第31話 お義父さんと呼ばせて頂きます!
「おはようございます、永谷先輩! いや、お義父さま‼︎」
うわっ、気持ち悪い。事務所に着いた瞬間、水城の90度の最敬礼のお辞儀で迎えられた。普段、散らかし放題の机もピカピカに磨かれて———いや、他の場所に移動されただけだ。ギリギリまで詰め込まれた引き出しが悲鳴を上げていた。
「お茶を飲みますか? それともコーヒーがよろしいですか?」
「そんなのいらないよ。いや、それより昨日はありがとう。部屋まで送ってくれたみたいで」
「とんでもない! むしろあんな素敵で美しい娘さんがいらっしゃるなら、もっと早く送って差し上げたのに……! あ、どうしてもお礼がしたいと言うなら、俺と娘さんの間を取り持ってくれてもいいですよ?」
「持つわけないだろう……。はい、これお礼のビール」
水城がよく飲んでいるプレミアムのビール六本入りをお礼に渡したが、何故か頑なに受け取らない。いつもなら「あざーす!」と軽口叩いて喜ぶのに、コイツは……!
「こら、水城。お前もいい加減にしろ。ただでさえ永谷は心労重ねているんだ。お前みたいなバカを相手にする暇はないんだぞ?」
「ギギギ……っ、だって、運命の相手を見つけたんですよ! そりゃ藁にも縋る思いでお義父さまにも縋るっす!」
嘘だろー……? 勘弁してくれ。
自分が寝ている間に何があったのか気になって仕方ない。変なことをしていなければいいのだが。
「申し訳ないけど、水城にシウを紹介することはできないよ。シウは僕にとって大事な人だからね」
「それは分かってます! 大事な大事な娘さんなのは重々承知です!」
「いや、違う………。この際だから二人には先に相談してもいいですか?」
本来なら職場の人にこんなこと相談するのはお門違いだろう。だが
「実は———最近、娘のシウに告白されて」
バリンバリンとコップが割れる音が響いた。早速失恋した水城はワナワナと震えていた。
「え、告白……? 何すか、それ! 俺、聞いてないっすよ!」
「そりゃそうでしょ……娘に告白されましたなんて、誰が相談するんだよ」
「ま、まぁ、永谷と娘さんは年も離れてないからな! 娘が父親に憧れるのも分かる! それで……お前はなんて答えたんだ?」
神崎さんの「もちろん断ったんだよな?」という視線を感じたが、期待を裏切る結果を伝える羽目になった。
「………結局、彼女に押し切られて付き合うことに」
あぁー……と双方は頭を抱えた。ただ二人はそれぞれの理由で落ち込んでいるようにも見えた。
「永谷、お前は本気なのか? いくら歳が離れてないとはいえ、未成年だろう? それにずっと面倒を見てきた娘なのに」
「———神崎さんがおっしゃることも重々承知です。けどこればかりはいくら頭で考えても無理でした。理屈抜きで好きになってました」
これ以上の言い訳はもう言わない。
これからの予定を考えると、会社に迷惑を掛けかねない。最悪は辞職もあり得るだろう。
「………そうなのか。本気なんだな?」
「白状すると、妻の不倫はショックでした。けどそれ以上にお互い様で良かったと安心した気持ちの方が強かったです。それで決意しました。たとえ泥沼になろうとも、
神崎は硬く目を瞑り、そのまま天井を仰いで『優秀な部下がまた一人いなくなってしまうかもしれないのか……』と心の中で嘆いていた。
「まさか自らの不貞を白状されるとは思っていなかったぞ? 本当に、本当に生粋のバカだな、永谷は」
「はい、バカなんです。救いようもないくらい」
ピクピクと屍寸前まで力尽きた水城だったが、しばらく考えてからユウの肩をポンと叩いた。
「………きっと永谷先輩とシウちゃんの子供なら可愛い子が生まれると思うので、女の子が生まれたら俺に連絡してください。俺が第二の永谷先輩になるっす!」
「え、ヤダよ! 絶対に水城にだけは教えない!」
「えー、それくらいいいじゃないですか! 光源氏計画を俺もするっす!」
こうして用意していた辞表を神崎に預けて、ユウは次の人に連絡を取った。
イコの両親であり、シウの祖父母だ。本当ならイコさんと話をしてから伝えるのが筋なのかもしれないが。だがこの二人を説得すれば、粗方決着がつくからと覚悟を決めた。
だが皮肉にも来週の週末まで時間が取れないと言われ、結局イコさんとの話し合いが先になってしまった。久々にポスティングへ行こうと用意をしていると事務所入り口で神崎が来い来いと手招きをしていた。
「なぁ、永谷。一つだけ聞いてもいいか?」
何だろうと喫煙室へと同行すると、トントンと一本のタバコと取り出して火を点けた。真っ白い煙を吐き捨て、彼女はゆっくりと質問を始めた。
「永谷は奥さんのことを愛していたのか?」
想像していなかった質問にしばし沈黙を続けたが、やっとしっくりきた答えを見つけてユウは口を開いた。
「酷いことを言うなら、僕が生まれた時から妻がいて……ずっと好きだと言われ続けて自分もそうなのだろうって思っていたんです。そうやって刷り込まれた感情を好きと思い込んでいました。そして彼女が妊娠して悲しんでいる姿を見て、僕が守らないといけないと思って。それからはずっと二人の為に頑張ってきました。彼女は夫婦の営みを恐いと拒んでいたので……それを許すのも愛だと思っていたし、それが僕なりの誠意だと思っていました。でも妻の不貞が判明して、信じていたものが崩れたような、そんな気がしました」
こうして口にしてみると、なんて主体性のない人生を歩んできたのだろうと我ながら嫌気がさす。
神崎も最後までタバコを吸い尽くして、火を消した。
「……娘に告白されたのも、流されてないと言い切れるか?」
この話の後に聞くなんて、なんてズルいんだろう。その可能性はゼロではないとしか言いようがないが、ユウは敢えて断言した。
「これは僕が選んだ未来です。もしかしたらこの選択が娘を不幸にしてしまうかもしれない。それでも彼女の一番そばにいるのは、僕でありたい。僕がシウを笑顔にしたい。僕はシウを愛してます」
そう言い切ったユウを見て、神崎も諦めるように肩を叩いた。
「できるだけ穏便に済ませろよ? 辞表、使うことなく済むことを祈っているよ」
先に喫煙所を出た彼女に敬意を払うように、ユウは深々と頭を下げた。
・・・・・・・・★
「望まれない選択の先には、代償があるんだ」
ユウは、つくづく不器用なんだろうなと
思います。馬鹿正直にも程があるなと書いていて思いますね……生きづらいだろうな、本当に。
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そして次の更新は6時45分を予定しております。
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