断章3 激動の夜が明けて
アルクス・シルト・ルミナスが龍血の本能に吞まれ、簡易狩猟場のおよそ3分の2を火事にした夜。
森の方で火事が起こっていたこともあって里内の住民たちはかなりの人数が起きて暗い寒空の下に出ていた。
別動隊たちの家族が広場で大鍋に肉や野菜を敷き詰めて汁物を煮ているところに里内の住民が集まってきた形だ。「何があった?」「どうした」「何の騒ぎだ」などの言葉が飛び交う。
その中には凛華の母である水葵、マルクガルムの母マチルダ、シルフィエーラの母シルファリスもいた。一向に帰ってこない我が子と捜索に向かった夫。もう日が落ちて何時間も経つ。
彼女らを震え出しそうなほどの不安が蝕んでいた。そんな気持ちを騙そうと言葉を交わしてみるも口数が少ないのはどうしようもない。
マルクの妹アドルフィーナは自分たちのせいで兄たちが帰ってこないことに顔を真っ青にさせていた。マチルダがどう宥めても心ここに有らずで、拳を握りしめ西門を見つめ続けている。
凛華の兄である紅椿、エーラの姉シルフィリアは人が減った分の警備補充要員として動いているが、2人とも心境は同じだ。生意気だが可愛い妹と猫っ可愛がりしている妹が帰って来ていない。もうすぐ日付も変わる。不安が波のように押し寄せていた。
そんなときだ。俄かに西門の方が騒がしくなった。
「おい!帰ってきたぞ!」
誰かのそんな言葉に住民の視線が西門へと注がれる。平時なら口々に「おかえり」だの「おつかれさん」だの「時間かかってたけど何があったんだ」だのと声をかけて労うのが普通だが――――今回だけは違った。
現れた一団を見て皆が言葉を失ってしまう。先頭にいたのはヴィオレッタとトリシャ。そして抱えられている少年。血塗れでボロボロになっているアルだ。
2人の顔にいつもの余裕はない。アルは血色が悪く、その銀髪は赤黒く染められていた。ぶらりと垂れ下がっている腕が振動で無軌道に揺れる。
「道、空けて!」
「急いでるの!」
「どいてくれ!」
そこに凛華とエーラ、マルクが躍り出た。全員泥まみれで擦り傷だらけだ。よく見れば凛華の手には癒薬帯がぐるぐる巻きにされ、エーラの額も同じく癒薬帯が巻かれたうえ片足を引き摺っている。マルクは足元がフラつき、明らかに息が切れていた。
住民たちは癒院への道を即座に空ける。鼻の良い者たちは血臭に、慌てて周りの者たちを押し退かした。魔獣の血ではないと気づいたからだ。
3人の母たちとアドルフィーナは凍り付いていた。子供たち3人は怪我をして疲れた顔をしているがまだ動いている。だがアルは赤黒い頭をトリシャの胸に預け、ぼろきれのようになった外掛けまで赤く染めてピクリともしていない。意識がまったくないことは不規則に揺れ動く腕が証明していた。
静まり返る住民たちにヴィオレッタが声を張り上げて告げる。
「皆、すまぬがあとで話す!まずはアルを治療せねばならん。それと3人も応急手当しかしておらぬから癒院に連れてゆく。水葵たちも心配じゃったじゃろう。来るのじゃ、先に説明しよう。
それと里の巡回部隊の者は明朝から動いてもらわねばならん。儂からも説明するが捜索隊から話を聞いておくのじゃ」
そう言い残して癒院へと向かった。眠らせたアルにかけた『治癒術』に効果がほとんど見られなかったので慌てて止血だけして帰って来たのだ。
そこへ水葵たちも駆けてくる。ヴィオレッタはチラリと振り返って一つ頷くと足を速めた。
水葵もマチルダもシルファリスも我が子たちが無事だったことは認識はできている。しかし、その顔はちっとも嬉しそうではない。
我が子が無事ならそれでいい、そう言って心から胸を撫で下ろせるほどルミナス家の少年とは浅い関係ではなかった。
☆★☆
外に出ていた住民たちの中に鍛冶場通りに居を構えている鉱人族のキースと巨鬼族の源治もいた。
「アルのやつ、血塗れになっとったぞ。里長殿がついとるから一応命に別条はなかろうが、放置なぞ出来る怪我でもなかったわい」
「・・・何があったってんだ」
言葉を交わす鍛冶師2人。特にキースはユリウスが聖騎士共に深手を負わされながらも自分たちを助けてもらった記憶が否が応でも思い出されて気が気では無い。
「刃鱗土竜と殺り合ったのさ」
そこに静かな声が届いた。長剣と直剣をぶら下げた八重蔵だ。その雰囲気と物言いに今の言葉が真実だと直感した2人は驚きを露わにした。
「刃鱗土竜だと!?高位魔獣じゃねえか!」
「何がどうなってそうなった。八重蔵、早う話せ」
巨鬼の源治が凄む。八重蔵と源治は旧知の仲だ。
「人虎族の双子が狩猟場の方に出ちまった。5、6歳だ。あいつらは見習い任務中だってんで探しに行ったのさ。そしたら牙猪に追われて限界線を越えてたらしくてな。
雪ん中一旦里に戻ったら双子の体力もきっと保たねえだろう。そう判断したあいつらは捜索を強行したのさ。そして隠れてる双子をどうにか見つけだして回収した帰り、まだ小っちぇ双子の片割れに”魔法”まで発現させたやべえ魔獣が出た。そいつが刃鱗土竜だったってわけさ。
どうにか限界線までは逃げて来られたがこのままじゃ追いつかれちまうってんで双子を狩猟場ん中突っ切らせて自分らで囮をやったんだよ。限界線沿いに逃げ回って、それでも追っつかれそうだったから、四人で土竜を仕留めることにしてやり切った」
「なんちゅう真似を」
「待て、倒し切っただと?」
源治が半ば呆れ半ば称賛するなか、キースは更に目を瞠る。
「おう、今回捜索隊の連中が狩った刃鱗土竜は0匹だ」
「「・・・・・」」
巨鬼と鉱人が絶句した。刃鱗土竜と言えばこの森でも厄介な高位魔獣。そんなものを12歳の少年少女たちはどうやって打ち倒したのか?
その疑問を見透かしたように八重蔵が語る。
「魔術ででけえ穴ぼこに嵌めて、さんざ燃して急激に冷やしたんだと。その後、刃尾状態の根元をアルが叩っ斬って――――――」
「おう、ちくっと待て八重蔵」
しかし巨鬼の鍛冶師が遮った。
「なんだ?」
八重蔵は鬱陶しそうに返す。
「あの子の刀は鋼だ。手間暇も情熱も込めてはおるが、妖刀や魔剣のようにとはいかん。いくら脆くなっとってもあれで土竜切ろうってんならおめえさん並の腕がいるんじゃねえか?」
「だから、こうなったのさ」
そう言って八重蔵は源治にアルの刀を見せた。トリシャから預かったものだ。根元からグニャリとひしゃげて刀としての道はもう二度と歩めない。そんな説明は鍛冶師2人には必要なかった。
「こいつは・・・俺の鍛え方でここまで曲がるなんぞ有り得ねえ」
誰が扱おうと全力を込めて打つ。刀匠や剣匠というのは元来そういうものだ。源治は棒きれの役割りすら果たせなくなった己の作品をしげしげと眺める。
「赤熱化してたみてえだぜ、そいつの刀身。そのまま斬んのは無理だと悟って炎を込めまくったんだろうな。凛華に聞いた限りじゃ六道穿光流の火の型を使ったみてえだから負荷も相当かかってるはずだ」
八重蔵の言葉に源治は巨大な上背を揺らして思わず唸った。
「・・・龍焔を使うたのか。トリシャの息子だから炎は得意だと思っとったが。それならいくら質の高い玉鋼使っとっても不思議はないわい」
得心がいくというよりは寧ろもうそこまでの炎を扱えるようになっていた方に感心しかける源治。
「一応斬り落とすまでは耐えてたらしいぜ。ただすぐ後にぶっ飛ばされたらしい。防ぐのに使ったそうだが、そこで耐え切れなくなっちまったんだろうな。その状態で落ちてたよ」
「そうか・・・ん?鞘はどした?誰も持ってなかったみてえだが」
キースが気づいて問うた。
「ほれ」
八重蔵は懐に入れていたものをポイっと渡す。帰りがけに見つけたものだ。アルが握り込んだ部分のみが残っていてそこから先はひしゃげたように無くなっていた。
「な、おまっ!鉄拵えだぞ。食い千切られたのか?」
キースは慌てた。あの怪我はそのときのものか、と。
「いんや刃尾を逸らすのに爆散させたんだと」
首を振る八重蔵。
「どういうこった?状況がまるで掴めん」
源治の呟きにキースはハッとする。さっきからちぐはぐだ。
「八重蔵、続きをさっさと話せ。0匹なんて言い方らしくねえと思っちゃいたが先があんなら納得いく」
「おう。双子を追っかけてた刃鱗土竜をなんとか倒した後の話だ。別れた双子が気になったんで、一応狩猟場を見て帰ることにしたらしい。その途中でぶっ倒した土竜の親が出てきやがったのさ。ま、実際のとこ親かどうかはわからねえ。年若い成体じゃなく、完全な成体の雌雄って意味だ」
「なんと・・・」
「・・・・最悪じゃねえか」
キースと源治は唖然とした。次から次へとなんて災難が降りかかって来るんだ。
「鞘はそんときぶっ壊したのさ。刃尾を逸らすために爆散させてな」
八重蔵が見てきたように語る。痕跡が残りまくっていたし娘たちから話を聞けたため場景も浮かべやすかった。
「待てよ、じゃあ無手のままアルは三人と逃げて来たってのか?」
なんてこったと呟くキース。
しかし源治は違った。静かに問う。
「・・・・・八重蔵、その二頭を倒したのは誰だ?」
「アルだよ。三人共倒すのに一切貢献してねえ、見てただけだと言ってた」
「何があった?」
「アルが鞘で刃尾を逸らしたとき、凛華たちはすぐに動ける状態じゃなかったそうだ。そこに槍尾が飛んできてアルの肩をぶっ刺して木に縫い付けやがったのさ。このままじゃまずい、って思ったんだろうなアルのやつ。凛華たちに『逃げろ』っつって何かしたらしい。そしたらタガが外れちまって暴走したのさ。
土竜二頭を一方的に龍爪でぶち殺して大暴れ、しまいにゃ手前も俺たちのこともわからなくなって攻撃してきたよ。ラファルなんて油断してたもんだから髪ひと房持ってかれてたぜ。あの火事も暴れたあいつが起こしたもんだ」
「「・・・・・」」
衝撃だった。火事を起こしたのがアルだということも、成体の高位魔獣を一方的に殺したということも。
じゃああれは捜索隊と戦って負った傷か?いや、里長とトリシャがいて傷つけるようなことはまずないだろう。キースと源治がそう考えたところでおもむろに八重蔵が口を開く。
「お前らんとこに来たのは何も野次馬根性を鎮めてやろうってんじゃあ、ねえ。あいつが何をしてああなったのかは俺は知らねえ。
けどあんなあいつは二度と見たくねえんだ。敵を殺すために使えなくなった左腕を躊躇なく燃やして加速器扱いすんのも、血ボタボタ流してんのにそれでも牙剥き出しにして戦おうとしてんのも――――俺ぁ二度と見たくねえ。
お前らのとこに来たのは頼みに来たからだ。アルのやつが最後に何だかわからねえもんに縋らねえで済むような、あいつがあんなふうにならねえで済むような刀、打っちゃくんねえか?ってな。
武器ってのは最後の最後まで一緒にいるもんだ。あいつは俺の教え子だからしぶてえ。それにあいつは最後まで投げてねえ。じゃなかったら後から来た俺たちにまであんな風に――――手負いの魔獣みてえに牙を剥いたりなんぞしねえ。
だから十中八九、手前の命でもって土竜の命を狩りに行ったんだろうよ。そんな諦めの悪い―――しぶといあいつに死ぬまで付き添ってくれるような刀が要る。それを頼みに来た。できるか?」
暴走したアルを見たときから、己の娘がそれを止めているのを見ていた時もずっとそれを考えていた。
―――――無手で高位魔獣に挑まなくちゃならない?何の冗談だ?それでも諦めずに戦い、最後に娘たち仲間を助けるためにああなった。武器が残っていれば少しは違ったかもしれない。父親のように折れなかったあいつと同じくらい折れない武器が。付き添ってくれる刀が、あいつには必要だ。
だから挑発したのだ。打てるよな?と。
「ふん、誰に言ってやがる。打ってやろうじゃねえか」
「乗せられやすいのはコイツだけよ。刀はそもそもこっちの領分だろうに。俺は打ってやらにゃ気が済まん。なまくら持たせてしもうたとは手前が許せんわい」
キースと源治の目に熱が籠る。ふっと八重蔵は笑った。そうでなくては困る。
「ま、頼まぁ。明日素材取りに参加すんだろ?刃鱗土竜三頭分だしな。実質二頭分だろうけどよ」
いつもの調子に戻った八重蔵に鍛冶師たちが頷いた。
「まあな。そいつがどうした?」
「実質二頭分ってえのはどういうこった?」
「いや、そいつを見てアルの刀をどうすっか決めてくれや。たぶん度肝抜かれるだろうからよ」
ニッと口の端を吊り上げる八重蔵に2人は期待半分不安半分といった気分になる。期待は高位魔獣の素材に対してだが、どんな光景を見せられるのかという不安もそこそこ強かった。
☆★☆
同刻―――凛華、エーラ、マルクは八重蔵と同じ説明をヴィオレッタを含めた母たちにしていた。聞いた者たちは全員無言だ。思っていた以上に凄惨な戦闘だった。
一瞬の判断ミスで真っ二つか食い殺されていた、そんな時間を何時間も我が子たちが過ごしていたことにゾッとする。
アルが策を弄しなければ時間稼ぎが関の山で最終的に詰んでいた。3人はそう語る。トリシャへのおべっかやアルへの気遣いなどではない。それが母親たちには伝わった。
トリシャは母たちに視線を向けて微笑む。
「ねえみんな、気使わなくていいのよ。アルは戻って来たからもう大丈夫。マチルダたちの気持ち、よくわかるもの」
穏やかなトリシャの意図を母親たちは正確に汲み取った。そしてすぐに行動を起こす。マチルダは飛びつくようにマルクへ抱き着いた。
「ぶわっ!母ちゃん!?」
「良かったぁ本当に良かったよぉおお。怪我はないマルク?どこか痛いところある?」
「ない、ないって!怪我で言えば俺が一番軽傷だってば!」
気が狂うほどの不安を安堵が流す。抱き着くときにはすでに涙がボロボロ出ていた。息子への溺愛具合でいえばトリシャとマチルダはほぼ変わらない。
普段から「かわいくなくなってしまった」などと嘆いているが、だからといって愛していないわけないのだ。
マルクはズビズビ鼻水を流す母にされるがままになっていたが、さすがに長いと感じトントンと背を叩く。
「母ちゃん、長いってかなんか苦しいんだけど。そろそろ――――ちょ、苦しいって首絞まってるって!」
マルクは途中から悲鳴を上げてマチルダの肩をタップすることになった。
水葵は凛華の手を優しく取る。
「手、大丈夫なの?」
「うん。アルが守ってくれたから」
凛華は癒薬帯で身体の半分以上を巻かれて眠っているアルを見ていた。
「そう。ねえ凛華?無茶をするなとは言わないわ。でもちゃんと元気で戻ってきなさい。お母さんずっと心配だったし、今詳しく聞いて冷や汗が止まらなかったのよ?」
「うん、わかった・・・・次は負けないわ」
透き通る青い瞳に決意の炎を浮かべる凛華。水葵はそんな娘を正面から胸に抱いた。
「お父さんみたいなこと言うのはやめなさい」
そして凛華の後頭部を軽くぺしりとはたく。娘の武人化が止まらない。安堵か哀しみかわからない涙を水葵は流すのであった。
シルファリスはエーラが何か言う前に膝へ座らせ、ぎゅうっと抱き寄せて語り掛ける。
「足と頭は大丈夫?」
「お母さん、頭大丈夫はないんじゃない?」
「癒薬帯じゃ治らなかったのね、残念」
「もう!」
プンプンしながら立ち上がりかけるエーラ。優しく抱いたまま離さないシルファリス。
ぐぅ~っと抵抗しかけたエーラだったが、頭にかかる熱い吐息で動きを止める。シルファリスはエーラを抱きしめて静かに涙を流していた。
「・・・・よかったぁ。アルが起きたらエーラもこうしてあげなきゃね。助けてもらったんだもの」
「うん」
「まぁエーラにお母さんみたいな包容力はないんだけど」
「もう!お母さん!」
やっぱりいじってくる母にエーラは我慢できず抗議の声を上げる。この他愛もないやりとりができなくなっていたかもしれない状況にいたのだ。
なんとか生き延びる道を探し続けてくれたアルには感謝という言葉なんかでは片づけられない恩をシルファリスは感じていた。
トリシャはそんな3組の親子を微笑ましく見ながらアドルフィーナに話しかける。アドルフィーナはアルの手を握ったままじっと見ていた。
「フィーナちゃん、そんなに思いつめなくていいのよ。アルが怪我をしたのはアルが自分で選んだ道だからよ。自分で決めて動いたのにフィーナちゃんを責めるような軟弱な子に育てた覚えはないわ」
「でも・・・あたしが言ったからアルにい達は行ったんだよ?」
瞳に涙を溜めたフィーナが言う。幼いなりに責任を感じていた。トリシャはマチルダの代わりにアドルフィーナの髪を梳いてやりながら宥める。
「それが仕事だったのよ。フィーナちゃんが言わなくても誰かが言ってたでしょうし、任せても良かったけど自分たちで行くって決めて行ったの。そしてちゃんとフィーナちゃんの新しいお友達を連れて帰ってきたのよ?凄いと思わない?」
アドルフィーナは「うん、すごい」と頷いた。トリシャはそんな子供の鼻をくしくしと拭いてやりながら続ける。
「ね?だから自分を責めるんじゃなくて皆凄いって褒めてあげて。泣かれるよりそっちの方が皆嬉しいと思わない?」
「おもう」
「じゃあもう泣かないで、褒めてあげて。それにその凄い中にはフィーナちゃんのお兄ちゃんもいるのよ」
「お兄ちゃんはそんなに。だってあんまり怪我してないもん」
辛辣なアドルフィーナの切り返しが、マルクに刺さった。
「フィーナ、兄ちゃん今のは傷ついたぞ」
抱え上げるマルクからプイッと視線を逸らすアドルフィーナ。
「ふふっ、もう大丈夫そうね」
トリシャが穏やかにアルを見つめはじめたところにマチルダが礼を言いに来た。
「トリシャ、ごめんね」
「いいのよ」
マチルダもアルを見る。アルは青白い顔で静かに寝息を立てている。癒薬帯も相俟って痛々しい姿だ。
トリシャの気持ちが痛いほどわかるマチルダはその肩に手を置いた。
「アルくん、早く良くなるといいね」
どう聞いても本心なのがわかる。感情移入されまくった一言にトリシャは素直に感謝した。
「うん。そうね、ありがと。男の子だからなのかしら?無茶ばかりして、母親泣かせよねぇ」
「凛華?あなたは男の子だったらしいわよ?」
水葵がその発言を皮肉に取り入れてみた。これ以上武人化しないでほしい。こちらはこちらで多分に感情が乗っている。
「失礼ね。あたしはアルがいない限り無茶なんてしないわ。勝てる見込みがなかったら無茶しても意味ないもの」
「・・・そういうことじゃないのよ」
効かなかった皮肉に口惜し気な水葵。トリシャとマチルダは苦笑いを浮かべるしかない。
森人親娘はおかしそうにくすくすと笑った。この親娘はよく似ているらしい。
***
長い長い夜が明けた翌朝。捜索隊から報告を聞き、ヴィオレッタから昨日の出来事一から十まで伝えられた住民たちは一様に驚き、また納得した。一時は騒然としていた広場も今は落ち着きを取り戻している。
「おーい、そろそろ準備いいかぁー?」
間延びした八重蔵の声に、一同が頷いた。頷いたのは、刃鱗土竜の屍骸の撤去及び鱗や骨、皮といった素材集めに行く者たちだ。
屍骸の放置は更なる魔獣を呼ぶし、高位魔獣の皮革や骨は上質な素材だ。回収に行かない手はない。キースや源治といった動ける鍛冶師たちも同行してその場で要る要らない、使える使えないを判断して持ち帰る。
共同墓地方面はベルクトの案内で別動隊がさきほど出発したところだ。 成体の方は八重蔵やマモン、ラファルが先導することになっている。
ヴィオレッタはいない。アルの容態がいまだ思わしくないためだ。魔力がまだ尽きているらしく怪我の治りが遅いそうだ。
西門を通り抜けたところで、マモンが立ち止まる。
「マルク?」
訓練場と鍛錬場の境目あたりに息子がいたからだ。マルクは手元に集中して息を荒げていたが、父親の呼びかけに気づいて振り向いた。
「お、父ちゃんたち早えな」
「何をしている?」
マモンが問う。昨日あれだけのことがあったのに早朝から訓練場に出ているとはどういうことだろうか?
マルクの手元を見れば、桶からぶちまけられたような砂が飛び散っていた。
「魔力鍛えてんだ。アルが朝よくやってるやつ」
「・・・・・魔力を?」
どうやら人狼族にとって適性の低い土属性魔力で砂を放出し続けていたらしい。
「おう。あいつがあんななっちまう直前で俺――魔力切れで『人狼化』できなくなったんだ。あんときまだ魔力が残ってりゃ、少なくともあいつが肩ぶっ刺されたりすることはなかった。
槍尾?だったっけ?刃尾に比べたら細かったし、俺が『人狼化』さえできてれば殴って逸らせたと思う」
「けどお前、何も昨日の今日で―――――」
やる必要はないだろう。キースがそう言いかけるのをマルクは首を振って遮る。
「ほぼ毎日やってたあいつは二頭に追われてても炎だの雷だのドカドカぶっ放し続けてた。”魔法”の維持で精一杯の俺らに注意が向かないように」
「・・・・・」
だから、やらないわけにはいかねえんだ。マルクは顔を上げて言外にそう言ってのける。二の句が継げないキースはガキの眼じゃねえ、と心中で溢した。
ややあってマモンがマルクの頭にポンと手を置く。
「そうか。無理はするなよ。だが、立ち止まるんじゃないぞ。目を覚ましたアルクスはまた前に進み出すだろうからな」
慈愛の表情を向けてはいるが、放った言葉は激励だった。
「おう。父ちゃん帰ってきたらまた稽古つけてくれよ。『部分
マモンの息子はもう一歩先に進みたいと望む。瞳に浮かぶ決意は固かった。マモンは大きく頷く。
「ああ、帰ったらな。では行ってくる」
「ん、いってら」
歩き去る父親にマルクもまた背を向け魔力鍛錬の続きへと戻っていく。
どこか浮かれたマモンへ八重蔵が口を開いた。
「いい顔するようになったじゃねえの」
「ああ、戦士の顔だったぞ」
ラファルも同意するようにマモンの肩を叩く。
「ああ、だがまだまだだ」
そんな風に返しているがマモンは嬉しそうだ。純粋に強くなろうと藻掻いているがそこに歪みや翳りはなかった。鍛えてやっている師としても、父親としても嬉しくないわけがない。妻は「ムサくなっちゃう」とか小言を言ってきそうだが。
「にしたって早えだろうよ。まだ12歳だろうに」
呆れ返るキース。
「しょうがねえだろう。ほっときゃガンガン進もうとするアルにでも言え。それにうちんとこも今朝から似たようなもんだったぞ?
庭先で闇属性魔力を出したと思ったら、庭に大量の氷の花咲かせててよ。そのあとはゼェゼェ言いながらそのまま里走ってくるっつって出掛けてった」
八重蔵がそんなことを言う。凛華は腕の筋も痛めていたらしいので現在剣が振れない。これを機にもう一本直剣でもぶら下げられるくらいに足腰を鍛えるつもりのようだ。
「そう言えばエーラは朝からひたすら魔力を使って精霊と対話してたな。もう少し歳が上がってからでもいい訓練のはずだと思ったが・・・・はっ、い、いかんぞ。アルの下へ行くにはまだ早い」
途中から妄言を吐き出したラファルを3人とも冷めた目で見つめる。
エーラより
そう言いかけた八重蔵の肩をマモンが叩いた。
「あとが面白そうだから黙っていよう」
「お前・・・わっるい奴だな乗ったぜ」
「難儀なやつだな、ラファルも」
ニヤリと笑うマモンと八重蔵。キースは更に呆れ返るのだった。
***
他愛もない話をしている内に狩猟場への柵が見えてきた。昨日報告を聞いただけの者たちは焦げた草木や黒くなった地面を見て静まり返る。ここまで大々的に焼けてしまっているとは思っていなかったのだ。
「こっちだ」
この焼けた大地の上でも正しく機能するマモンの鼻に先導された一同は、やや気後れしながら作業道具を担いで歩き出した。
大して時間もかからずに屍骸へ辿り着き、低木類が少なくなっていく辺りまで一旦運び出す。選別と処理を行うにしても集める必要があったのだ。
刃鱗土竜の屍骸は片方だけ不自然なほどきれいで、もう片方はまともに残っているのが先がもがれた尻尾くらいしかない。他は飛散した肉片や潰れてぐちゃぐちゃになった頭部らしきものしか残っていなかった。
―――――これをアルが1人でやったっていうのか。
キースと源治は背筋が寒くなる。冬場だからと言うだけではないだろう。
きれいに残っている方も綺麗すぎて違和感を感じるし、もう片方に至っては別の高位魔獣が食い荒らしたと言われた方が納得できるほど凄惨だった。
「・・・・こりゃあ」
源治が耐えきれず言葉を漏らす。子供が一人でやる内容ではない。八重蔵がざっと説明しはじめた。
「綺麗な方はアルが暴走する前に左目にまず雷撃を浴びせられてたんだとよ。暴走した後に腕突っ込んで灼いたらしい。そっちの残り滓は暴走しきったあいつがズタボロに蹂躙した方だ」
予想以上に残虐な殺し方だ。キースは今更ながらに暴走していたという意味を理解する。
「えぐい殺し方してやがんな」
ラファルが肩をすくめてた。
「闘うこと以外に一切の関心がないように見受けられた。左腕を自ら燃やしてでも私を殺しに来たくらいだ。痛みすら感じてなさそうだったぞ。あれだけ傷だらけだったのに顔を歪めたところすら見ていない」
「「・・・・・・」」
俄かには信じられない。理性のないアルというのがそもそも想像がつかないのだ。
稽古中はそれ相応に激しいがどちらかと言えば強靭な意思でもって戦う方だ。本能で闘うタチではない。
刀の手入れをしてやっている源治はそれをよく知っている。肉片になった刃鱗土竜からはそういったアルらしさを一片も感じ取れない。敵だから死ぬまで殺した。そんな風に感じる残骸だ。どう見てもここまでやる必要はないというほど殺し尽くしている。
「ま、とりあえず回収しようぜ。要らねえ部分は言ってくんな」
「きれいな方ったってガワだけで、脳から心臓にかけてほぼ炭化してるじゃねえか。龍焔でやったのか?子供のやったこととは思えねえぞ」
「よっこらせっと。剥がしやすいは剥がしやすいわい。アルがやったと聞くと微妙な気分にならざるを得んが」
こうしてアルの殺戮を目の当たりにした2人は、八重蔵が昨日頼んできた内容に本格的に頭を悩ませることになる。
余談だが、今回の刃鱗土竜の屍骸回収・破棄作業において最も意欲が高かったのは人虎族であった。
自分たちの身を顧みず死地へと飛び込み、同胞の大事な子供を救ってみせた4人の少年少女。そういった武勇譚が好きな魔族たちの中でも琴線を鷲掴みされたのが人虎族たちだった。
またエリオットとアニカの両親が子供を救って貰った礼を言いに行くと、3人は『アルのおかげで戦えた。だからあいつがいないときに礼をもらう気などない』と三者三様に突っぱねた。些か頑固も過ぎる。
しかし、その後偉ぶるでもなく黙々とストイックに鍛錬している3人を見た人虎族たちはその態度を良いものとして受け取ってしまい、更に好感度が上昇してしまった。件の双子も完全に懐いている。
来て早々に族長筋が
そこに最初の仕事として回ってきたのが回収作業だったのだ。当然彼らは恩返しの意味も込めて意欲を燃やした。モチベーションが高いままに人虎へと変化し、能動的に素材を運びまくる。そのおかげで予定よりかなり早く作業を終えることになった。これにより彼らは自らの手で新たな住民としての信用を勝ち得たのだ。
馴染むのも決して遠い未来ではないだろう。
ちなみにアルの見舞いに行ったエリオットとアニカは元々面識のあったアドルフィーナとバッタリ遭遇し、その後親友と呼べるほどの仲へなっていくことになるのだが、それはまた別の話だ。
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