第3話 「過去とこれから」

気づくとヘリの中に入っていた。これは記憶を失う前のだったのか、それとも無意識のうちに何としてでも記憶を取り戻そうとするがそうさせたのか。いずれにしても、ヘリの中に入ろうとする自分を止める事はできなかった。


ヘリの中には3人の死体が乗っていた。自分がヘリに搭乗していたと言うのが確かならば、この3人の顔に見覚えがあるはずだったが、依然として記憶は奥底で蓋をしたままだった。


「これはおかしいな。エンジンの部品が何点か足りない」


「それがヘリの墜落原因なの?」


「少なくとも今見た状況から言えばそうだな」


彼女とヘリの墜落原因について話し合っていたのはあの男だった。口調やヘリに手慣れている点、歩き方などから見れば彼が元整備兵メカニックなのは明白だった。


それにしてもなぜ自分はヘリに乗っていたのだろうか。尉官、それに大尉とまでなればヘリに乗る事は大して難しくないだろうが、こんな世界ではヘリは貴重品だろうし、ちょっとやそっとの理由では乗れなさそうだ。


そう考えていると彼女が小難しい顔をしながら近寄って来た。


「周囲の捜索は終わったわ。残念だけど他に搭乗者は居なさそうね。それとヘリの残骸を集めてみたけど、やはり部品不足によるエンジントラブルでの墜落で間違いないと思う」


「こんな世界で満足に部品を揃えられる方が珍しいだろう。『運がなかった』と開き直るしかない」


「昨日とは違ってえらく冷静ね。記憶でも戻ったの?」


「いや、相変わらず記憶は蓋をしたまま覗くことができない。ただ悟ったんだ。『この世界ではどんなに泣き言を言っても解決しない』って」


「ふ~ん、あっそ。じゃあそろそろ帰るわよ」


そう言って彼女はそそくさと車に乗り込んでいった。自分もヘリの外に出て、大きく大破したそれを少しの間見つめていた。このヘリは"過去の自分"と"これからの自分"の分かれ目なのかもしれないと、少し哲学的に考えていた。


そんな過去の自分とは別れ、車に乗り込んだ。またしても1時間ほど車の中で揺られていないといけなかったが、自分の謎について思慮を巡らすには丁度いい時間だった。


元居た場所に戻り家の中に入ると、見知らぬ男が廊下の真ん中に立っていた。『見知らぬ』とは言っても、自分が知っているのはこの2日間で出会った人物たちの顔だけだが。


「この人は私の叔父。昔は大学で哲学を教えていたの」


「この子の叔父のジョン・クリフトだ。実は前に会った事がある。と言っても君は覚えていないだろうがね。君の著書の『ギリシア神話』を買いに行った時にサイン会をしていてね。その時に会ったんだ。…今話せるかな?」


「ええ、別に構いませんよ」


「なら決まりだ。リサ、彼を少し借りるぞ」


「どうぞ、お好きに」


自分とジョンは寝室と本部屋の間にある、少し古びた部屋に入っていった。部屋には彼女の本部屋と同じ様に大量の本があるほか、中央にはテーブルとイス2つが置いてあった。


「さぁ、座ってくれ」


そう言ってジョンは奥のイスに腰かけた。大量の本に囲まれて居心地はあまり良くなかったが、促されるまま手前のイスに座った。


「同じ研究者同士、いつかこうやって腰を据えて話をしたいと思っていたんだ。まさかこんな形で実現するとは思ってもいなかったがね。…ところで君は記憶を失ったとリサから聞いたが、何か思い出せたことはあるかな?」


「いえ、特には。でも少し安堵もしているんです」


「安堵…?」


「ええ。『過去に何があったか』。興味はありますが思い出したくはありません」


「なるほどな。確かに過去は魅力と絶望に溢れている。だがこんな明日も生きているか分からない様な世界では絶望でしかない。過去の魅力的な記憶を思い起こしても、今置かれている現実から少しばかり目を背ける事にしかならない。そして再び現実を見なければならなくなったとき、背けていた分だけ辛くなる」


「流石哲学者ですね、言葉の重みが違う」


「これは私の経験だからな」


「にしても彼女、リサさんは凄いですね。現実から目を背けず、今を生きている」


「あの子は昔から色々苦労していてな。経験則で分かるんだろう」


そう言い終わるとジョンはおもむろに立ち上がり、本棚から一冊の本を取り出してページをめくり始めた。


「『生きることは病であり、眠りはその緩和剤、死は根本治療』、マックス・ウェーバーの言葉だ。虚無主義ニヒリズム的に聞こえるだろうが、この残酷な世界に生きる者は、誰しもこの事を理解している」


ジョンはそう言い終わるとパタンと本を閉じた。


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ミーソス スルメイカ @surumeika-san

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