腹の虫
遠藤
第1話
あるところに悪いことばかりしている夫婦がいた。
自分たちにお金が入ってくるなら、人が苦しもうが、はたまた死んでしまおうが、何とも思っていなかった。
そんなある日、夫婦のあまりにも酷い生き様に、神様は夫婦を、地獄の鬼の腹の虫にしてしまった。
突然、鬼の腹の中に入れられた夫婦は驚いて、腹の中で泣き叫び続けた。
何も知らない鬼は、突然お腹から音が聞こえてきたものだから、お腹が空いたのだと思った。
この鬼は、地獄に落ちた人を喰らって生きていた。
鬼は、目の前の人を食べた。
鬼の腹の中にいた夫婦は、突然おぞましいものが降ってきて恐ろしくなり、ますます泣き叫んだ。
鬼はまだお腹空いているのかなと、次々と人を食べて、気づくと、お腹の中いっぱいに、人の死体で埋め尽くされた。
夫婦は、気絶してしまったのだった。
そんなことを、その後も繰り返していくうちに、夫婦は食べ物を食べれず、どんどん痩せこけていった。
いよいよ動かくなくなった夫婦を見た神様は、今度は、7歳の人間の女の子のお腹に夫婦を入れた。
憔悴しきっていた夫婦だったが、お腹の中に入ってきた懐かしい匂いに気づいた。
ご飯の匂いだった。
夫婦は無我夢中で食べた。
牛乳も入ってきた。
嬉しくて涙を流しながら飲んだ。
なんでお腹の中にいるかなんて忘れて、お腹に入ってくるものを貪った。
夫婦はだんだん元気になってきた。
白米も良いが、ステーキも食べたいと思った。
天ぷらもいいな、ウナギもいいなと、あの頃のことを考えていると、こんな現状に怒りが湧いてきた。
これは夢なのかなんなのか知らないが、私たちは、どうやらお腹の中に入れられているのは間違いない。
お腹の中で、こうやって生きているようだ。
神なのか、悪魔なのか知らないが、何らかの力によって、こうなってしまったのだろう。
まあ、少しは恨みを買うような生き方だったかもしれないが、それでも一緒に儲けた者もいるのだから、私達だけこんな罰を受けているのは納得がいかない。
死んだ者や行方不明になった者もいるらしいが、それは自業自得じゃないのか?
何も、私達のせいで、不幸になった証拠などないのだから。
この夫婦のパワーバランスは、悪知恵が妙に働く妻が実権を握り、夫を操って今までやってきた。
人の好さそうな雰囲気しかとりえのない夫が前に出て、次々と人を騙していった。
妻は夫の後ろに隠れて、安全な場所から人を陥れ、己の欲望を埋めていったのだった。
腹の虫になっても関係性は変わることなく、妻は夫を動かし、なんとか現状を打開しようとしていた。
「あんた、何とかしてこっから出して頂戴!!」
妻にそう言われて夫は戸惑った。
どうやったら、ここから出られるのかさっぱりわからず、とりあえずお腹の壁を叩いた。
弾力のある壁にはビクともしなかった。
次に夫は一生懸命叫んでみたが、張りの無い声は空しく消えて行った。
見かねた妻は夫に詰め寄った。
「何やってるのよ!!この役立たず。あんたは、ほんとうに一人じゃ何もできない、木偶の坊よ!」
夫は瞬間的に怒りが湧いてきたが、長年飼いならされてきた習慣はそう簡単に治ることもなく、飼主の前で小さく縮こまることしかできなかった。
こんな奴にいくら言っても無駄だと妻は諦め、何とか自分だけでも、ここから出れる方法を考えた。
ここから出られれば、また美味しいものを食べて、大きな家に住んで、毎日優雅に暮らせる。
そのためには、こんな役立たずよりもっと役に立つパートナーを見つけて、もっともっと楽に稼いでやるとほくそ笑んだ。
妻は、今いるところを見渡して下に向かうトンネルと、上に向かうトンネルがあることに気が付いた。
妻の予測で、たぶんここは胃の中であろうと思った。
そう、女の子の。
下に向かうトンネルは、たぶん腸へ向かうはず。
腸に向かえば、いつかは出られるのだろうけど、最終的には便器に便と一緒に出される。
プライドの高い妻にとってそれは、とても屈辱的に思えてしかたがなかった。
(この私が便まみれになる?)
冗談じゃないと思い、下のトンネルは絶対にありえないと思った。
やはり上から出る以外にないと、妻は出る方法を考えた。
すると妻はひらめいた。
子供はスグに吐く。
私も幼少の頃は、よく吐いていた。
何かしら刺激を与えれば、吐くに違いないと思った。
胃の壁に何らかの刺激を与えれば吐くかもしれないが、確実とは言えない。
手っ取り早く吐かせる方法、そう食道だ。
食道に何らかの違和感があると、大人でも吐くだろう。
妻はこう、作戦立てた。
まず、なんとか役立たずの夫を食道まで登らせて、蹴ったり齧ったりで刺激を与える。
すると、我慢できなくなった子供は吐く。
胃の中にいる自分も一緒に吐かれ、脱出成功。
我ながら名案だと思った。
自分の才能にしばらく惚れ惚れとしていたが、現実に戻り、さっそく、木偶の坊に指示を出した。
「ちょっとあんた、名案が浮かんだわ。あんた食道まで登って、刺激を与えて頂戴。そしたらこの子供が吐いて、口から出られるはずよ」
夫は少し間が空いた後、「ああ~」とやっとこ理解し、やっぱり、凄いな~としばらく妻を見つめていたが、それに気づいた妻に諫められて、胃の壁をゆっくりと登り始めた。
何とか食道近くまで登ると、思い切って食道に手を伸ばした。
必死に食道の中に入っていく。
さっそく、異変が起き始めた。
違和感を感じた7歳の女の子は、何とかしようと、もがいているようだった。
夫は特に何もしなくても、体が反応したのだった。
その時、胃が波立ち、内容物と一緒に妻と夫は、食道のトンネルを上がって行った。
(やった!)
妻は、トンネル内で自分の才能に、またしても惚れ惚れしていた。
まさに天才だと、自画自賛が止まらない。
これでやっと、外に出られる。
出たらこんな木偶の坊とお別れして、早く新しいパートナーを見つけなきゃと、ウキウキが止まらなかった。
トンネルは想像より長かった。
今度は下向きになった。
吐いているから下向きなのかしら?と妻が思っていると、やがてトンネルから抜けて落ちた。
「やった・・・あれ?」
そこはまた、胃の中だった。
(え?)
さっきよりは、広いところだった。
なんだかお酒臭い。
夫がそれを飲んで、美味しいと言っている。
何で出られなかったの?
妻は疑問意外浮かんでこなかった。
しかもさっきの女の子の中じゃなくて、また別の人間の胃の中に入ったようだった。
がっくりと膝が崩れ落ち、やけくそになって、お酒を手ですくって飲んだ。
すぐに妻は吐き出した。
今まで飲んだこともない、安くて不味い酒の味だった。
こんなもの飲んでいる人間の中じゃ、何も期待できないと妻は思った。
さっきの食道作戦はまたできないか、ぐるりと見渡してみた。
大人の胃の壁は大きく、食道ははるか高みにあった。
妻は臭くてしょうがないこの中には居たくないと、夫にまた指示を出した。
「ちょっとあんた!酒ばっかり飲んでないで、早く登ってさっきみたいに出してちょうだい!」
溺れるように酒を飲んでいた夫が、ゆっくりと顔をあげた。
その顔は真っ赤に染まり、目も据わっていた。
その顔を見て妻はまずいと思った。
夫は酒を飲むと、普段の人の好さが嘘のように、凶暴な人間になってしまうのだ。
「おい!誰に言ってんだテメー」
妻はやばいと思った。
こんな閉ざされた空間で、豹変した夫と二人きりでは、何をされるかわからない。
なんとか、窘めようと頑張って演技した。
「ごめんなさい。そういった意味で言ったのと違うのよ。私は何の役にも立たないから、あなたに何とかしてほしくて」
夫は、ユラ~リと体を揺らしながら近寄ってくる。
妻は恐怖を感じたが動けずにいた。
近寄ってきた夫は、据わった目で妻を見つめた。
やがて両手が、妻の首に伸びた。
殺されると思った妻は、目を瞑って助かる方法を必死で考えた。
抵抗したくとも体が動かない。
逃げることもできずにいた。
もう駄目だと思った瞬間、胃の中に食べ物が降り注いできた。
夫の頭にソレが直撃して倒れた。
大量の麺のようなものと、強烈なニンニク臭が一気に広がる。
(クサッ!!)
妻はニンニク臭が嫌いだった。
何とも言えない、この独特な臭い。
この臭いがする人間は、貧乏人だと決めつけていた。
倒れた夫の上に大量に降ってくるラーメン。
これは、大盛りのニンニク入りラーメンだろうと妻は思った。
鼻をつまみながら、最悪の展開になったと妻は思った。
酒があれば夫が豹変し、嫌いなニンニクたっぷり料理を食べる宿主。
酒と大盛りラーメンを食べているところを考えると、小太りの中年男性が浮かんだ。
また最悪なところにきたと、妻は鼻をつまみながら、口呼吸でため息をついた。
気づくと、辺り一面動物性の油まみれになっていた。
妻は吐きそうになったが何とか耐えた。
夫はその後どうなったか気になったが、このまま死んでくれたほうが、この先を考えると安心のような気がした。
しかし一方で、自分一人で、こんなところを生きて行けるのかとも思った。
生き地獄のような展開に心細くなった妻は、夫の生存確認をするために大量の麺をかきわけて夫を探した。
いた!
生きていた。
しかも、酔って寝ている。
妻はホッと安心すると同時に、私の首を絞めて殺そうとしたことを思い出した。
憎しみが猛烈に湧いてきて、夫が寝ている間に沈めて殺してやろうかと思ったが、せめて、最後に自分がここから出るために役立たせてから殺してやると思った。
そのためには、とにかく酒が邪魔で仕方がなかった。
しばらくして、酒がニンニクラーメンと一緒に、下のトンネルに抜けていき、やっと平和な空間に変わった。
妻は眠っている夫を起こした。
夫は二日酔いのような感じでボーッとしていた。
「あんた!シャキッとして!さっさとこんなところから出るのよ。さあ、頑張って食道まで登って頂戴」
ふらつきながら夫は立ち上がると、胃の壁まで行き、重そうな体をひきずるようにゆっくりと登り始めた。
それは、見ている妻のイライラが爆発しそうになるほど遅く、数センチずつ登っていく。
まだ半分も登ってないところで夫の動きが止まった。
腕に力が入らなくなってきたのだ。
妻の怒りがついに頂点に達しようとしたその時、とつぜん大量のお酒が胃の中に入ってきた。
何も食べていない空っぽの胃の中に、大量の酒。
この独特の臭いは焼酎だと妻は、鼻を急いでつまんだ。
辺り一面が、モワッとした空気に変わった。
口から呼吸しているだけでも酔ってきそうだった。
この宿主は、もしかして水代わりに何らかのアルコールを飲んでいる、アル中じゃないかしらと妻は思った。
そんなことを考えていると、夫が壁から焼酎の中に落ちた。
また、あの豹変した夫になってしまうと、妻は焦った。
逃げ道は無いだろうかと見渡せば、上か下のトンネルに行く以外ない。
下には絶対に行きたくない。
上に行く以外ないと思ったが、はたして自分が登れるだろうかと妻は思った。
そんなことを考えていると、夫が酔った顔で起き上がってきた。
大量の焼酎を飲んで、目が据わっている。
妻はまずいと思い、一心不乱に壁を登り始めた。
夫も後をついてくる。
妻は必死に壁を登った。
夫は力がやっぱり入らないようで、ちょっと登っては壁から落ちてを繰り返していた。
妻には、食道まで行ける力は無かった。
だが、夫が登ってこれない高さで、なんとか堪えていた。
どうしたもんかと妻は考えていた。
このまま、壁につかまり続けることは無理だ。
だんだん腕の力が無くなってきている。
こんなことになるなら、やっぱりあの時殺しておくべきだったと妻は後悔した。
何としてでも、生き延びて、ここから出てやると必死で策を考えた。
もう、夫と一緒にいるのは無理だと考え、残された道は食道まで行って吐かせることだと、思い切って行動に移すことにした。
食道まで行けるかどうかわからないが、このまま居ても力は持たない。
妻は頑張って、ゆっくりと登り始めた。
その間、夫は何度も登っては、すぐに落ちてを繰り返していた。
妻は、生まれてはじめてと言っていいくらい頑張った。
全身の力を使い、ゆっくり着実に登っていく。
しかし、いよいよ握力の限界に到達してしまった。
もう自分を支える力も無くなり、妻は落下してしまった。
それなりの高さから落下した、妻と夫の頭がぶつかって二人とも倒れた。
そして二人は動かくなくなった。
やがて二人は、大量の焼酎と一緒に、下のトンネルへゆっくりと吸い込まれていったのだった。
腹の虫 遠藤 @endoTomorrow
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