第3話:荒れた日常
仮面の女はそれきり、俺の前に現れない。
いや、現れないのは幸いだ。
あいつの言っていたように、俺はこの能力に慣れる必要があった。
俺は一人の時間を利用して、幾度となく『変身』し、疲労を抑える術を身に着けた。
どうしても俺には、それが必要だった。
■
それから6年が経過し、俺は12歳となった。
転生してきたらしい、という記憶が蘇った事を契機にして、俺の知性は6歳のそれではなくなってしまった。
それからは時間のある限り、この世界における常識や背景を知るように努力した。
そして嫌でも、この家にある問題が目についた。
見知らぬ男と母親が逢引きしてるらしいこと。
父親は、なんか得体の知れない連中と密談を重ねていること。
俺は直感した。
(この夫婦、あと数年で離婚確定だな……)
俺が親を信頼できていれば、この思いはどうにかして打ち消したのかもしれない。
だがこの世界に来て汚いものを見続けていたし、なにより転生してきた記憶の方がデカいということもあって、俺はこの世界における両親になんら感情移入できていなかった。
(よし、家を出よう)
そう決意した。
家を出てどうするかはわからない。
だがこのままでは、この家はあと10年もたないだろう。
俺はいち早くこの家とおさらばするため、剣も学びはじめた。
この世界は剣と魔法が全てなのだ。
傭兵か冒険者にでもなってしまえばよい。
そして、いざとなれば『変身』してしまえばいい――。
「あら、今日も剣のお稽古?」
母親が侮蔑の表情を隠そうともせず、剣を持って中庭へ向かう俺に言ってきた。
はっきり言おう。
俺はこの女が嫌いだ。
華美というよりはケバケバしい化粧と色合いのキツい服装。
カツラを疑うほどに、カールの多い盛り盛りの髪型。
披露宴でやるんならまだしも、毎日毎日、家でもその恰好なのだ。
まあ、毎日のように入り浸る不倫相手との会合があるから気合入れてるんだろうけど。
すべてが不愉快だった。会話はおろか、顔を合わせるのも遠慮したいところだ。
間の悪いことに、今日も今日とて執事兼教育係のジスカ爺やに剣の稽古をつけてもらおうとしていたところを見つかってしまった。
「はい」
会話を早く打ち切りたいため、それだけ答えて何も言わない。
「ま、それもいいけどね。もっと政治のことを勉強した方がいいのではなくて?わたしの友人はあなたと同年代のときはもう跡取りとして……」
体感で三十分ぐらい喋りとおしたあと、母親はさらに父親の愚痴までこぼし始めた。
「……それでね、信じられる?『それはお前の勘違いだ』なんて言うのよ!なにあの言い方!それに比べて、首都から来たっていうマーフィン様はさすがよねぇ。大都市の1区画を任されているっていうんだから。やっぱり男の人っていうのは……」
(勘弁してくれよ。実の息子に対して、不倫相手の自慢話するか?)
俺にとっては何の役にも立たない、単なる時間の浪費でしかない。
今こうしている時も、ジスカは俺の事を中庭で待っていることだろう。
虚無の時間が流れ続けることにいい加減辟易していた時、変化は起きた。
「こんなところで、なにしてる」
明らかに不機嫌な、ドスの利いた声が背後から聞こえた。
まあ間違いなく、父親だろう。
着崩した貴族服は皺だらけで、無精ひげと乱れた頭髪。赤らんだ頬。
そして手には細長いビンが握られている。
(朝から呑んでるのか……)
これはもっと面倒なことになったな。
「あなた……そのお酒……」
母親がわなわなと震えながら言った。
俺は抜け目なく、二人からゆっくりと距離を取る。
「ん?これか?」
父親はビンを見せびらかすように、目の高さまで持ち上げ、揺らした。
「なんかお前の部屋に美味そうなのがあったからなぁ」
母親は酒は飲むほうだが、一人で飲むほどじゃない。
ということは……。
「それは私の……ッ!」
母親の言葉は歯ぎしりをしているのか、後半は聞き取れない。
「あーあー、あれだろ?お前の『取引相手』だっけ?あの小僧が置いていったやつだろう?」
バカにするように笑い、父親が言った。
それからは言葉にならないような絶叫と罵詈雑言のぶつけ合いが始まったため、俺は足音を忍ばせつつも小走りで中庭へ向かった。
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