30話 思わぬ邂逅 (虹耀暦1285年2月:アルクス12歳)

 隠れ里のこの時期はまだまだ肌寒い。ラービュラント大森林、隠れ里の北方は鉱人族たちの縄張りであった鉱山がある。つまり山だ。そこから吹き降ろされる風が山の涼気を多分に含んでいるため冷たく、隠れ里は雪こそ深く積もらないものの比較的気温が低い時期が長いのだ。


 それでも春は間違いなく訪れようとしていた。その証明として朝霜をかぶった早咲きの草木たちにちんまりとした若芽が芽吹きだしている。残念ながらここ数日は寒さも少しぶり返して雪がチラホラ見られたが。




 ヴィオレッタの研究室。里長としての自宅も兼ねたその場所で家主はアルクスに講義を行っていた。アルが里を出る予定だということで授業計画がかなりズレ込んでいる。


 今までは魔導師の思考方法を基盤においた教え方―――つまり、深い知識と様々な観点を以て術式をことに主眼を置いていた。しかしそれでは試験には間に合わないだろうと、ヴィオレッタがある程度の術式を覚えさせていくことにしたのだ。理論はバッチリでも一般的な魔術はある程度詰め込んでおかなければ。


 幸いアルには『釈葉しゃくようの魔眼』がある。鍵語けんごを読める眼なら術式をズラズラ見せていくだけでも一定以上の成果はある筈だ。


「これが定型術式の代表格、『火炎槍かえんそう』じゃ。大人の頭ほどの大きさの炎槍を放つ術じゃな。着弾地点に軽い爆発・炎上効果を及ぼし飛距離は50~80mメトロンほど。


 帝国や王国で主流の術式じゃな。ここの第1術式に変化を加えることで様々な術式に変更できる。拡張性の高さと魔力の消費効率に優れた優秀な術式じゃ。ついでに言うと昔教えた『風切刃』も定型術式の一つじゃ。あちらは構成速度と効率性においては『火炎槍』を上回る」


 ヴィオレッタはふわりと中空に術式を描く。五指に纏わせた魔術鍵語が等間隔に掌に集まりクルクルと回転し始めた。


「師匠が使う術式よりなんだか、みっちり?してますね」


「そこが定型術式と呼ばれる所以じゃよ。威力、射程、規模、魔力消費量、そういったものを厳密に定めておるのが定型術式じゃ。集団で扱う場合に細かい指示が要らぬという明確な利点がある」


「集団で?あ、ってことは」


「うむ。気づいたようじゃの。定型術式は集団――――というか軍隊で用いる為に生み出されたものじゃ。儂の使う術式は儂単体での運用と臨時で追加術式を加えるためのを意図的に増やしておるのじゃ。柔軟性、即応性を重視しておるからの。


 どちらかと言えば汝の創った術式もそうじゃ。まあ儂の弟子じゃから当然ではあるがの」


「『鎌鼬』も『炎気刃』も確かにそんな感じかも?」


「まぁ、『炎気刃』に汎用術名を付けるとしたら『気刃の術』じゃがの。儂が使えば『霊気刃りょうきじん』か『闇気あんき刃』になる。まさか少しもいじらずに使えるとは思わんかったぞ?」


 ヴィオレッタが褒めるとアルはてへへと照れた。この術式を編み出しただけでも魔導師と呼んでも問題ないレベルだ。


「魔術ってどこか遠回りというか、属性魔力をぶっ放せばいいじゃんって思ってた俺が浅はかでした」


 アルがそう言うと師は渋い顔を見せる。


「じゃから魔術の発明は魔族なのに、発展は人間によるものと言われておるのじゃよ」


「あー・・・・」


 納得、という顔をアルは浮かべた。己と同じ考えの人は相当数いたらしい。


「話を戻すが、この『火炎槍』は人間が同規模の火属性魔力を出すよりも魔力効率が良い。ただし、威力に関しては魔力に長けた者が自由に扱う属性魔力の方が高くなりやすいがの。それでも着弾地点に爆発と衝撃を残せるという点は便利じゃ」


「帝国と王国ではこんな感じなんですよね?じゃあ聖国とか共和国の術式はどうなってるんです?」


「聖国の者どもが扱う術式はもっと簡素じゃ。こんな感じじゃな」


 そう言ったヴィオレッタが中空に術式を描いた。アルは『釈葉の魔眼』で視て目を点にする。「炎、飛ぶ」と空中に描かれているだけだったからだ。


 鍵語や術式同士を繋ぐ繋号けいごうすらない。いくら何でもシンプル過ぎた。


「あやつらは信奉する女神に誓願して魔術を使うのじゃ。実際は想像力を働かせておるだけじゃがの」


「でもそんなしょぼい術式でどうやって共和国に攻め入ったんです?こんな術式使うだけなら勝てそうですけど」


「聖国がどうして大国と呼ばれておる理由を覚えておるか?」


「え?えーと、たしか魔晶石が多く採れたから?」


「その通り。聖国は魔晶石の最大産出国じゃ。連中は個人級の魔術は補助にしか使わずその潤沢な魔晶石を利用した武器を使うのじゃ」


「魔晶石を使った武器・・・・・納得しました」


 嫌な想像ができてしまった。アルは眉を顰める。さっさと話を変えてしまうかとヴィオレッタは口を開いた。


「共和国は三国に挟まれておるから使う術式は地方による。そういえばアルは家にある魔道具を見ても失明せんで済むようになったそうじゃな?」


「はい、そうみたいです。たぶん少しずつ視ていったからだと思います。あとは刻印術式だったおかげです」


 アルの視た魔道具は「白夜の提燈」という夜間でも明るい光を発するというだけのLED懐中電灯のようなモノだ。以前は視て2時間ほどは失明していた。少しずつ刻まれた刻印を視て、今では一息に視ても問題なくなっている。


「術式を形として残しておく、というのが最大のウリじゃからのう。どんなに複雑な術式でも正しく刻んでおけば一から描く必要がないというのは明確な利点じゃ。今度魔導具の類を集めて少しずつ『釈葉の魔眼』を使っても良いかもしれぬな」


「・・・・・」


 アルは思わず沈黙した。


 ―――――どんなに複雑でも刻んでおけばいちいち描く必要はない?


「あっ!」


「なんじゃ?どうかしたのか?」


「あ、いや何でもないです」


 アルは即座に言葉を濁す。結局その日の講義はグルグルと頭を巡らせながら過ごした。ヴィオレッタは弟子が何か思い付いたらしいことには気づいたがあえて口に問うことはしなかった。自主性を重んじているからだ。



 ***



 翌日、アルは武闘場のど真ん中に座り込んでいた。まだ出来立てほやほやの武闘場には人が少ない。火事防止のため植物のいない固められた地面冷たいが今は気にならなかった。


 昨日思い付いたことを実行に移すことで頭がいっぱいだからだ。


 その思い付きというのが、龍人の本能を身体に抑え込む、というもの。


 『炎気刃』もとい『気刃の術』は暴走してしまった龍気を外に逃がすという考えで創ったが今回は違う。そもそも暴走を術式が必要だ。


「さてやろう。まずは・・・『沈静化』?あ、でも待てよ。暴走してないときに『沈静化』はやばいかな。下手したら寝っぱなしで起きられなくなる可能性もあるし。じゃあ、えーと――――」


 『釈葉の魔眼』を開いて、あーでもないこーでもないとぶつぶつ呟きながら、中空に描いた術式を創っては消し創っては消す。



 3時間ほどかけてようやく一旦の完成をみた新術式。アルは筆と導墨液をサッと取り出す。


 導墨液とは人体用に調整された術式を描くためのインクだ。魔道具には魔銀鉱石を溶かしたものなど魔力の伝導率が高いものを使用するが、当然ながらどろどろの高熱状態で施していく。


 人体にそんなもの使えるわけないし、アルにも溶けた金属を自分の身体に垂らすような趣味はなかった。


 創った術式を見つつ時々消えないように描き直しながら、ぷるぷる筆を振るわせ、左腕になんとか書き切る。意味消失している術式はなさそうだ。


「よおしっ!」


 早速とばかりに立ち上がったアルは、術式を起動しようとして――はたと動きを止めた。


「解除術式忘れてた・・・・」


 一度起動したらしっぱなし、魔力がなくなるまで吸い続ける。独自術式あるあるだ。


「面倒だけど・・・どっかに解除術式創って書いとくかぁ」


 最初だから簡単な術式にしたし。アルは30分も掛からず対になる術式を創り、手に甲に書いておく。


「ふぅ、今度こそ・・・・・・ん?あれ?ん~・・・?これ、上手くいってるかどうやって確かめるんだろ?」


 術式を起動したは良いものの、何の変化も感じない。当たり前のことだが暴走する状況でも暴走しなかったという結果がなければ成功ではないのだ。


「意図的に暴走してみる?・・・・でも危ないよなぁ・・・」


 しかしながら諦めきれない。いい案ではあるのだ、絶対。武器もいらないし、常に龍人の本能を抑え込んでくれる。



 アルは意を決したように顔を上げ、きょろきょろと周りを見渡した。丁度誰もいない。


 ―――――やってやろう。


 ここで日和るようでは一生里から出られない。頬をパンパン叩く。きっと暴走するなら龍気を使う必要があるだろう。


「すぅ~・・・・・・・」


 深く息を吸って、片足に流れているくらいの魔力を龍気に変えようとして――――またして動きを止めた。


「新術がうまくいってなかったときのこと考えてなかった・・・・・・・うーん。あーもう、面倒だなあ。あれだ。雷撃でいいや、前世のスタンガン。あんな感じの術式を書いとこ。威力は上げとこ」


 早く試したい一心でアルは即席の強力な電撃術式を左掌に書く。


「いよし!やるぞ!」


 グッと歯を食い縛り、いつでも術式に触れられるよう右手は左腕に添えた。足一本分――――アルにとっては少量の魔力を龍気へ変換した。


「ぐッ!?」


 途端に身体がガクッと崩れる。


 ―――ビキッ―――。


 勝手に龍眼が発動し、真紅の瞳が割れた。


「ぐッ、ぐぐッ、ぎぎ、ががアアッ・・・・!」


 膝をつき強烈な闘争本能に抗う。左腕の刻印術式に触れ魔力を流し直してみたが魔術そのものが発動する気配はある。しかし戻らない。目指したのはこの状態すら抑え込む術。


 ―――――失敗だ。


 戻ろうとするが戻れないことはよく知っている。甘えを絶つつもりで武器も持ってきていない。


「ガアアッ―――――ギいッ!?」


 牙が太くなる感覚を感じ、残っている理性を総動員して左掌に触れ、書いておいた雷撃術式を作動させた。雑に書いたせいで予想以上に強力な電撃が身体を奔り回り、身体がビクンと跳ねて硬直する。


「だ、だめか・・・・」


 ドサリと倒れたアルの視界は滲むように暗くなっていった。



***



 パチパチと火の粉が上がる音でアルは目が覚めた。武闘場の休憩スペース、焚き火が目前に見える。


「あれ?」


「あれ?じゃねーよ、馬鹿野郎」


「マルク?」


 そこには幼馴染の人狼族の少年、マルクガルムが座っていた。適当に拾ってきた小枝をマルクは焚火にぽいっと投げ込む。


「なにしてんの?どしたの?」


 寝ぼけるアルをマルクは軽く睨みつけた。


「何してんだもどうしたも全部こっちの台詞だ。龍気を感じて急いで来てみりゃ、腕に変な模様付けたお前が焦げた臭いさせてぶっ倒れてたんだよ」


「模様?あっ」


 そこでアルは直前の記憶を思い出す。そうだった。


 ―――――うまくいかなかったんだ。


「失敗かあ。ちっとも効かなかったなこれ」


 腕をごしごししながら呟くアルに、マルクが軽い怒りを込めて問い詰める。


「何やってたんだよ?ちゃんと説明しろ」


「ん?ああ。暴走を起こさない術式を組もうと思ってさ。一応形になったから龍気を発動させて試してみたんだよ。効かなかったから仕込んでた雷撃で気絶して止めたんだ。うぇ、ちょっと気持ち悪いや」


 アルの説明にマルクは大きく溜息をつく。


「お前なぁ・・・そういうのは誰かに見てもらいながらやれよ。俺は空いてたのに頼まれてねえぞ」


「頭のなかそれでいっぱいですっかり忘れてた。んー・・・根本の思想から変えるべきかなぁ」


『釈葉の魔眼』を発動させ、手をクルクル回すアル。それに合わせて鍵語が光って舞う。


「今もいっぱいじゃねえか、そんな危ねえことしてたのか」


「安全策はかけといたし大丈夫だよ。それにあんまり待たせるのも悪いしね」


 マルクが自分と共に里を出ることは聞いていた。


「まだ魔術の授業も受けてねえし、父ちゃんにもまだ外に出られるほどじゃないって言われてる。あんま焦んなって」


「そうだけどさ。こっちは目途すら・・・・あ~、やっぱ龍気を封じる方向性でいくかなぁ」


「はぁ、だめだこりゃ」


 以前躍起になって『気刃の術』の術式を創っていた時のアルも今のような感じをしていた。


「何でもいいけど俺が空いてたら声かけろよ?誰か連れていけよ?もうすぐ春だけどまだまだ寒いんだからあんなとこで倒れてたら凍死するぞ」


 溜息交じりにマルクは注意する。たぶんロクに覚えてないんだろうなあと思いながら。


「んー・・・りょーかーい」


 意識が完全に術式へ向いてしまったアルに再度溜息をつくマルクであった。



 ***



 3日後―――。


 案の定というか、やっぱりアルは一人で武闘場にいた。一応マルクは軽く探したがいなかったのだ。


 凛華やシルフィエーラに頼もうかと思ったが、心配性の2人を連れて行けば止めさせられるかもしれないと考えて一人で行くことにした。


「うーし、今日こそは」


 そう言いながらいそいそ準備を開始するアル。今のところ全敗である。


 早い段階で気づいて止めたのが2回。いけるかと粘ったが結局ダメで気絶したのが5回。ちなみに一日だけ太刀を持って行ったがすぐに『炎気刃』に甘えたため持っていかないと心に決めた。


 武器は寄り掛かるものじゃない。己の意思で振るうものだ。八重蔵にそう教え込まれているしアル自身もそう思う。


 腕に試行錯誤して創った術式を書き、掌に雷撃の刻印術式も書いた。手足を振って心の準備を済ませる。


「ふっ!」


 一気に魔力を燃焼させ龍気へと変換した。燃焼させた魔力量は以前と変わらず少量だ。


「ふうっ、ぐッ、ううウッ」


 それでも龍眼は割れる。


 ―――ビキッ―――。


 真紅の虹彩に墨のような闇が混じり始め、爪が異様に尖って伸び始めた。この感覚にも慣れたが、以前よりもっと”成り”易くなっている気がする。


 暴走状態になるまでも早くなっていると見ていい。胸中の奥から湧いてくる焦燥感を何とかこらえつつアルは術式に魔力を送り込んだ。


 術式そのものはきちんと起動する。しかし効果は表れない。


 ―――やっぱりダメだ!


 アルは慌てて左掌に魔力を送った。


 バチイッ―――!


 雷撃がアルの身体を焼く。筋肉が硬直したままアルはドッと倒れ込んだ。


 ―――くそぅ。どうしたらいい?


 崩れ落ちたアルの視界の端に何かが見えた気がした。



 ◇◆◇



 視線を上げたアルの視界には白い空間が広がっている。ここはどこだ?武闘場にいたはずだ。わけがわからない。そこに声が響いてくる。


「よお、お目覚めかい?」


「こ、こは」


「さあ?俺にもよーわからん」


「あなたは・・・・」


「おいおい。他人行儀はやめようや、兄弟」


 その言葉でアルの意識がハッキリした。ボヤけにボヤけていたピントが急に合ったような感覚。


 ―――ここは、知ってる。


 そこはワンルームマンションの一室だった。前世の自分が住んでいた部屋。仕事に使うスーツやジャケットだけはクリーニングから返って来た状態でハンガーにかけてあるが、部屋着や下着はそこらへんのカゴにぶち込んである。


 玄関の方にはフルフェイスのが見えた。


 自分はその部屋のベッドで眠っていたようだ。妙な気分でベッドを降りたところで、声をかけてきた男の顔を見た。


 ―――やっぱり、妙な気分だ。


「おはよーさん、兄弟」


 20代後半の男。適当に短くしたような黒髪。少し眠たげな目。


「長月・・・?」


「って苗字かよ。ま、いいや。ぶっちゃけ余裕ぶってるが俺にも何が何だかわかんねえんだ。とりま座んなよ」


 アルは一応客用として買ってあった座椅子にポスっと座る。前世の自分――長月はソファでだらんと横になっていた。


「ここは?」


「さあ?目が覚めたと思ったらここにいて、お前の今までの生活がテレビで流れてた。暇だったから眺めてた」


 ぼやく長月。


「やっぱ、妙な気分だ」


「そら俺もさ。まさか顔合わせるなんてよ」


「やっぱり、長月なのか」


 要らぬ確認ではある。わかっていても聞き直してしまう。


「まーなー」


「何があったんだろ?」


「知らねえよ。でもあれじゃねえかとは思ってる」


「あれ?ってなに?」


「お前が四日連続で全身電気治療なんざやったせいで、偶然お前の

である俺が意識体だけ蘇っちまったんじゃねえかって」


 アルは長月の言葉に不覚にもありそうと思ってしまった。


「あー・・・申し訳ない?」


「謝られても困るわ」


「あ、てか俺は?現実では」


 ここが幻覚なのはもう理解している。深層心理の中にいた自分との邂逅なのか、はたまた魂レベルでそんな世界にいるのか、もしくは幻覚なのかは知らないが。現実が気になった。


「寝てんじゃねえの?俺が見たのは全部お前の目ぇ通して見た世界だけだぜ?寝てるお前がどうのとか知るわけねーじゃんよ」


 しーらねっとでも言うような軽い口調。なんとなく不安が頭をよぎった。


「これってもしかして後で前世の自分と入れ替わったり、俺が消えるとか――」


 そうだったらめちゃくちゃ嫌だなあと顔を顰めるアル。しかし意外なことに長月も顔を顰めた。


「こえーよ。ホラーなフラグ立ててんじゃねえ。冗談じゃねえぞ。誰があんなでけえ化物と戦う世界で暮らせるか。バイクもゲームもパソコンもねえし親も友達もいねえし」


「ないのが当たり前じゃん。バイクは・・・わかんないよ?」


「だとしても嫌だね。俺という人間はお前の世界では存在しねえし、俺の世界でも死人なんだよ。死人が出しゃばっていいことあると思うか?フィクションですら大抵悪い方に行くだろ。『ペット・セメタリー』って映画知らねえのかよ。


 大体お前の母ちゃん見たって母ちゃんだと思えねえんだぜ?お前が思い出した時と同じだよ」


 互いの記憶を見ているだけあって長月の言わんとすることはわかった。どうやら本心のようだということも直感する。


「俺が起きたらこれどうなるの?」


「知らん。起きたらわかんだろ」


 この辺の雑さは魂に根付いているものなのかもしれない。


「まぁわかったよ、じゃあ戻ってみる。どうやるかはわかんないけど」


「おう、じゃーな。っと待て兄弟。常に話せるかどうかは知らねえけどよ、一個だけ言っとくぜ」


「ん?うん」


「俺はお前の親父を否定する気なんぞサラサラねえ。けどあえて経験者として言わせてもらう。


 今後お前がどんな人生送るかは知らねえが、自己犠牲なんぞやめとけ。死んでも後悔するぜ。自分を犠牲にするくらいなら最初はなっから常にベストを狙っとけ。わかったな?」


 真剣な目だった。アルとはまったく似ていない風貌。だがどこか鏡越しに言われたような気分になる。


 ―――自分アルクスが見ていない記憶がある?


 訝しむが、少なくとも長月は誰のためでもなく自分の為に忠告してくれている。そこだけは間違いないことはわかった。


「事情は知らないけど、わかった。俺も死にたくなんてないし」


「それでいい。じゃ、早く帰んな兄弟」


「じゃあね」


 そう言い残してアルはじっと起きることに意識を集中する。


 すると身体が浮上し、吸い込まれるように部屋の天井からスポンっと飛び出して真白な空を昇っていく。アルはそのままスーッと上昇していき――――――。



 ◇◆◇



 目を覚ました。


「あっアル!」


「良かった!気が付いたのね」


 今まで本当に別のどこかにいたらしい。様々な気配がワッとアルの感覚を刺激していく。視線を上げると凛華とシルフィエーラの2人がいた。


 マルクがやっていたように火を焚いている。しかし何かおかしい。んん?と首をかしげて気づいた。


 体勢が変だ。凛華の顎と胸が正面に見えている。膝枕をされているようだ。おまけに胸元に何かの袋が置かれていた。


 ―――死んだと思われてお供えでもされてた?


 訝しむアルの鼻が袋の匂いを嗅ぎ取る。


「この匂いってこないだの・・・?」


「うん、そうだよ。こないだボクがアルの為に集まってもらった植物たちの匂い。香料袋を作ったからアルに持っててもらおうと思って。ほら、暴走すると落ち着かなそうな雰囲気だったし」


「そっか、ありがと。確かに落ち着くかも」


 香料袋を軽く嗅ぐ。おそらくリラクゼーション系のアロマ的なやつだろう。ふわふわした知識は前世の自分――――長月の知識がいい加減だったからだ。


 どちらかと言えば機械油やガソリンの匂いに落ち着いていた長月の記憶を放り出し、アルは微笑む。


「凛華の匂いも混じってるけど、それはそれで落ち着くね―――――あたっ」


 あははと笑うアルに凛華が恥ずかしそうにペシっと叩いた。


「アルここ最近手焦がしてたけど、何やってたのよ?ていうかあたし臭くないわよね?」


「そうだよ。何やってたの?ボクらが知らない間にまた何か危ないことしてる?」


「臭いって意味の匂いじゃないし危なくも・・・ないよ?ちょっと色々ね」


 さらっと言いかけていかんいかんと口を閉ざす。この2人はアルが暴走するようになってからやたらと心配性だ。


 しかし凛華の手は逃がさんというようにアルの顎をがしっと掴んだ。エーラはアルの額を押さつける。これでは起き上がることすらできない。


「「白状しなさい」」


 ハモった2人にアルは抵抗しかけたが手荒な真似をするつもりがない以上負けだ。


 ―――――あとで母さんと師匠にも言っとかなきゃ叱られそうだなぁ。


 一息ついてアルは暴走を抑制する刻印術式を創っていたことをぺらぺら白状した。



 黙って聞いていた凛華とエーラは、またぞろ突拍子もなく危ない真似を始めたアルに視線を尖らせる。


 それだけ今の不安定な身体が気に食わないし、危険と判断してどうにか抑えようと行動に起こしているのだろうが、もう少し穏便なやり方はないのか。


 不安とも心配とも怒りとも呆れともつかない2人の顔を見てアルは香料袋をすうっと吸い込む。


 香料袋と2人の甘いような爽やかなような匂いでなんとなく変な気持ちになりそうだったが、同時に落ち着きもして、ここ最近の自分を俯瞰できた。


「もう少し気をつけるよ」 


 少しばかり焦り過ぎていたのかもしれない。結局その日は3人で以前のような他愛のない話に興じて過ごしたが、ここ数日アルの中にあった激しい焦燥感のようなものは消え失せていた。

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