23話 血の目覚め (アルクス12歳の冬)

 立ち昇る爆炎を見た捜索隊が現場へと駆け出す少し前。



 アルクス、マルクガルム、凛華、シルフィエーラの4人は倒した刃鱗土竜の傍で30分程休んだあと帰路に着いていた。人虎族の双子エリオットとアニカが無事に保護されたかどうか不明であったため一旦ひたすら北上し、簡易狩猟場内を通って帰ることにしたのだ。


 4人共疲弊しているうえにアルを除く3名の残有魔力量は危険域まで割り込んでしまっている。操魔核の鍛錬は基本的にはアルしかやっていない。半分ほどまで回復してきているアルはともかく、慣れない疲労感のせいで行軍速度はどうしても遅くなっていた。


 それでもひたすら歩き、奇しくも双子が寄ったと思わしき小川の対面を渡って、ようやく見覚えのある景色に全員が安堵しているところだ。新たな脅威に気付けずに。




 一番最初に気づいたのはアルだ。ゆったりとした歩みが絡めとられるように止まる。凛華は気付いて振り返った。アルは視線を彷徨わせながら唯一残っている鞘を引き抜いていた。


「アル?どうしたの?」


「いや、妙な気配っていうか視線が―――」


「おい冗談だろ」


「え、また魔獣?」


 こんなタイミングでアルは冗談を言ったりしない。それをよく知る3人はすぐさま警戒態勢に移った。その瞬間。


 小川を挟んだ向かいの地面がボコボコッと大きく2膨らむ。


「ヤバい!みんな、散れ!」


 アルの警告に3人は”魔法”を発動させて跳ねるように散開した。


 『人狼化』したマルクと鮮緑に目を輝かせたエーラは樹上へ、『戦化粧』を施した凛華は重剣を引き抜いて後ろへ。龍眼もどきを発動させたアルも鞘を構えつつ横っ飛びに飛ぶ。


 ボッ・・・ゴオオォォッ――――――!


 土中から飛び出してきたのは2刃鱗土竜だった。小川の水が爆ぜるように飛び散っていく。


「二頭もだと!?」


 マルクの驚愕は全員の心中を的確に代弁していた。


 こんな魔獣は簡易狩猟場にはまずいない。追ってきたと考えるのが妥当だろう。しかし、どうやって追跡してきたのか?疑問と絶望が4人の心中に染み込んできた。


 おまけにもっと厄介な問題がある。


「あたしたちが倒したのよりデカいわよ!」


 これだ。2頭とも4人が苦労して倒した刃鱗土竜より更に巨体だった。先ほど倒したのがセダンタイプの普通乗用車程度の全高だとすれば、こちらは小型トラックくらいは優にある。


 加えて明らかに年月を経た黒っぽい鱗をしており、片方の横腹には黄色のラインが一直線に入っていた。


 ――――きっと成体だ。


 群れそうには見えない高位魔獣がなぜ追ってきた?どうやって?


 疑問がアルの脳内をグルグルと回る。


「もしかして・・・こいつらさっきのやつの親?」


 ハッとしたエーラの囁くような声に2頭は肯定するように襲い掛かってきた。



***



 完全な成体と思わしき刃鱗土竜2頭は先ほど倒した1頭より、細部の動きそのものは遅い。しかしその遅さは残念ながらマイナス要素にはなっていなかった。重く長い全長を活かしたしなりはその巨大な体躯を余すことなく質量武器へと変換しており、辺りの樹木が粉々に砕け散り、雪に混じって土が降り注いでくる。


「くっそ!これじゃ手の出しようがない!」


「逃げられもしないわよ!」


 悪態を吐き捨てるアルと凛華。明かに劣勢だ。近づくまでも危険、近づいてからも危険だ。逆に逃げようとすれば2頭が別々の方向から襲ってくる。


 完全にこちらが狩られる側だ。今はギリギリで躱せているが動けなくなるのも時間の問題。樹上のマルクとエーラ相手にすら木を折るという強引な手段で地面に引き摺り落とそうとしている。まるで意思を持った暴風が暴れ狂っているような惨状だ。4人はどうしようもないまま必死に逃げ惑うしかない。


「くっ!これで!」


 アルがどうにか2頭を分断しようと地面に手をつき、ドバババッと土壁を乱立させた。だが刃鱗土竜はそれを見るや否や土中に潜り、ゴバッ!という音をさせて突き抜けてくる。大して時間もかからず作られた土壁など障子紙に等しいらしく迎撃で出した土壁は簡単に貫通された。


「アル!?」


 エーラの悲鳴のような呼び掛けにアルは慌てて地面に倒れるように刃鱗土竜の突進を躱す。


「やっぱりダメだ!相手がデカすぎるしこんなに隙が無いんじゃ闘気も扱いきれない!」


 そして起き上がりざまに愚痴を吐き捨てた。


 ――――ドクン――――。


 体内の魔力を燃焼させて生み出す闘気は体力と魔力の消費が激しく、この2頭と纏ったまま戦おうものならアルでも一瞬で燃料切れしてしまう。それがわかっているからどうにか隙を見つけようとしているのにその隙が見つからない。


「このままじゃ!―――っぐ!?ジリ貧だぞ!」


 マルクが言うようにアル以外の3人も苦しかった。レッドゾーンに割り込んでいる魔力をどうにか騙し騙し”魔法”を使って動き続けている。


 ある程度まで回復していたアルが炎弾や雷を放ちまくって注意を向けさせようとしているが、刃鱗土竜たちは意にも介さない。何とか倒した若い刃鱗土竜にすら大して効果がなかった。成体らしきこの2頭は躱しもしない。アルは苛立ちを舌打ちに乗せつつもドウドウッ!と炎弾を撃ちながら思考していた。


「ちいっ!やっぱり質量差があり過ぎる!・・・って質量差?あっ!そうだ!」


 言うが早いか閃いたアルは駆け出す。


「アル!?危ない!」


 凛華の警告を無視したアルは2頭から挟まれる位置に飛び出し、鞘をガッと噛んで両掌に雷を発生させた。


 バチバチバチイイイイイ――――――――ッ!


 龍眼もどきをギラリとさせ圧縮した雷をブチ当て続ける。雷光に鱗を炙られつ続けた刃鱗土竜たちはさすがに鬱陶しいと感じたようだ。体躯をしならせ両側から一気に突進してくる。


 ―――――ドクン――――。


 アルは口から鞘を左手に落としながら右掌に魔力を溜め、ギリギリまで獣気と殺気の入り混じる重圧を堪えた。


「アル!!」


 ぶつかる!凛華の悲鳴染みた声が響く。


 ――――今だ!


 左右から小型トラック大の魔獣にぐちゃぐちゃにされる直前、ドンッと跳び上がり右手で爆発を起こした。ジャンプしたアルは爆風で更に高い位置まで上昇する。


 ――――重量級同士で自滅しろ!


 アルは真下で大質量同士をぶつけるという作戦に出たのだ。



 しかし結果はその予想を裏切るものだった。反射神経が異常なのか、それとも4人には理解できないコミュニケーション能力を有しているのか―――――2頭はぶつかる直前にその体躯同士をズラし、スレスレで通り過ぎていく。


「な゛っ!?」


 アルが大きく目を見開いた。


「ばっ!嘘だろ!?」


 それを見ていたマルクも愕然とした声を上げる。どう見ても当たる軌道だった。それがあんな風に躱されるなんて。


「ぐっ、こうなったら1匹だけでも!」


 何とか戦意を持ち直して高燃費の闘気を使おうとしたアルに下にいたラインが横腹に入っている方の刃鱗土竜が尻尾を縦にしならせる。


「しまっ―――――うぐあっ!」


 落下攻撃を仕掛けようとしていたアルにその尾が直撃した。冗談のような吹き飛ばされ方をしたアルは地面でワンバウンドして土煙を上げながら転がっていく。


 ―――――ドクン――――。


「アル!?こんのぉっ!!」


 怒り心頭に発したエーラが洋弓型で7射した。目の付近に矢を射かけられた刃鱗土竜たちはそちらも鬱陶しくなったようで、アルを吹き飛ばした方とは別の方がその黒い体躯でエーラのいた木に突進する。


「くうぅっ!」


 折れた木を足場にして跳び、別の木から枝をいる途中のエーラへ目掛けて刃鱗土竜が尾で薙いだ。落ちていた木屑や石が礫となってエーラに殺到する。


「うっ!?きゃあああっ!」


 石礫が中空に身を晒していたエーラの頭を掠め、墜落させてしまった。


「エーラ!」


「ぅ、いっつぅ・・・」


 凛華の焦る声に急いで立ち上がろうとするエーラだったが足に激痛が走り、動きが鈍る。


 刃鱗土竜がこんな好機を逃すはずがない。”魔法”で巨大な片刃を尾先に形成し、ブウウンッ!と薙いだ。


「エーラッ!!」


 凛華がエーラの前にどうにか滑り込んで、重剣を地面に角度をつけて突き刺す。直後、振り回された刃尾が衝突。


 ガリガリガリガリイイイ―――――――ッ!


 激しく火花が散る。


「ぐっ、う、うぅぅっ!重いぃっ!」


 鬼歯を剥き出して何とか逸らしきったものの腕が痺れて重剣を持ちあげられない。手の皮がズル剥けてしまったのか血が滴り落ちた。


 それでもギッと更に歯を食いしばる凛華へ無情にも今度は黄色のラインをもつ刃鱗土竜が尻尾の先を巨大な槍型に変えて刺突を放った。


 懸命に手を震わせながら重剣を持ちあげようとする凛華の前に今度はマルクが跳び込んでくる。すぐさま腕をクロスさせて防御姿勢。


「オオオオオッ!!!!」


 咆えながら魔力を毛皮へ回し、残り滓を闘気へ変えて腕に集中させた。


 ガッギキイイイインッ――――!


 次いで金属音と衝撃がマルクの耳を貫く。重剣の2倍以上の質量を持った槍尾をマルクは何とか上に弾くように防いだ。しかし―――――――。


「あ・・・・・・・・?」


 ガクリと力が抜けたように膝をついた。『人狼化』すら維持できない完全な魔力切れだ。人間態に戻ったマルクは悔し気に顔を歪める。


 後ろには凛華が柄を血まみれにしながら何とか構えようとしているが明らかに力が入っていない。エーラは足を挫いたのか折ったのかいまだ立ち上がれず、額から流れる血が右目を汚していた。


 ――――もう手がない。


 それは刃鱗土竜側も理解しているらしい。巨大な刃尾を持つ方がもう一度同じ軌道で凶刃を振るう。


 ――――万事休すだ。くそったれ。


 片膝立ちのマルクが悪足掻きに『人狼化』しようとしたがなれない。高位魔獣による”魔法”を利用した波状攻撃。刃の方をどうにかしても槍の方がきっと攻撃してくる。とてもではないが対抗手段がない。


 マルクも、凛華も、エーラも迫る刃尾を眺めていた。時間がゆったりとしたものに感じる。


 ――――これが走馬燈ってやつか。


 マルクが心中で独り言ちた―――その時だ。


 強烈な輝きを持つ紅い光が3人の視界に入り込む。時間の流れが急速に戻っていく。紅い光。良く知っている。


 ――――あいつの瞳だ。


 龍眼もどきが浮いていた。輝きは失っていないどころか増してさえいる。しかしその持ち主のアルは至る所にぶつかったせいか顔も身体も血まみれだ。頬の怪我からも再度血がドクドクと流れ出している。


 ―――――ドクンッ――――!


 それでもアルはギラリと刃尾を睨みつけ、刃尾まで一直線に駆けた。そして右手に持たせた鞘を下から上――逆風に振り抜く。ただの鉄拵えの鞘だ。振るわれる刃尾とはとてもやり合えない。


 拮抗は一瞬。だからこそ振り抜きながら、間合いを詰める間に行き渡らせた魔力を爆炎へと変化させる。


 バッゴオォォォォォオン―――――――!


 赤くなった鞘がぷくりと膨らみ、そして爆ぜた。爆発した鞘は鉄片を撒き散らし、その威力と爆風で刃尾を逸らすことに成功する。



 しかしそれは結局手持ちの札を捨てて一度攻撃を凌いだだけ。刃鱗土竜側には何ら痛痒はない。


 次弾として左掌に溜めていた魔力をアルが開放する前にもう1匹の槍尾がビュオオッ!と迫ってくる。攻撃か回避かをアルが判断しようとする刹那が致命的な隙となってしまった。


「う゛っぐ!?」


 左肩を砕いて槍尾が刺さる。ロクに抵抗する間もなく、そのまま突き上げられて木に叩きつけられた。


 ――――――ドクンッ――――!


 衝撃で息が止まる。


「がはっ!」


「「「アルっ!!」」」


 釘付けにされたアルの耳に血相を変えた仲間の声が遠巻きに届いた。


 ――――――ドクンッ――――!


 左肩がうまく動かない。木に縫い付けられたアルはどこか薄い痛みにこれならと覚悟を決めた。正直に言えばその覚悟と同じくらい強い後悔と自分への憤りがある。


 魔術をもっと自分が扱えていれば。鍵語をもっと知っていればあの2頭の周囲から酸素を奪ったり、ベクトルを上向きに掛けて吹き飛ばしたり、出来るかなんて知らないが可能性はあったろうに。そうすれば幼馴染たちは苦しむこともなかった。


 もう彼らはまともに戦えない。マルクは魔力が尽きているようだし、凛華は剣を握るのも難しそうだ。そしてエーラは動けない。あの足じゃ樹上に逃げることも難しい。


 怪我だけで言うなら自分がたった今最も酷くなってしまったが、さっきからアドレナリンのせいなのか痛みが薄い。


 ―――だから、まだ動ける。


 ――――――ドクンッ――――!


 それに肝心の魔力はまだ残っているのだ。存分に暴れてやる。


 ――――――ド ク ンッ――――!


「逃げろ!」


 アルは視線を巡らせ、幼馴染の3人へ向けて叫んだ。


 ――――ドグッ―――――ドグッ――――!


 心臓が五月蠅い。逃げない3人の視線を感じつつ、刃尾を振ろうとする刃鱗土竜の左目へ左掌へ込めていた魔力を雷へ変換してを飛ばした。


 雷光は体躯をしならせる直前の刃鱗土竜に直撃する。どうやら反撃をもらうなどと思っていなかったらしい。



 ギイイイイイイイイイイッ―――――!



 怒りの声を上げる高位魔獣。


「はは・・・っ。お前らの相手は、俺だ・・・よそ見してんなよ」


 ワザとせせら笑ったアルは自分に敵意が向いたのを感じる。


 ――――ドグンッ―――――ドグンッ――――!


 やっぱり高位魔獣は賢さもそこそこあるようだ。2頭ともこちらへ殺気を向けてくる。


 ――――それでいい。仲間を逃がす。守るんだ。だから、お前らは俺と戦え。


 アルは魔力を高ぶらせる。


 ――――ドグンッ―――――ドグンッ――――!


 心臓がやはり五月蠅い。


 アルはやかましい己の鼓動を無視して、体内に残っているの魔力を龍気へ変換しようと一気に燃やし尽くした。



 ――――ド グ ン ッ―――――!



 ひと際心臓が鼓動する。これがその日アルが覚えている最後の記憶となった。



 ●〇●



 マルクは焦っていた。木に縫い付けられているアルをどうにか助け出さなければ。肩に槍尾が刺さったままだからか木の幹を伝っている血もまだ少ない。


 まだ助かる。青褪めた凛華とエーラ、マルクが飛び出そうとしていると「にげろ!」とアルが叫んだ。その言葉に凛華とエーラが目を見開く。


 ここで果てる気か。アルはぎこちなく左手を動かして雷を放ち、刃鱗土竜の目に当てた。


「はは・・・っ。お前らの相手は、俺だ・・・よそ見してんなよ」


 2頭の敵意と殺意がアルに集中する。


 ―――――ここで死ぬ気か、大馬鹿野郎が。


 マルクが力の入らない足を殴りつけて立ち上がった瞬間だった。



 ボギャアッ!



 何の音だ。訝しむ3人が咄嗟に視線をさ迷わせる。



 ギィッガアアアアアアアアアアアアアアッッッッ―――――――!



 次いで、横腹に黄色いラインが入った――4人は知らないが雌の方の刃鱗土竜が啼き声を上げた。どこか怒りや痛みを感じたような声に聞こえる。


 ――――なぜやつがそんな啼き声をあげる?


 その答えはすぐにわかった。刃鱗土竜の槍尾が半ばから熔け切れていたのだ。3人は目を剥いて仰天する。


 まさかアルがやったのか?慌てて視線を木に戻した3人はすぐにそれ以上の異変に気付いた。



 アルの様子がおかしい。


 

 木に縫い付けられていたアルは、その原因である槍尾をジロリと見やりそのまま引き抜いた。ブシュッと血が噴き出る。『人狼化』しなくとも血の匂いが充満していることがマルクにはわかった。


 ドサッと崩れ落ちるように落ちてきたアルにマルクは駆け寄ろうとして、立ち止まる。凛華とエーラも似たような表情を浮かべてアルを見つめていた。


 雰囲気がアルのそれではない。何よりも瞳が違う。人虎のカミルをボコボコにしていた時と同じく、虹彩が割れ、冷たい殺意で滲んでいた。アルの龍眼もどきは本物と違って普段ヒビが入っていない。それが今また、割れている。割れた隙間から底知れぬ闇色が顔を覗かせていた。


 立ち上がったアルは折れた槍尾を尖った歯で噛み、血が噴き出ている左の肩口をおもむろに。ジュウウウウッと肉の焦げる匂いが漂った。次いで吐き出すように口から右手に落とした槍尾の破片を握り、顔を上げる。そこには片や目をやられ、片や尾の先をもぎ取られた怒れる刃鱗土竜が2頭いた。



 ギギイイイッ―――!!!



 アルを脅威と見做した横腹にラインが入った雌の土竜が尻尾を上から叩きつける。縦に振られた鞭のような尻尾をアルはスレスレで躱し、ダンッと加速して尾の付け根に飛び込んだ。雌の土竜は近寄られることを嫌ってか身体を揺する。


 繊毛が逆立ち地面に引っ掻き傷をつけて回るが、アルは意にも介さず槍尾の破片を再度口に咥え、右手の龍爪を鱗に引っ掛けて食い込ませる。


 マルクはそこで龍爪にも変化が起きていることにも気付いた。普段のものよりも更に鋭く尖って伸びている。


 アルは爪を引っ掛けた状態で揺すられた勢いを利用し、振り飛ばされるように上へと跳んだ。そのまま雌土竜の上をグルグル回っていた――――が、途中で足を突き出しその背を蹴りつけるように頭部の方へ走り出す。


 

 雌の土竜は更に激しくその巨体を動かして回るが、長くは続かなかった。


 頭部まで一瞬で駆けてきたアルが咥えていた槍尾の破片を体重と勢いを乗せて土竜

の右目へドスッとねじ込んだからだ。


  

ギッギイィィイィィィ――――――!  



 痛みで大音量の啼き声を上げる雌土竜をアルは冷たく見据え、脳まで届かせるつもりなのか槍尾の破片を踵で更にドゴォッと蹴り込む。アルの闘気―――龍気を纏った蹴りは破片を雌土竜の右目の奥深くまでズブズブッと押し込んだ。鮮血が噴き出す。



 ギッギッガアァァア――――――!



 アルの銀髪に血飛沫がかかったが気にする風もなく冷たい目で雌土竜を見下ろしていた。


 凛華はアルを見ていて己の血の気が引いていくのがわかる。恐ろしくなってしまった。アルにではなく、その戦い方に、だ。死を恐れず、敵に飛び込んでいく。こうなる前までのアルにはそこに勇気や他の感情が乗っていた。しかし今のアルは違う。感じるのは明確な殺気。殺すという目的だけで動いている。己の命や身体すら気にしていない。



 ガアッガッガアアアアアアアアアアアアアア――――――――――!!



 雌土竜が痛みに悲鳴を上げながらアルを振り落とす。着地したアルに今度は雄の方の土竜が襲い掛かった。刃尾を薙ぎ払おうとしている。アルはその尾の根元に向け極大の炎弾を放った。



 ゴオッドオオオオオオオオッ―――――――!



 左腕を振り回すように放たれたその炎は平時に込められた魔力を大きく超えている。周囲への木々へのダメージや火事、そして己の腕への保護なども含まれているいつもの炎弾とは大きく違う。


 殺せればそれでいい。そんなアルの思考を象って放たれた極大の炎弾は着弾と同時に周囲を巻き込んで爆炎と火柱を生み出した。


 エーラはその光景を見て息を呑み、汗を噴き出す。アルの左腕が己の炎で真っ黒に焦げていた。逃げていたときすら森へのダメージを考えていたアルの炎が今はタガが外れたかのようにのたうち、暴れ回っている。


 植物が燃えようが、森が燃えようが・・・・・己の腕が燃えようが気にも留めていない。闇色を含んだ血のような紅い瞳は刃鱗土竜にのみ視線を注いでいた。


 あれは、だめだ。エーラは焦る。今のアルはダメだ。戻ってこれなくなる。なぜだかそんな予感をひしひしとエーラの胸を締め付けていた。



 爆炎に吹き飛ばされ、火柱に呑まれた雄の刃鱗土竜はその鱗を更に黒く煤けさせながら炎から飛び出てくる。すぐに怒りの声を上げた。


 しかし獲物がいない。そう思って首を巡らせたときだ。雷で焼けていた左目に何か鋭いモノが突き刺さった。痛みで瞼をようとしたが、固いものに阻まれ閉じられない。


 暴れようとしたところへ、耐えられないほどの高熱が雄土竜の視神経を焼き払い、頭部の肉を焦がし、脳を灼いた。ビクリとその巨体が震える。それで終わりだった。


 アルは突き入れていた腕を引き抜く。より鋭くなった龍爪で死角になっていた目に突きを入れ、龍気を纏わせた腕で瞼を防ぎ、ありったけの炎を流し込んで灼いたのだ。殺意で爛々としている紅い瞳がもう1頭を射貫く。


 雌土竜は呆気なく殺された雄土竜を見て怒りを滾らせた。こんな小さな獲物にやられるなんて、と。先ほど眼を刺されたことなど忘れるほどの怒りを見せる。



 ガアアアアアアアアアアアアッ―――――!



 下顎を膨らませ怒りを発露させ、アルに向けて足に力を入れた。


 そこでアルの虹彩に更に変化が起きる。闇色が染みだしている割れた虹彩が更にのだ。


 今や紅い瞳ではなく闇色の瞳だ。マルクはそれにゾクリと背筋を泡立たせる。あいつの瞳は明るい紅だったはずだ。それが今や闇色の瞳に紅の破片が混じっている程度になってしまった。


 マルクは歯を食い縛って思考する。凛華とエーラは動けない。恐怖でなのか、別の感情でなのか。そして動こうにも成体らしき刃鱗土竜はまだ健在でアルはあの状態だ。下手は打てない。


 魔力のいまだ戻っていないマルクは凛華とエーラを庇いつつ、殺意を向け合う1人と1頭を眺めるしかなかった。頼むから誰か助けに来てくれ。あいつを、止めてくれ。その願いに応えられる者はここにはまだいない。




 アルの瞳の変化と共にアル自身にも変化が起こった。爪が更に鋭く分厚く伸び、上下の犬歯が肥大化する。ガチンと咬み合わせたアルは直後に口を開いた。


 禍々しい闘気――――殺戮衝動を漂わせた龍気が夥しいほど周囲に撒き散らされていく。


「ぐぅ、ぅぅぅぁぁぁあああガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」


 咆哮したアルにビリビリと気圧された3人は無理矢理に闘気の感知を理解させられた。これが闘気―――いや、アルの龍気。きっと普段のものではないはずだ。どうにかやめさせなければ。だが今の自分たちには抑え込める気がまったくしない。


 濃密な殺気で構成された龍気に雌土竜が反応して襲い掛かろうとした――――が、出鼻を挫くようにアルが飛び出す。鋭く繰り出された龍爪が刃鱗土竜の鼻先の鱗と鱗の間に食い込み、切り裂くように振り抜かれた。


「ガアッ!」


 ギイッ!!と怒りと痛みで刃鱗土竜が口を開けたところにアルが焦げた左腕を振るい極大の炎弾を撃ち出す。しかし、まともに動かない左腕では狙いがつけられなかったらしく外れた。着弾した爆炎は炎柱となり周囲を赤々と照らしていく。


 刃鱗土竜は開けていた口を素早く閉じると即座に突進した。


「グッ・・・・ガッ!!」


 空中に撥ね飛ばされたアルは通り抜ける刃鱗土竜の背に爪をかけ指先を煤で真っ黒に染めながら炎の龍爪―――――龍人族の焔龍爪を振るう。



 ギイッアアアアアアアアア――――――!



 背中を浅く灼き裂かれた刃鱗土竜は、半分ほど残っていた上層の鱗を移動させ残っている尾に纏わせると憤怒を込めて尾を振るい返した。


 アルは振り回された尾に打ち据えられ「ゴボッ!」と血を吐く。内臓にダメージを負ったのだろう。だが、そこで止まらない。薙ぎ払われた尾を身体で受け止めていた。一度手折った尾の先にジュッと貫手を突きこみ、骨らしきものを握る。龍気を纏った腕は中の肉くらいならものともしない。そのままゴオオッ!と炎上させた。

 一瞬で炭化していく尾と異様に熱が上がっていく体温。本能的な恐怖を感じた雌土竜は尾を回収しようと引っ張るがビクともしない。それどころか引っ張られてさえいた。



 ギイッ―――!?



 そのときアルの虹彩の紅がパァンっと砕ける。闇色の中には金で縁どられた縦長の瞳孔が見える。それに合わせてアルの姿が更に変化していく。牙が剥き出しになり、先ほどまでギリギリ感じていた理性も完全に消え失せていた。そこにいるのは闘争をやめない殺意に塗れた獣。




 幼馴染たちは息を吞む。


 ――――あの時の瞳はこれの兆候だった?もっと注意をしておくべきだった。


 その後悔は遅きに失していた。


 ビイイィッブチャアァァ―――――ッ!


 アルが握り締めた尾の骨ごと尻尾を引き千切った音だ。上層部の鱗もついたままだというのに意に介さず引っこ抜いた。


 その場に尾をポイと捨てたアルはドォン!と跳びだし、刃鱗土竜の下顎をバギャンッ!と蹴り上げる。異様な怪力だった。


 そのまま晒された雌土竜の柔らかい顎下を龍爪で貫きそのまま切り裂く。



 ギイヤギャイイイイガッアアアアッ―ッ――――!!



 慌てて離れようとする雌の高位魔獣。しかしアルが許さない。一足飛びに追いついて、血を流す刃鱗土竜の鼻先を踏み潰した。龍気を纏った踏み潰しにたまらず口を開ける雌土竜。


 アルは開けられた上顎にアッパーをぶち込むように口の中へ龍爪を突き入れ、ガガガガッ!と引き裂いた。鼻先まで切り裂かれた刃鱗土竜はビクンと鼻先を引っ込め、慌ててアルと。脅えているのだ。


 こいつは獲物などではない。殺される。本能で理解した。化け物と視線を逸らさず、慌てて移動しようとするも尻尾がないためうまくをつけられない。


 それでも高い知能を持つ高位魔獣だ。普段は使わない四本足を地に着いて身を起こし、一気に背を向けようとしたほんの一瞬だった。


 ゴオオオオオオオオオ―――――――ッ!


 アルが爆炎を横薙ぎに放つ。雌土竜が背を向けようとして横を向いたところへ鞭のような爆炎が横腹の下からぶちかまされた。


 ド、ガ、ガ、ガ、ドオォォン――――――――!


 ひっくり返された雌土竜にアルは獣のような速度で駆け上がり、首を何度か切り裂く。龍爪で引き裂かれた雌土竜は恐怖から逃れようとしたが、アルは振り落とされまいと貫手をブジュッと腹に突き込んだ。


 そこから雌土竜の体内にゴオッ!と爆炎が暴れ狂う。びくりと恐怖に身悶えした雌土竜が死力を振り絞ってのた打ち回ろうとした。しかし動こうとする端から牙を剥き出しにしたアルの爆炎が筋肉を灰へと変えていく。


 都合10発。時間にして10数秒。刃鱗土竜は爆炎が放たれるたびにボコッ!ボコッ!と異形な膨らみ方をして、最終的に千切れるように潰れた。体内の器官がほとんど炭化してしまったのだ。


 いっしょに崩れ落ちたアルは立ち上がり、残っていた刃鱗土竜の首と頭部が一体化している部位に近づいて足を掛ける。グズグズになっていた頭部はさほど時間も掛けずグシャリと踏み潰された。



 これは殺戮だ。断じて戦いや狩りなどではない。マルクたち3人は別の何かに成り果ててしまったアルに近寄ることができないでいた。と、そこでアルがギロリと3人へ視線を向ける。やはりあの目は違う。こちらを敵として見ているような目だ。


「俺たちがわかるか、アル?」


「アル?もう敵はいないの。大丈夫なのよ」


「その状態は何か危ないよアル。戻って?ね?」


 マルク、凛華、エーラはアルへと呼び掛ける。爪も剣も弓も構える気さえなかった。赤々と照らされた血塗れのアルは困惑しているように見える。敵が武器を置いて話しかけてきた。わけがわからない。そんな表情だ。闇色の瞳に滲んでいた殺意が少々薄れた。



 しかしそこでアルの表情が獣のそれに戻る。どうしたんだと3人が身構えるがアルは振り向いてすぐさま炎弾を


 ゴオッ!と吐き出された炎はブワリとかき消される。アルの眉間が険しく寄り、牙を剥いた。


「ガアッ!」


 異形の龍爪を構える。姿勢が低い。禍々しい龍気が殺気を帯びていく。手負いの魔獣。今のアルを形容するのにちょうどいい言葉はこれしか見つからなかった。



 アルの炎弾を打ち消したのは、ようやく子供たちに追いついたトリシャとヴィオレッタだ。アルの姿に心が痛い。


 焼け焦げた左腕に血がついていない箇所を見付ける方が難しいズタボロの服、異形の龍爪を獣のように構え、いつもは輝きを放っている紅い瞳は闇色にすべて呑まれていた。手当をしなければ命に関わる。他の捜索隊の面々はアルの起こした火事に当たってもらっている。

 

 今ここにいるのはヴィオレッタとトリシャ、そして捜索対象だった残り3人の父親、最後に人虎族の族長ベルクトだ。


「あれがアルかよ・・・畜生、自分が不甲斐ねえ」


 八重蔵は弟子の変わり果てた姿に気合を入れる。ああなった仕組みや経緯メカニズムは知らない。しかし簡単に我を失うような軟弱な弟子ではない。


 ―――――絶対に引き戻す。


「アル、爪を下ろすんだ。お前が皆を守ってくれたのは理解している。だからもういい、もういいんだ」


 痛ましい姿を見ていられないラファルは落ち着かせようと試みる。明るく真っ直ぐな印象のアルがここまで追い込まれる状況に間に合わなかった。怒りと悲しみが己に向く。


「そうだ。アルクス。もう終わった。手当をしなければならん。落ち着くんだ」


 マモンも呼び掛けた。濃い血の匂いと焦げた肉の匂い。そのどれもがアルからしている。そして子供たちは怪我こそしているもののアルに較べればかなりマシだった。どれほど一人で戦ったというのか。


「・・・・」


 ベルクトはこの惨状に仰天して言葉が出てこない。成体の刃鱗土竜が眼を潰され死んでいて、もう1頭は潰れた頭部がなければいたことに気づけないほどに身体が四散していた。何があったんだ。


 煌びやかな銀髪を閃かせたトリシャと紫がかった艶やかな黒髪を靡かせたヴィオレッタが進み出た。トリシャにとって大事な愛息子。ヴィオレッタにとって大切な愛弟子。そのアルにこれ以上自分を壊すような真似をさせるわけにはいかない。



「アル!お母さんが来たからもう大丈夫よ!」


「変わり果てておるなアルよ。今戻してやるから安心せい」



 2人の宣言にアルは咆哮で応えた。

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