第6話

 私と刈り上げくんはお互いにキョトンとしながらしばらく見つめ合う。


 この後どうすればいいか分からず、とりあえず白e4を指して時計を押した。すると彼はすぐに黒e5で応えてくる。


「ええと。私は、横浜栄嵐高校の堀部真咲です。よろしく」


 イタリアン・ゲームが進行する中、軽く自己紹介をしてみると、ぼそりとした声が返ってくる。


「黒崎工業、古城こじょう。女だろうが容赦しねーからな」


 黒の二手目と三手目、二つのナイトがぴょこりと前に出る。そわそわしていた頼人くんがそれを見て「あ」と声をもらした。


「『ツー・ナイツ・ディフェンス』か」


「さすがチェス部、よく知っているね」


 おじいさんは感心したようにうんうん頷いているけれど、ナイト二つで防御するこのツー・ナイツ・ディフェンスは、イタリアン・ゲームからの派生としてはそう珍しくない。


 見た目とは裏腹に、古い定跡で堅実な守備をしてくる。


 刈り上げくん――古城くんをちらりと見ると向こうも負けじとこちらにメンチを切ってきた。


 そんなに威嚇しなくても、チェスを通せばどんな人かすぐに分かる。人は見かけによらないってことはよく知っているつもりだ。


 イタリアン・ゲームはその後の展開が多岐にわたる。ナイトを展開して応戦するのは一見理にかなっていると言える。


 ナイトを主軸にして、攻守に広く対応する。きっと彼はいつもこういう戦い方をしているのだと思う。


 だから私も私の戦い方でぶつかりに行く。


 強気に白のナイトを敵陣に送り出し、相手のキングの眼前に迫る。


 古城くんはギョッとして、黒のキングで白のナイトを取る。しかしそのせいでキングが前線に引きずり出される形になった。


 その動きを見たおじいさんが「ほう」と声を上げる。


「ナイトを犠牲にキングの腰を上げさせる……綺麗な『フライド・リバー・アタック』だ」


 黒のツー・ナイツ・ディフェンスに対する白の奇襲、その名もフライド・リバー・アタック。決まればほぼ瞬殺とも言える攻撃に、黒のキングは追い詰められていく。


「チェック」


「う……!」


 盤上で戦う私達の魂は、交わしていた刃をピタリと止めた。白のクイーンが持つフルーレの切っ先が今まさに黒のキングの首元を突こうとしている。


 古城くんはぐぬぬと唸った後、認めたくないのが一目で分かるほど悔しがりながらキングを倒した。


「ありがとうございました」


「……っした」


「古城が負けた……?」とざわざわする男子達がすぐに盤面を確認し始めた。


 途端にぷしゅーっと空気が抜けるようによれよれになる古城くんの肩を、おじいさんが笑いながらバシバシと叩く。


「こりゃあ完敗だなあ、ないと」


「ないとって呼ぶなジジイ!」


「「ないと?」」


 顔を真っ赤にしておじいさんに突っかかる古城くんを、私と頼人くんはポカンとしながら見つめる。


 周囲の男子達から「古城さん下の名前で呼ぶとキレるんで……」というアドバイスをもらって、私はコクコクと頷いた。


「さて、お前達。白のフライドリバーアタックに対して黒の有効打は?」


 おじいさんが人さし指を立ててその場にいる全員に問う。全員がうーんと考え込むのを見て私はおずおずと手を挙げた。


「まず考えるのは、トラクスラーカウンターアタック」


 盤面を戻してフライドリバーアタックを再現する。


「白のナイトがクイーンとルークをフォーク(二つ狙い)するけどこれを一旦無視して、黒はビショップで強行。フライドリバー自体が強行手だけど、さらに攻め手で返す感じ……です」


「はい正解」


 おじいさんがパチンと指を鳴らす。それと同時にがしりと古城くんの頭を掴んだ。


「これで定跡の勉強がどれだけ重要か理解できたな、ないと」


「……うるせー」


「いやー助かったよ。こいつらは全然棋譜や教本を読まないんでね。痛い目を見るのは当然なんだ」


「え、棋譜読まないのになんでツーナイツディフェンスはできるんだ?」


 頼人くんのもっともな質問に顔を背けた古城くんのかわりにおじいさんが答える。


「僕の指し方を見て学んだんだ」


「それって……逆にすごくね?」


「あーもううるせー! 次はお前ださっさと代われ!」


 耳を真っ赤にした古城くんが頼人くんをビシッと指差す。頼人くんも乗り気で私と席を代わった。次はこの二人の戦いだ。


 周りの男子達に混ざって、私とおじいさんは盤面を見ながら色々な話をした。


 私のチェスの師がナージャであると伝えると、おじいさんは納得がいったように頷いて言う。


「なるほど! 海外チェスプレイヤーのレジェンド、シェルシュノヴァ博士か。引退されたと聞いたが」


「今は日本でお店をやりながら研究を続けてます」


「そうかそうか。僕も昔、国際大会で博士と対局したことがあるよ。彼女は実に強かった」


「えっ。ナージャと戦ったんですか」


 現役時代のナージャと対局したことがあるなんて、もしかしたらすごい人なのかもしれない。私はいまさらながらおじいさんについて尋ねてみる。


「あのう、もしかしてチェス連盟の方ですか?」


「ああ、自己紹介が遅れたね。僕は高井たかいまさる。チェス連盟に入っているよ」


「わあ……そうだったんですね」


 どうりで試合運びに貫禄があったわけだ。


 引き続き頼人くんを見守っていると、突然東の空からゴロゴロと雷の音が聞こえ始める。今日は夜から雨が降るとお天気お姉さんが言っていたけれど、どうやら予報よりも早く降り出しそうだ。


「雨雲が近いね。中断しよう」


 高井さんのその呼びかけに二人は少し不満そうな顔をして対局時計を止めた。


「屋根ないし仕方がないな。よし、続きはまた今度な、ないと!」


「ないとって呼ぶな! 次で決着つけてやるからな!」


 古城くんと周囲の男子達は慣れたように片付け始め、パッとその場からいなくなる。高井さんも自分の鞄を持って、こちらに片手を挙げて言った。


「屋外を拠点にしているとこういうことはよくあるんだ。僕はしょっちゅうここに来るから見かけたら声をかけてくれ」


「はい!」


「次は私と一局お願いします」


 ペコリとお互いお辞儀をして、降り出す前に別々の方向へと帰る。


「あーもうちょいだったのにな」


「いい勝負だったよ」


 頼人くんが悔しがるのを横目に早足で駅へと向かう。その途中で私はさっきの古城くんとの対局を思い返していた。


『どうせ俺らみたいなのがチェスなんてって考えてんだろ』


 先入観は対局においてノイズにしかならない。


 ぽつりと雨粒が地面を濡らすのを見て、彼らはいつも屋根のないチェスをしているのだと実感する。雨が降れば解散して、晴れたら指導者の下に集まる。


 何故彼らはそうまでして路上チェスをしているのか。


「もしかしたら高校選手権で会うかもね」


「それは俺も思った」


 空に稲妻が走る。私達はすこしだけくっついて駅に続くコンコースを駆け抜けた。








※フライドリバー・アタック

ツー・ナイツ・ディフェンスからの派生型トラップ。白がナイトを犠牲にし、黒のキングを前線に誘き寄せて奇襲を仕掛ける。決まれば序盤で瞬殺。

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