5.根回しがお上手ですね⑥

「なっ、何ですかっ」

 ムッとして顔を上げて睨んだら、手を絡め合っている関係で思いのほか距離が近くてドキッとした。


「今、花々里かがりは絶対変なことを考えているよね?」


 言われて「お、親亀の背中に子亀が乗ってるのでっ」って思わず言ってしまって、今度こそ思い切り笑われてしまう。


「若いのにやけに古いネタを知っているね」

 言われて、「あ……」とさらに頬を染めてから「でも」と思う。

「み、御神本みきもとさんこそっ」

 私と9つしか違わないと言うのなら、彼だってこんな昭和テイストなネタを、さも知ってるように語るのはおかしいじゃない。


 私はたまたまお笑い好きの母に聞かされたことがあるだけよっ?

 ビジュアルが浮かびやすいからか、一度聞いただけなのに、すごく印象に残ってるの。


 そう思ったんだけど。


「何度も言うけどね、花々里かがり頼綱よりつな、だよ」


 肝心な部分はスルーされて、呼び方の訂正をされてしまった。


 依然として手は絡められたまま。

 じっと見つめられたら逃げ場がないの。


 なっ、なんでこんな心臓苦しいの?


 ふと、1日の間に2度も経験してしまったキスのことを思い出して、身体まで熱を帯びてきてしまって。


「あ、あのっ」

 ギュッと手を引こうとしたけれど逆に力を込めて押さえつけられてしまった。


「よ、っ」


 私が「よ」という言葉を発したことで、頼綱よりつなさんは名前を呼ばれると思ったかもしれない。


 でも違うの! 私が気になっているのは――。


「よ、羊羹ようかんが落ちてしまいますっ!」


 2人の手の下。

 頼綱さんが器の端を持ったままのそれが、ものすごく傾いているんだもの。

 お皿の上でズルーッと羊羹ようかんが移動しているのが見えて、私は気が気じゃない。


 落っこちたら大変っ!


 そう思って眉根を寄せたら、思い切り笑われてしまった。


花々里かがりのだものね。ダメにしたら恨まれてしまいそうだ」


 やっと私の手の上から御神本みきもとさんの手が離れてホッとする。



***



「――村陰キミのお母さんから、だよ」


 スッと羊羹ようかんの載ったお皿を差し戻されて、嬉々として自分の方へ引き寄せたと同時にポツリとそうつぶやかれて。

 私は理解が追いつかなくキョトンとする。


「え?」

 小さくつぶやいたら「亀の歌を俺に教えてくれた相手」と優しく微笑まれた。


 え!? うそ! お母さんだったのっ!?


 もぉ、お母さんってば、どれだけあちこちで亀を乗せまくったのっ!?


***


 美味しい羊羹ようかんを2切れペロリとたいらげて、ふと壁の鳩時計に視線をやったら21時を回っていて。


 それは女子大生にとって遅い時間と言うわけではないけれど、ここがどこなのかよく分からないとなると話は別。

 アパートまで車で――最悪徒歩で――何分掛かるのか不明な以上、早めにおいとましなくっちゃ。


「み、頼綱よりつなさん、私、そろそろ」


 今日は眼前の彼からほっぺたが落ちそうなものを沢山ご馳走になった。

 うなぎ、飴、羊羹ようかん

 どれも思い出しただけで生唾が滲んでくるぐらい美味だった!


 それらにほだされるようにやっと、彼のことを「頼綱よりつなさん」と割とスムーズに言えたのだけれど。


「さん、は要らないって何度も教えたよね? 花々里かがり

 どこまでも呼び捨てにこだわる御神本みきもとさんに、そんなダメ出しをされてしまう。


「でもっ、呼びにくいんですよぅっ!」


 さすがにもう、美味しいものは出てこないと思う。

 

 眼前の彼だって、いくら何でも私のお腹の中に収まったものにまでは手出し出来ないはずだわ。


 そう思った私は、ちょっぴり強気。「頼綱よりつな」呼びはハードルが高いのだと主張したのだけれど。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る