第二話 勇気と覚悟
『いつまで僕の上に乗っているんだ。この下等生物が!』
自分に屈辱的な格好をさせておきながら、それを少しも気に留めないシルに怒り、破竜は体を勢いよく起き上がらせた。
「よっと。申し訳ない。空を飛ぶ珍しいトカゲを見つけたんでな。捕まえてサーカスにでも売ろうかと思ったんだが、まさか破竜だったとは」
破竜の動きに瞬時に反応して地面に飛び降りたシルは、依然として余裕の態度を崩さない。
『ほう、僕を破竜だとわかっていてその態度を続けるのか? そこの男と違ってお前は哀れだな。僕との力の差を全く理解できていない』
「心外だ。力の差なら理解できているとも。ただ、地を這うトカゲと自分との力の差を明確に測るのが難しいだけだ」
『――何が言いたい?』
「要するにだ。俺からすれば、お前なぞそこらのトカゲと大差」
シルが言い切るより速く、先刻ヒュースに重傷を与えた破竜の尻尾がシルを強襲した。
ヒュースに放った時とは違い、今回は更に纏う魔力を増やしている。ヒュースの全身の骨を粉々にした一撃に更なる硬度を上乗せした渾身の一撃。常人ならば死を覚悟する暇もなく消し炭になるだろう。
「質問をしておいて回答の途中に仕掛けてくるとは、躾がなってない。所詮は獣だな」
しかし、シルはその場から一歩も動くことはせず、腰の鞘から抜いた刀で破竜の渾身の一撃を真正面から受け止めた。その体には傷一つすらなく、完全に破竜の攻撃を防いでいる。
『どうやら口だけではないようだね』
「そっちは口だけみたいだな。今の割と本気だったんじゃないか?」
『口の減らな……‼』
収まるところを知らないシルの挑発に再び破竜は反応を示す。
感情のままに荒れ狂う破竜を黙らせたのは、お返しとばかりにシルの放った拳による一撃。
「怒るのは結構だが、隙だらけだな」
(なんだ……‼ 何をされた? 全く見えなかった‼ 殴られたのか? 破竜である僕が人間如きの攻撃でここまでのダメージを⁉)
破竜の魔力による身体強化をものともせず、破竜が反応すらできない速さで繰り出されたシルの拳は破竜の腹部に深く突き刺さった。
破竜も完全に油断していたわけではない。シルの態度と実力の不明瞭さから、念のためヒュースと戦っていた時よりも纏う魔力の量を大幅に増やしていた。
それにもかかわらず、シルは頑丈な城壁のような破竜の身体強化を易々と突破し、破竜を悶絶させるほどのダメージを与えたのだった。
『何をしたんだ……⁉ どうやって僕の防御を貫通した⁉』
「わざわざ聞かなくてもわかってるだろ? お前より俺の身体強化の方が強かった。それだけだ」
『僕は破竜だ‼ その僕より魔力が多いと言うのか? 人間の貴様が⁉』
この世界で唯一破竜に変貌する可能性を持つ種族、竜人。竜人は所有する平均魔力量が他種族と比べて極めて高く、更に破竜化した場合には魔力は数十倍以上に上昇する。
ただでさえ平均魔力量が世界の上積みである竜人のそのまた数十倍となれば、それはもはや常人の手に負える力ではない。その魔力を纏った攻撃は容易に地を割り、防御は如何なる衝撃も通さない鉄壁となる。
過去の記録では、たった一体の破竜が国を滅ぼす事例も少なくはない。
それほどに破竜という存在は、この世界において絶対的な強者であり普遍的な破壊者として君臨する。
「もう少し世界を知れ。見たところお前の魔力量はギリギリ七等級に達するかどうか。破竜の中じゃあ下の下もいいところだ」
(あの破竜が下の下……? 七等級で?)
シルの言及にヒュースは驚きを隠せなかった。
破竜の強さが等級で区別されることはヒュースも知っている。一等級に近づくほどその脅威は増し、一等級ともなれば、それはもはや伝説級の存在となる。
それらと比べれば、確かに七等級は大した強さではない。
それでも腕利きの騎士団や傭兵団が束になってようやく安定して討伐できるかというレベルには違いない。いずれにせよ人間がたった一人で相手にする存在ではないのだ。
(この人なら本当に破竜を倒せるかもしれない)
突如として差し伸べられた救いの手を取らない選択はヒュースには無かった。
「シルさん、恥を承知で懇願する。報酬は何でも支払う。だから破竜を倒し、俺達を助けてほしい……‼」
村も家族も、本来ならばヒュースがこの手で護ると誓ったものだ。できる事なら己の力だけで護りたかった。けれど、それはヒュースのエゴ。家族の命には代えられない。今大切なのは家族で生き延びる事、それ以外はすべて些事だ。
「ふむ……それでは報酬としてあなたの奥さんを頂くというのは?」
「それは断る。妻と子は俺の全てだ。それ以外なら何でも望むものを差し出そう」
「うん、いい返事だ。本当に大切なもの以外は切り捨てる思い切りのよさ、気に入りました。今の無礼を謝罪します」
プライドを投げ捨てて救いを求めながらも大切なものは必ず護るという覚悟の両立、そのヒュースの在り方は、まさにシルの好む在り方だった。
「心配せずとも報酬は先払いして頂いていますよ」
「先払い……?」
身に覚えのないシルの言葉に、ヒュースは困惑の表情を浮かべた。
「ええ、妻と子のため、命を懸けて絶対的強者に挑む勇敢な父の姿を見せて頂きました。報酬はそれで結構です」
「本当にそんなことで……?」
「そんなことなんてとんでもない。あなたが示したその勇気と覚悟、それは俺が全身全霊をもって報いるに相応しいものです」
シルの一切偽りの無い心からの称賛は、無力感に浸っていたヒュースの心を僅かに潤わせた。
「お世辞は止めてくれ。俺は妻と息子を護ったんじゃない。ただ、妻と子以外の全てを護れなかったんだ……‼」
「確かにそれは否定できません。それでも家族を護ったのは、やはり貴方だ。貴方が破竜の足止めをしていなければ、俺は間に合わなかった」
「それでも俺は……‼」
「失ったものばかり数えていては、何本指があっても足りませんよ。失った過去よりも、今あるものとの幸せな未来を数えましょう。どうせ数えきれないのなら、そっちの方がはるかに良い」
「シルさん……」
『そろそろ話は終わったかな? そろそろ待つのも我慢の限界なんだけど?』
シルとヒュースの話に割り込んできたのは、しばらく黙りこくっていた破竜だった。
「むしろ待っていたのはこっちの方だ。傷が癒えたのなら続きを始めようか」
『ふんっ、ここからは僕も全力で戦う。教えてあげるよ。口は禍の元だとね』
「そっちも口には気を付けろよ。何が遺言になるかわからないからな?」
シルと破竜の戦い、その第二ラウンドの火ぶたが切って落とされた。
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