第九話 団長の苦悩
シルが家屋を飛び出す少し前、村の中心の広場で二人の少女が言い争っていた。
「今、何と言いました?」
レイから伝えられたシルの命令に従い、広場で待機していた少女、リナに声をかけてきたのは、シル達が竜具を手にした場面を目撃していた騎士だった。
「あれぇ? 聞こえなかった? だから、団長が犯罪者なんて大変だねって言ったの」
騎士はリナ達を馬鹿にした態度を隠そうともしていない。
そして騎士の意図はどうあれ、シルを侮辱されて黙っていられるほどリナは穏やかな性格をしてはいなかった。
「団長には考えがあるんですよ。貴方程度の粗末な知能では測りきれないでしょうけどね」
攻撃的な口調の騎士に負けず、リナもやや初対面にしては無礼な言葉を投げ返す。
「へぇ……言うじゃん。たかが傭兵の分際で」
想定していたよりも強気な反応が返ってき、騎士はやや面食らった表情をしたものの、すぐに元の薄ら笑いを浮かべ直した。
「リナ、止めなさい。いつもシルに言われているだろう? 無駄に敵を作るなと」
「そうだよ。せっかく今シルが話し合いしてるんだから」
「レイさん、ノル姉、止めないで下さい。先に喧嘩を売ってきたのはあちらです」
レイの制止を聞き入れず、リナは腰に帯びた刀へと手を伸ばす。
「全くもう……シルの事になるとすぐ感情的になるんだから」
「いいねぇ、かかっておいでよ、お嬢ちゃん。遊んであげる」
見た目に反して好戦的なリナを見て、騎士もまた戦闘態勢に移行する。
(ちょーっとからかってあげようと思っただけなんだけど、これはこれであり。どうせこんな女の子なんて、傭兵団の愛玩動物として飼われてるだけだろうし、楽勝でしょ)
リナの見た目は十五、六歳程度の少女。珍しい形状の剣を装備してはいるが、シルの様に一見して感じる威圧感も少女は纏ってはいない。
自分が負ける要素はほとんど存在していないと騎士は結論付けざるを得なかった。
「後悔させてあげますよ。私の前で団長を侮辱した事を」
状況はまさに一瞬即発。
見兼ねたレイが再び声を上げようとした時、
「止めろ、リナ‼ 安い挑発に乗るな‼」
猛ダッシュで広場に駆け込んできたシルが声を荒げた。
「団長っ……‼」
誰の声を聴いても動きを止めなかったリナの動きが、シルの怒号を聞いた瞬間に全て静止した。
「ったく……せっかく話が纏まりそうだったってのに、余計なことをするんじゃない」
「怒りを抑えられなかったのはごめんなさい。でもっ……‼」
厄介事で痛む頭を押さえてリナの下へ歩いてきたシルに向け、リナは弁解を試みた。
リナも争いは好きではないし、ここでの戦闘が無駄であることは重々承知している。
それでもシルを馬鹿にされて黙っている事はできない。リナにとってシルは文字通り全てなのだから。
「向こうの騎士が俺を馬鹿にして、お前がその挑発に乗った。俺の認識に齟齬や補足する点はあるか?」
「……ありません」
リナは普段から冷静で物静かな性格をしていて、感情的になることはほとんど無い。
そのリナがレイ達が傍にいながら怒りを抑えられないのは、たいていシルに関する時だ。今回も広場に入った瞬間に大体の状況は想像できた。
「いつも俺は言い聞かせてるよな? 常に自分の行動がもたらす結果を想定したうえで、更に想定外の事が起こることも考慮して行動しろって。今回は俺が間に合ったからいいものを」
「はい……以後気を付けます……」
今度は一切の言い訳もせず、リナは百パーセントの謝罪を口にした。
長年の付き合いからリナがしっかり反省している事を感じ取り、シルもそれ以上の説教はしなかった。
普段のリナはとても聞き分けが良く、一度注意した事は二度と繰り返さない。しかし、シルを馬鹿にされた時には反射で後先考えず噛みつくので、同じ説教をシルは幾度となく繰り返していた。
「これで何回目かね。お前に同じ説教をするのは」
「百五十八回目です……」
「しっかり数えてんじゃねえよ。いい加減怒りを受け流す事を覚えてくれ」
「はい……善処します」
はっきりと改めるとは明言しない点まで指摘するのは余計だろうか。
「はあ……まあ何だ、あとはあれだ」
これからもあと何回このやり取りを繰り返すのだろうと考えると、シルの口からは自然とため息が零れる。
だが、リナが反省したのならば説教は終わりだ。そしてもう一点、シルにはリナに伝えなければならないことがある。
「団長……?」
リナの頭に手を置き、今しがたの説教とは打って変わって優しい口調でシルは語り掛ける。
「俺のために怒ってくれてありがとうな」
「団長……‼」
きっと周りからは、存在するはずの無いぶんぶん揺れる尻尾がリナの背後に見えた事だろう。
シルに叱られてしゅんとしていたリナの表情は、シルの言葉を聞くなり溢れんばかりの笑顔を浮かべたのだから。
「シル……いっつもそうやって最後に甘やかすからリナの悪癖が治んないんだよ」
「どうやら何度失敗しても学習しないのはシル譲りみたいだね」
もはや何十回見たかもわからない流れを見届け、ノルノとレイもいつも通り呆れて肩をすくめた。
リナがやらかし、シルが叱った後に甘やかし、またリナがやらかす。
これこそが竜と猫が誇る、終わることなき無限ループだ。
「はっはっは、自分の気持ちに嘘はつくなと教えた俺の教育の賜物だな」
「はーい! 賜物です!」
「「開き直るな馬鹿二人‼」」
息の合ったレイとノルノの怒号を合図にいつも通りの流れが終わり、四人の間に和やかな雰囲気が流れる。
しかし、それも一瞬の事。
「シル君……そろそろいいかな?」
律義に説教の終わりを待ってくれていたローランの呼びかけにより、シルはようやく今が和んでいる場合ではない事を思い出した。
とりあえずリナと騎士が武器を向け合う展開は阻止したが、それだけでは何も問題は解決していない。
「お待たせして申し訳ありません。うちの団員がご迷惑おかけした事も重ねてお詫びします」
頭を下げたシルに一拍遅れてリナが続き、更にもう一拍遅れてレイとノルノが頭を下げた。
仕掛けてきたのは向こうなので、もちろん全員が『何でこっちが謝るんだよ』と思っているが、こういうのはとりあえず謝っておくのが大切だ。
「謝罪だなんてとんでもない。謝るのはこちらの方だ。そうだな? リーシャ」
「いや、私は……」
ローランに名を呼ばれたリーシャは、バツが悪そうに歯切れの悪い言葉を絞り出す。
今回の件、どちらにも非はあるが、どちらかと言えば仕掛けたリーシャの方が問題だろう。
「先に向こうの気に障ることを言ったのはお前だと報告を受けている」
ロイから揉めているのがリーシャだと聞いた時点で予想はしていたが、報告の続きを受けてみれば案の定原因はリーシャの方だった。
「私は事実を述べたまでです」
「彼らの処遇については先刻まで話し合っていた。確実な判決が出ていない以上、せいぜい被疑者までだ」
「どう論理をこねくり回しても彼らの団長が罪を犯した事は事実です。理由は知りませんが、所詮は傭兵です。碌な事を考えているはずがありません」
相変わらずのリーシャの傭兵嫌いにローランは眉間を抑えた。
リーシャは普段は誠実な騎士なのだが、相手が傭兵となると人が変わる。
「お前は何度言えば理解するんだ? 偏見で安易に人を評価するなと何度も言っているだろう? お前もシル君と話してみれば……」
「傭兵は野蛮で意地汚く、金を積まれれば平気で味方を背後から刺す不義理な人達の集まりです。強欲で自己中心的な人の皮を被った獣と交わす言葉はありません」
ローランはこれまで何度も考えを改めるよう手を尽くしてきたが、リーシャの意識に改善の兆候が見られることは無かった。
(この子の過去を考えれば致し方無いと甘やかしすぎただろうか? これではまるでさっきのシル君達と同じだな……)
ふとローランがシルの方へと視線を向けると、そこには仲間を見つけたとばかりに同情の目をしたシルの姿があった。
集団を纏める者の持つ責任感と、問題児を抱える心労。この二点において両者はこの場の誰よりもお互いに通じ合っていた。
「お互い大変だな、シル君」
「ええ、良かったら今度一杯やりませんか?」
「構わないとも。君とは美味い酒が飲めそうだ」
出会って一時間も経ってない二人の間に芽生えた奇妙な友情、しかし周りからすればそんな事は知ったことではない。
「シル、それで話し合いはどうなったんだい?」
レイ達が何より気になるのは当然自分達の今後だ。
「二人の様子を見る限り最悪なパターンは回避したみたいだけど、無罪放免もあり得ないよね?」
「話はほとんど纏まったぞ。ローランさん、お手数ですが仲間に説明して頂いても?」
「了承した。シル君の了解は得たが、君達にも話しておかなければな。君達には今回の件の償いとして……」
レイの見立てではローランとシルは相性が良い。事情を話せばローランならば見逃してくれた可能性が高いだろう。
最低でも見逃すとまではいかずとも、双方にメリットのある選択を提示してくれたはずだ。
だから今回一番問題なのは、傭兵を目の敵にしているらしいリーシャに犯行現場を見られた事だ。
「隊長、まさかとは思いますが『君達にはこれから破竜討伐に手を貸してもらう』なんて言いませんよね?」
(どこからどこまで予想通りか……どうして僕の悪い予想は全部的中するのかな)
ローランの提示した条件は、概ねレイの予測通りのものだった。その提案にリーシャが噛みつくことまでも含めて。
(破竜討伐を生業にする僕らにとって、安定した収入が保障されるこの条件はむしろ願ったり叶ったりだ。そしてあちらは人手不足が解消される。双方ウィンウィンの提案であるからこそ、この子はそれが気に食わないんだろうね)
初対面のレイが予想できたのだから、当然ローランもリーシャの反応は想定できていた。
「そのまさかだ。彼らが竜具を隠蔽した理由は十分情状酌量の余地がある。それ故の条件だ」
「犯罪者を実質無罪放免にするだけでなく、条件として騎士団と共闘させるなんてあり得ません! 傭兵と騎士が肩を並べるなんて……」
「戦争ならばそれほど珍しくはないだろう」
他国との戦争が起きれば、傭兵を戦力として雇う事は珍しくもない。その結果傭兵と騎士が共闘する話などそこら中で聞く。
しかし、リーシャが指摘したいのはそこではない。
「破竜討伐は私達に課された任務です。それに協力させるという事は、間接的にもこの人達を騎士団の末端に加えるようなものじゃないですか!」
「あくまで彼らは国が雇うという形で協力してもらう。決して騎士の称号を与えるわけではない」
「周りがどう判断するかという話です。何のために私達は普段から誇りある姿を示しているんですか!」
話は一方通行だった。
人手不足解消に重点を置くローランと、騎士としての誇りを守りたいリーシャ。立場も価値観も異なる二人では、シルの時の様に簡単に妥協点は見つからないだろう。
このまま続ければ、恐らく最終的に立場が上のローランが意見を通して終わりだ。
(別に俺達はそれでもいいんだけど、このままだとあの子にずっと憎悪の感情向けられそうだな)
ローランの条件を飲んだシル達からすれば、さっさとローランが意見を通して終わらせて欲しい言い争いだ。
しかし、曲がりなりにもリーシャは今後共闘する騎士団の一員。シルとしては仕事ではできる限り円満な関係を築きたい。
戦場で仲間だと思っていた人に背中から刺されるのはごめんだ。
「仕方ない。ここは仲裁に入るとしよう」
「シル? 大丈夫かい?」
「安心しろ。我に秘策あり」
キメ顔でそう言うと、シルは言い争うローランとリーシャの間へと割って入った。
「シル君?」
「何のつもりですか?」
この言い争いをリーシャが納得する形で仲裁し、今後の関係に尾を引かないようにするなど、数多の修羅場を超えてきたシルには容易な事だ。
「話を聞く限り、お二人の主張には共に正当性があります。ですがお互いに譲らないならば、結局は団長のローランさんの主張を通さざるを得ません。それではリーシャさんの不満は解消されないでしょう?」
「まあ……それは……そうですけど……」
まさかの角度からの助け舟に、リーシャは困惑を隠せなかった。
リーシャとて自分の主張が通るとは思っていない。ローランは下の者の意見を積極的に取り入れてくれる柔軟性を持っているが、それはその意見の方が理にかなっていた場合の話。
今回に関してはローランの方法が一番穏便な方法だと、リーシャも薄々感づいている。
それでもやはり罪を犯した者に適切な罰を与えない事態を、リーシャは見逃すことができなかった。
「でしょう? だから要するにリーシャさんに、俺達はあなた達と共闘するに値すると証明すればいいわけです」
「そうですね。ですがそんな事できるわけが……」
「でしょう! それなら簡単です」
リーシャの言葉を遮ってシルは満を持して考え付いた秘策を口にする。
「決闘しましょう‼」
一瞬にして広場に静寂が落ち、山の向こうでこだまするシルの声が良く響いた。
「はあ?」
そんな誰かの呆れた声が漏れるまで静寂は続いたのだった。
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