31話 鬼娘と耳長娘の想い (虹耀暦1285年2月:アルクス12歳)

 ここ数日凛華とシルフィエーラは、すっかり諦めモードになっていた。何度言い募っても出郷の許可が下りない。


 大人たちだって今すぐに里を出るわけではないとわかっているだろうに、頑として首を縦に振ってくれない。ダメだと言われ続けた彼女ら2人も『じゃあもういつか戻ってくるアルたちを大人しく待とうか?』みたいな雰囲気となり、意気消沈というよりダウナーな雰囲気を漂わせていた。



 アルクスが新魔術開発のため闘技場に赴いていた時、2人は龍血の闘争本能を落ち着かせるための香料袋をつくろうとしていた。


 エーラが以前いろんな植物にお願いして用意してみせたところ、アルが表情をやわらげたと凛華に話したら『じゃあ持たせてあげましょう』という話になったのだ。お守りでも作ってあげるような心持ちであった。




 里の北東側、ヴィオレッタの家付近―――鍛冶場通りの東向かいには仕立屋通りと呼ばれるその名の通り服を仕立てる職人通りがある。


 織物の工房から服の仕立て、更には防衣類まで手掛けるプロフェッショナルたちが居を連ねている場所だ。


 凛華とエーラは香料袋を作るため、この職人通りの代表でもある蜘蛛人族の小町を訪ねていた。


「あらぁ~、凛華ちゃんとエーラちゃんじゃないのぉ。とうとう可愛い服を着てくれる気になったのかしらぁ?二人ならいつでも問題ないわよぉ」


 しなをつけて話すのは上半身が人型、下半身が蜘蛛のそれである煽情的な女性だ。蜘蛛の単眼を思わせる黒くツヤのある瞳に同じく手入れを欠かした様子のない長くツヤのある黒髪を結い上げていた。


 白っぽい胴部に黒のラインが入った大きな下半身に細長い8本脚を素早くするするっと動かして器用に寄ってくる。顎は人っぽく見えるが左右に分かれて開くため、慣れていない人間が見ればまず間違いなく怖がるであろう。


 どうしても並の男性よりも身長の高くなってしまう彼女に、凛華は物怖じもせず口を開いた。


「今日は違うのよ」


「今日は、じゃなくて今日も、でしょお?まったくぅ、素材はいいのに着飾らないなんてぇ」


 凛華の母である水葵が一時期躍起になってこの仕立て屋に凛華を連れてきていたのだが「いらない、着辛い、重い」という素気無い言葉によって断念している。


 仕立て屋である以上ほぼオーダーメイドの服は結局、体型の合う子供の母が最近引き取っていった。そんな事情があるため小町と面識だけはある凛華だ。


「じゃあエーラちゃんかしらぁ?」


「ボクも違うよ。これまだ着れるし」


 エーラは自分の着ていた服を引っ張る。何とも無造作に引っ張るものだからヘソ辺りまでチラついていたがこの場で注目する者はいない。


「エーラちゃんはエーラちゃんでなんでそんなに貧乏性なのぉ・・・・?」


 エーラは貧乏性というか気に入ったものを固めて着る癖がある。同じようなものばかり仕立てさせられる側としては微妙な気持ちにもなろうというものだ。オーダーメイドで量産服を作らされているのだから不平を言わない小町が寛容なのである。


「じゃあ今日はどうしたのぉ?私は今日は何もないから付き合ったげてもいいけど激しい動きはムリよぉ?」


 体躯が大きい蜘蛛人族はさぞ強かろうと人間たちからは思われがちだが実はそうでもない。蜘蛛人族は戦闘民族ではない。素早くは動けるが、昆虫の方の蜘蛛と違って単眼が二つ並んでいるだけの視界では死角が多く、また細い脚に生えている爪は地面や木に引っ付くためのもので戦闘に使おうものなら簡単に折れてしまう。


「違うわ。お願いがあって来たの」


「そーそー」


「お願い?えらく可愛らしい言い方ねぇ。聞いてみようかしらぁ」


「匂い袋みたいなの作れない?このくらいのが入って、軽いの」


 そう言ってエーラは譲ってもらった花や草を取り出した。乾燥させているようだが、心をさっぱりさせるような良い香りだ。


「落ち着く良い香りねぇ~。あなたたちに合いそうなら――――」


「違うの。男物にしてもらえない?」


 凛華の言葉に小町はきょとんとして首を傾げる。どういうこと?と問われた気がしたので、凛華とエーラは正直に打ち明けた。事情を知った小町は、


「なぁるほどねぇ。そういうことかぁ。じゃあお姉さん頑張っちゃおうかしらぁ?」


 と袖をまくる。凛華とエーラはそうこなくっちゃと頷いた。


「このくらいで、えーと・・・あんまり大きくても邪魔よねぇ」


「ねぇ、首に提げさせたらいいんじゃない?」


「あ、それいいかも。アルはあれでめんどくさがりだからね」


「んっふふ、まかせてちょうだぁい。二人ともちゃんと手伝ってねぇ」


 少女2人の賑やかさを背に受けながら小町が『撚絃よりいと』を発動させる。蜘蛛人族の”魔法”だ。胴部の尻側にある糸つぼから細い絹糸のようなものがしゅるしゅると伸びていき、意思を持つようにエーラの構えた手に巻き付き始めた。


「・・・・やっぱりなんかやらしいわね、この光景」


「ちょっとぉ?失礼じゃなぁい?蜘蛛人の糸は元々頑丈なのよぉ。それを”魔法”で撚ってあげてるんだからいやらしいはないでしょお?」


「なんか生暖かいよこれ」


「体から出してるんだから当たり前でしょお。もぉこの子たちはぁ。てゆーかエーラちゃんは弓の弦を誰に用意してもらってるんだったかしらぁ?」


「あははっ、ごめんってば小町おねーさん」


 と小町が『撚絃』を止める。あとは出来上がった絃を染め、形にするだけだ。


「ちゃちゃっと作っちゃいましょお~」


「「はーい」」


 こうして染色を1日で済ませ、うまいこと風で乾かし小町の手伝いもあって数時間で匂い袋もとい香料袋が完成することになった。色は自分たちの好きな青緑色に染め、形は口を窄める涙型だ。


「こういう色の鉱石があったねぇ」


「そうなの?」


「月涙石ってのでねぇ。こぉんな感じの色合いだよ」


「へえ、いつか見てみたいかも。あ、いいのありがとう小町おねーさん。これお礼だよ」


 そう言ってエーラが小瓶を手渡す。


「あらぁ、なぁにこれ?見たとこ花油みたいだけどぉ」


「あたしとエーラで集めた蝋梅と沈丁花の油よ。小町ねえさん手荒れがひどいって言ってたでしょ?」


「おお~!わざわざ用意してくれてたのぉ?仕立てたりして生地に触ってるとこの時期乾燥してたんだぁ。ありがとねぇ、大事に使うからぁ~」


「なくなったらまた一緒に作ってくるわ」


「んふぅ、じゃあ遠慮なく使わせてもらうわねぇ」


 嬉しそうにさっそくとばかりに花油を使う小町に、凛華とエーラは手を振ってアルを探して里を出た。



***



 ほどなくしてアルが新設された武闘場に入り浸っていると聞いて顔を見合わせる。今日は稽古の日ではないはずだ。


 とりあえずと2人が向かった武闘場にアルはいた。腕に何かを描き、大きく息を吸いこんでいる。


「何してるのかな?」


「この距離であいつが気づかないなんて変ね」


 その答えはすぐにわかった。呼気と共にアルが龍気を発動させたのだ。


 思わず驚いて固まる凛華とエーラ。あの1件以来アルが自分から闘気を使おうとしたことはない。


 真紅の龍眼が割れ、闇色の奥底が見える。どうしてそんなことをしているのかわからなかった2人は思わず立ち竦んでしまう。どうすればいいのだろうか?


 2人が答えを見出せぬうちに、アルは己に抗いながら左腕を押さえ魔力を流す。しかし上手くいかなかったのか、すぐに手と手を打ち合わせた―――その瞬間、凛華とエーラの位置からでもバッチリ見えるほどの紫電がアルの身体を奔った。そのままビクンと痙攣して崩れ落ちるように倒れていく。


「「アルっ!?」」


 2人はわけもわからぬまま銀髪の幼馴染に駆け寄った。


「大丈夫!?」


「アル!」


「・・・・・」


 凛華が心臓に手を当て、エーラは脈をとる。気絶している。瞼を軽く押し上げて、真紅の瞳へ戻っていることを確認した。


「どうなってるの・・・?」


「ボクらが知らない間に今度は何はじめちゃったの?」


「・・・わかんないけど、とにかく運びましょ。ここで倒れっぱなしなんて凍死まっしぐらよ」


「うん。じゃボクは足の方持つよ」


「わかった」


 2人は屋根だけついた休憩スペースまでアルを運び、焚火を置く。アルは静かに眠っていた。呼吸は少ししてからすぐに始まったし掌は焦げているが他の外傷はなさそうだ。


「・・・あれって何してたのかな?」


「わかんないわ。起きたら聞くしかなさそうね」


「うん」


 そう言いながらアルの胸元にエーラが香料袋を置き、手を握ろうとして焦げているのが気になった。


「凛華、ちょっとボク手当できる植物に葉っぱもらってくるよ」


「わかったわ。こっちは任せてちょうだい」


 頷く凛華を置いてエーラはタタタッと武闘場の近くまで走っていく。以前双子を助けた時にも作っていた即興の手当薬の材料をもらいに行ったのだろう。


 凛華は少しの間ぼーっとしていたが、アルが硬そうな地面を枕にしていることに気づいて一瞬沈黙する。


 思考の末、身体が冷えないようにアルを引き寄せ、膝枕してあげた。こうしていると見舞いに行っていたときのことを思い出す。前は無茶をしすぎてああなった。今回は、何をしてこうなったのか?


 胸の奥のざわつきを感じながら、銀髪を梳いてやる。放っておくとどこかに突っ走ってしまう困った幼馴染の少年。こうして自分がこうして一緒にいれば心配もしなくて済むのに。


 そうこうしているうちにエーラが戻ってきた。凛華が膝枕しているのを見て一瞬何とも言えない羨ましそうな顔を向けているのに凛華は気づく。


 代わろうか?という視線を送る凛華にエーラは首を横に振り、眠っているアルのすぐ傍に座って掌を手当し始める。派手に焦げてはいるが、ひどいのは表面だけらしく軽傷のようだ。


 エーラは手当てしたアルの手をなんとなく両手で包んで軽く引き寄せ――そのまま動きを止めた。そのまま凛華とエーラは会話もなく焚火を見つめる。


 寒空の下、アルと炎の暖かさを感じる。どちらも口を開かず、静かな時間が流れていった。



***



 それから30分近く経った頃、アルが目を覚ました。すかさず何をしていたのか訊ねた凛華とエーラ。その答えは2人の頭を殴りつけるような衝撃を与えた。アルのしていた内容に愕然としたわけではない。


 今の自分たちには、こうやって前へ前へと進み続けるアルを待つしか選択肢がないという事実に気付いてしまったのだ。


 堪らなく嫌だという強い感情の波に襲われて口を開けない。開けばアルの足を引っ張るようなことを言うかもしれない。それも同じくらい嫌だった。



 アル本人は2人と話してどこかさっぱりして落ち着いてしまったようだが、凛華とエーラはそうではない。


 帰り路につき、里についても凛華とエーラはやることがあると言って帰らずアルを見送った。そしてどちらからともなく口を開く。


「エーラ。あたしたち腑抜けてたみたいね」


「奇遇だね。ボクもそう言おうと思ってたんだ」


「あたし今夜もっかい父さんに頼んでくるわ」


「あは、ボクもそのつもり。やっぱり・・・我慢できなくなっちゃったからね」


「そうね。我慢ならないもの」


 そう言ってやれやれと肩を竦めた。どうやらあの幼馴染に関して2人の想いはほとんど一緒らしい。


「じゃ、健闘祈ってるね」


「ええ、そっちもね」


 そう言うと2人はどちらからともなく解散した。



***



 その夜――――――


 イスルギ家の居間にて凛華と八重蔵は向かい合って座っていた。どちらも真剣な顔だ。水葵と紅椿もいるが黙っている。邪魔していい雰囲気ではなかった。


「里を出るなら覚悟と理由をきちんと示せっつったのがわかったみてえだな?」


 眼光をギロリと鋭くする父に凛華は小動こゆるぎもしない。以前ならここで迷いなどが出て目が泳いでいた。しかし今はもう違う。


「ええ、わかったわ。父さん、あたしアルと一緒に行くわ」


「何が待ってるかわからねえんだぞ?最近は聖国や共和国の情勢は不安定。あいつがどんな道を選ぶかもわからねえし、あいつ自身わからねえ」


 それはある種の脅しだ。ついていく相手が今のままではなくなるかもしれない。状況によっては悪い方に変わることだってある。


 それでも行くのか?と八重蔵は訊ねたのだ。


「それでも行くわ。あいつの通る道があたしの道よ」


「覚悟は、できてるんだな?」


 父の問う覚悟。仲間や自分の死、彼に起きてしまうかもしれない悲劇。そんな見たくも経験したくもないことを己の目で見る覚悟はできてるのか?


「できてる。でも父さんの言う覚悟とは違うわ」


「・・・・」


 決して楽観しているのではない。凛華はどんな状況になっても諦めるつもりがないのだ。アルがそうであるように、最後の最後まで足掻いてやると決めた。


 青い瞳が強い輝きを放つ。八重蔵はそこによく知る馬鹿弟子を連想した。



「あたしはずっとアルの隣にいるわ。あいつが曲がるんならあたしがぶん殴って直す。あいつが突っ走るんなら隣を一緒に走ってやるし、うずくまるんなら引っ張って立たせやるわ。置いてかせないし置いてってやらない。最後の最後まであたしはあいつの隣で、あたしの剣を振るうわ」



 それはなんとも凛華らしい表現だ。しかし八重蔵は正確に理解した。


 これは娘なりの熱烈な真情の吐露だ。当然あの止まるつもりがない馬鹿弟子への。


 そして宣言でもある。想い人に寄り添いつつ、さりとて己を委ねるようなことはしない、という意思の表明だった。


 八重蔵は思わずため息をつく。今までに見たことないほど真剣で強い娘の眼。


 お前は冰鬼人だったはずだろう。なんでそこまで熱いんだ。影響を受け過ぎだ、まったく―――。


 つらつらと流れる己が心情を一度止めて、八重蔵は重々しく口を開いた。


「わかった、良いだろう。許可する。里長殿への報告と魔術の勉強は頼んでおく。そんでもって明日からお前も本格的な対人戦の稽古だ。最低でもツェシュタール流大剣術、双剣術どっちも中伝取らなきゃ里からは出さねえからな」


 八重蔵がそう言った途端、


「いやったあぁ!!」


ガタンと椅子から飛び下りて小躍りする凛華。


「おい落ち着け。はぁ・・・こういうとこはまだまだ歳相応なんだがなぁ」


 再度溜息をつく八重蔵に水葵が声をかける。その声は何やら上機嫌だ。


「ふふっ、お疲れ様あなた」


「なんだ?妙に機嫌がいいな。正直不気味なん―――よせやめろ。娘が里出るっつってんのに、わかってんのか?」


「ええ、わかってますよ?寂しいけれど、それよりももう凛華がちゃんと女の子してるのが嬉しくて嬉しくて」


「皮肉か?武人化してんのは俺のせいじゃねえ。元々だからな?」


「馬鹿なこと言ってるとツマミ作ってあげませんよ?」


「・・・俺の負けでいい」


「よろしい。凛華~、たまにはお母さん手伝ってくれない?里を出るんなら簡単な料理くらいできた方がいいでしょう?」


「そういうもんかしら?」


「そうよ~?アルクスちゃんの好きなものとか作れた方がいいんじゃない?」


「むっ・・・う、わかったわ」


 扱いやすくて助かるという声が聞こえるようだと紅椿は母を見る。


 しかしまさか隣に住む少年にそこまで熱烈な思いを抱えているとは予想もつかなかった。大人になったものだなぁと妹の頭を撫でようとして、ベシッと払いのけられる。


 おかしい、成長しているはずでは?


「紅、邪魔しないでそこでヘタレってなさい。紫苑ちゃんから聞いたわよ。また逃げ出したんですってね」


「い、いやそれは・・・ってかなんで俺だけ・・・・」


 凛華はヘタレ兄貴をシラーっとした目で見るのであった。



 ☆★☆



 エーラが帰宅したとき、珍しいことに父母と姉を含めたローリエ家の全員が揃っていた。


「ただいま。お母さん、話があるんだけど」


 一直線に母へと向かう。今のエーラには1分1秒がもどかしい。その様子に常ならないものを感じた母シルファリスは夫ラファルと長姉シルフィリアを呼んで、食卓机についた。エーラはあえて対面に座る。


「お母さん、お父さん。ボクやっぱりアルについて行くよ」


 何の前置きもない、ただの宣言。しかし少し前のエーラの言葉とは持っている雰囲気が違う。


「エーラ、何もついていくことが―――」


 ラファルが何度となく口にした言葉で止めようとするが、


「あなた、ちょっとだけ待ってちょうだい」


 シルファリスが止めた。今回は違う。確信がある。


「ファリス・・・わかった。聞いてみよう」 


 エーラは堂々とまっすぐにこちらに視線を向けていた。


「エーラ?アルについていくっていうのがどういう意味か、わかってるわよね?それでも行くつもりなの?」


 それはつまり人間もたくさんいるところに行くということ。そしてアルは種族上トラブルに巻き込まれやすい。ついていくことでアルと同じ危険に見舞われると言っているのだ。だから無理してついていくことはないんじゃないか?と。


「うん、わかってる。でも行くよ。アルの隣でも前でも後ろでも、どこでもいいけどボクはアルのすぐそばにいたいから」


「離れて手紙を貰ったりするのじゃダメなの?」


 それでも想いは伝わるだろう?母の言葉に拒絶の意思は示さず、ゆっくりとエーラは首を振った。


「ダメだよ。アルはほっとくとすぐどこかに行っちゃうから、ボクはすぐ近くで見てなきゃ」


「見て、どうするの?」


 それは結局のところかの少年とどうありたいのか?という母の核心を突いた質問だ。



「アルが見てる景色を一緒に見る。景色が見れないくらい俯いてるときはボクが笑わせてあげて、景色が歪んで見えてるときはなんで違うのか一緒に悩んだり叱ったり叱られたりして・・・・そして好きな景色を見たときは一緒に笑うんだ。あとで聞いたりするんじゃなくて、ボクはアルと一緒に同じものを見たいんだ」



 それは、奇しくも凛華の言った言葉と同じ意味の言葉。エーラが気づいた自らの想いを森人の言葉で綴った言葉だった。


 それはどうやら母のお気に召すものだったらしい。娘を見るシルファリスはふわりと微笑んだ。


「そう。ようやく気づけたのね。ならいいわ。それがわかってるならお母さんから言うことは何もないわ。行ってきなさい」


「いよーしっ!」


 エーラがいつもの元気な娘に戻る。先程は少々大人びて見えたものだが、やはり急にそこまで成長はしないのだなぁと安堵したような、残念なような気持ちになる母。


 慌てたのはラファルだ。あっさりと許可を出した妻に驚き、


「ま、待ちなさい。ファリス?さすがに危ないだろう?」


 と言ってきた。娘思いの父親だが少々過保護だ。それでは娘は羽ばたけない。


「無理よ、あなた。止められないわ」


「なっ、ど、どうしてだい?」


「あなたについて行った私もエーラと似たようなことを思って、共に出てきたんだもの」


「あ・・・・・いや、しかしだね」


「あら?私とあなたでは見えてる景色が違うようね?それなら悩んでくれるかしら?それとも叱ってくれる?私が叱っても良いわね」


「っ!?けどファリス」


「エーラはもう止まらないわ。誰かさんの影響を強く受けちゃったみたいね。もう止まらないなら娘にああだこうだ反対して回るより、為になることを教え込む方が良いんじゃないかって母としては思うのよ。父としてはどう?」


「あ、う・・・・あー・・・ふぅ、君には勝てないなぁ。わかった、お父さんからも許可を出そう。その代わりきちんと森人として実力をつけなければ許可は取り消すからね?」


「うん!ありがとうお父さん!」


 嬉しそうにニコニコと笑う娘にラファルは微妙な気持ちになる。


 どこの馬の骨とも―――いや、仲の良い友人の息子だが、それでも可愛い娘が想い人と共に歩むための準備をさせるというのはそこそこ――――いや、かなり不満というかやるせないというかそんな気分だ。


 あっさりしていた八重蔵の方がおかしいのだが、そこはアルの剣の師。読み切れているのだろう。


 蚊帳の外のシルフィリアは放心していた。


「エ、エーラに先越された?」


「あなたが遅すぎるのよ?お母さんはお父さんにちゃんと見つけてもらえたけれど、そんなにタラタラしてる子を誰が見つけてくれるのかしら?」


 暗に早く癒院のとこの息子ゼフィーとくっつけよ、じれったいと言ってくる母に猛抗議するシルフィリア。


「お母さんは一目惚れされただけじゃん!ずるい~!」


「まぁ、確かにお母さんに一目惚れはしたけれどなぁ。ズルくはないんじゃないか?」


 一旦納得しましたという面持ちのラファルにシルファリスが意外そうな顔を向ける。


「あら?あなた、もしかして気付いてなかったの?」


「うん?どういうことだい?」


「先に惚れてたのは私の方だったのよ?じゃなかったら話しかけられただけで照れたりしてないわ。女はそんなに甘い生き物じゃないわよ?」


「ええっ!?そ、そうだったのか・・・その、なんだ。今更ながら照れるな」


「ふふふっ」


「もーーー!みんなばっかりずるいーー!」


 甘酸っぱい雰囲気を醸し出して笑い合う夫婦とやる気が漲り、元気いっぱいな様子の妹、残されたタラタラしていると罵倒された姉は叫ぶように嘆いたのだった。



 ***



 その翌日―――――アルの自宅前。


 凛華とエーラは『自分たちも里を出る許可がとれた、これからマルクと同じく魔術の授業をヴィオレッタから受けるから、わからないところがあったら教えてくれ』と言いに来ていた。


「うん、それは全然いいんだけどさ・・・・もうちょっと、寝かせてくれない?早すぎるよ・・・・」


 母トリシャが朝番でアルの頬に軽く口づけして出て行ったのが朝の4時過ぎ。その1時間後に2人は来た。やる気があるのは大変よろしい。最近前ほど元気いっぱいでなかった2人をひそかに心配していたアルだ。そこは素直にホッとする。


 ―――――でももうちょっと落ち着いてても良かったかも。


 眠気眼をこすりながらアルはそう思い直すのであった。

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