに少女の踊りは痛ましいものに見えた。何か特別欠けていることもなく、強く求めるほどの激情もない少女の踊りには、一度目のそれにはあったはずの感情が欠けていた。私は自分が少女の期待を裏切ったのだと悟った。先刻までの輝きと希望を失ったその場所は後ろめたさと叱責のみが集う罪悪感の塊のようなものであり、普段の私であればすでに尻尾を巻いて逃げ出していたであろう。しかし私はそれをしなかった。何故かと問われても用意できる回答は手元には見当たらないが、兎に角私は逃げ出さなかった。もしかしたら逃げることすらできなかったのかもしれない。実際私は逃げ出しはしなかったが、かといって他に何かできることもなかった。
少女は度々踊りを中断して小休憩を取っていた。少女の踊りはそれほど激しいものには見えないが、動き続けることの身体的疲労は普段お世辞にも運動をする方ではない自分にも想像に難くなかった。休んでいる間私と少女は言葉を交わすことをしなかったが、少女は一度目の休憩の時と同じく私の方を見つめていた。先ほどは明らかに年長者である私の方から目をそらすというなんとも情けない態度を取ってしまったが、今回は気後れする自分を誤魔化して少女の目を見つめ返してみた。少女は私が少女を改めて認識したことに少し驚いたような反応を見せたが、特に何か行動を起こすようなそぶりを見せることもなくただ私を見ていた。私は少女と目を合わせてみて、少女が私の存在になにか期待をしているようだと感じた。明らかに私という存在を拒むような態度を見せたらすぐにここから離れようと思っていたので、少し拍子抜けしたような気分になった。しかし少女が私を拒絶していないからと言っても現状に変化は無く、少女は小休憩を終えるとまた踊りを再開して、私はただ少女の傍らに居座る傍観者のままだった。どこからか流れてきた雲が空に一つ二つと増え続けていることに気が付いた私は、どうやらここで少女を見つけてから少しとは言えないほどの時間が経過していたのだとわかった。私はなんとなく、そろそろここを離れようという気持ちになった。少女は今も変わらず虫食いのパズルをそのままにしているような踊りを続けていて、私は少女に何も求めてはいないし求められてもいない。要するに意味がないのだ。少女は自分の動きに夢中で私のことに注意を払ってはいない。今ここで私が少女に背を向けても何ら問題にはならないだろう。私は意を決して少女に背を向けて、来た道を戻るべく歩き出すことにした。自分の足音が少女の踊りの妨げにならぬように用心しながら可能な限り静かにその場を後にして、私は完全に一人になった。
私の視界から踊る少女が姿を消して、清々したわけでもないが後悔をしたわけでもなかった。当然のことだった。私は少女の傍観者であり、少女の関係者ではないのだから。私は自分の行いに対する意味について考えた。少女の踊りに得も言えぬほどの衝撃を受け、少女の無言の訴えに一度は目を逸らし、もう一度は答えることを放棄した。その結果少女の踊りから感情が消え去り、少女の表情からは何も感じることが出来なくなった。しかしそれが何だというのだろうか。少女の踊りの中の些細な変化など、しょせんは傍観者である私の感性から導き出されたものでしかない。それは私の中でのみ存在するただの感想であり、事実ではないのだ。真なる事実は少女の心のうちにのみ存在するものであり、それを知る権利は私にはない。仮にあったのだとしても、私にはそれを受け取ることはできない。私は少女と関わることをせぬままにその場を立ち去っただけの単なる他人であるからだ。その権利は、少女の踊りに意味を与えるほど近しい存在にふさわしく、道端ですれ違っただけの私などには到底程遠いものである。ではこの時間はいったい何だったのだろうか、私は、この時間を完全に無なるものにしてしまったのだろうか。私は漠然とそうではないと確信していた。自分の行動や思想が誰かに影響を及ぼしていない以上それは世界という構図からすれば存在していないのと同じであり、私に残された不完全燃焼気味な思いはすべて私の一人よがりにすぎないのだと思ってはいる。思ってはいるものの、果たしてそれがあの時の私の思いをぐらぐら揺らすような感動を無にできるのだろうか。できるとはとても思えないし、そうであってほしくはない。ここまで自分の行動を俯瞰的に考えておいて、私はこの時間を美化するための理論を見つけ出す作業に没頭していた。それも結局は無駄なのだろうか。堂々巡りの脳内会議は私の気分次第ですぐに閉幕を下せるほどの危うさをはらんでいて、だけれども綱渡りのような危うさと期待の両立でその想いを何とか継続させていた。そしてそのショーは私ではない存在に手綱を手放されて幕を下ろした。
背中に触れられた感触を覚え反射的に振り返った私の目に映ったものは、一人だけの世界にいたはずの少女の姿であった。少女は肩で息をする自分の呼吸を整えながら、やはり私をじいっと見つめていた。私は逃げ場を失ったような気分だった。追い詰められた私が観念するよりも先に、少女が息を整えた。少女は私になぜ自分の踊りを見続けていたのかと訊ねた。私は、その行為に深い意味は無く、ただ何となく見ていただけだと語った。私は少女の興味の対象から逃げ出したかった。これ以上少女の持つ美しさを自分という存在で不純なものにしたくなかった。少女は私の返答と聞いて少しだけ俯いた。私は胸が痛くなったけれど、踵を返して少女の元を離れようとした。少女は私の手を取って、その場に留めようと試みた。私は少女の積極性に驚いて、どうして私のことを気にかけるのかを訪ねてみた。私はただの通りすがりで、君からすれば赤の他人であろうと。少女は難しい顔をしていた。私は少し大人気がなかったかもしれないと自省して、問いに追加する形で自分の思いを説明しようとした。しかし少女は私が語りだすよりも前に、一緒に踊ってくれる人が欲しかったのだと言った。少女は自らの秘密をさらけ出したかのごとくに顔を赤くして俯いていた。私は少女がこのまま泣き出してしまうのではないかと思ったが、少女は顔を上げて言葉を続けた。自分はただ踊ることが好きで、周りの人も同じだろうと思っていた。だけど、周りの人は踊っている少女を珍しい目で見るばかりで、踊りに興味を持っているわけではないようだった。がっかりしたけれど一緒に踊ってくれる人がどうしても欲しかったから、あそこで踊りが好きな人を待ち続けていた。そうしたら私が来たのだと、少女は語った。曰く、私の目は少女を腫れもののように見ていた人の目とは違うものに見えたのだという。少女は私という存在に一緒に踊ってくれるという願望を見ていた。その時の私にはその少女がとてもちいさくて、吹けば飛ぶ綿毛のようなもろさを抱えているように思えた。少女の一緒に踊ってほしいという願望は、そうでないならどうしようもないという救いを求めてのものだった。私は少女に、教えてくれるのならと条件と付けた。少女はそれに頷いて、小さく咲いたような笑みを浮かべた。
hikari よだか @yodaka0846
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