第122話 ただただ、抱きしめて欲しい

 その日、ユウが仕事から戻ってくると和佳子さんや瀬戸くん夫婦など多くの友人達がシウを励まそうと遊びに来てくれていた。

 寿々さんの赤ちゃんもすっかり首が座り、随分とふっくらと赤ちゃんらしい顔つきになっていた。


「今日はシウさんとユウさんにも会わせたいと思って、お姉ちゃん達にお願いして連れてきたんです」


 今のユウは子供は無縁で、見るとしても展示場に来るお客の子供くらいだ。寿々達に抱っこして欲しいと言われ、恐る恐る手を伸ばして胸元に抱えた。

 軽いけど確かに感じる体重と温かさに、自然と口角が緩んだ。可愛い……。


「———よかったね。赤ちゃんも順調に大きくなって」

「はい、本当に……。今は廉兄ちゃんとお姉ちゃんに育ててもらって、この子もとても幸せそうです。私と大成にもこうして会わせてくれるし、感謝しかないです」


 叔母でありながら母親でもある寿々を見て、余計に胸が苦しくなった。本来なら親は子の幸せを願うはずなのに、どうしても穂村のことが脳裏を掠っては嫌悪感が支配する。


「ユウさん。シウの奴、スゲェげっそりしてますけど大丈夫ですか? って、ユウさんもやつれてますね! えぇー、皆大丈夫ッスか?」


 瀬戸くんの声を聞くと緊張感が薄れて少し肩の力が抜ける。こういうタイプの人間も時には必要なんだと笑いながら感謝した。


「学校では瀬戸くんが守ってくれてるって聞いたよ。ありがとう」

「んー……、いえ! 俺は何もしてないんで気にしないでください! けどシウの家族構成って本当に複雑すぎて理解ができないですね。え、シウには三人の父親がいるってことですか?」


 正確にはユウは法律的にも血縁的にも無関係なので他人扱いになるのだが、現時点では穂村が血縁上の父親。戸籍上では守岡が父親になる。

 穂村の打つ手次第では厄介なことになるのだが、認知もしていない非嫡出子のシウには何もできないと信じたい。

 ただでさえあんな男が血縁者だと言われ、相当ダメージを負っているというのに、これ以上の負荷をかけられたら堪ったもんじゃない。


「そんな屑男だっていうのに、シウはまともに育って良かったっすね。つくづく子供って育ってきた環境がものを言うんだって思わされますね。ってことは、コイツも俺よりも水城さんに似るのかなー……。俺はアホだからその方がいっかな?」


 少し寂しそうな顔を浮かべながら子供を抱く瀬戸くんを見て、胸が苦しんだ。この子は大丈夫だ。実の親にも育ての親にも愛されて育ってきたんだから。

 シウを見ると、少し困ったような顔で小さく笑って、また目を伏せた。顔色に疲れが見え隠れしている。少し無理をさせてしまっただろうか?


「……今日は皆、シウの為に来てくれてありがとう」

「いえいえ、とんでもないです! 私達、シウの為ならいつでも飛んできますから!」


 和佳子さんや瀬戸くんの明るさに感謝しつつ、今はその底なしの明るさが眩しくて目を逸らしたくなった。そんな感じる自分に少し嫌悪感を抱きつつ、ユウは皆をエントランスまで送り届けた。


 案の定、部屋に戻ると疲れ果てたシウは、そのままソファーで寝息を立てていた。だがその寝顔にすら不安が残り、眉間に少し皺が刻まれている。


「ユウくん……、シウももう限界だと思う。少しの間だけでもホテルとかに隔離して」

「そうだね。学校にも事情を話してオフライン授業にでも切り替えてもらおうかな。最悪、一年休学してもいいし。このままじゃシウが倒れてしまうな」


 シウをベッドに運ぼうと抱き上げた。前よりも軽くなった身体に更に胸が痛んだ。この子は、シウは何一つ悪くないのに……。

 ただただ放っておいてくれれば、それだけでいいのに何故あの男はそれすらも許してくれないのだろう?


「認知してシウの父親になりたいのかな……。守岡には後継という理由があったけど、穂村は———……」


 やはり目的は金なのだろう。

 調べていくうちに多額の借金を抱えていることが判明したが、そんなモノのためにシウを苦しめているのなら、先手を打って手切れ金を渡すか? いや、そんなことをしたら寄生虫のように付き纏われるのがオチだろう。


 ベッドまでついたユウは寝かせつけようと腰を屈めたが、首に腕を回されて抱きつかれた。いつの間に起きていたのだろうか?


「ユウ、行かないで……傍にいて?」


 まるで暗闇を恐がる子供のように駄々をこねるシウが愛しかった。頭を撫でて、守るように胸元に抱き締めて。彼女の濡れた目尻を頬を拭うように押し付けた。


「なぁ、僕は———いざとなったらシウを守るのが最優先になると思う。シウがいなくなったら、生きていることが無意味に思えるほど、シウが大事なんだ。けど裏を返せば、他のことを捨ててでもシウを守りたいし、幸せにしたい。シウは……どう思う?」


 甘い言葉と残酷な言葉の羅列に、戸惑いの顔色を示しながらシウは口籠っていた。


「今の生活を全部捨ててでも、僕はシウを守りたいんだ。もし僕が遠くへ逃げようと頼んだら、一緒に行ってくれるかな?」


 シウが自分のことを想っていてくれているのは十分伝わっている。だが交友関係、家族、夢———そういったものと天秤に掛けてまで、選んでくれるのかまでは確証が持てなかった。

 けど、もしシウが選んでくれるなら自分も覚悟を決めて———……。


「バカだね、ユウ。捨てるのは私じゃなくてユウでしょ? 私の為に全部を捨てて守るなんて、本当にバカだよ」


 真っ直ぐに見つめる瞳から、ボロボロと涙が溢れる。とめどなく溢れる滴をユウは必死で拭ったが、指を伝って流れて濡れた。けどそんな手に指を絡めて、シウは笑みを浮かべた。


「ありがとう。私はユウがいればそれでいい……。ユウが私のことを思ってしてくれた選択に従うよ」


 全てを選ぶことは出来ない。それなら自分はシウの幸せを願おう。

 少しでも早く彼女の不安が拭えるように、彼女が笑えるように。ずっと守り続けよう。


「愛してるよ、ずっと。何があってもシウのことだけは必ず守るよ」


 だから早く、そんな無理に作った笑顔ではなく、心からの笑顔を見せて欲しい。君を不安にさせてること全てから守るから。


 ・・・・・・・・★


「ユウ、ゴメンナサイ……っ、ゴメンナサイ!」

「謝らないでよ、シウ。これは僕が選んだことだから、君は何一つ悪く思う必要はないよ」


 どうして被害者ばかりが犠牲を払わないといけないのか、納得がいかない世界の不条理———……。


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