11話 不完全な”魔法” (アルクス6歳の秋)

 時刻は午後3時過ぎ、陽射しは暖かいものの風はもう涼しいというよりは肌寒い。


 マルクガルムをヴィオレッタ師匠の授業に連行していったアルクスは訓練場での課外授業を受け、現在“魔法”そのものの強力さに心底憧憬の念を募らせていた。



 そんなアルにヴィオレッタが告げる。


「では、最後の質問についてじゃ。なれに“魔法”が使えるかどうか。こればかりは儂にもわからぬと言うたな?」


 何せ半魔族という存在は今まで歴史上存在しない。



 血で血を洗う魔族同士の民族紛争は種が絶滅に瀕することで収束に向かった。丁度その頃から人間同士もまた小国同士の戦争期に突入していたのだ。


 個人レベルでの友誼ならあっても、帝国の興りまで魔族と人間には微妙な溝が存在していて、ようやく公的な友誼を結んだところで聖国の強行政策である。半魔族が生まれる余地などないに等しい。


 ちなみに獣人族は昔からどちらかと言えば人間寄りの立ち位置だ。半獣人や四半獣人という存在も探せばちらほらいる程度には存在している。最近はそれも増えているそうだ。一部の国以外という前提はつくのだが。



 半龍人の自分に”魔法”が使えるかはわからない。ヴィオレッタの言葉にアルは頷いた。忘れるはずもない。


 アルへ視線を投げるヴィオレッタは数瞬だけ迷い、ためらいがちな言葉を紡ぎだす。


「今からアルに教え、実践してみるのは―――魔族が戦をしていた頃、子供たちを早く戦士として育てるためにしていた施術じゃ。命の危険は低いが、あまり褒められた手段ではない」


「褒められた手段ではない?どういうものなんです?」


 当然の疑問をアルは口にした。変な薬とか使うのだろうか?


「怪しい類ではない。むしろ戦好きの魔族らしいド直球なやり方じゃ」


「・・・ド直球?」 


ますますわからない。首を捻るアルへ師は正解を告げた。


「操魔核じゃよ、アル。魔力を生み出す重要な器官であり、最も他人の魔力が入り込む余地のない部位。


 そこへ他者から高密度の魔力を放射することで、操魔核を狂わせ、一時的な暴走変換を起こすんじゃ。


 うまくいけばその場で“魔法”が発現し、うまくいかずとも気門を全開にしておきさえすれば大量の魔力がその場にあふれ出すだけで済む。


 ま、昔の脳筋共は阿呆じゃったからの。気門をろくに開けずにそのまま施術して、子供の体内で魔力を荒れ狂わせた挙げ句の果てには自家中毒に陥らせる阿呆共もおったがのぅ。して、アルよ。どうする?」


「・・・・」


 正直言えばそこまで切実に“魔法”が使いたいんです!というつもりで質問したわけではなかった。


 みんないいなぁ。やっぱり自分にもできたりしないかなぁ、くらいなものだ。



 アルは少しの間、青白い銀髪を右に左に、上に下にと揺らして考え込んでいたが、意を決したようにヴィオレッタを見る。


「師匠、やってみたいです!“魔法”が発現しなくても!」


「そうか。では、やってみようかの。しかしその前に気門を開ける練習じゃ。普段から余剰魔力を逃がすために軽く開いてはおるが意識して全開にせねばさすがに危ないからの」


 その後1時間ほど、アルはヴィオレッタの指導を受けて気門を全開にする訓練を行うことになるのであった。



***



 途中で起きたマルクの視線を受けながら、緊張しているアルは手足をプルプルと振った。


「よし、こんなもんじゃろう。アル気門を全開にするんじゃ」


 アルの身体からは普段の倍近い魔力が漂ってきている。まだ色が見え始めるほど魔力の深みには達していないが、周囲は時折陽炎のように歪んで見えた。


「う、やっぱちょっとこわい」


「大丈夫じゃ、ただし気門を閉じるような真似はするでないぞ?」


「はいわかってますりょうかいです」


 やや早口で答えるアルを安心させようと左肩にヴィオレッタは手を置く。


 そしてアルの心臓の左下寄り、横隔膜と心臓の境目ほどに右手を添え―――


「ゆくぞ?はっ!!」


 と、右手から槍状になった紫色の魔力を叩き込んだ。形状の変化しか行っていない魔力はアルの身体を傷つけることなく抜けていく。


 しかしその一拍の後、急激に変化が起こった。


――――ドクンッ――――!


 心臓の音が聞こえたと思った瞬間、アルの身体はビクンと跳ねた。次いで大量の魔力が暴れ狂うように溢れ出す。


「ぐっ・・・うぅっ、あああぁぁぁっ!」


 身体が熱い。血が燃えているようだ。荒れ狂う魔力が身体中を跳ね回っている。無意識に悲鳴を上げた。


「落ち着くんじゃアル。それは異物ではなく汝の魔力。気門を全開にして、魔力をそちらへ流すのじゃ」


 ヴィオレッタの静かな声を聞き、火照った脳でぼーっとしながらもアルは言われた通り魔力を気門の方へ流していく。


 すると、少しずつだが、身体の熱が周囲の空気に吸われていくような感覚を覚えた。そのまま魔力を気門の方へ流していく。


「はあっ、はぁっ、はっ、はぁ・・・・・はぁ〜」


 どうやら終わったようだ。異様な倦怠感。今朝ぶりの魔力切れでアルはへたり込んだ。


 

 じっと見ていたヴィオレッタは予想よりも溢れていた魔力が多かったことに気付いて微笑む。真面目に日課を続けていたのだろう。


「落ち着いたようじゃの。大丈夫か?しかしかなりの魔力量じゃったな。日課は実を結んでおるようで嬉しいぞ」


「ふぅ・・・ふぅ〜。師匠、のんき過ぎです」


 疲弊してへたり込んだままアルは口を尖らせた。


「ま、儂がそばにおるからのう。弟子も守れぬ師になった覚えはないゆえ安心せい。して、どうじゃ?“魔法”らしきものの感覚はあったか?」


 その言葉に一瞬考え込むアル。しかし即座に正直な申告をした。


「たぶん“魔法”って発現したらそういう実感みたいなのがあるんですよね?だったらなかったです」


「そうじゃのう。“魔法”は発現すれば実感がある。確信のようなものがあるのじゃ。やり方がわからなくなるといったようなことは、まずない。アルにそのような感覚がないとしたら、おそらくは発現しなかったのじゃろう」


「そっかぁ・・・やっぱだめかぁ。あんなにキツかったのに」


 師の言葉にアルはちょっと落ち込む。やんなきゃよかったなぁと内心は後悔しきりだ。


ヴィオレッタが慰めの言葉をかけつつ、本日の授業は終わりを迎えることとなった。



 なお、アルの大量の魔力を浴びることとなったマルクはなんとなく生体魔力感知まで出来るようになってしまった。


「なんかアルの方から熱い空気みたいなのが流れてきてる。もしかしてこれがヴィオ様の言ってた魔力ってやつなのか?あれ?なんか里の方にもいっぱいそんなんがあるな」


 と、このように、アルが何度も設置された風にステンと転ばされてようやっと習得した技術を妙な器用さでなんとなく覚えてしまったマルクであった。


 慣れ親しんだ友人の魔力であること、その友人が龍人の血を引いていたことが理由だ。


 マルクがこれを魔力感知だと知るのは、まともに魔力の扱いを学ぶ2年後のことになる。


 そういったわけで、今回最も進歩したのはマルクであった。



***



 授業を終え、ヘトヘトになったアルと魔力感知を習得しておきながらちっとも気づいてないマルクは家路へと着いていた。


 ヴィオレッタは現在引きこもっていた研究室へと舞い戻り、転移魔術の新しい方法論そして重力魔術の有用性という分野で論文を書いている。



 これは少し前の授業でアルが言ったことに端を発するものだ。


 その頃アルは前世の―――額に指先を当て相手の気配を探り、見つけた!とか言いながらそちらにピシュンッ!とテレポートする某有名アニメを思い出し、興奮気味にヴィオレッタに訊ねてみたのだ。


 すると転移そのものはあるが、そんな遠くにまで行けたりはしないと師は答えた。


 詳しく聞いてみたところ、師はこの世界の転移魔術は基本目視可能距離でしかやらないという。


 なぜかと問えば、自分の見えない場所に跳んで何かあったら困るだろう、とのこと。上空に跳べば良いじゃないかと言ったところ既に試したそうだ。


 なら出来てるじゃないかと食い下がるアルにヴィオレッタは―――何度も計算したはずなのに距離が遠くなればなるほど高さの座標が合わなくなり、最終的に呼吸出来ない高さまで行ってしまい、あわや窒息死する寸前になった。というエピソードを話した。



 そこでアルはピンと来て、この世界が惑星でありそうだという根拠を探しに出たのだ。


 結果として惑星であるという確たる証拠までは見つからなかった。宇宙に出る知恵も技術もないのでそこはしょうがない。


 ならばと地球のような丸っこい星である疑惑を探し回り、それをヴィオレッタに報告した。



 ついでに、師の教えてくれた転移魔術が術師本人を基点とした相対座標を算出して行う術だという術理を聞いたことで仮説を作ったのだ。


 師のエピソードの失敗点―――惑星であるがゆえ一定距離以上、相対距離を伸ばせば伸ばすほどわざわざ設定した高度が、術の発動地点からは見えない高度に加算されてしまう、と。


 やるなら減算しなければどんどん高度が上がっていっていずれは宇宙まで飛び出してしまうんじゃないかという仮説を下手くそな図解を用いて必死に説明したのだ。



 これにヴィオレッタはショックを受けた。魔導文明と科学文明の差だ。


 その後、いくつか術式を練って試したヴィオレッタは夏だというのにも関わらず日も出ていない早朝というか未明頃、真っ黒な隈を作ってアルの元を訪ねてきた。


 師匠大好きっ子のアルでもこれには悲鳴を上げたのは言うまでもない。いつ寝たのかもわからないほどの隈と振り乱した髪の美人など前世の記憶がなくとも誰だって怖いものだ。ちなみにトリシャはチラッと見てすぐ寝直した。慣れているらしい。



 その後上手くいったという報告をされたついでに興奮冷めやらぬヴィオレッタに連れ出され、アルは『新・転移術式』によってどこだかわからない森林の上空に拉致された。


 急に足場もない強風のなかに跳ばされたアルはその日二度目の悲鳴を上げることになったのだ。


 またこの時初めてヴィオレッタが『飛空術式』という俗に言う空を飛ぶ術式を使えることを知った。




 もう一つの重力魔術についても余計なことをアルが言った結果である。


 アルが『念動術』の術理をヴィオレッタに聞いた時のことである。


 『念動術』とは対象物の質量を軽減し、見えない手で持つ。それ以上でも以下でもない。また、魔力を持っている生物には効果を発揮しない。


 これは、念動術に使う魔力よりどう見繕っても対象の生物に内包されている魔力の方が多いためである。要は弾かれるのだ。似たような理由で相手の身体そのものにかけるタイプの術は相手の魔力の多寡によって効果にバラつきがある。


 そこでアルが言ったのは、見えない手を作る術式を描かずに質量の軽減ができるのならそのまま動かせばいいじゃないかというようなことだった。


 つまり対象物の重力ベクトルだけを弄ってしまえば見えない手とやらはいらないんじゃないか?と訊ねたのだ。



 これにもヴィオレッタは異世界カルチャーショックを受けた。なまじ腕を突き出すだけで魔力という強力な力を出せるため、物理的な力に対して―――いわゆる物理エネルギーを軽視してしまう傾向にあるのだ。


 その一週間は重力ベクトル―――物理選択をした高校生なら誰でも知っているあの矢印を使うアレを学び、さらに位置エネルギー、運動エネルギー、重力加速度、摩擦などなどをアルにひたすら思い出させる一週間となった。



 こういった経緯があり、ヴィオレッタは現在新しい術理と術式の論文を書いているのだ。何でも帝都にいる魔族の友人に送り、意見を交換し合うのだとか。



▽▲▽



 自宅に戻ってきたアルを出迎えたのは母トリシャと隣に住む幼馴染、凛華であった。


「あれ?凛華どしたの?」


「その前にただいまでしょ?」


 なぜいるのか問うたアルにトリシャが注意する。


「ただいま母さん。それで凛華どうしたの?」


 律儀に挨拶をして聞き直すアル。


「いえ・・・ほらアルに今日、明日父さんのとこ行って剣の稽古つけてもらえるよう頼みに行こうって誘ったでしょ?アル忘れてないかなと思って。それとトリシャおばさまにその話をしてたの」


 凛華はトリシャの方をちらっと見つつ答えた。オーバーロードした操魔核から溢れ出した魔力といっしょにそんな記憶も流れ出ていたアルは平然を装って返事をする。


「おぼえてるに決まってるじゃん。何言ってんのさ。今日の今日だよ?ばか言っちゃいけないよ。母さん、八重蔵おじさんの稽古行っていい?」


 否定過多だ。何気なく最後にトリシャに許可を求めた。


「忘れてたでしょうアル。別にいいんじゃない?去年お墓で八重蔵とそんな話してたしね」


 ズバリ嘘だと看破したうえで許可を出す母。


「よかった。じゃアル明日ねっ」


 その言葉を聞いた凛華は明らかに先ほどよりウキウキした様子でパッと立上がって帰ろうとする。トリシャはそんな凛華をニマニマして見ていたが、アルは特に気付かず半眼で注意した。


「わかったけど、朝5時とかやめてよ?」


「わかってるわかってる。できるだけ早く稽古始めたいわねっ!」


 わかってない人の返し方をしながら凛華はニコニコして扉を開く。


「ねぇわかってないよね?あ、行っちゃったよもう。朝早く急に来るのは師匠で十分だよぉ」


 貞子風ヴィオレッタに軽いトラウマを抱いているアルであった。



 ***



 次の日、思ったより常識的な時間に来た凛華とアルは非番の八重蔵のもとへ向かった。


 八重蔵は庭でちょうど朝稽古を終えたようで「ふぅ~」と息を吐きながら裸の上半身を拭いている。


「八重蔵先生おはよーございますっ」


 アルの先制パンチが庭に響いた。アルはともかく凛華相手にはゴネそうだと考えておだてる作戦に出たのだ。ちなみに凛華は柱に隠れて様子をうかがっている。アルでだめなら自分もダメだろうと考えたのである。


「んお?よぉアル坊はえーな。って先生?・・・あーなるほどな。凛華ぁー、いるんだろ?」


 さすがにアルの呼び方でピンと来た八重蔵が一人娘を呼んだ。


「父さん、剣教えてください!」


 柱から出ると同時に頭を下げる凛華。アルも「先生よろしくおねがいしますっ」といっしょに頭を下げた。


 そんな二人を前に頭をガリガリ掻きながら八重蔵は答える。


「あー・・・まぁ約束してたしな。教えてやんよ。つーか凛華、お前なんか勘違いしてるみてぇだが俺は反対なんぞしてなかったぞ?むしろ大賛成だった」


「えっ?うそ、だって父さんだめって言ってたじゃん」


 一瞬でいつもの父娘のしゃべり方に戻った凛華が反論した。


「ありゃ母ちゃんがそう言えっつーからだよ。6歳なら6歳になるまで触らすなってよ。ついでに”魔法”も使えないんじゃ剣握ったって振り回されるだけだからそれまで我慢させろって。ほれ、紅椿は短剣くらいしか扱わねぇだろ?」


 真相を八重蔵は語り始める。


「兄貴が軟弱だったからじゃないの?」


 しかし納得のいかなかった凛華はなかなか辛辣な言葉を吐いた。


「こーらっ。実の兄をそんな風に言うもんじゃありません」


 どこから出てきたのか、凛華の母である水葵がぽこんと凛華の頭に拳骨を落とす。水葵は、娘同様の二本角、優し気ながら揺るがない気品を感じさせる顔立ちは儚げな雰囲気に見える(だけの)凛華より紅椿に似ていて穏やかそうに見える。


 しかし残念ながらアルはそうでないことをよく知っていた。八重蔵にしたときよりもピンッと背筋を伸ばし「おはようございます!」と勢いよく頭を下げる。さながら部活生が顧問に挨拶するような感じだ。


 八重蔵にいつぞやビンタをかましたのもこの人である。八重蔵曰く『鬼人族の女は見た目は天女でも中身は般若なことが多いから気をつけろ』とのことだ。


 アルも凛華でよーくわかっている。最も本人たちは「男どもが馬鹿なことをしなければ般若になることもないのよ」とのたまうであろう。


「アルクスちゃんおはよう。凛華?紅は”魔法”も使えない4歳ごろに張り切り過ぎたお父さんから稽古させられてトラウマになってるのよ。泣いて帰ってくるあの子を私が慰めてあげてたの」


 凛華は母の言葉に「えっ」という顔で父を見た。八重蔵はバツの悪そうな顔でポリポリと頬を掻いている。一方蚊帳の外なアルは、こっちの世界でも精神的外傷トラウマはトラウマなのか、と非常にどうでも良いことに感心していた。



 八重蔵が凛華の兄――紅椿へ稽古を始めたのは4歳ごろのことだ。初めての子供で男の子、張り切った八重蔵はそれはもう子供なら大泣き物の本気の稽古を行った。


 アルの前世でもよくある話である。


 剣道をやっている小学生くらいの息子に同じく剣道をやっている父親が本気で打ち込んでたり、空手の師範をやっている父親が自分の子供が習い始めたら組手の時、腰の回転とは逆の足で蹴りを繰り出してきたり、サッカーを習っている息子がキーパーになったらPKの練習だと張り切り無回転シュートを打ってきたりする父親がいるだろう。そういう話だ。


 その結果、紅椿は長剣を見ると体が拒否反応を示すようになってしまった。当時、烈火のごとく怒った水葵に八重蔵はシバかれ、水葵は水葵で紅椿を慰めながら自分の得意な氷属性魔力や魔術を仕込んでいたため相当ちゃっかりしている。


 なお現在、紅椿は将来有望なとして里内で有名だったりする。



 そんな話を聞いたアルと凛華はなんとなく微妙な気分になっていたが、八重蔵はさっさと切り替えた。


「よし、じゃあ稽古をそうだな・・・明日は任務仕事で、明後日は~・・・参加させてもいい――いやまだ早えな。明々後日からだな。と、くりゃ二人とも出かけるぞ」


そう言いながら家を出て行く。


「「どこに?」」


 顔を見合わせた凛華とアルは同時に訊ねた。


「どこって鍛冶屋だよ。お前ら子供用の練習用武器があるわきゃねぇだろ?」


 その言葉にぱっと顔を輝かせた凛華とアルはタタッと八重蔵の後についていく。いよいよだ。


「あなた~、くれぐれも加減を忘れるんじゃありませんよ~」


 水葵の言葉も八重蔵の背中を追う。


「わかってるよ」


軽薄な返事をしながらチラリと振り返った八重蔵は嫁の顔に般若を幻視するのであった。



***



 里の北門付近から西側に伸びるような一角は鍛冶屋群だ。カンッ、カンッ、カンッと槌で金属を叩く音が絶えず聞こえてくる。頑丈そうな煉瓦造りの鍛冶場が至る所に建ち並び、そのほとんどから伸びている煙突はもくもくと煙を吐き続けている。


 規模は小さいが鍛冶屋のみで構成されている職人街のようなものである。ここいらは夏場、一分でもいれば汗が噴き出す蒸し風呂と化すが今の時期は少々暖かい。


 それでも居続ければ汗ばむほどの熱気が漂っていた。大森林の冬場は寒いので子供たちにとってここいらは良い遊び場だ。散々走り回って叱られるまでがセットとなっている。


 その鍛冶屋群の一番北側に八重蔵の目当ての鍛冶屋があった。


「おーい。キースいるか?」


「ん?八重蔵か。どうした?また剣折っちまったのか?だから見習い相手の鍛錬は気ぃ使えっつったろう。連中はまだ武器に気ぃ使ってやれるほどにゃあ使えねえんだから」


 八重蔵の声に反応したのは休憩していたここの主―――手拭いを額に巻いて葉巻を燻らせていたキース・ペルメルだ。


「違えよ。こいつらの練習用の武器作ってもらおうと思ってな」


「あん?こいつら?」


 キースは怪訝な顔を八重蔵に向ける。


「キースおじさんおはよーございますっ」


「おはようございます」


 アルと凛華はほぼ同時に八重蔵の背中から出てきて挨拶した。


「おう、アル坊に凛華嬢ちゃんかい。お前さんらの練習用ってこたぁ稽古はじめんのか?」


 早くねぇか?と問うような視線が八重蔵に向けられる。遊びで剣を握らせるような男ではない。


「おうよ」


「武器種は?お前が教えるんだったらツェシュタール流だろ?長剣と直剣か?それとも大剣か?」


 端的な八重蔵の返答を訊いて即座に畳みかけて問うキース。


「全部だ。俺が使える武器種は全部」


「はあ!?」


 全部やらせるつもりか?キースは視線で問うた。


「こいつらに一番合った武器を探さなきゃならん」


 が八重蔵は首を横に振って真剣な顔を向ける。キースはその言葉に納得してアルと凛華の顔を見た。視線を向けられた2人はその視線の意味がよくわからず顔を見合わせてキョトンとする。


 

 しかしキースにはよく理解できた。八重蔵にとって凛華とアルは特別なのだ。


 凛華は可愛い一人娘でおまけに剣に興味を持っている。いずれその剣を使って魔獣や・・・・・・下手したらひとと闘わなくてはならないかもしれない。


 尚のこと問題なのは凛華がアルにべったりだということだ。アルと共にいるつもりなら厄介ごとは普通の魔族よりきっと多い。だからこそ中途半端に鍛えるつもりは無いのだろう。何があっても死なないよう、生き残れるように、と本気で鍛える気でいるのだ。



 そしてアルはアルで特別―――それは親友の忘れ形見だからだ。生半可な稽古をつけて二度もトリシャから大事な存在を奪うような事態を起こすわけにはいかない。 


 そのうえ半龍人だ。厄介事はおそらくあちらからやってくるだろう。そんなときに自分の身は自分で守れるだけの強さをつけてやらねばならない。何より息子紅椿の命を繋いでくれたユリウスの恩に報いるためにも。



 その思いが痛いほどわかるキースは動きのぎこちない左足を握りしめる。キースはあの村にいた。神殿騎士どもが村を襲い、自分も子供を逃がしている途中で怪我を負い、そんなところをユリウスが助けてくれたのだ。自らを血塗れにして。


 あのあと死んだと聞き、嘆くトリシャを見たときは己が死ぬべきだったと本気でそう思った。


「いいだろう。お前の使える武器種全部だな?」


「ああ」


 短いやりとりでこちらの思いも十二分に伝わったらしい。


「とりあえずお前さんらの腕の長さと手を測らせてくれ。ふぅ。こりゃ源治も呼ばなきゃならねぇな」


 キースは疑問符を頭に浮かべる子供2人の間合いを手慣れた手つきでササッと採寸する。


「悪いな、源治には俺の方から言っとくよ。そんじゃ頼むぜ」


「おう、まかせな」


 最低限の言葉を交わす。これだけでも充分に伝わるのが男同士というものだ。


「邪魔しねえように帰るぞー」


「はーい」


「はーい?」


 八重蔵は「なんか変な感じだったよね?」と顔を見合わせる2人を連れて鍛冶屋を後にする。


 手を引かれる2人を見送って葉巻を吸い直そうとしたキースは「あれ?火ぃ消えちまってたか」と呟いて何かを考えるように炉の方を見つめていた。



 ***



 その一週間後の朝。トリシャは朝番だということで、まだ眠っているアルへ台所キッチンから声をかけた。


「アルー?今日お母さん朝番だからもう出るわよー。朝ごはんは置いとくからちゃんと食べるのよー?」


 朝から日課をこなしているアルでも母のでかける時間は早すぎて眠っていることの方が多い。今回も寝ぼけた頭で母の声に「うぅん・・・あーい」と答え、頬をボリボリ掻いて深く寝直そうとしたときだ。


 掻いた頬に激痛が走った。痛い。カアッと熱くなる感覚に驚いて思わず飛び起きる。頬はジクジクとした痛みを訴えていた。


「かーさぁん!」


 呼びかけ立ち上がろうとして視界に違和感を覚える。例えるなら今まで30fpsだった視界が110fpsに変わったような妙な感覚。1秒間に20回連写していたはずのカメラが急にスローモーションカメラばりの撮影回数になったかのような激烈な違和感。


 流れてくる視界が滑らかすぎて感覚が狂う。足を出す位置が決め切れず、グラリと傾いで寝台ベッドからドタバタと転げ落ちた。


 落ちたときにシャーッという音がしたので見てみれば敷布シーツが引き裂かれている。落ちたときに何かが指に引っかかったままなのか抜けない。見ると枕だった。枕は頬から落ちたであろう血の赤い飛沫が付着している。


「かあさぁん!」


 何が起こっているんだ?怖くなったアルが母を呼びながらドタバタしていると部屋の戸が勢いよく開かれた。


「アル!こんな朝早くからドタバタしたらご近所迷惑でしょ!―――ってどうしたのっ!?誰にっ―――アル、その目・・・!」


「かぁさん・・・ぐすっ、なにこれ・・・」


 アルは半べそで母を見た、その瞳孔を細めながら。



***



 少し落ち着いたアルは何にも触らぬようじっとおとなしく座っている。あのあとトリシャはアルの頬を止血し、常備していた森人印の癒薬帯いやくたい―――外傷に効きやすい薬草を数種類、薬効成分を抽出して包帯にしたものを貼り付けるように巻いてヴィオレッタを呼んできた。


「うぅむ、朝早くに何事かと思ったがこれは確かに呼ばれたのも納得の事態じゃ」


 そう言いつつ、ヴィオレッタはアルを見る。まず瞳だろう。動向は黒いスリットが入ったような縦長の眼に変わっている。


「ふぅむ、トリシャの龍眼とは違うのぅ」


 トリシャ―――龍人の龍眼は瞳孔こそ現在のアルと似通った形状になるが、虹彩に直線状の微細なヒビが入るのだ。その微細なヒビが見る角度で虹彩の色を微妙に変えるので龍眼は別名で瞳玉とも呼ばれる。


 しかし、アルにはそのヒビがない。瞳孔のみが変化している。そして――――。


「手足の爪だけが異様に尖っておるのう。『龍体化』しておるトリシャの爪もこんなような感じじゃな」


 アルの手足の爪は見るからに凶暴そうな細長く鋭い爪に変わっていた。


「ずび、んぐ・・・師匠、もどり方わかんないです」


 母の出したお茶をグビっと呑み、アルが助けを求める。これはアルも気づいていないことだったが歯も少々尖り八重歯もじゃっかん伸びていた。


「これ、そう情けない顔をするもんではないぞ」


 トリシャがその頭をよしよしと撫でながらヴィオレッタに顔を向ける。どうしたらいいの?という表情だ。朝番はとっくに誰かへ放り投げたようだ。


「だってこれ”魔法”じゃないんでしょう?母さんは『龍体化』覚えてもすぐ戻れたって言ってました」


 そうだよね?と言うようにトリシャを見上げるアル。トリシャも困ったように頷いた。


「うーむ、アルは半分人間ゆえ不測の事態が起きて『部分変化』が先に起こったのかもしれん」


「でも『龍体化』にしてもそれこそイェーガー家の『人狼化』にしても『部分変化』ってこんな局所的じゃないわよ?」


 トリシャの反論ももっともだ。眼だけ、爪だけ、という『部分変化』はできない、というより意味がない。普通は足なり腕なりだ。もっと大雑把だと上半身、下半身くらいのものである。


 ヴィオレッタは顎に手をやって考え込む。


「ぼく疲れた」


 アルの言葉に『そうだ魔力の消費はどうなのだ?』と疑問に思いヴィオレッタは口を開きかけた。


「あっ」


 じっと自分の爪を見ていたアルが驚いたように声を上げ母と師に己の指を見せた。


「なんか・・・もどった?でもぼく何もしてない。魔力もまだそんなに減ってないし」


 トリシャとヴィオレッタの視線がアルの爪と瞳へ向いた。どちらもいつものアルのものへと戻っている。


「とりあえず戻ってよかったわ。心配したわよ」


 ふうと息をついて息子を抱えるトリシャ。アルも落ち着いたのか眠気を思い出したように目をこする。


「とりあえず今日はさっきの『龍体部分変化もどき』の検証じゃ」


 ヴィオレッタは自分の予定を破棄して愛弟子と親友ために予定を組みなおしてそう告げた。


「師匠、まだねむいです」


「なんか語呂悪いわねぇ」


 しかし、戻った途端のんきなことを言いだす親子。


 こやつらちょっと説教でもしてやろうか。ヴィオレッタとてトリシャに叩き起こされているのだ。幸い眠りは少なくても問題ない方ではあるが。


「・・・とりあえずもうちょっとしてからじゃの。アルはちぃと寝てよいぞ。子どもは寝るのも仕事じゃ」


 そう言われてすぐに母の懐で寝息を立て始めるアル。ヴィオレッタとトリシャはそのあどけない顔を見ながら茶を呑み交わすのであった。



 結局その日の検証の結果、アルは『部分変化もどき』を自分の意思で使いこなせるようになった。というよりヴィオレッタが最低限そのレベルに達するまでやめさせなかった。


 確かにあの爪は危ない。大して力も加えていないのに敷布を裂いたのだ。自分の意思でコントロールできないとそんなつもりはなくても誰かを怪我させてしまうという認識はあったため、トリシャの持っている龍人の知識を頼りながらアルは真面目に取り組んでいた。

 

 また性能についても検証をした結果―――アルのは動体視力に関しては龍人のソレと大差ないものだったが、魔力を視認しやすくなるという利点はないようであった。


 爪に関しても同様で爪そのものは龍人族の使う龍爪と変わりないが、鱗が生えるでもなく肉体が強化されているわけでもないアルの龍爪は根元の指が負担に耐えられないため、『龍体化』した龍人のように振るうのはやめた方がいいという結論に至ったのだった。

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