第三話 迫害

「さてどんどん上げていくぞ。しっかり着いて来いよ?」


『望むところさ!』


 先に動きを見せたのはシルだった。先刻同様、魔力で強化した拳を破竜に向けて繰り出す。


『言っただろう? ここからは全力だと』


 宣言通り今度は破竜も一切手は抜かない。しっかりと全身を魔力で強化し、シルの拳を払い除けて反撃に転じた。


『お返しだよ‼』


「こちらも言ったはずだ。上げていくとな!」


 破竜がカウンターに放った拳を、シルは体勢を崩しながらも身体強化に無理を利かせた動きで回避した。

 更にシルはカウンターへのカウンターとして回し蹴りを破竜にお見舞いする。

『ぐうあああ‼』


「まだまだ!」


 蹴りを喰らって大きく拭き取んだ破竜の勢いが止まるより速く、シルは破竜が吹き飛んだ方向に先回りした。


「せい……やあああ‼」


 吹き飛んでくる破竜をシルは更に空中に向けて蹴り上げる。

 そして自身も空中へと飛び上がった。


「こいつは効くぞ」


 空中へと飛び上がったシルは、破竜を追い越した地点で停止。こちらへと飛んでくる破竜に向け、今までで最も多くの魔力を纏った拳による強烈な一撃を叩き込んだ。


『がはっ……‼』


 シルの重い一撃を受けた破竜は、またもやシルが現れた時と同じく、地面へと叩きつけられた。


「どうした? お前の全力はこんなものか?」


 今度は破竜の腹の上に乗ることはせず、シルは地面に這いつくばる破竜を蹴り飛ばし、更に追撃を加える。


「なんだ……これ?」


 姿は一般的な成人男性でしかないシルが、巨体の破竜を素手でボールの様に弄ぶ光景にヒュースは困惑の声を漏らした。

 無理もない。走り出そうと足を踏み込めば大地にヒビが入り、放つ攻撃は全てが受けたものを粉々に破壊する。もはやどちらが破竜かわかったものではない。


(くそっ‼ 人間のくせになんなんだこいつの魔力量は⁉ これだけ僕を圧倒しているのに、速さが上がり続けている……! まだ全力を出し切ってないのか⁉)


 一切限界を感じさせず、どんどん増えていくシルの魔力を見て、破竜は徐々に焦りを感じ始めていた。

 動く速度は既に破竜の目でも追えるか怪しくなりつつあり、放つ攻撃は一つ前の攻撃より確実に重くなっていく。

 底の見えないシルの実力を目の当たりにし、それによって破竜の内に恐怖が巣食い始めたことをシルは見逃さない。


「なあ、破竜よ。俺はさっきお前を獣と言ったよな? 実際の所お前はどう思う? 破竜は人か、それとも獣か」


 シルの猛攻を受け、地に這いつくばる破竜にシルは一つの質問を投げかける。

少なくともかつては人間であったはずの破竜。その心は、姿が異形へと変貌してしまっても果たして人であるのかと。


「俺が思う人と獣の決定的な違いは、理性があるかどうかだ。たとえ人の姿であったとしても、己の欲望を抑える理性を持たないのなら、それは獣と変わらない。これを踏まえてお前はどう考える?」


『愚問だね。破竜こそが真の人間だと、僕はそう思う』


 悩む必要は無かった。破竜の回答は、間違いなく本心であったから。


「興味深い答えだな。何故そう思う?」


(突然何のつもりだ? 何を狙っているのか知らないが、ここは乗るしかない)


 有利な状況にもかかわらず、攻撃の手を止めて会話を投げかけてきたシルにやや戸惑いながらも、破竜は促されるままに語り始める。


『お前の理性の有無を、人の定義の基準にする考えには僕も賛同だ。憎しみや絶望を積み重ね、破壊衝動に飲まれた存在が破竜。だから君は、破竜は獣だと言いたいんだろ?』


「そうだな。俺の意見は概ねそんな感じだ」


『破竜が理性を持たない存在である事は否定できない。でもそもそも破竜を生む原因を作るのは誰だ?』


 今更繰り返すまでもなく、破竜はあらゆるものを破壊することだけを生きがいとする存在だ。間違いなく理性という言葉とは程遠い。

 けれど、破竜とて何もないところから出現するのではない。多からずそこには何かしらの理由がある。


『僕は竜人である父と、人間である母の間に生まれた。母が暮らしていた村に、旅の吟遊詩人だった父が訪れ、父が母に一目ぼれしたからだ。父の猛アタックに母は押し切られ、二人はすぐに結婚した』


(竜人と人間が結婚⁉ そんなことがあり得るのか?)


『弱い方の人間。お前の困惑は最もだよ。そんなあっさり竜人が人間に受け入れられるはずがない、だろ?』


 破竜の話を聞いてヒュースが持った疑問は、この世界の竜人の扱いを知る者であれば至極全うなものだった。

 破竜に変貌する可能性を持つ竜人は、世界単位で迫害を受けている。仮に人間の村を竜人が訪れたとして、ただ追い返されるだけならまだいい。大抵は言い分を聞かれるまでもなく、剣や矢が飛んでくることとなる。


 小規模の村でもその扱いである。人の多い町や都市の中で竜人であることが露呈すれば、どうなるかは想像に難くない。


「――竜人も人であることに変わりはない。竜人だからと自由に私刑にかけるのが許される国は無いけど、竜人が吊るしあげられて、街中で磔にされたうえで石を投げられたという話は俺も聞いたことがある」


『よくある話だね。この世界で忌み嫌われる竜人がまともに生きる方法は四つ。奇跡的に竜人を受け入れてくれる環境に巡り合うか、隠れて生きるか、そして奴隷か傭兵として生きるかだ。そして、別に母の村も竜人に寛容だったわけじゃない』


「それなら何であんたの両親の結婚は許された?」


 本来ならばあり得ないであろう竜人と人間の結婚が簡単に受け入れられた理由、その答えにいち早く辿り着いたのはシルであった。


「知らなかったんだろ? お前の父が竜人だと。恐らくは父親当人も」


「知らなかった⁉ 当人すらもって……どういう?」


 シルの言葉にヒュースは驚きを隠せなかった。それもそのはずで、自分の種族を知らないなんてそうある事ではない。


「竜人と人間の見分け方を知っていますか?」


 竜人と人間に目に見える違いはほとんどない。強いてあげるならば、平均的な魔力量が桁違いであることだが、人間にも竜人クラスの魔力を持っている者はごく稀に生まれる。よって魔力量で竜人と人間を判別することはできない。


「もちろん。竜人には体のどこかに痣が……あっ」


 人間には無く、竜人にはあるもの、それは生まれつき体のどこかに特有の痣がある事だ。

 ある者は右手の甲に、ある者は左膝に。竜人は例外なく固有の模様の痣をもって生まれる。


『気づいたようだね。父には確かに痣があった。しかし、その位置は頭頂部だった。だから魔力も人間程度だった父を、誰も竜人だと疑わなかったし、父も自分が竜人だとは夢にも思わなかったのさ。』


「傭兵として各地を転々としてると、たまに聞く話だな。口の中や足の裏なんかに痣があったせいで、自分が竜人だと知らなかったって話は」


「そんな……ことが……」


 ヒュースの両親は人間だったはずだ。だから自分も人間だと当然思っていたが、もし自分の体のどこかに痣があるかもしれない可能性を完全に否定できない。

 ある日突然、自分が世界に憎まれる存在だったと知ってしまう事。その絶望を想像し、ヒュースの背中には冷たい悪寒が走る。


『ある日、村人が狼に襲われた。それを助けた父は頭を噛まれた。命にかかわる怪我ではなかったけど、頭を噛まれたまま振り回されたことで父の髪がかなり抜けてしまった。その怪我を診てもらった時に痣が見つかったんだ』


「後は想像通りか……」


『ああ、父が竜人だと知った村人は、騙されたと父を逆恨みし迫害を始めた。一か月もすれば父は精神を壊して自殺し、八歳だった僕は悪魔の子として奴隷商に売り飛ばされた。母もその後どうなったか……』


「――なんて……ひどい」


 絶句したヒュースの口から唯一零れた言葉はそれだけだった。

 ヒュース自身も両親と祖父を喪っているが、破竜の過去はヒュースの過去とは別次元に辛いものだ。両親を失っただけでなく、自分の存在を否定される辛さは、ヒュースには計り知れない。


『ひどい? 笑わせるなよ。他者が悪だとわかれば、我先にと石を投げつけ優越感を満たす。本当にその人物が悪かも考えず、正義という建前の下で悪を虐げ快楽を満たし続ける。この行動のどこに理性がある?』


「それは……そうだけど……だからといってあんたの行動に正当性が生まれるわけじゃない‼」


 破竜が述べた様な側面が人間にある事は否定できない。

 けれど、それは破竜が世界を破壊していい理由にはならない。


『ハハハ! 正当性ならあるさ。自分の事を人だと勘違いしている哀れな獣を処分するという大義が。そのために破竜は生まれたのさ。生まれた時から迫害されてきた僕達だけにはあるんだよ。この世の全てに復讐する権利が‼』


 そこにあったのは、暗くて重い、いつまでも果てることはないであろう怒りだった。

 世界そのものに否定され、長年苦しめられてきた怒りの象徴。それこそが破竜なのではないかと、ヒュースにも思えてきてしまっていた。


 その思考を遮ったのはシルだった。


「ふんっ、何を言い出すかと思えば」


『何か意見でも?』


「被害者意識も大概にしろ。お前が復讐する権利を持っているのは、実際にお前に危害を加えた奴らに対してのみだ。その怒りを無関係の他者に向けた時点で、お前はお前を迫害した奴らと何も変わらない加害者だ」


『お前が聞いてきたから答えたんだけどね』


「そうだな。聞いてみればくだらない話だった。さっさと終わらせるとしよう」


『フハハハ、威勢がいいところ申し訳ないが、僕の傷はもう完治した。どれだけ僕の体を傷付けても、僕の体は魔力尽きぬ限り滅びることはないんだから‼』


 破竜の体は全て魔力で構成されている。たとえ頭を吹き飛ばされようと、時間と魔力さえあれば体を再構成することができる。


『それに破竜は存在する限り、周囲から魔力を吸収し続ける。まさか知らないわけじゃないだろう?』


「そりゃもちろん知っているとも。さっきからお前の周囲の草木が枯れていってるしな。なんとも環境に悪いことだな」


 このまま戦い続ければ、破竜は周囲から吸収した魔力で死ぬことはなく、常に身体強化を行っているシルの魔力は段々と減っていく。その内両者の魔力量は逆転することになるだろう。


『それで? どうやって僕を倒そうと言うのかな?』


「簡単な話だろ? 回復する暇もなくお前を粉々にするんだよ。【竜の紋章】展開」


 シルがそう言うと同時、シルの両手の平に紋章が浮かび上がり、数秒後には右手には槍、左手には戦斧が握られていた。


『なんだそれは? 一体どこからそんなものを?』


「せっかく身の上話を聞かせてくれた礼だ。俺も少し本気を見せてやるよ」

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