32話 パラダイムシフトと八針封刻紋 (虹耀暦1285年4月:アルクス13歳)

 ラービュラント大森林にも本格的な春がやってきた。めっきり雪も見なくなり、今は山手の方に白いものが見える程度だ。薄手の防寒着はまだまだ必要とは言え、気温も徐々に上がり始め、里内の家々では布団や上着から綿を抜く作業が散見されつつある。



 4月を迎え誰よりも早く誕生日を迎えたアルクスとその幼馴染たちである3名は今里長であるヴィオレッタの研究室にいた。


「アルってあの時こんな複雑なことやってたの?よく刃鱗土竜を落とし穴に嵌めるなんて考えたね」


「そーね。急いでるのは見てたけどあんな速度でいっぱい描けないわよ」


「あんときは魔眼もなかったよな」


 小麦色の頬をぷうっと膨らませながら鍵語表を眺めるシルフィエーラと白い眉間に皺を寄せてぐにぐに揉みほぐす凛華、ワインレッドの髪を軽く掻きむしっているマルクガルムの3人は机に向かってうんうんと唸っている。術式の仕組みの難解さと鍵語の数に早くも音を上げていた。


 かつてアルが高位魔獣を落とし罠に嵌めるため、幾重にも術式を重ねたというのは知っている。しかしそれが相当の荒業だったというのに気づいたのは今頃になってからだった。


 3人の感想を誉め言葉として受け取ったアルは口を開こうとして―――ふふんと胸を張る。何年選手だと思っているのだとでも言わん態度だ。喋らないのは声が出ないからである。


 どうやら変声期に突入してしまったらしく、数日前急に声が出なくなった。喋ろうとしても掠れた息が漏れるだけでちっとも音にならない。ヴィオレッタによればあと1日2日もすれば声自体は出るようになるだろうとのことだし、何より前世の自分もそうだったため特に焦りもない。


 声が出なくなったり、話している途中で急にトーンが外れたりなど男なら誰もが通る道だ。面倒なのはそこから声帯が安定するまで。そちらはそこそこ時間がかかる。


「くふふっ、まぁなれらが本格的に魔術を学び始めたのはひと月ほど前からじゃがアルは五歳からじゃ。同じようにいかぬのは道理じゃろうて。むしろ儂は汝らが魔力というものの扱いや考え方を正しく認識しておることの方に驚いたぞ?」


「俺たちはアルに色々教えてもらえたから。いきなりヴィオ先生の授業受けてたらチンプンカンプンになってたと思います」


「”属性変化”はアルに教えてもらったしね」


「”特質変化”もねー。”魔法”があるからそこまで使ってないけど一時期面白くてそればっかりで遊んでたもん」


「そうかそうか。遊びながら覚えるのが一番覚えやすいものじゃ。何事も楽しんで行うことほど記憶に残ることはないからのう。儂も教えやすくて助かるぞ」


 ヴィオレッタの言葉に愛弟子がまた胸を逸らした。ヴィオレッタにはそれが微笑ましくて、くすくす笑う。


「今日は簡単な術式でも教えるとしよう。ふむ、『念動術』にしようかのう」


「あ、それってアルが慰霊碑を土竜の頭に落とした術」


「お墓からとってきたやつね」


「回転させて土竜の頭にぶっこんだやつか」


 その覚え方は非常に不本意だ。アルの顔にはありありとそう書いてあった。ちなみに2か月ほど前、一応形ばかりのお叱りは受けている。


「くふふっ。そう、その術じゃ。簡素ながら完成度の高いものでのう」


 ヴィオレッタは笑いを隠しもせず術式を見せようとして、動きを止めた。


「そうじゃな、あの重い慰霊碑も持ち上げられたアルに手本を見せてもらうとしようかの」


 茶目っ気のある師匠の言葉にアルはジト目を向ける。楽しんでるなと確信した。要らぬ枕詞がつけられている。


 不承不承デモンストレーションの指示に首を縦に振り、


 ―――――どうせなら別の覚え方をしてもらおう。


 と考え、アルは十指に鍵語の光を纏わせて、幼馴染たちに向けて両腕をひゅっと振り下ろした。3人は興味深げに観察している。


「おっ?くふふ、なるほどのう」


 師匠の声を背に受けながら、下に降ろしていた両掌を上へ向けた。次いでニヤリとしながら見えない何かを持ち上げるようにぐぐっと腕を上げる。反応は劇的だった。


「うおっ!?ちょ、アル!」


「わっ!飛んでる!!」


「椅子にかけたのね!?もうっ、すぐそういうことする!」


 3人は座っていた椅子ごと浮いていた。もちろん屋内なので怪我をするような高度ではないが、急にふわふわと浮かべば誰だって驚くものだ。


 咄嗟に肘掛けを掴む3人にうまくいったとアルは笑う。ヴィオレッタは『時明しの魔眼』を発動させずとも予想できたのでクスクス笑っていた。軽いものなら両手でかける必要などない。


「これこれアルよ。その辺にしておくのじゃ。イタズラは成功したじゃろう?」


 満足そうに頷いたアルがゆっくりと3人を下ろす。途端に騒ぎ出す3人。


「もうアル?喋れないからってイタズラしすぎよ?」


「ここぞとばかりに発散しやがって。焦ったぞこのやろー」


「アル今のもっかい!おもしろかったぁ!」


 一人だけ楽しんでたようだが概ね成功だ。乗せるものをしっかりしたものにすれば子供たちにしても面白いかもしれない。するとヴィオレッタが釘を刺した。


「アルよ、子供たちにするときは大人とは言わんまでも他の者は連れてゆくんじゃぞ?」


「!?」


「いやわかるじゃろう。汝をもっと幼い頃から見ておるのじゃぞ?」


 なぜわかったのだ、という顔のアルにわからないわけないだろうと困ったように笑うヴィオレッタ。



 こうしてヴィオレッタの弟子と生徒たちへの授業は続いていく。


 アルに教えていたより緩く、表面的になるのはその目的が魔導学校への入学試験を通らせることであるためだ。一流の魔導師を目指しているアルとは講義の内容に違いが出るのは当然である。むしろ3人の意欲がヴィオレッタの予想を遥かに超えていて驚いたものだ。


 勉強を嫌がるかと思えば「大変だ大変だ」と言いながらちっとも投げ出さない。積極的に学ぼうとする姿勢を見せ続けているし、疑問があればヴィオレッタやアルにすぐさま問う。


 知見を与えれば日常生活や遊びの中で起こったことと連動させてグングン吸収していく。この3人にも早くから教えていれば良かったと少々後悔するヴィオレッタであった。


 後にそのことをアルに溢すと「師匠が暇なときに寺子屋でも開いてみたらいいんじゃないですか?興味のある子がいるかもしれませんよ」との返事が返ってきた。


 この会話を覚えていたヴィオレッタが読み書きや魔術のほんの一端を幼い子供たちに教える寺子屋もどきを開いたのは、アルたちが旅立って数年後のことになる。



 ◇◆◇



 アルは座っていた。視界に広がるのは前世の自分が住んでいたワンルームマンションの一室だ。


「よっ、やっぱお前が目を覚ましてるときはこっちの声は聞こえねーらしいな。一応声かけたりしてみたんだけどよ」


 ソファにだらしなく座るというより埋もれている前世の自分――長月が喋り掛けてくる。


「みたいだね。ていうかなんでまたここにいるんだっけ?」


「そりゃまた失敗したからだろうが。電撃を流してるせいで直前の記憶が薄いのか?」


「あ。そうだった。もぉぉ・・・まーた失敗かぁ。やんなっちゃうなぁ」


 龍人の血を抑え込んでおくための新術式開発は難航していた。ちっともうまくいかない。起動しても効果がとことん薄い。


 結局自分で自分に雷撃を叩き込んで気絶する日々。それでも進歩したと言える点は、術式を能動型アクティブではなく恒常型パッシブにしておくために魔力消費を抑え、かつ流し続ける必要があるということに気づけた点だ。


 理想は生成魔力の余剰で済むくらい。アルの魔力自体はかなり多い方だし操魔核を鍛える訓練は続けている。問題はないはずだった。術式がうまくいかないこと以外は。


「ん~・・・俺に魔術がどうだのはわかんねえけどよ。そろそろパラダイムシフトが必要なんじゃねえの?毎週半分くらいは健康に悪い寝方してるぜ、兄弟」


「ぱらだいむしふと?」


「そっ。まず、一つの術式で云々ってのが土台無理な話なんじゃねえか?」


「どういうこと?」


 正直万策尽きていた。藁にも縋る気持ちだ。


「難解で複雑にした単体の術式じゃなくてよ。こう・・・なんてーの?段階を踏んでさ。兄弟のそれって龍人の本能由来なんだろ?だから、段階的にその本能――龍人の封印しちまえばいいんじゃねえの?もちろんお前の任意でいつでも封印を開けられるようにしといてさ」


「・・・・・」


「あー・・・やっぱ無理か?悪い、無責任過ぎたか。って、まあ龍人の血を封印って母ちゃん否定してるみたいで嫌だよな。すまねえ、考えが浅かったわ」


「・・・・」


 案外素直に頭を下げる長月だがアルは聞いていない。


 そうだ。ピンポイントで暴走を防ぐなんて難し過ぎる。何より曖昧だ。それなら問題の根っこを一度封じて、あとは己が少しずつ向き合っていけばいいのではないか?


 そもそもの目標は暴走をしない状態を作り上げること。今までの狙いが高すぎた。


「おい・・・兄弟?」


「その考えでやってみる」


「マジかよ?テキトーこいただけだぞ?」


「どっちにしてもこれを解決しなきゃ里も出られないし。先生からも言われてるんだ。そんなんじゃ長丁場になったらアッサリ死ぬぞって」


 先生とは八重蔵のことだ。アルの使う『炎気刃』―――『気刃の術』の最大の弱点は燃費の悪さ。


 アルをしてグングン目減りしていく魔力は、著しく体力と魔力を奪っていく。加えて己の意思で使っているわけでもない。勝手に湧き出る龍気の暴走に宛がうため、あくまで対処療法的に使わざるを得ない状況だ。


 つまるところ、魔力が勝手に浪費されていく状態で、それを抑えるため更に燃費の悪い術を使っていることに他ならない。


 いくらアルの魔力が多い方だと言っても魔力枯渇オーバーヒートまでほとんど猶予がないのだ。少なくとも刃鱗土竜とやり合っていた時間は絶対に持たない。


 そこを八重蔵は指摘していた。


「そりゃあ知ってるけどよ。本当にいいのか?」


「やってみる価値はあると思うんだ」


「・・・そか。んじゃ気ぃつけろよ。あと失敗しても恨みっこなしな」


「大丈夫さ。もう何回も失敗してるし」


 そうと決まれば帰ろうと手を振るアル。長月もほいほいと手を振りつつ思い出したように言う。


「オーケー。まぁ頑張んな。あ、そだ―――」


「ん、何?」


「変な声だな。違和感すげえわ」


「ほっとけ」


 アルはぶすっとして現実に戻った。声が馴染むのにある程度かかるのは知っているだろうに。



 ◇◆◇



 起きたアルは首元の温かく柔らかい枕とその匂いで気づく。


「エーラ」


「あ、起きたんだね。あは、今日はボクだよー。でもよくわかったね?」


「落ち着く匂いだから」


「そう?ふふっ」


 やはり膝枕されていたようだ。マルクと凛華は、どうやら闘技場の方で魔術の練習をしているようだ。最近凛華もエーラもこんな感じで倒れたアルの介抱をしていることが多い。


 よくわからないがアルとしてはクサクサした気分が収まる気がするし、心地いいので特に何か言うこともない。起き上がってググっと伸びをした。


「よーし。やってみるか・・・!」


「またやるの?」


「今日起動できるかはわかんないけどね。根本から術式の仕組みを変えるから」


「えっ?どゆこと?あれ全部なしにしちゃうの?」


 あれというのはエーラが指さしたアルが書き溜めてきた術式の束だ。チラリと見たアルは頷く。


 ―――――パラダイムシフト、それが必要だ。


あのメモ束はきっとその先必要になるかもしれない術式案。それが必要ないところまでは新しい何かが要る。


 カッと開かれた真紅の瞳に流星群が流れ込んでいく。『釈葉の魔眼』だ。


「起きたのねアル」


「うん」


 歩いてきた凛華へ言葉少なに返すアルは、並べられた術式に集中している。中空に術式を描いては消し、「こうじゃなくて」などとブツブツ呟いていた。


 マルクもなんだなんだと寄ってくる。


 しばし光を撒き散らしていた鍵語が中空ですべて霧散した。


「やっぱだめだぁ~・・・・さーっぱりうまくいかないぃ」


 ドサーっと後ろに倒れ込むアル。不思議そうに見ていた3人を代表してマルクが声をかけてくる。


「結局何してたんだ?新しい術式を考えてんのはわかるけどよ、いつものと違わなかったか?」


 凛華とエーラもうんうんと頷く。今日まで書き溜めていた術式のメモ束はそこらへんに放っておかれていた。


「考え方を変えた方が良いって言われてさぁ」


「言われたって誰に?ヴィオ先生?」


「前世の自分にだよ」


「「えっ?」」


「おいどういうことだよ?」


「あとで話すよ。今はそこじゃないんだぁ~」


「暴走を止める術式でしょ?」


 凛華がアルの隣へ腰掛ける。メモ束を拾い上げていらないの?とでも言うようにひらひら差し出してくるが、アルは受け取らない。


 今までの考え方は上等過ぎる。暴走だけを抑え込むというのはそもそも曖昧に過ぎた。


「そうだけど、その考え方を変えようと・・・あ!」


 アルの目が見開かれる。次いで飛び起きた。


「ねえ!暴走してたときの俺って思い出せる!?」


 血を封じるなら最もそれが顕著だった時のことを知るべきだと思ったのだ。今までの考え方では暴走のトリガーである勝手に湧き出る龍気を抑えようとしていたから考えもつかなかった。


「思い出せるけど・・・」


「あれ忘れられるわけねえだろ」


「急にどうしちゃったのよ?」


「ちょっとどんなだったか教えてくれない?」


 3人は顔を見合わせた後、思い出せるだけの特徴を上げていく。


 真っ黒な虹彩に、執拗なまでに敵を殺し尽くそうとする戦闘型バトルスタイル、鋭く異形と化した爪、太くなり過ぎていた牙、敵を焼き尽くす龍焔、尻尾を引きちぎった怪力等々。


 アルはふむふむとメモを取る。その後すぐに鍵語を閃かせ、メモをチラチラ見ながら術式を紡いではレイヤーを被せるように重ねていく。


 それは3人が見たこともないタイプの術式だ。見間違えるも何もない。それほど違うものだった。


「できたの?」


「どういう術?」


 エーラと凛華の質問に、


「龍人の本能を血ごと封印する術式だよ」


 とアルは答える。


「血って、大丈夫なのか?」


「しばらく慣れはいるだろうけど術に害はないはずだよ。おっと」


 マルクにそう返したアルは追加の術式を書いた。


 追加したのは今回だけしか使わないものと解除用の術式だ。それを刻印術式として残せるよう形を整える。これで計2つ。


 片方は恒常的に作動し続ける術式、もう一つは能動的に使う術式。術式を不思議そうな顔で見る3人に大まかな内容を伝えながらアルは細々とした部分までメモ紙に書き写した。


「これで、いけるはず」


 そして『釈葉の魔眼』で何度も確認する。術式に抜けもなく、消費魔力も多くなってはいない。


 一つ頷いたアルは一歩後ろに下がって、左手に龍爪を出した。新しく創った術式のを腕に描き、起動する。


「よし」


 正しく作動した。龍爪は勝手に。これならいける。問題はどこに刻むか。


「うまくいきそうなの?」


「うん、今までで一番自信がある。問題はどこに刻みつけるかだね」


「どこにか・・・・なぁ、操魔核って魔力が生み出されてる場所だろ?そこに書いとけば動き続けたりするんじゃねえのか?」


「操魔核か。ありかも」


「ねえ、大丈夫なんだよね?」


「失敗したらまた気絶するだけだよ」


 アルは気合を入れて上着を脱ぎ、上半身裸になった。凛華とエーラは一瞬顔を赤くしたがどうにか平静を装う。


「ほれ」


 マルクが寄越してきた導墨液を受け取りアルは緊張気味に筆を持った。


 操魔核があるのは心臓の下側。そこを中心として筆をおく。身体に描くのにも大概慣れたが、今回はいつもと形式も場所も大きく違う。アルは失敗しないよう、慎重に慎重を重ねて描いていった。



***



 結局アルは小一時間かけて新術式を描き終えた。


「ふぅ~・・・できた。名付けて『八針封刻紋はっしんふうこくもん』」


 心臓の位置に外周の尖った時計のような、蜘蛛の巣のような紋章が描かれている。針は長針のみしかなく、数字と思わしき鍵語も8までしかない。綺麗な左右対称の紋章だ。


「もうやるのか?」


 そう問うマルクにアルは首を横に振る。


「こっちがまだ」


 そう言いながら左掌を開いた。そこに描いていた解除術式を別の新たな式に描き替える。


 『八針封刻紋』は封印術式を八重に被せた術式。創っている途中で時計を連想したため、アルは針に合わせて段階的に解除できるよう、『封刻紋』の解除術式をただの解除術式ではなく―――鍵として扱おうと考えたのだ。


「よし、いける」


「気をつけろよ。さっきのとはどう見ても全然違うからな」


「うん。ふう!やろう」


 呼気を短く吐く。これでうまくいかなければまた何か考え直さなければならない。


 マルクたちもとっくに気付かれているだろうが、龍気に反応する本能はどんどん敏感になっていた。少々危険かもしれないが彼らを危険に晒すよりは安いものだ。


 凛華とエーラはハラハラしながら見ているが、マルクは顎を引き、動向を見守ってくれている。何かあったら殴り飛ばしてくれるだろう。頼もしい友人だ。



 アルはグッと奥歯を噛みしめ龍気を発動した。


「ぐッ、ウッ・・・!」


 身体を蝕んでいく本能を抑え、牙を剥きながら操魔核――――心臓の直上にある『八針封刻紋』と掌に魔力を込める。『封刻紋』は鍵と対で初めて効果を発揮する術式だ。


「グうッ、ギッ・・・!」


 左掌のを胸に宛がい、『封刻紋』を順回りに勢いよく。針がガキンッ、ガキンッと独特の音を立てて回る。


「へっ?」


「ちょ、ちょっと」


 アルに急激な変化が起きていた。アルは本能に抗って膝をつき、朦朧としながらも針を8時―――――最後まで閉めきる。


「グウぅうううっ――――くっう、ふっ、はぁ・・・はぁ」


 『八針封刻紋』はしっかりと起動している。あの日から続いていた、煩くのた打ち回る何かを感じない。アルは顔を上げて3人へ問う。


「うまく、いった?」


「アル・・・・それ、どうなってるの?大丈夫なの?」


「え?何かおかしい?まだ龍気出てる?」


「違うよアル。見た目が、変わっちゃってる」


「見た目?ってどういう―――えーと『水鏡みかがみ』」


 アルが出現させた水の鏡面に映し出されたのは上半身裸の少年。牙が収まり龍眼も元に戻っている。だが問題はそこではない。


 銀髪は青黒く、真紅の瞳は赤褐色になっている。


「おぉ?龍人の血を封印したらこうなるのか」


 試しに腕に龍気を纏わせて気づいた。これはたぶん龍気じゃない。普通の闘気だ。徐々に全身に流れる魔力を闘気へ変えていく。


 何も感じない。ふるふると手を動かし、アルはバッと腕を上げた。


「やった・・・!うまくいった!あ、待てよ。ちゃんと解除は―――」


 を使って、今度は針が逆周りになるようにカチカチと音をさせながら回す。6時に辺りで変化が起きた。髪色が徐々に明るくなりアッシュブラウンへ、瞳は暗紅色に変わり龍爪と龍眼が発動する。


 更に回していき、3時を過ぎた辺りでまた明るくなっていき、髪色が灰色へ、瞳は緋色っぽく、龍眼もどきが完全な龍眼へと変わった。


 更に逆回りに回していく。段々と白髪に、瞳が紅っぽく戻っていった。

 しかし1時へ戻したどころでパキッと瞳が


 ―――――まずい。


 アルは慌ててグルリと鍵を閉めた。例のガキッ、ガキッという独特な音を立てて『封刻紋』が閉め直されていく。アルの髪色と瞳がさっきの青黒と赤褐色へ変化した。


「うん、大丈夫。できてる」


『八針封刻紋』は正しく機能していると見ていいだろう。アルの余剰魔力を吸い上げ、龍人の本能を抑え込み続けてくれている。


 3人はぽかんとしていたが、ハッとして近寄ってきた。


「何とも・・・ないの?アルのままよね?」


「ほんとに大丈夫?苦しくないの?」


「・・・・印象が全然ちげえ」


 ペタペタと触る凛華とエーラ、唸るマルクにアルは大丈夫だと安心させる様に笑う。


「何ともないし、苦しくもないよ。心配性だなぁ」


 苦笑はするアルは見た目こそ違えど変わらない。いつも見ているエーラにはそれがわかった。


「よかった。でも声ちがうよ」


「声はほっといて、変声期だってば」


 憮然として返事をしたアルの様子を凛華も胸を撫で下ろす。変な影響もないように見える。慣れるのには少しかかるだろうが、アルのままだ。


 知らずのうちに緊張していた凛華の身体が弛緩する。


「寒いからさっさと焼きつけとこ」


 そんな乙女2人の心情など露も知らないアルは軽く指を振って魔術を起動した。


 導墨液は人体や熱に弱いものに描きつけるために使うものだ。当然、描いてすぐ洗い流せるようでは困る。その為に生み出された術式が存在する。この世界の入れ墨はこの墨と『焼付術式』という魔術で行うのが常識だ。


「えーと、これでよしっと」


 指を振るった直後にピリッとした軽い痛みが走り、『八針封刻紋』とが一瞬で焼き付けられた。


 テカテカしたシールのような見た目になった術式の感触に「おお」と変な感嘆の声を上げるアル。


「なんか不思議な感じね」


「ホントだ」


 凛華はつい、そこに触れて不思議な感触にぽーっとしてしまう。つるつるして触り心地がいいのに温かな心臓の脈動を感じる。エーラは左掌の鍵の方を腕ごと引き寄せて触っていた。


「あー・・・ゴホン」


 マルクが咳払いする。彼女らへの警戒心がゼロなのか、されるがままのアルも大概だが2人も2人だ。


 何やらイケナイ雰囲気を感じ取ってさすがに止めておこうとマルクは慣れない真似をした。ハッとした2人は赤面しながらバッと離れる。


 アルは何とも思ってなかったのか「さむさむ」と言いながらいそいそ服を身に着けた。


「はあぁ~・・・なんか気が抜けちゃったよ」


 トスンと座り込んだアルに釣られるように3人も座る。緊張していたのは彼らとて変わらない。


「ふっふん。ボクお茶っ葉持ってきてるんだよねー」


「さすがエーラ。水出すから薬缶貸して」


 そんな会話を交わす女子2人を見ながらマルクが適当に枝を集め、アルがボッと火をつけた。火が得意なのは変わっていないらしい。


「んで、ほんとにそれいけんのか?」


 マルクの言う「いける」とは、暴走を抑え込めるのか――つまり里を出るための条件を満たしているのか?という意味だ。


「うん。驚かれるだろうけどいけるはず」


「そか。ならいいや。でもトリシャねえさんはビックリすると思うぜ?」


「だなぁ。ま、いろいろ説明するしかないよねぇ」


「落ち着いたら、やっぱその変な声の方が気になってきた」


「やかましいわ」


 ようやく常に戻ったマルクとアルが他愛のない会話を始める。そこにエーラと凛華が茶杯を持ってきた。


 気の抜けた会話を交わしながら、実に4ヶ月と少しの間ここまで和やかに喋ったこともなかったなぁとアルは感慨に浸る。自分の暴走という要素が解決したからだろう。大変だったし色んな人に苦労を掛けた。


 ――――それでも間違いなく一歩前進だ。


 アルは決意も新たに赤褐色の瞳に強い輝きを灯すのだった。

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