5話 鬼娘と耳長娘 (アルクス5歳の夏)

 魔術と魔法についての初授業を受け、師の家を出たアルクスは里を茜色に染め上げる夕焼けを眺めながら家路へとついていた。


 母であるトリシャは任務で里の外だ。夕飯はお隣さんに任せてあるから時間になったらそこで食べさせてもらいなさい、と朝方家を出るときに言っていたのをアルは思い出す。


 あまり遅くなっても迷惑だろう。そう考えてノートを家においてすぐに隣の家を訪ねることにした。相伴に預からせてもらうのだから手伝いの一つもするのが筋というものだ。


 隣の家は4人暮らしだ。2人暮らしのアルとトリシャ――ルミナス家より当然家自体は大きい。アルがその戸を叩こうとしたところで背後から声をかけられた。


「あれっ?アル!アルも夕ごはんはここに行けって言われたの?」


 児童特有の甲高く透き通った声。アルは声のする方を振り返り、幼馴染の少女の姿を認めて頷いた。


「や、エーラ。かあさんが夕飯は頼んであるからって」


 浅黒い肌に乳白色を帯びた金の短髪、新緑を思わせる緑色の瞳をクリクリさせた尖り耳の可愛らしい森人の少女―――シルフィエーラ・ローリエはアルに駆け寄る。


「わたしもいっしょ!今日はおとーさんもおかーさんもおしごとなんだー。おねーちゃんも見習いのおしごとでいないの」


「ふぅん。でもはやくない?」


 周囲を見渡したアルはそう言った。夕暮れ時とは言え夕飯にはまだまだ早い時間帯だ。


「おてつだいしようと思って!」


「そんじゃぼくといっしょだね」


「ねー」


 ニコニコしている幼馴染を見やりつつ、アルは隣家の戸を叩き直す。


 戸を開いたのは幼馴染組最後の一人、鬼人族のイスルギ・凛華りんかだ。艶のある黒髪を後ろに流し、鬼人らしく額には2本角がちょこんと伸びている。見た目だけなら薄幸の美少女と言えるが幼馴染組4人の中で最も気が強い。


 今はどこか怒っているような表情をアルに向け、扉の前で仁王立ちしていた。


「凛華~きたよっ。朝ぶり~」


「おじゃましまーす」


 そんな表情を見ても気にも留めないシルフィエーラが家に入ろうとする。


「ちょっとまちなさい」


 アルが森人の幼馴染に倣ったところで、凛華がパシッと止めた。氷を思わせるキツい青い瞳がアルを射抜いている。


 何か怒らせるようなことしたっけ?身に覚えがない。


「えっ?いや、あの、夕飯のしたく手伝おうと思って――――」


「しってる。ちょっときて。エーラも」


 言い訳めいたことを言うアルを遮って凛華は手を引いた。


「え~わたしもぉ?」


「そーよ」


 凛華はシルフィエーラへジロリと視線をやる。何かを訴えかけているように見えるが、シルフィエーラはどこ吹く風で主張した。


「あとで良くない?おなかすいてきちゃった」


「良くない。がまんなさい」


 凛華はにべもなく返す。なんとなく用件を理解していそうなシルフィエーラとまったくわからないアルは凛華の家の裏手に連行されていくのだった。



 ルミナス家とイスルギ家の隙間―――かくれんぼのときによく使う場所に2人を着れて来た凛華は早速とばかりに口を開く。


「ヴィオ様に話はきいたわ。いつ気づいたの?てんせいしゃって」


「いつって昨日だよ?頭打ってすぐ」


 より詳細に言えば、魔力感知訓練のためにヴィオレッタが配置した風に無意識で同規模の風を発現させたらしく、ぽぉんっと弾かれて頭を強打した後である。


「そう。じゃあそれまでそんな記憶はぜんぜんなかったの?」


「そうだよ?なんで?」


 アルは首をコテンと傾げる。質問の意図が分からない。


「前にあんたが昼寝してたとき『バイク』がなんとか聞いたことない言葉を寝言でしゃべってたからよ」


「えっ」


 凛華の返答はアルの思ってもみないものだった。前世の記憶を追体験したのは昨日のはずだ。


「わたしそれ知らないよ」


 そんなことあったっけ?という顔をするシルフィエーラ。


「エーラはかべにはりついて寝てたわ」


「そんなことしてないもん」


「してたわ。で、どーなの?」


「・・・うーん?いや、やっぱりちゃんと思い出したのは昨日だよ。ねごとは・・・よくわかんないや」


 考えた末に回答をほっぽり出すアルをじいっと観察していた凛華は、幼馴染の様子からきっと真実なのだろうと結論付けて、一番聞きたいことを問うことにした。


「そ。そっちはもういいわ。それで・・・アルはアルのまま、なのよね?あたしたちの知らないアルになったとかじゃあ・・・ないのよね?」


 凛華の問いはシルフィエーラを真剣な表情にさせる。確認する機会をうかがう為あえて能天気にふるまっていたが、まだるっこしいことを嫌った凛華がアルへ直球を投げつけてくれた。


 得体の知れない異世界の誰かではなく、ヴィオレッタの言う通り自分たちの知っている幼馴染のアルクスのままなのか。重要なのはそこだ。


 青と緑の鮮やかな瞳がアルをじいっと見つめる。固唾をのむ2人に、アルは凛華が怒っているように見えたワケを理解した。


 きっと2人は不安だったのだ。怖いと言っても良いかもしれない。ある日知り合いの中身が変わったかもしれないと言われれば誰だって恐れを抱くだろう。


 不安に揺れる青い瞳と射貫くようにまっすぐな緑の瞳を見つつアルは口を開いた。


「うん。いろいろ思い出したことはあるけど、ぼくはぼくのまま。2人の知ってるアルクス・シルト・ルミナスのままだよ」


「「ほっ」」


 視線を外さず堂々と答えるアルに凛華とシルフィエーラはどちらからともなく吐息を漏らし、安堵したような笑みを浮かべた。


「マルクもだけど、そんなに不安だったの?心配性だなぁ」


 アルは2人を見てそんなことをのたまう。すでに折り合いをつけているため一人だけ呑気なものだ。


「こいつ・・・どうしてくれようかしら?」


「まぁまぁ。ヴィオ様のいった通りでよかったー、でいいでしょ?」


 一転してイラッとする凛華とほっとした笑みを浮かべて宥めるシルフィエーラ。


「お腹すいたし、はやく凛華の家いこうよ」


 そう言ってさっさとイスルギ家へ向かおうとするアルへ凛華が噛みついた。


「まちなさいこの問題児」


「だれが問題児!?いっつも問題児な凛華に言われたくないよ!」


「なんですって!?」


「ひとごとみたいな顔してるけどエーラもだよ」


「ええっ?どうしてわたしは違うよぉ~凛華だけだもん」


「あんたたちいい度胸ね」


「おーい、三人ともごはんだよー。なにしてるんだい?」


 わいわい騒ぎ始めた三人に前方から凛華の兄である紅椿が夕飯だと告げに来た。


 はじめのピリピリした凛華や不自然に明るかったシルフィエーラはすっかりいつもの調子だ。とりあえず一番仲の良い幼馴染たちは受け入れてくれた、とアルはひそかに胸を撫で下ろすのであった。



 ***



 イスルギ家で夕飯を食べた帰り、凛華の父であるイスルギ・八重蔵やえぞうは着流しのような服をだらしなく着て酒瓶片手にアルを呼び止めた。


「アル、マモンのやつがもう言ったっつってたが、何かウダウダ悩みそうなことがあったらちゃんと言いに来んだぞ」


 どう見たって無頼漢に絡まれる子どもの画だが、凛華に似たキツい目つきの中に優しさがあることをアルはよく知っている。


「ヤエゾーおじさん、どうしてみんなそんなに気にかけてくれるの?」


 昼からのアルの疑問だ。師や母はまだわかる。が、他の大人たちが親切すぎる。


 アルの疑問ももっともだと思った八重蔵は、答えてやることにした。


「お前の親父―――ユリウスの遺言でな。トリシャと生まれてくる子どものことを頼むってな」


「死んだとうさんが?あの・・・とうさんは人間だったんだよね?」


 母が龍人、父が人間。だから自分は半龍人。アルが知ってるのはそれだけだ。


「おうよ。それがどうかしたかい?」


「あの・・・どうしてとうさんは死んじゃったの?ヤエゾーおじさんはなにか知ってる?」


 アルはユリウス―――父に会ったことがない。月に1度、母トリシャが父のものと思われるヒビ割れの入った盾と折れた直剣を手入れしていること以外何も知らない。


 母が父を大切に想っているのは見ていればわかる。だからこそ死因は聞けずじまいだ。


「知ってるとも。遺言を託されたのは俺だからな」


 八重蔵は苦しそうな表情を一瞬だけ浮かべてそう答える。


 割れた盾に折れた剣、薄々感じていたことをアルは思い切って訊ねてみることにした。


「もしかしてとうさんは・・・殺された?」


「・・・ああ」


「だれに?」


「知ってどうする?」


「おぼえとく。おぼえといて、あとは・・・わかんない」


「そうかい」


「魔族の―――里にいない種族?」


 母から父を奪ったのは。考えられそうな可能性を挙げたアルに、八重蔵は虚空を憎々しげに睨めつけながら唸るようにこぼす。



「お前の親父を、ユリウスを殺したのはあいつと同じ人間だ」



 もうすっかり日は暮れ、辺りは闇に包まれていた。

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