第6話:野望
ゆっくりと朝食を平らげ、食後のコーヒーまでゆったりといただいた。
それは俺自身が落ち着くためだったが、ジスカ爺やも少しは落ち着きを取り戻してきた。
なので、心苦しいものの、言った。
「ジスカ。母上が別の男と駆け落ちなされた」
俺は隠すように持っていた新聞を手渡した。
「は!!!????」
持っていたトレーを取り落とし、ジスカは絶叫に近い「は」を言った。
「駆け落ちとは……貴族ともあろうお方が、そんな……」
「行方は不明らしいな」
新聞によれば、二人とも行方はわからないらしい。
なので、呼び戻すことも連れ戻すことも出来ない。
「なんという……こんなことが起こるとは……」
「ジスカ……すまんが、家の使用人を集めてくれ」
「し、使用人を?」
「うん。ケジメは大事だ」
数時間後、ようやく屋敷に集まってくれた使用人を前にして俺は言った。
「あー。皆も知っての通り、父上は投獄され、母上は他の男と駆け落ちしてどこへ行ったかわからん」
あけすけな俺の言葉に、使用人たちは失笑とともにダルそうにしながらも聞いている。
全然真面目なやついないな。顔とスタイルはいいけど、それだけって感じだ。
「なので、今までと同じ給料は払えない。悪い意味でだ。それでも今後雇われたい者だけ残ってくれ。そうでないものは急いで退去するように」
「全くなんたることか!」
そう怒り狂っているのはジスカだった。
俺の言葉を聞いて、残った使用人はゼロ。
人がいなくなった屋敷の中は嵐が去ったかのように、静まり返っていた。
「忠誠心のかけらもない!今までの御恩を忘れよって、恩知らずども!」
「ま、給金を恩と捉えるかどうかは人によるしな……」
「坊ちゃま、わたくしめはなにがあろうともアドラム家の為に尽くします!」
ジスカはそう息まいている。
ジスカは俺の祖父……つまり、先々代当主に引き立ててもらったらしい。
もともと建築関係での下働きからスタートし、加齢と共に限界を感じ始めた彼を不憫に思い、勉強費用などの面倒を見てやって、執事として取り立てたのだとか。
それを恩義に感じているのだろう。
本人はとっくに隠居してしまっているのに、律儀な人柄だ。
ともあれアドラム家関係者は名実ともにこれで、俺とジスカの2人しかいなくなってしまった。
(どうしよう。逃げるか?いや、でもな……)
ここから逃げるというのは、もはや容易い。
それを止めるのはたった一人しかいないだろうから。
でも、その一人が問題だ。
ちらりとジスカ爺やを見ると、すっと背筋を伸ばし、真正面から見返してきた。
俺からの命令を待っているようだ。
この健気すぎる老人を見捨てるのか?
俺の中に残された良心が、そう訴えてくる。
(……いや、いや。考えてみれば、これはチャンスじゃないのか?)
ここはアドラム領。
そう、この領地はアドラム家の支配地なのだ。
つまりうまいことやれば。
(そうだ。この土地の利権は最大限、俺に還元されるようにしてしまえばいい!)
酒池肉林を築く、というのに興味は無い。
そういう巨大な悪は必ず誰かから恨みを買う。
レベルとしては小悪党ぐらいの……そう、悪徳領主になろう。
そうなればいいんだ。誰からも注目されず、ただほどほどに世間からは距離を置いて。
(で、そうなると……いまこの土地ってどうなってんだ?)
知るのが怖いぐらい、この家は無法地帯だった。
最近のアドラム家といえば、酒!不倫!違法取引!である。
そんなのが一番上にいる土地なんてロクなもんじゃないだろうな、というのは火を見るより明らかだ。
(まあ、失敗しても俺のせいじゃないし……9割がた親のせいだし……)
心の中で予防線を張っておく。
静寂を破ったのは、遠くから聞こえた、重く響くような破裂音と若干の地響きだった。
「なんだ?」
反射的に俺が言うと、ジスカが窓に近づき数秒ほど観察した。
「ラザード卿の屋敷で騒ぎが起きておりますな。……火が出ています」
「火事か?」
「と、思いますが……あれは…」
ジスカは皺の増えた目元は、目を細めることで更に皺が深くなった。
嫌な予感がした。
「どうした?」
「屋敷の、屋根に……黒い人影が見えます。恐らくは『怪人』ではないかと」
アドラム家だけではなく、街も、いまとなっては安全ではない。
だが、最終的に俺がこの街から搾取するのなら、避けては通れない問題でもある。
「またそれか。落ち込んでる暇もないな」
「坊ちゃま――いえ、ヴェルク様。どういたしますか?」
うーん、と考える。
しかしやはり、手はひとつしか思いつかない。
「まあ、『ヒーロー』に期待してみようか」
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