第20話 妄想と、現実と

 結局、その日イコさんは帰ってくることはなかった。

 それがいいのか悪いのかは分からなかったが、引っかかるモヤを見ないふりをしてユウはベッドから出た。


「今日は水曜日か……」


 ハウスメーカーの営業をしているユウは水曜が定休日だった。だがシウとイコの朝ご飯を用意して、溜まっていたシャツにアイロンを掛けたり買い物に出かけたりと色々と忙しいので休む暇はなかった。

 むしろそれが息抜きになっていると言っても過言ではなかった。ルーティーンになっているので苦ではないが、完全に主夫体質が身に付いていると自分でも苦笑を浮かべた。


 コーヒー豆を挽いて淹れようとキッチンに向かうと、芳ばしい香りが鼻腔をついた。エプロン姿の女子高生が一生懸命格闘してる……?


「あ、ユウ。おはよ! ねぇ、卵焼き作ろうと思ったんだけど、上手く巻けないの。どうしたらいい?」


 その傍には大量の殻と焦げた残骸が散らばっていた。何と勿体無い……。


「火を弱めて。一回で注ぐ量が多いから巻きにくいんだよ。これはもうスクランブルエッグにしようかな」

「ごめんなさい……。ユウが起きる前に作ってビックリさせようと思っていたんだけど」


 今まで作ったことがなかったシウが珍しい。イコさんですら作ってくれなかったのに、自分の為に頑張ろうとしてくれた気持ちが嬉しかった。

 味見をする為に少しだけ菜箸で摘んで口に入れてみた。


「砂糖が多いかな……甘い」

「ごめん、ユウが作ってくれる卵焼きって甘くて美味しいから、つい。砂糖しか入れてない……」

「塩と胡椒、あと醤油も足さないとだね。あと僕は牛乳を入れてるよ。今度、作り方教えるから」


 流石に砂糖のみの味付けの卵焼きは甘過ぎるけど、初めて彼女が作ってくれた手料理だ。全部自分が食べよう。黄色いスクランブルエッグに赤いケチャップをかけると、それらしく見えるから不思議だ。


「うぅ……っ、無理しなくていいよ? 美味しくないでしょ?」

「いや、嬉しいよ。自分の為に作ってくれたなんて。顔がニヤけて戻らないし」


 これは本音だ。何なら食べる前に写真を撮って、一生の宝物にしたいほどだ。そんなユウに甘えるようにギュッと背後から抱き締めて、シウは泣きそうな声で「好き」って呟いた。


「———シウは目玉焼きでいい? もう一個しか残ってないから」

「うん。塩胡椒たっぷりで」


 あとはウインナーを焼いて、ベリーリーフとスイートトマトを添えて。パンはバターを塗ってカリカリに焼くのがシウの大好物だ。

 本当はコーヒーも淹れたかったけど、今日は時間がないのでインスタントのカフェオレにお湯を注いで。そして準備を終えた二人は、向かい合うように席に着いた。


「いただきます」


 半熟に焼き上がった目玉焼きをトーストに乗せて、ハフハフさせながら口にした。今日は一層美味しそうに食べてくれるから、作り甲斐があったなと眺めていた。

 ニヤニヤと見つめる視線に気付いたシウは、恥ずかしそうに顔を背けて唇を尖らせた。


「そんなに見られたら、食べにくいよ……」

「えー、嬉しいんだよ。美味しそうに食べてくれるから」


 いつもより多い会話も、交わし合う笑顔も、仲が良かった頃に戻ったようで嬉しかった。結局自分も寂しかったんだと気付かされるほどに。


「今日、ユウは休みなんでしょ? 何をするの?」

「んー……午前中は溜まってる家事を済ませて、その後は買い物かな?」

「普通に主夫だね」

「うん、僕もそう思った」


 そしてそんな会話の相手が娘であるシウっていうのも、変な話だ。


「それなら今日、一緒に映画を観に行かない? レディースデイだから少し安くなるはず」

「僕は構わないけど、シウは部活はいいの? 最近忙しそうだったのに」

「あー……アレは、ユウの気を引きたくて。私がいなくて寂しいと思ってくれるかなって、わざと遅く帰ってたの」


 どんな気の引き方だろう。自分は社会人で、ましては既婚者だ。心配こそすれど、異性として気になることはないのに。その辺の駆け引きが幼いなと思いつつ、可愛いなと笑った。


「今回だけだよ。シウの交友関係に支障が出たら行けないし。ちゃんと部活には出るように、約束できる?」

「うん……約束する」


 そう約束を交わして、シウを学校へ送っていった。



 しかし実際、贔屓目抜きにしても可愛いと、シウの背中を見つめながら考えていた。

 自分が同世代なら間違いなく好きになっている。グイグイ攻められて、危うく一線越えそうになっている自分もいる。いや、キスしている時点でアウトなのだが。


「さてと、今は何が上映されているんだろう」


 最寄りの駅ビルのスケジュールを確認し、女子高生シウが好きそうな映画を調べてみる。前まではアニメばかり選んでいたけど、今は何が好きなんだろう? ジャンルだけでも聞いておけばよかった。

 だが彼女はきっとカップルシート限定のクリームたっぷりナッツカフェが目的なのだろう。ビターなチョコポップコーンとセットで美味しそうだ。

 今日はイコさんも帰ってくると思うから、早い時間に上映されている映画がいいだろう。


「さてと、洗濯物を干して掃除を始めるか」


 シウじゃないけど、少しだけデートを楽しみな自分もいる。

 イコさんの顔を思い出すたびに罪悪感が芽生えるけど、蓋をして見て見ぬ振りをした。



 ・・・・・・・・・★


「それで自分の犯した過ちが消えるとは思っていない、けど。少しだけ……今だけは」


 次の更新は12時05分を予定しております。

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