【2023年12月3日】Web小説『キクナの怨』の第二話
一話目を読んで、「なんだこれは」と思われたことでしょう。
中には、「ああ、これは最近流行りのモキュメンタリーホラーの導入部なのだな」と思われた方もいるかもしれませんね。
だとしたら、それは間違いです。この作品のカテゴリーは、設定している通り、〝エッセイ・ノンフィクション〟となります。
そういった作品として書くならば、ユーザーとしてきちんと利用規約を遵守し、カテゴリーを〝ホラー〟として設定します。
モキュメンタリ―ホラーなんて、書きたくもありませんが。
しかし、内容を考えれば、この作品はホラーとしてカテゴライズしても申し分ないのかもしれませんね。
少なくとも、作者である私にとっては、十二分にホラーであり、同時に悍ましいものでもあります。
そういえば、ノンフィクションと謳っているのに遺言書だなんて書いたりしたら、規約違反になるのでしょうか。
今のところは公式から何の通達もありませんし、良いのでしょう。いや、単に見つかっていないだけなのでしょうか。少し探してみれば、過激な暴力行為などの残虐な描写。自殺や犯罪行為、他者の権利を侵害する行為の誘発。そして何よりも、過激な性表現をしている作品はごろごろと見つかりますから。
でも、その線引きは限りなく曖昧なものですし、どれがセーフでどれがアウトなのかは公式が決めることです。
できれば、この作品が最後まで規約違反にならず、完結するまで公開し続けられることを祈ります。
前置きが長くなりました。
それでは、始めます。私の遺言を。
といっても、どこから書いていけばいいものか……。
そうですね、ネット小説作家、清白キクナがどうやって誕生したのか、ひいては、ペンネームの由来を説明することから始めましょうか。
なんだか嬉しいですね。
私はこれまで、ペンネームの由来を自分から得意げに語るという行為を、恥ずべきことだと思ってやってきましたから。
私は、本名を〝
なぜ、わざわざ下の名前ではなく苗字から取ったのか。それは、〝心美〟という名前が、反吐が出るほど嫌いだったからです。
心が美しいと書いて、心美、という名前が。
幼い頃、両親に訊いた覚えがあります。どうして心美という名前にしたの、と。
すると、父と母は私の顔をまじまじと見つめながら、
「心が美しい人になってほしかったからだよ」
と、答えました。
その時は、特に何も思うことはありませんでした。
が、今にして思えば、両親は私に何の期待もしていなかったのだということが分かります。だから、心美なんて名前を付けたのです。
私には、六つ上の兄と九つ上の姉がいます。どちらも、とても美男美女とはいえない、言ってしまえば標準以下の容姿をしています。
それは、今も昔も変わりません。子供の頃から、兄も姉もブサイクでした。二人とも、もう長いこと会っていませんが、どうせ今も変わらずブサイクのままでしょう。
似たような見た目をしている父と母から生まれたのですから、当たり前のことです。蛙の子は蛙。鳶が鷹を産むことなどないのです。そして、当然のように、私もそんな標準以下の容姿をしています。
きっと、父も母も、兄と姉の容姿を見て思ったのでしょう。ああ、どうせ三人目も劣った容姿で生まれてくるのだろう、と。
だから、心美なんて名前を付けたのです。姉のように美しい姫だなんて読み取れる名前を付けたり、兄のように秀でた人だなんて読み取れる名前を付けたりしたら、可哀相なことになりますから。だから、容姿に一切関係がない、誰にでも付けられるような、普遍的な意味合いを込めた適当な名前を私に与えたのです。
本当に、酷いと思います。生まれた瞬間から、私は普通の人間よりも劣っているのだと決めつけられていたのですから。
それに、由来を訊かれなくても、名前を言う度に、どんな漢字ですかと訊かれる度に、私は結局、惨めな思いをしました。
「心が美しいと書いて心美さんですね。ああ、お似合いの名前ですね。目に見えない心以外は、とても美しいなんて言えませんものね」
名乗る度に、相手はそんな顔色を浮かべました。被害妄想なんかじゃありません。口にされなくても分かります。嘲笑されていることくらい。
話が逸れてしまいました。
ともかく、私は心美という名前が心底嫌いでした。ですから、このWeb小説サイトにユーザー登録する際、とても嬉しかったことを覚えています。
自分の名前——ペンネームを、自分自身で決めていいのですから。
実の名前なんて、親から一番最初に押し付けられるエゴでしかありません。考えてみてください。拒否する権利を持てない無垢な赤ん坊に、大の大人が勝手に願望を反映させた、それも一生背負っていかなければならないものを押し付けるなんて、悍ましい行為だと思いませんか。
その点、ペンネームは自分で決められます。自分の在り方を、自分で自由に決められるのです。こんなにも素晴らしいことはありません。
私は考えました。どんな意味を込めようか。どんな字を使おうか。どんな響きにしようか。
そして、熟考に熟考を重ねた末に〝清白キクナ〟という名前をペンネームにすることにしました。
前述したように、私は小さい頃から標準以下の見た目をしていました。それ故、小学生、いや、幼稚園に通っていた頃から、いじめを受けていました。
ブス、チビ、バカ、汚い、臭い、気持ち悪い。そんな言葉を言われながら、指を差されていました。
書き出してみると幼稚な言葉ですが、単純が故に残酷です。気を遣うという術を覚えていない幼い子供の言葉というものは、どんな刃物よりも鋭利なものなのです。
もちろん、私も幼い子供です。身を守る術なんて知りませんから、泣き出すことしかできませんでした。そうなれば当然、指導者である先生の出番です。場の調和を保つ為に、読んで字の如く先を生きる者として、児童を正しい方向へ導かなければならないのですから。
ところが、先生はまるで双方に非があるかのような物言いをしました。
どちらも悪い。だから、どちらも謝りましょうね。仲直りをしましょうね。はい、どちらもごめんなさいと言いましたね。じゃあ、これで終わりです。
そんな風に場を治めて、ため息交じりに去っていきました。
私は、何も悪いことをしていないのに。
そして、それは、似たようなことが起こる度に繰り返されました。どの先生の時も、何度も、何度でも。
なぜ、こんな目に遭わなければならないのだろう。幼いながらに、そう考えたことがあります。でも、答えは出ませんでした。なんたって、まだ幼い子供でしたから。
その答えは、やがて小学生になり、年齢が二桁に達しようかという時に、やっと分かりました。
それは、私が標準以下の見た目をしていたからです。
きっと、先生は私のことが憎たらしかったのです。他の子と違って醜く、可愛げが無いくせに、すぐに泣き喚いて、厄介事を起こし、仕事を増やすから、煩わしかったのです。だから、先生からしてみれば、私の方にも非があったのです。
でも、それが分かったからといって、どうすることもできませんでした。それなりにものを考えられるようになっても、私には自分の容姿を利用して強かに生きることなどできなかったのです。
小学四年生の頃、同じクラスに〝イベリ子〟というあだ名が付けられている女の子がいました。本名は恵理子というのですが、色黒で太っていたので、やんちゃな男子たちからイベリコ豚と呼ばれ、やがてイベリ子と呼ばれるようになったのです。
その子は、自身の容姿のレベルを自覚し、強かに生きることができていました。あだ名で呼ばれる度に「誰がイベリコ豚だ」と言い返し、悪口を言われても「高級なんだぞ」、「上に乗って押し潰してやるぞ」、「どんぐり食わせてやるぞ」などと言って、笑いを取り、場を賑わせていました。
でも、私にはそんな芸当はできませんでした。悪口を言われても、黙って俯くことしかできませんでした。言い返して笑いに昇華し、場を和ませられるような器量など、私は持ち合わせていなかったのです。
そんな風でしたから、私はどんなクラスにいても、ゴミ箱のような立場に追いやられました。
ゴミ箱。教室の隅に追いやられ、ものも言わず、やり返しもせず、ただただ淡々と他人の吐き出した汚物を呑み込み続けるゴミ箱です。
皆さんも、身に覚えがあるのではないのでしょうか。クラスに一人は、「あいつには何をしてもいい」、「あいつには何を言ってもいい」、「あいつはどんなことをしてもやり返さない」。そんな虚弱な立場の人間がいたでしょう。
それが、私です。
書き始めたら、思いがけず長くなってしまいました。
続きはまた明日書くことにします。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます