第7話:怪人の「出現」

 炎上する屋敷はパニックに陥っていた。


 その屋根には、黒い表皮を持つ人間のような化け物――『怪人』が居た。


「ゥロロロロロ……」


 口からは、人間では発声不可能なうめき声をあげていた。

 長い牙の隙間から、長い舌が瞬時に伸縮している。


 そして、なめらかな表皮からは、微量だが――霧のような赤い瘴気が噴出している。



「せ、聖騎士団はどうした!?何故来ない!」



 屋敷の持ち主であるその貴族――ラザード・エストカスは狂乱していた。

 外で見張りをしていた衛兵に、掴みかからんばかりの勢いでわめきたてている。



「ラ、ラザード様。いま、神殿に通報しております。きっとすぐに、応援が――」


「じゃあそれまで、屋敷が燃え落ちるのを待っていろとでも言うのか!?」



 ラザードはもはや冷静さのかけらも無かった。

 衛兵が何か言うたび、怒りの感情が噴出して、抑えられなかった。


「あ、あの怪人は屋根の上にいます。遠距離攻撃か――どうにかして屋根にとりつく手段を探しています」


 屋根の上にいるから手が出せない、という現実に、歯ぎしりが止まらなかった。


 高い位置にいる。

 たったそれだけ。たったそれだけなのだ。


(こんな無様なことがあるか!あのトカゲ人間め!)



「おい貴様!もしこのままあのトカゲを取り逃がしてみろ。打ち首にしてやるからな!」

 八つ当たり気味に、衛兵に怒鳴り散らした。


 衛兵は嵐が過ぎ去るのを待つように、縮こまってなにも応えない。

 なにか言っても無駄なのは分かりきっていた。



「あらぁ、それはこわぁ~い」



 それは、場違いな声だった。

 人を馬鹿にしたような、見下したような、女性の声。


 憤怒の形相で見回すと、声の主は簡単に見つかった。


 白いジャケットと黒いシャツとパンツを着た――三日月のように笑った口が描かれた漆黒の仮面。

 身体つきは女性だが、不気味な仮面、そして濃い漆黒の瘴気が腕から漏れ出ており、単なる人でないことは一目でわかった。



「誰だ!?」


「はぁ?察し悪いなぁ。それともアタマが悪いのかなぁ?」


「貴様……!」



 ラザードは、腰に佩いた剣を引き抜いた。

 貴族として、一応剣を習ってはいる。



「向かってきたら?せいぜいかっこよく死ねるかもよ?」



 仮面の女は首をすくめて、やれやれといった風情だった。


「うおおぉぉぉ!」

 直剣を振りかぶり、真一文字に斬り――


「おっそ。なにそれ?」



 突如として女の右手が、ラザードの頭を掴んだ。

 信じられないほどの握力と速度だった。


 ギリギリと頭蓋骨が軋む音が、耳――その内部、奥深く、脳髄から聞こえるように、うるさかった。


 声にならない声をあげて、剣を取り落とし、もがく。

 女は微動だにしない。


 剣を取り落としたので、足を蹴ったり、腕を殴ったりするものの、感触は異質なまでに硬く、重い。


 永遠に感じられるほどの数瞬が過ぎる。

 やがて飽きたのか、その細腕からは想像できないほどの怪力で後ろに投げ飛ばされる。


 ラザードの背後に立っていた衛兵に衝突し、共に倒れる。


 割れるように頭が痛かった。


「貴様、なにをしている!」


 投げ飛ばされたラザードと仮面の女の間に、全身鎧に身を包んだ騎士が槍を構えて立った。


 ようやく、聖騎士団が到着したようだ。

 これで怪人はもう終わりだ。


 だが――ラザードにとって、そんなことはもうどうでもよかった。



 皮膚が痛い。頭が痛い。胸が苦しい。吐き気がする。

 皮膚が痛い。頭が痛い。胸が苦しい。

 皮膚が痛い。頭が痛い。

 皮膚が痛い。


 皮膚が痛い。


 いたい、いたい!


 もう許してくれ。おれがわるかったから。



 全身から、今まで感じたことが無いほどの激痛が走り、ラザードの口から絶叫が発され、彼は事切れた。

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