第4話
▽
「マサキ! 迎えに来たぞ〜」
宣言どおり、放課後姿を現した頼人くんが笑顔で私に近づいてきた。
そのままがしりと腕を掴まれてズルズルと引きずられる。視界の端で小春が「がんばれ!」とガッツポーズを向けてくるのが見えた。
「チェス部入らないってば」
頼人くんの腕を叩いて抗議する。
「まあまあ。話くらい聞いてくれよ」
頼人くんは私を引っ張ったまま階段を降り、ピロティを抜け、あっという間に文科系の部室が並ぶ別棟にまでたどり着いてしまった。
蔦が這う白い外壁。採光にやや問題がある薄暗い廊下。旧校舎の内装をリフォームしたというなんとも雰囲気のある建物だ。
「ここが部室棟、
「へえ……」
中は綺麗だけど古い木の匂いがする。
内履きに履きかえて、西日の当たる階段を上る。階段は年季が入ったままで、狭い踊り場には日に焼けた部活勧誘のチラシが何枚か貼られていた。
「古い建物なんだね」
「ああ、創立時からあるらしいよ。本校舎は丸ごと建て替えられたけど、ここは昔のままなんだとさ」
頼人くんに導かれるままに『チェス部』と貼り紙がされた部室にたどり着いた。
「チェス部へようこそ〜! ってことで」
「だから入らないってば……」
勢いよく部室に入る頼人くんに続いて部室に足を踏み入れる。
すると、部屋の真ん中で足を組んで座る女子と目が合った。
胸元には三年生を意味する赤いリボン。黒のショートヘアがよく似合う涼しげな美人だ。
私の格好を確認するやいなや、その女の先輩は目を吊り上げて頼人くんに向き直った。
「ちょっと笹川。まさかその子が例の子? 思いっきり女子じゃない。誰よ美少年とか言ったの!」
「いやいや美少年風って意味ですって
「あーあ期待してソンしちゃった」
そう言ってツンとそっぽを向く先輩に困った顔をしながら、頼人くんは私に向き直る。
「マサキ、この人はチェス部の三年、
「だーれーがヒマ人よ。私は美少年新入部員が来るって聞いてわざわざ時間をつくったんだからね!」
それを聞いて彼女の態度に納得する。
世の中には見た目で人を判断する人とそうでない人が存在する。この人は前者。
私が男子だと聞かされていたから今の私の姿にがっかりしているのだ。
こんなことには慣れている。私は軽く頭を下げて挨拶だけすることにした。
「一年B組、堀部真咲です。チェス部には入りません」
「こらこらマサキ〜」
城ヶ崎先輩はピクリと眉を吊り上げてこちらを見て「ふーん」と言った。
「まあボーイズユニット系の顔してるけど。チェス部に入らないなら関係ないじゃない」
「待ってくれよ。俺はチェスの高校選手権に出たいんだ。二人ともこれ見て!」
頼人くんが指差したのは壁に貼られた一枚のチラシだ。チェス高校選手権と書かれたその下に、『優勝校はプロとエキシビションマッチ!』と記されている。
「これって……」
私は目を見張った。
「そう! 優勝したら各国のチェス協会に所属するプロと対局できるんだよ。すごい機会だと思わないか!?」
「それはそうだけど」と頷く星華先輩の横で、私はチラシに書かれた文字から目が離せなくなってしまった。
頼人くんは嬉々としてチラシを掲げて言い放つ。
「エキシビションマッチに出るのは日本チェス連盟の荒川選手、 Aリーグのコナー選手、そして欧州リーグのマルコフ選手!」
イワン・マルコフ。チラシには確かにそう書かれていた。
優勝者とイワンがチェスをする?
何回言っても私とは郵便チェスしかしないあの堅物が、日本の学生とチェスを?
「で、選手権に出るためにはチェス部の活動歴が必要と。なるほど、このままじゃあうちは人数不足で同好会落ち。だからこの子を無理矢理引っ張ってきたってわけね」
「うっ……そのとおりです」
チラシを見つめながら、私はもやもやする気持ちに動揺していた。
一体どうして……こんな気分になるの?
高校の制服を着た日本人の誰かがイワンと対局している状況を想像して、ものすごく――ムカムカする。
渡されたチラシをぎゅっと握りしめ、私は頼人くんに向かって口を開いた。
「これってチェス部に入らないと出られないの?」
「え? まあ基本的にはそう。後はチェス連盟に入ってる高校生かな。高校選手権だし」
「じゃあチェス部入る」
「いいのか!?」
目を丸くする頼人くんに頷く。
「私もこの大会に出る」
しんとその場が静まり返った。頼人くんは口をぱくぱくさせながら言葉を詰まらせている。星華先輩は面白くなさそうに腕を組んだ。
「いきなり大会に出たいなんてなーんか生意気。さっきから笹川にもタメ口だし」
「昨日タメ口でいいって言われました」
「や、まあ二年だと思ってたから……うん、まあいいんだけど」
「じゃ、ちょっとそこ座りなさいよ」
顎でチェス盤の前にある椅子を示した星華先輩は不敵に笑って言った。
「お姉さんが実力を試してあげる」
▽
――先手の白は星華先輩。
年季を感じさせる木製のポーンをe4に進める。対して私は黒のポーンをc5へ。
「マサキが『シシリアン・ディフェンス』?」
頼人くんが背後で首をひねるのが分かった。
e4に対してc5で応えるのはシシリアン・ディフェンスと呼ばれるチェスの開幕の形だ。
特に珍しいこともない一手に頼人くんが大げさに反応するものだから、星華先輩が眉をひそめた。
「シシリアンがなんなのよ」
「だって昨日は一回もシシリアンで受けなかったからさ」
「そういえば。昨日は流れ的に全部イタリアン・ゲームだったからね」
「ふーん。あなた達よくチェスをするの?」
d4にポーンを進めて星華先輩が問う。私と頼人くんは一瞬視線を合わせて、同時に首を振った。
「いや」
「昨日が初めて」
「なにそれ」
白と黒のポーンが中央に並んでからすぐに白が前に出てくる『スミス・モラ・ギャンビット』が自然に展開される。
星華先輩はシシリアン・ディフェンスに対して好戦的に攻めるつもりだ。
リズムよく駒を進めて時計を止める。その合間に私はじっと星華先輩を見つめた。
星華先輩は私の視線に気が付いて嫌そうな顔を向けてくる。
睨みつけられているのに、その反応はむしろ私にとって嬉しいものだ。
頼人くんと違って目の前の私と戦ってくれている証拠だから。
チェスにはその人の本当の性格が現れる。
頼人くんは素直で筋が真っ直ぐなタイプ。
星華先輩は攻めて攻めて攻めまくるタイプ。
なら、私は。
ナイトをゆっくりと敵陣に押し出した。
流れに気が付いた星華先輩の顔が歪む。
シシリアン・ディフェンスからのスミス・モラ・ギャンビットはとても自然な駒運びで展開される。
だから尚の事、置かれた罠に気が付きにくい。
一瞬で攻撃に転じた黒のナイトが盤上を駆け抜ける。
数手後、白のクイーンが私の手の中に収まるのを見て星華先輩が憎々しげに呟いた。
「『シベリアン・トラップ』……!!」
「おっ。またハメ手か?」
チェスで最強と呼ばれるクイーンを取ってしまえば、もう相手の喉元に刃を突きつけているようなもの。
数手凌いでから、細く長い息を吐く。そうして星華先輩はキングを倒して投了した。
「ありがとうございました」
「あーあ。しらけちゃった」
そう言ってパッと席を立つ星華先輩を目で追う。先輩は「ふん」と私から顔を背けて、そのままドアへと向かって行ってしまった。
「そうやって裏をかいて、人を欺くのが楽しいのね」
ドアノブに手をかけて、背中しか見えない星華先輩が言った。
「別にそんな……」
「ちょっと先輩どこ行くんですか?」
「彼氏とデートよ!」
バタンッと勢いよく閉められたドアに、頼人くんは困ったように腕を組んだ。
「気にすんなよ。あの人プライド高いんだ」
「負けたほうがよかった?」
「まさか! むしろ勝ってくれてスッキリしたぜ」
チェス盤を片付けながら頼人くんが申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「嫌な気分にさせてごめんな。ついうっかり先輩にマサキのこと美少年なんて言っちゃって……。まさか本当に見に来るとは思ってなかったんだ」
「ううん。別に気にしてない。星華先輩は三年生だよね。まだ引退してないんだ?」
「あの人は来年からアメリカに留学することが決まってるからな。残りの高校生活満喫してるってところだろうよ」
そこまで言うと頼人くんはパッと思いついたように手を打った。
「なー。ちょっと様子見に行かね?」
「え?」
「実は星華先輩、なんか大学生の彼氏と遊びまくってるってウワサがあって……。チェス部の評判下げるようなら先輩でも注意しないとな!」
「なんでそんなノゾキみたいなこと……」
「チェス部に入るんだろー? これは部長命令な!」
そうして突風のように部室を出て行ってしまった頼人くんに、私は心の中でナージャに謝るしかできなかった。
ごめんナージャ。今日はお店に行けないかも。
※シベリアン・トラップ
シシリアンディフェンスからの派生型トラップ。黒のナイトを有効に使って白のクイーンを強襲する。
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