第88話 以前の威厳は形無しに
それからしばらく涙を流し続けたイコさんは、少しだけシウと二人で話したいのでユウには別件をお願いしたいと頼んできた。
だがその頼みはユウにとって酷いもので、彼でなければイコは問答無用で殴られても仕方ないと思うほど容赦ない頼み事だった。
「———守岡さんに会って欲しい?」
「……分かってる。ユウくんにとってそれがどういうことなのかも」
分かっていて頼むなんて、随分と勝手だな、イコさん。協力するといった手前、今更断ることはできないが、何故一対一で会わなければならないんだ? せめてシウやイコさんが同行するなら上手くやり過ごせる気はするが、一人では無理だ。そもそもどんな顔をして会えば良いのかわからない。
「少しの間でいいの。お願い……お願いしますから、守岡に会って下さい」
あのプライドが高いイコさんが深々と頭を下げて懇願している。噛み締めた奥歯が軋む音を立てるが、やむ得ない。
それに実の父親と言われたシウのことを考えると、変な態度は取れない。自分で吐いた嘘に苦しめられながら、ユウは了承した。
「本当に少しの間だから。五分経ったら僕は出るよ?」
「———それで十分。ありがとう、ユウくん」
ユウとイコにしか聞き取れない小さなやりとりを交わし合い、守岡が入院している病院へと向かった。そこは完治を目的とする一般的な病院とは違い、痛みを緩和させることを優先した病棟だった。
個室のドアを開けると、明るい個室の中央に置かれたベッドに眠っている守岡の姿が目に入った。
その変わり果てた風貌に思わず息を飲んだ。以前の威厳は形無しに消え失せ、鍛えられた大柄の身体も痩せ細り一気に老け込んで見えた。
これがあの時の男なのか?
「———イコ? 帰ってきたのか?」
弱々しい声に、ますます気の毒な思いが込み上がった。これが余命数ヶ月の人間なのか……。現実から目を背けたくなり、俯いて目を閉じた。
「守岡、アンタ……何してんだよ」
突然自分達の前に現れたかと思ったら、嵐のように掻き回してイコさんを連れ去っていったくせに。何でこんなところで息絶えようとしてるんだよ。
「あぁ、お前……ユウか? 何だ、来てるならちゃんと声を掛けろよ」
相変わらず減らず口を叩くが、それ以上に覇気のない声に眉を顰める。病魔というものは本当に容赦がない。あんなに自分勝手にしていた男から何もかも奪い去って、残酷にも程があるだろう?
「イコさんから話は聞いた。何でシウの花嫁姿を求めたんだ? 言っておくがシウは———」
「みなまで言うな……。大体分かってんだよ、俺に子供を作る能力がなかったことくらい。けどな、こうでもしねぇとお前に会えなかっただろう?」
力強かった眼光も、今では痩せ細って窪んだギョロ目が覗くホラー染みた睨みと変わっていたが、それでもユウは萎縮するように身体を強張らせてしまった。
肩を大きく揺らして、一つ一つの言葉を必死に吐き出しながら、守岡は言葉を続けた。
「俺は、俺のワガママでお前達からイコを奪った。俺が勝手さえしなければ、アイツはお前達と今でも幸せな家族ごっこをしていたはずなんだ」
「———ごっこなんて言うな。少なくても僕らは本気だったんだから」
法的に夫婦となった守岡からしてみれば茶番にしか見えないかもしれないが、あの時の自分達はそれなりの役割を果たしていたんだ。歪であれ、ちゃんと家族という枠にハマっていたはずなのだ。
「……すまん、それは俺の失言だ。違うんだよ、俺が言いたいのはそこじゃねぇ……。要はさ、俺がイコを不幸にしたんだ……」
何度も瞼を閉じながら、守岡は力を振り絞るように続けた。
「俺に言えた義理はねぇが、俺が死んだ後……イコのことを守ってやってくれねぇか? もう俺には何も出来ねぇんだよ」
何だよ、コイツ。それを言う為に呼び出したのか? 色んな意味で失礼な奴だ。本当に失礼過ぎて殴りたくなる。
「イコさんはさ、きっとアンタが早死にするって分かっていても、アンタを求めたと思う。イコさんの幸せをアンタが決めるなよ」
たとえユウとシウといたところで、それは仮初の幸せだ。何があっても守岡を求めて離れていったに違いない。
けど守岡が死んだ後は、ちゃんとユウとシウでイコさんを支える所存だ。これも守岡に言われようと初めから決めていたことだ。だから安心して地獄に落ちろ。
「鬼にハラワタ引き摺られて苦しめよ、守岡」
「くっ、ははは! やっぱりお前は面白い人間だな」
やっと以前の面影が見えたと思ったのも束の間、すぐに咳き込んでしまって、また病弱な守岡に戻ってしまった。
・・・・・・・・・★
「何でここまで変わっちまったんだよ、守岡。こんなんじゃ、アンタの不幸が願えないじゃないか……」
ざまぁって、聞かされるのと実際に目の当たりにするのじゃ、きっと違うんですよね……憎んだ奴でも、憎みきれないですよね💦
次回は6時45分の更新になります。
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