神なき楽園宣言/いずれ世界を導く英雄は、名家から追放された出来損ないの修道女であり

卯月スズカ

エルダーガーデンのゼロ

第1話 ペラギアの澪

 ゼロ・エルダーガーデン。エルダーガーデンのゼロ。それが私に与えられた名前――もとい蔑称だった。


 まだ受精卵すら生じていない頃から、私は観測機械の婆様が告げた予言のせいで真祖の再来と期待されていたらしい。

 真祖。私たち吸血鬼の祖。遺伝子改造の中で生じたはじまりの吸血鬼。予言の通り、生まれた私の容姿は記録に残る真祖のものと瓜二つで、けれど能力はかけ離れていた。


 肉体はあまりにも貧弱で、他者の血液を力とすることもできない。挙げ句の果てに、純人でも扱える神秘的科学すら身につかない始末。


 結論から言えば。私は確かに「祖」ではあった。周囲が望む吸血鬼の祖ではなく、さらにその大本。遺伝子に手を加える前の、人という種の原型、古代種。何の役にも立たない先祖還り。


 父、母、一族、親族、吸血鬼という種族そのもの。それらが私に失望するのは当然のことだ。だから、物心ついたときには修道院に送られていたのも予定調和と言える。


 悪魔を狩る猟友会。その派生組織たる修道院で私は育ち、師に出会った。

 修道院は純粋培養の女性狩人から成る組織。私のように世間から隠す目的で送られた厄介者は大半が狩人の補佐に回るが、私が選んだのは狩人として悪魔と戦う道だった。


 滑稽。実に滑稽で愚かな選択であるとは幼いながらに理解していた。現行のヒトより遙かに劣る肉体で悪魔を狩ろうだなんて。


 それでも私は抗いたかった。見返したかった。私を無能と断じたものすべてに逆らいたかった。

 なにも無謀な話ではない。神秘的科学や亜人を作り出す遙か昔から、人は悪魔を狩り続けてきたのだから。


 二人きりの院長室でそんな詭弁を弄する私へ、傷だらけの穏やかな師はにこやかに微笑みかける。そうして私の黒髪に手を伸ばし、告げた。


 ――ならばおまえは『ゼロ』ではなく、『みお』となりなさい。

 ――このペラギア修道院の行く末を示す、澪しるべに。


 その日から、私はペラギアの澪になった。エルダーガーデンのゼロという屈辱は忘れず、けれど誇り高きペラギアの澪であれるように、生きる。


 私の選択が正しかったのか、間違っているのかはまだ分からない。それでも、姫と出会えたことが、私の人生で最も大きな幸運であったことは疑いようがないだろう。


 ――あなたは、わたしの命を守って。

 ――その代わり、わたしはあなたの栄誉を証明します。


 譲葉ゆずりは・ブルーリッシュ。幼き日の誓いの通り、私はあなたを守ろう。この命が尽きるまで、何があろうとも。





 古めかしい、長い年月の経過を思わせる木造の学舎。春を迎えて新入生を迎えたばかりの教室には、周囲の注目を一手に集める二人の少女がいた。


 銀髪青眼と、黒髪赤眼という対照的な容姿をした二人。銀髪の少女は穏やかで柔和な空気をまとい、隣の黒髪の少女の背丈は平均よりやや小さいものの、その瞳は猛禽のように鋭い。

 どちらも亜人の形質を持たない純人であり、狩人を育成するための教育機関である女学院ではなかなかに珍しい種族だった。


 だが、二人が同級生たちからの興味関心を浴びている理由は、その見目によるものではなく。入学式以前から生徒らの噂に上り、今日を迎えて本人の口から語られた、彼女たちの素性に由来していた。


「ブルーリッシュの姫様が本当にいらっしゃるなんて……」

「ペラギアの、ってことは修道院の狩人でしょう? 私たちと同い年なのに」

「古代文字が名前なら、出生もさぞや名のある家なのでしょうね。姫様の供を務めるくらいなのだし」


 生徒らが二人を遠巻きにする理由は敬意と畏怖。


 譲葉・ブルーリッシュとペラギアの澪。

 第三王女という身分を持つ譲葉は言わずもがな、現役の狩人であると名乗った澪もまた、あるいは譲葉以上に畏敬を集める対象だった。


 人の歴史は悪魔と戦い続けた歴史。悪魔を狩るために科学技術は発展を重ね、遂には奇跡のような現象や、亜人を作り出すに至っている。

 それらの科学を実際に操り、最前線で悪魔と戦う狩人は、ただ狩人であるというだけで敬意を集めるのだ。さらには、この学舎そのものが狩人を育てるためにあるのだから、同い年ながら最前線で戦ってきた澪へ生徒たちが送る視線は熱っぽい。


 譲葉は、周囲から向けられる感情を理解してくすりと微笑む。視線を向けた先は、無愛想とも言える表情をした澪。


「人気者ね」

「姫はともかく、私は物珍しいだけだ。数日もすれば見飽きるだろう」


 修道院の狩人を目の当たりにする機会は滅多にない。僻地の院に籠もり、悪魔を狩るときのみ出陣する女性たち。その修道院に属する澪はいわば、狩人を目指す少女たちにとっては憧憬であり、選ばれた者であり、辿り着くべき地点とするもの。


 その感情に対して、澪は小さく、周囲の少女たちに気取られないように、厭悪の息を吐き出す。


 ――いつまで、彼女たちの歓声は続くのだろう。私がゼロだということも知らずに抱く、無価値な憧憬は。


 エルダーガーデンのゼロ。その名前を知らない者は果たして、この学院に存在するのだろうか。

 ブルーリッシュを支える四公家。その一つに生を受けながら、あらゆる期待を裏切ってなんの役にも立たない肉体を生まれ持った無能。


 男女共学の本校はともかく、この女学院は純粋な狩人育成機関ではない。

 狩人は無条件の信頼と尊敬を集める英雄。悪魔の脅威と戦う人類にとって、科学者と同様に欠かせないもの。ならば、その両者を輩出するのは名族と呼ばれる者たちの義務であり、かつ育成される当人にとっては人生における箔になる。


 たとえ高みに到達できずとも、目指していたという事実。それそのものが価値となる。故にいつからか、女学院は良家の娘を育成する場となった。

 悪い虫を寄せ付けず、娘に価値を与えるために数年を過ごさせる場。

 だからこそ、女学院の少女がエルダーガーデンの汚名を知らないはずがないのだ。


「大丈夫」


 譲葉が小さく言う。

 見透かしたような瞳。透き通るような蒼玉の瞳が、澪を見つめる。


「あなたはなによりも、誰よりも美しいんだから」

「ああ。あなたがそう言うのなら事実なのだろう」


 密やかな会話が終わってすぐにチャイムが鳴って、現れた老齢の女性教官が祝いの言葉とこれからの心構えを告げていく。


 ――学院はあなたたちの入学を心より歓迎する。

 ――狩人は人類の守護者。あなたたちが同志となれるよう、学院は全力を尽くす。故に、あなたたちも脱落せぬように。

 ――戦う者が、救われるのだから。


 賑やかだった生徒たちは、教官の言葉を受けてしんと静まりかえっていた。

 教官と同級生。澪は双方に意識を向けて、譲葉から聞かされていた女学院の進級率――言い換えれば残留率を思い出していた。


 同じ教室に集められた少女たちが狩人を志しているのは事実だろう。でなければ面接を突破できるはずがない。

 だが、本人が真にその資質を確信していれば、本校へ入学していたはずだ。教官もそれを理解して、暗に覚悟を問いかけた。


「ペラギアの澪」

「はっ」


 不意に名を呼ばれ、一瞬面食らいながらも、澪はすかさず立ち上がる。踵を合わせ、敬礼をする修道院正式の応答に、教官はほんの少しだけ微笑んでいた。


「あなたの武勇はペラギアのシトゥリより伺っています。皆の手本となることを期待していますよ」

「承った。尽力しよう」


 修道院に属する澪と、猟友会所属の教官に面識はない。だから、エルダーガーデンの者がブルーリッシュの姫の供として入学したことなど夢にも思っていないはずだ。

 とうに裏切っていることに微かな胸の痛みを感じつつも、澪は心からの返答を行う。同志が増えることは、澪にとっても喜ばしいから。


「それでは、本日はここまで。明日からの英気を養うよう」


 教官が立ち去る。澪と譲葉は即座に席から立って、教室内の誰よりも早くに廊下へ出た。


「姫、良かったのか。皆と話さなくて」

「ええ。機会はいくらでもあるし」


 譲葉はいったん、声を止める。その直後、二人が立ち去った教室には堰を切ったような勢いで上級生がやってきていた。


「今はタイミングじゃないもの」

「確かに」


 澪は苦笑とともに頷く。入学式の後は、上級生が歓迎と部活への勧誘に来るものだと聞いてはいたが、実際に目の当たりにした勢いは予想を超えている。すぐさま退出したのは正解だった。

 澪も譲葉も、学園の生徒と深い交友関係を作るつもりはなかった。澪は生来の名前を悟られないために。譲葉は立場上の理由から。


 本来ならば、王族は亜人を身内とすることを許されていない。その理由は単純。王族が一つの種族に肩入れすれば、四公家のパワーバランスが崩れかねないから。


 鬼族のエルダーガーデン。

 獣人のカデナ。

 翼人のロンダーク。

 妖精族のセーナクルシェ。


 それぞれの種族を代表する四つの家が公家として王族を支える形式を取っているのは、人類の中で余計な争いを招かないため。力に劣る純人を頂点に置くことで、現在の秩序は作られている。

 とはいえその形は、ブルーリッシュが独立を保っているから成り立っているもの。王族という旗印があれば、四公家の一つが突出した力を持つこともあり得てしまう。だから、譲葉・ブルーリッシュが澪を――エルダーガーデンのゼロを従者としているのは、まだ明るみにするわけにはいかない。


 学舎の門を抜け、坂を少し登れば寮が見える。薄桃色の花びらが敷き詰められた地面を歩いて辿り着いた、学舎よりも古びたツタの這う建物へ、二人は新入生の誰よりも早くに入った。


 外観こそ古びているが、令嬢が暮らすだけあって中の設備は清潔で真新しい。ラウンジには大きなソファとテレビが置かれ、図書室や実験室も用意されている。上級生も今はほとんどが出払っているようで、寮内は静まりかえっていた。

 個室は二人一組。澪と譲葉はブルーリッシュの事前の根回しで同室になっている。譲葉が椅子に腰掛ける一方で、澪は扉の前で直立不動の態勢を取っていた。


「改めて、確認しておきましょうか」

「盗聴器の類は改めた。周囲に人の気配もない。今なら問題はないだろう」


 淡々と述べる澪に譲葉は頷き、話を始める。


「わたしの目的は一つ。あなたを今年の交流試合に送り込むこと」


 立地も離れた本校と女学院。二校が関わる年に一度の機会が、夏に猟友会が主催する祭、討滅祭。

 一年をねぎらい、次の一年も悪魔を狩り続けるために英気を養う猟友会の祭日に、二校はそれぞれの成果を披露する。それが交流試合。

 両校が代表一人を選出して、王族、四公家、国軍、猟友会の前で競わせる。


「生徒らの中に突出した者は見受けられなかった。姫が集めた評判の通りなら、上級生も同様のはず。順当にいけば選出されるはずだが、現役の狩人が選ばれるかどうか」

「ええ、難点はそこだけ。森羅しんら・エルダーガーデンは、ほぼ間違いなく選ばれるでしょうし」

「……ああ。奴の噂が事実ならば」


 直立不動。猛禽のように鋭い目を周囲に向けていた澪が、初めて長く目を閉じる。


 森羅・エルダーガーデン。四公家、エルダーガーデンの後継者。本校の三年生。エルダーガーデンが誇る天才。

 物心ついたときには修道院に送られていた澪にとって関係のない人物ではあるが、決して無視できない人物。


 澪が――ゼロが公の場で森羅を打ち倒す。かつての屈辱を晴らす。己を無能と断じたエルダーガーデンを見返す。そのために、澪は禁忌を犯してまで女学院へやってきた。


 澪のまぶたが開かれる。深紅の瞳は、譲葉の微笑みを捉えていた。


「他者の意思だけに頼るのは危うい。ならば、勝ち取ってしまえばいい」

「誰にも否定できないよう、あなたの実力を見せつけてしまえばいい。ええ、単純ね」


 小さく笑い合う。二人の目的を成し遂げるための場は、公に用意されているから。


「実戦授業と部活間序列。両方でトップに立てば、学院もあなたを選ぶしかなくなる」

「問答無用の一位を差し置いて二位を選出する。勝敗はどちらにせよ、それは本校への侮りだ。私たち狩人が忌むべきものだ。ゆえに、学院は必ず私を選ぶ」


 譲葉が向けてくる確信に、澪は自負で答える。

 幼い頃から、狩人になるためだけに生きてきた。悪魔を狩る狩人としての動機は不純でも、行動は真摯であるように努めてきた。

 血反吐を吐いて、骨身を削って、先祖還りの古代種でも修道院の戦力となれるのだと証明した。私はペラギアの澪なのだ、と何に恥じることなく断言できるように戦ってきた。だから、敗北は想定しない。


「銃を使えないのは不便だが……まあ、問題はない。良い機会と捉えよう」


 ちらりと、澪はクローゼットに視線を向ける。

 狩人としての装備はすべて持ち込んでいるが、いくつかはしばらくの間、実戦で使うことはできないと諦めていた。

 古代種であるために、どうしても膂力に劣る澪が扱う武器は現行のスタンダードではない。不可解に思われる可能性は存在する。


 仮に、万が一、澪が純人ではなく古代種であるという事実を悟られ、その容姿が吸血鬼の真祖と瓜二つのものであると気付かれれば、即座にゼロの名前を連想されるだろう。


 いずれ澪の素性は詳らかにする。それを前提に二人は女学院へやってきたが、だからといって意図しないタイミングで露見させるわけにはいかない。警戒は、過剰なほどに行うと決めていた。


「澪」


 柔らかな声で、譲葉が呼びかける。

 柔和な視線。その中に通った、合金よりも固い芯。


「わたしの夢はあなたの覇道。その達成のためなら、わたしはなんでもするわ」

「ああ。私が成し遂げよう。あの日、あなたが私に見いだしてくれた希望は間違いではないと証明してみせる。それが、私にとっての楽園だ」


 二人の出会いは六年前。譲葉が暮らしていたブルーリッシュの離宮を悪魔が襲い、その討伐を、澪が所属するペラギア修道院が行った。


 譲葉は第三王女。五人兄弟の末子であり、生まれたときから政治的な有用性は低いと見做されていた。ならばと周囲は、彼女を狩人に仕立て上げることで民衆の鼓舞を試みることにした。

 自らの意思で狩人になった澪と、いずれ狩人になると定められていた譲葉。その出会いは、とりわけ譲葉にとって鮮烈で。幼く、貧弱な肉体で戦場に立つ澪の姿を、譲葉は網膜に焼き付けたのだ。


 散り乱れる薄桃色の花びらが窓の外を舞っていた。年にわずかな時しか見られない光景も、二人の意識には入らない。

 彼女たちが目指すのはただ一つ。人生の目的への、無謀だけれど確かな道筋を歩んでいくこと。

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