第90話 私には必要だったよ

 守岡の病室を出てからも、二人は無言のまま帰宅をしてソファーに座り込んでいた。

 この事態は自分たちが思っていたよりもずっと厄介で、そして精神を蝕む問題だった。身体にまとわりつく黒い感情に今にも胃の中のモノを全部吐き出して楽になりたいほど、ユウは追い詰められていた。


 ただそんな中、ずっと繋がっているシウの体温だけが唯一の救いで、心配からか絡む指が僅かに動いていた。ユウを見つめる瞳からも不安の色が見え隠れしていた。


「ユウ、今日はもう寝ようか。早く休んだ方がいいよ」


 無理に上げられた口角を見ては情けないなと自己嫌悪に陥り、ユウは静かに頷いた。


「……守岡さん、思ったよりも年上でビックリした。お母さんって、あんな人が好きだったんだね」


 意外にもシウの守岡に対する評価は低いなと思っていたが、シウは以前マンションの駐車場で会った男が守岡だと分かっていなかったのかと気付いた。

 無理もない、あの男と病室のベッドに横たわった男がどういう人物だなんて思えない。痩せこけた彼は一回りは老けて見えたし、元々15歳離れている二人だ。さらに離れて見られても仕方なかった。


「ユウは知ってたの? 守岡さんの存在を」


 シウの質問に、どう答えようか一瞬迷った。だがここで嘘をついても意味がないと気付き、黙って頷いた。


「———そうだったんだ。別に今更本当のお父さんが現れたところで、何も変わりはしないけど」


 ユウのスーツをハンガーに掛けて、今度はネクタイを外した。そしてシャツのボタンを一つ一つ外して、そのまま上目で覗き込んできた。


「ユウ、泣きたかったら遠慮なく泣いてもいいんだよ? 私はどんなユウも受け止めてあげるから」

「……え?」

「だって、さっきから泣きたそうな顔をしている」


 するとユウの背中に腕を回して、そのまま抱き寄せるように距離を縮めてきた。シウの唇が鎖骨の辺りに触れて、そのまま頬を擦らせてきた。弱っている時に人の体温はダメだ。こんな苦しみ、一人で耐えられるはずがない。甘えたくなる。その体温に、優しさに縋るように本音を溢し出した。


「———あの場にさ、本当にいらなかったのは僕だったんだ」


 ユウの言葉にシウは首を傾げ「何でそう思うの?」と問い掛けた。


「だって、イコさんはずっと守岡のことを想っていて、シウにもちゃんとしたという存在がいて、守岡がいたら寂しい思いをすることがなかったんだ。僕が求めなければ、あの時僕がを求めなければ……!」


 皆、不幸にはならなかったはずなんだ。


 そんなユウの考えを否定するかのように、シウは悲痛に歪んだ顔を両手で挟み込んで、強引に唇を塞いだ。あまりの勢いに歯が当たって口内に血の味が広がった。だけどシウの行為は止まることなく、そのまま深い交りを求めてきた。


「———いで。そんな寂しいことを言わないで? 私にはユウが必要だったの」


 気付けば目の前の彼女まで涙を流し、互いにぐしゃぐしゃになりながら求めるように抱きしめ合っていた。


「本当に私の父親が誰でも問題ないの。でもユウだけはダメ。ユウは私と結婚するんだから……困るの」


 本音を吐き出したシウは深く呼吸を繰り返して、スゥ……っと気持ちを整えた。


「……と言うより皆勝手過ぎ! そもそもユウは自分が邪魔者だったって言うけど、本当にそう! あの頃『私がユウを支えるんだ』って本気で思っていたのに勝手にお母さんと結婚して! 大好きな人が目の前でイチャイチャしてる姿をずっと見せつけられていた気持ち、わかる⁉︎」


 突然、沸騰したヤカンの湯みたいに噴き出したシウに圧倒され、思わず「す、すいませんでした」と謝罪を口にしていた。確かにシウの気持ちを考えれば、なんて酷い選択をしたのだろうと申し訳ない気持ちに苛まれた。


「ユウと婚約出来たから、今更どうでもいいけど……。だって諦めたくなかった。私はずっとユウの一番になりたかったから、相手がお母さんだろうと絶対に負けないって思ってたんだよ?」


 ユウの手をギュッと握って、やっと掴んだ幸せを噛み締めていた。

 そうだよな、自分一人じゃないんだ。自分にはシウがいる。こんなにも自分のことを想っていれる人が側にいたのに、そんな贅沢なことに気付かないで一人落ち込んで本当に情けない。


「それに皆、勝手にやってるんだから気にしなくていいよ! お母さんも守岡さんお父さんも自分勝手だよ? 私も……自分のことしか考えてない人ばかりなんだから、そんな人に気を使う必要ないよ? ユウはもう少し自分に素直になればいいよ?」


 そう言って屈託に笑った顔がどうしようもなく可愛くて、無意識にシウを抱き締めていた。シウはよく「ユウがいてくれたおかげで私は生きてこれたんだ」と口にしているが、それは自分ユウのセリフだ。


「シウが僕の側にいてくれて、本当に幸せだよ。ずっと……僕のことを好きでいてくれてありがとう」

「こちらこそ。私のことを選んでくれてありがとう……」


 シウの存在に感謝して、抱き締めながら眠りについた。

 イコさんの運命の人が守岡だったように、ユウにとってシウが運命の相手だったんだ。そしてその赤い糸はどんなに絡み合っていたとしても、ちゃんとたどり着くようにできていたのなら本当に素敵なことだと初めて神に感謝した。


「ありがとう、シウ」


 隣で静かに寝息を立てる彼女の額にキスを落として、ユウも再び眠りについた。



 ・・・・・・・・★


「やっと、胸の奥につっかえていたわだかまりが取れた気がした」


 次回、ユウの過去編です。

 6時45分更新になりますので、続きが気になる方はフォローなどよろしくお願い致します。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る