第八話 生きるという事

「誰だ? 一体いつからそこにいた?」


 シルの魔力探知をくぐり抜け、突如出現した気配に対し、シルとレイは各々の武器を抜いて警戒心を露にした。

 現れたのはロイと同年齢くらいの少女だった。

 シルとレイに武器を向けられようと少女は恐れの一つも感じさせず、見た目の若さに反して場数を踏んでいることが伺える。


「あんた達がシルさんボコボコにしようとしていた辺りからですよ」


「そいつはお恥ずかしいところを」


(広範囲に及ぶシルの魔力探知に一切引っかからずに、近づいて潜伏し続けるとは中々の実力。装備を見ると騎士の様だけど、斥候かな? これは少し面倒だね)


 レイの予想が正しければ、少女は騎士団が村の状況を把握するために放った斥候だろう。

 完全に予想外の状況の発生に、シルとレイは各々が現状の打開策を巡らせ始める。


「どうやって魔力反応を隠蔽していたんですか? こう見えて俺は人見知りなのでね。面識の無い人間には過剰に反応してしまうのですが……」


 まずは話題を逸らそうと口を開いたのはシルだった。

 シルの魔力探知は精度が低いと言っても、正確な数や量が曖昧というだけだ。いくら何でもすぐそばの見知らぬ魔力反応を見落とすことはあり得ない。

 仮にシルのミスでないとすれば、少女は何かしらの方法で魔力反応を完全に消していたことになる。


(ただの技術で魔力反応を長時間隠蔽するのは難しい。水中で長時間息を止めるのと同義。おそらく彼女は何かしらの能力を所持している。だとしたらそれは竜具由来か、それとも……)


 対応をシルに任せ、レイは少女の能力へと推測を巡らせる。

 今後の展開次第では騎士団と戦闘になる可能性もある。副団長として、一人でも多くの相手の戦力を把握しておかなければならない。


「あたしがどうやってあんたの魔力探知を掻い潜ったかは問題では無いですよね。問題はあんた達が発見した竜具を持ち逃げしようとしたことです」


「事実か? シル君」


 苦し紛れに話を逸らそうとしたシルの流れをぶった切り、少女はシルを糾弾する。    本人の思惑はどうであれ、隊長であるローランも立場上少女の追及に続かざるを得ない。

 シルが迷ったのは一瞬。この後のあらゆる展開を想定し、瞬時にシルは決断を下した。


「――間違いありません。確かに俺達は今回の戦闘で竜具を入手し、その存在を秘匿しようと試みました」


「なぜそのような事を? 知らなかった、という事はあるまい?」


「もちろん竜具に関するこの国の法は知っています。だからこそです」


「――なるほど。何か理由があるようだ。幸い君達の奮戦あって危機は去った。私達には時間がある。話を聞こうか」


 どうやらローランをそれなりに話が人物だと見たシルの判断は間違ってはいなかったらしい。

 法を犯したからと頭ごなしに悪と判断するのではなく、ローランは少なくともシルと会話する意思を見せた。罪人を取り締まる立場にあるローランにとって、それは最大の譲歩だ。

 ここからはシル次第。ローランの温情を裏切るわけにはいかない。


「ありがとうございます。それではあちらの方で」


 比較的破損が軽微な家屋をシルは指差した。


「いいだろう。その前にロイ、伝令を頼んでもいいか?」


「はい! 何なりと」


 至近距離にも関わらずロイは大声で返事を返す。もしロイに尻尾があれば、千切れんばかりの勢いで振っていそうだ。


「村の中の者は調査を続行。待機している後発隊は村を囲うように布陣。警戒を続けるように伝えてくれ」


「レイ、ここは俺だけでいい。俺が戻るまで全員で騎士団の方達の目が届くところで待機していてくれ」


 ロイの大声量に慣れた様子でローランは指示を下した。シルもそれに倣い、レイに待機を言い渡す。

 だが、ローランの指示の内容は災害たる破竜を討ち、脅威が去った後にしてはやや物騒なものだった。まるで未だ脅威は去っていないとでも言うように。

 思い当たる節はある。


「やはり王国も最近の破竜大量出現の調査を?」


 一介の傭兵にすぎないシル達ですら異常だと判断せざるを得ない昨今の破竜出現頻度。国内の情報をシル達より遥かに多く得ている王国が何の対応もしないはずはない。


「そんなところだ。破竜の出現数に規則性は無いから、数字が大幅に上振れる事はこれまで何度もあったがね。流石にここ数年は上振れの一言では片付けられない」


「でしょうね。悲劇が起こりやすい戦時下ならまだしも」


 最も破竜化のきっかけとなる強大な絶望、それが起こりやすいのはやはり戦争だ。人が多く死ぬ戦時中では、必然破竜の出現数が増加する。

 実際に戦争で大切な人を失った竜人が破竜化し、戦場を蹂躙するのは珍しくない。

ところが少なくともここ十数年はアルカス王国内で大規模な戦争は発生してはいなかった。


「全くどうした事だろうな」


「何者かが暗躍しているのではないかと妄想してしまいますね。例えば、破竜を信仰する宗教とか」


「――どうだかな。時間が許せばその辺の情報交換もしたいところだな。だがその前に……」


 一瞬ではあるが、ローランの表情の変化をシルは見逃さなかった。

 上手くいけばローランからシルの求める情報を聞き出せるかもしれない。


(とにもかくにもまずはこの場を乗り切らなくちゃな)


 ローランが仕草で促がすままに、シルはローランが座った席の真向かいに着席する。


「それでは被告人の主張をお聞きください。あれは三年くらい前の事です」


 一切の事情を包み隠すことなくシルは真実を淡々と語った。

 廃村で見つけた母が子へと向けた手紙、遭遇した破竜と廃村の関係。

 露骨にローランの情に訴えるのではなく、あくまで事実を述べる語り手にシルは徹する。


(破竜の境遇を盾に便宜を図るのも一つの手だが、こういうタイプの人には、薄っぺらい同情を誘うよりも誠実な態度を貫いた方が好印象だろ)


 ローランもまたシルの話が終わるまで沈黙を貫き、途中で口を挟むことはしなかった。


「――以上が俺が竜具発見を隠蔽しようとした理由です」


「事情は大方理解した。君達はそれが罪だと知りながら、せめて竜具だけでも村へ返してやりたかった……と」


 ローランがシルの行動に納得したことを察し、好機とばかりにシルは言葉に熱を込める。


「騎士として法を遵守しようとするあなた達の在り方を俺は尊敬する。だが、あなた達が騎士であろうとするように、例え相手が破竜であろうとも、一度交わした想いを簡単に捨てるような在り方を、他ならぬ俺自身が許せない」


 やや芝居がかり過ぎてはいたが、シルが語ったのは心からの本心だった。

 たかが傭兵の端くれにすぎず、自分が人様に誇れるような高尚な人間でない自覚はある。更に傭兵として生きる以上、己の意志は二の次だ。

 所詮は雇われの身、雇い主が命じるままに働くのが傭兵。


 それでも譲れないものはある。


「俺にはずっと探し続けている人がいます。その人と再会した時、胸を張っていられる自分でありたいんです。だからどうか今回の事は見なかったことにして頂きたい」


 頭を下げる角度はまさに平身低頭。傭兵団の団長は、強さとリーダーシップだけでは務まらない。時には誠心誠意の謝罪をしなければならない場面もある。


「経緯は概ね理解した。君の話にも同情の余地があると私は判断する。竜具を渡してくれるならば、此度の隠蔽は無かったことにするが……」


「それは断ります。俺にとって最重要なのはこの竜具を故郷へ返すことです」


「アルカス王国を敵に回しても……かね?」


「雇われた戦争以外で国を敵に回したくはありません。ですが、俺達の前に立ち塞がるのなら仕方ありませんね」


 数秒の沈黙が両者の間に降りる。

 これまでシルに寄り添った対応をしてくれていたローランの表情にも影が差し始めていた。


「もちろん黙って見逃せと言うつもりはありません。今回の討伐報酬をあなた達に渡すなり、それなりの対価は約束します」


「――つまり君はこう言うのかね? 賄賂を渡すから目の前の罪人を見逃せと、騎士である我々に」


 そう口にした瞬間、ローランからこれまでにない殺気がシルに向かって放たれた。


(これがアルカス騎士団の一部隊を預かる隊長の殺気か……‼ なんてプレッシャーだよ。まるで破竜に睨まれてるみたいだ)


 アルカス王国最高戦力の一部を率いる隊長の名に相応しく、ローランの放つ殺気は間違いなく確実な強者だけが発する物だ。

 シルがこれまで傭兵稼業の中で出会ってきた強者達と比べても、ローランの実力は上から数えた方が圧倒的に速いだろう。


「すまない、驚かせたね。だが世の中思い通りにはいかないものだ。長生きしたければ、時に己を曲げる事を覚えた方がいい。君はそれくらい理解していると思ったがね」


 ローランの言葉は正しい。自分の意志を常に通し続けられるのは、ごく僅かの絶対的強者のみ。

 そうでない者は、時に自身の望みを捨てなければならない。それは多くの者がやっている当たり前の処世術だ。もちろんシルもそんな事は十分理解している。


「おっしゃる通りです。ですが、心臓が動いて息をしているだけが、生きている事だと言えるのでしょうか?」


 自身が絶対的強者でない事は重々承知している。それでもそう簡単に己を捨てる事は、シルにはできなかった。


「きっとここで竜具を手放しても誰も俺を責めません。守りたい物全てを守る事など到底不可能ですから。でも、もしここで竜具を手放せば、俺は今後の人生でこの事を何度も思い出すでしょう。あなたも身に覚えはありませんか?」


 相手が人々を守る事を生業とする騎士であるからこそ、シルは確信を持ってローランに問いかけた。

 これまで守れなかった人達の事を思い出し、後悔することは無いのかと。


「当然幾度となくあるとも。年を取ると、守るものと同じくらい失うものも増えていく。後悔に苛まれた夜は一度や二度ではないさ」


 破竜との戦いで死んでいった仲間、破竜に滅ぼされた村、他にもたくさんの物を失ってきた。

 騎士になって十余年、守るために騎士を目指したはずなのに、気が付けば喪うことに慣れている自分がいた。


「俺はそれが嫌なんです。美味いものを食べた時、大切な人と過ごしている時に『でもあの竜具を故郷に帰してやれなかったな』と頭によぎるのが」


「要するに今後の楽しい時間にノイズを挟みたくない、という事かね? 私情を通す言い分に私情を使うとは中々大胆だな、君は」


「臆病なだけです。一度拾ってしまったものを、不要だと切り捨てる勇気が俺には無い」


 何かに使えるのではないかとあらゆる物に可能性を見出そうとするのは、シルの悪癖の一つだった。

 絶対に自室が物で溢れていて汚いタイプだと親しい人からはよく言われる。


「このまま続けても平行線か……仕方あるまい。今回は哀れな破竜に免じてこちらが折れるとしよう」


 シルの頑固な意思をこれでもかと感じ、多少殺気をちらつかせたくらいではシルの意志は変えられないとローランは判断した。


 即ちこれ以上は話し合いでは解決できなくなると。


(いとも簡単に七等級を討伐する戦力と事を構えるのは得策ではない。そしてこの男を敵に回したくはないな。色々な意味で)


 ローランの殺気を物ともしなかった事から、シル一人でもそれなりの強者であることは間違いない。

 噂によれば竜と猫は、団員五人全員が戦闘員。最低でもシルが五人いると考えれば、戦闘になった場合、今ローランが率いる戦力だけで勝利できるかはあ五分五分だ。

 何よりローランは、シルという人間をこの短時間で気に入ってしまっていた。


「ありがとうございます……‼ それで俺達は何をすれば?」


「話が速くて助かるよ。実は昨今の破竜頻出に我が国も人手が足りていなくてね」


「つまり破竜討伐に手を貸せという事ですね」


 元より竜と猫の本業は破竜討伐だ。アルカス王国ほどの大国に雇ってもらえるならば報酬もそれなりに期待できるだろう。断る理由は特に見当たらない。

 ただ、シルには一つ聞いておかなければならないことがある。


「とても魅力的なお誘いなのですが、返事の前に一つ質問をしてもいいですか?」


「何だ?」


 改まったシルの態度に、ローランも釣られて背筋を伸ばした。

 実際これからする質問は、シルが傭兵稼業をしている理由そのものだ。


「――綺麗な白髪を持った猫の獣人を知っていますか?」


「白髪の猫の獣人? それはまさか……」


「ご歓談中に失礼します‼」


 何か思い当たる事があったらしいローランの回答は、急に飛び込んできたロイの大声によって遮られた。


「そんなに慌ててどうした? まさか新たな破竜でも出現したのか?」


「いや、そういうわけじゃないです。ただちょっと揉め事が起こりまして……」


 ロイの慌てようから最悪のパターンを想定してしまったが、幸いそれはローランの考えすぎに終わった。

 しかし、わざわざローランを呼びに来るという事は、それなりに大事になってしまっているらしい。


「すまない、シル殿。少し中断だ」


「構いませんよ。急ぎの用事もありませんので。それにしても、騎士でも内輪揉めは起こるのですね」


 シルのイメージでは、騎士団と言えば完璧に統制が取れているものだと思っていたが、実際にはそんなこともないようだ。


「それなんですが、シルさん」


「何ですか?」


「揉めているのはうちの団員と、シルさんのお仲間でして……」


「うちの馬鹿共が本当に申し訳ございません‼」


 ロイの話を聞くなり、いの一番にシルは家屋を飛び出したのだった。

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