3話 ヴィオレッタの初授業~魔力と魔術~ (アルクス5歳の夏)

 アルクスの師匠であるヴィオレッタは魔術の権威だ。その名は関わりの少ない人間たちにさえ有名である。


 ある事件をきっかけに庇護を求めた魔族たちを種族関係なく保護し、子を持つ魔族たちや争いを厭う魔族たちが安心して生活するためにこの隠れ里を建造。里が今のカタチになったのは6年前のことである。



 当時の魔族たちはヴィオレッタを里長として奉じ、里のど真ん中に威厳のある巨大な城のような家を建てようとしたが当人から猛烈な反対を受けた。曰く、そんなもの建てる暇があったら他の住民の家を建てろとのこと。至極真っ当な反応だ。


 それから紆余曲折あって里の北側の奥に研究室を備えたこじんまりとした家を建てることになったのだ。




 朝早くから妙に張り切っている母トリシャに起こされたアルは、半分ほどしか開かぬ瞼をくしくし擦りながら朝食を摂り、師であるヴィオレッタの家へ向かった。


「ししょ~。おはよぉございまぁす」


 間の抜けた声でトンテントンと不規則にヴィオレッタの家の戸を叩く。


「おお、アル。おはよう。ずいぶん早かったのぅ」


 普段はもう少し遅めに起床するヴィオレッタであったが、こちらも張り切っているようであまり間を置かずアルを出迎えた。


「かーさんがやたらと張りきってたんです」


「そうじゃろうて」


「言うんじゃなかった」


 無論昨日アルの話した転生話である。その後熱意を滾らせた母と師に今世では事故なんかで死なないようすべてを叩き込むと宣言されたときのアルの顔はどちらかと言えば迷惑そうであったなと思い出す。


 自分のさせた魔力感知の訓練が5歳児にはきついことなどとっくに理解しているヴィオレッタはアルのうんざりした顔を見つつ、妖艶に微笑んだ。


「もう少し物は考えて言わんとのぅ」


「ししょうとかぁさん2人に言えない秘密だったらいらないです」


「ふふっ、嬉しいことを言うてくれるのぅ。あ、そうじゃ、汝のご近所さん方や幼馴染たちには儂から昨夜しっかり説明しておいたから安心せい」


 幼い弟子の言葉はヴィオレッタへの信頼を表すものだ。母と同じくらいに慕ってくれているらしい。上機嫌になったヴィオレッタは弟子を可愛がるように頬をふにふにといじりつつ、そんな弟子の仄かな心配事を片付けたことを告げる。


「ありがとぉございます」


「うむ。ではお入り、今日から魔術の授業じゃ」


 まだまだ小っちゃな弟子の手を引いてヴィオレッタは研究室の方へと足を向けた。


「んん~むぅ、よぉーし」


 アルは銀髪をぶんぶんと勢いよく振って眠気を飛ばす。


 近所の同年代たちに何をどう言うべきか、実を言うと迷っていた。言ったら関係性が変わっちゃうのかなぁとか子どもって案外ザンコクだしとか、前世の記憶から得た知識で小さな不安に苛まれていたのだ。



 その憂いは出来る限り師匠が払ってくれたらしい。あとはなるようになるさ。そう思って意識を切り替える。今は念願の魔術だ!


「ん、目が冴えてきたようで何よりじゃ。では、本日より魔術及び魔法について講義と実践を行う。覚えることは多いじゃろうが身にならぬことはせぬゆえ頑張るのじゃぞ」


「はい!」


 母に似た紅い瞳をくりっとさせたアルを見て、ヴィオレッタは艶然と微笑んだ。



 研究室に移動し、アルとヴィオレッタは机を挟むように向かい合って木椅子に座っている。アルはノートを前にヴィオレッタに貰った万年筆のような太めのペンを握ってそわそわしていた。


 ちなみにペンはそのまま万年筆と同じ構造で、ノートの方は衣類のついでに作られた植物性の紙を綴ったものだ。


「それでは、質問から始めようかの。アルよ、魔力とは何じゃ?」


「えーと、そこらじゅうにただよってる魔素をぼくたちの体で変換したもの、です?」


「うむ、その通り。自然界や大気中に含まれている魔素を我々魔族だけではなく、人間・獣人族は勿論のこと、すべての生物が己が体を用いて変換したものが魔力じゃ。生物と言うた通りそこいらの木にすら魔力は存在する。ではその魔素を魔力へ変換するための体の器官とはどこじゃと思う?」


「へっ?うーん、えっとここらへん?」


 アルは器官と言われ、なんとなく心臓や肺かなぁというイメージで己の胸全体を筆でくるくると示した。ヴィオレッタは概ね正解だと言うような頷きと共に正確な解答を教える。


「正解は心臓じゃ。心臓には血液を循環させる機能とは別に魔素を魔力へと変換し続ける機能を持っておる」


「しつづける?」


「左様。儂らの心臓は今も魔素を魔力へと変換し続けておる」


「えっ、でもひとりひとりの魔力の量ってちがうんですよね?変換しつづけられるんなら魔力量とか言わないんじゃ?」


「それを魔力の保有可能量もしくはもっと簡潔に魔力量、保有量と言うのじゃよ」


「じゃあ、その保有量を超えたらどうなるんですか?」


「体中に存在する気門から出てゆくことになるのう。そして出ていった魔力は少しずつ魔素へと還る。ちなみにその溢れ出ておる魔力を感知するのが生体魔力感知と呼ばれ、単純な力だけを感知する魔力感知の派生技術とされておる」


「どうしよう・・・結構ふくざつ」


 ノートを取っている弟子はあどけない顔をしかめていた。ヴィオレッタはやはり前世の記憶を持っていても5歳児には難しかったかと顎に手をやる。


 この歳にしては言葉をよく知っているし、多少難しい言い回しをしても問題なく意味は通る。だがそれで未知の知識を吸収できるかと言われればまた別なのだろう。少しばかり速度を落とそうとヴィオレッタは決めた。


「今のが我々のいる世界の魔力そのものについての前提じゃ。ああ、それと主に魔素変換機能を受け持つ心臓の特定部位を操魔核そうまかくと呼ぶ」


「えーと、操魔核そうまかくっと」


 ノートに追加で名称を書き込みながら、前世のゲームや漫画に出てくるMPなどの概念と現実が大きく乖離していることに認識を改めなければ、とアルは考えていた。


 そりゃそうだ。宿屋や家で寝たら全回復、薬を飲んだら回復、それまでは一定値のまま戻らないなんて現実にあるわけがないじゃないか。寝惚けてる場合じゃない。




 むむむっと眉間に皺を寄せてノートを取るアルに、ヴィオレッタは容赦のかけらもなく今日の本題に入ることにした。速度は落とすにしてもこれを教えなければ話が進まない。


「では本題の魔術について講義しようかの」


「!!」


 途端に待ってましたと言わんばかりにわくわくした顔をするアル。キラキラした紅い瞳を楽し気に眺め、ヴィオレッタは講義を開始した。


「魔術とは・・・魔力を媒介に世界の理を歪ませることで己が望んだ現象を引き起こす”技術”じゃ。


 そして、魔術を使用するために必要なものが・・・魔術鍵語まじゅつけんごと術式。


 普通に中空へ描く術式と他には魔力伝導率の高い金属または魔力同調率の高い血を利用する刻印術式などがあるのう。そこへ魔力―――は言わずもがなじゃな。それと・・・望んだ現象を正確に引き起こせるだけの想像力が必要になる」


 ところどころアルの板書ならぬ聴書を待ちつつもヴィオレッタは一気に言い切る。


 アルはもうすでに何枚目かになるノートにヴィオレッタがいった言葉を一言一句書き留めた。まずは音を拾い出してその後読む。そうでもしなければ追いつけない。


 書き留めたノートをじっと読んだ後、アルはおもむろに口を開いた。


「ししょー。詠唱術式とかなんか、そういったのはないんですか?」


「ん?前世にそんなものがあったのかえ?魔術や魔力は存在せんと言っておったではないか」


「あ、いえ、存在は間違いなくしてないです。でもフィクション―――えっと、創作の物語にはそういったものがあったんです」


「創作・・・なるほどのぅ、存在せぬとしてもそういったものを空想はしておったのじゃな。実に興味深い。おっと、ずばり答えて言うならの、詠唱術式はなくなってしもうたんじゃ」


「なくなった?えっと、なんだっけ。そだ、失伝したとか、伝説的な扱い―――」


「違う違う、使い勝手が悪すぎて廃れていったのじゃ。敵の前ではじめれば術の内容がバレバレで簡単に対策されるし、そもそも詠唱する声に一定の魔力を乗せ続けなければまっとうに起動できん。声に一定の魔力を流すというのもある種曲芸技じゃ。変わり者の趣味の域じゃな。


 口に砂でも投げつけられれば、目も当てられぬし声を出さねば魔術が使えぬなど不便も良いとこじゃろ?それなら魔力をこめた雄たけびの方が実用的じゃ。

 そんなこんなで今や神事や祭事といったときにしか使われぬし、それも形骸化しておるから術が発動すること自体稀じゃ。お祈り程度の扱いじゃな」


「えぇ~・・・」


「あ、術の名前を叫んだり、唱えたりはあるぞ?そっちは主に正確な術式行使の補助になったりするからのう。


 ま、儂のような魔導師は術式をわざわざ一から書かずとも完全に術式を把握しておるから、術名を唱えれば術式がスッと出てきてサクッと行使できたりするんじゃがの。


 まあ、それ用に術式を最適化しておく必要はあるが威力や効果がバラけんで済む。そっちは真言しんごん術式というヤツじゃ」


 初めてのヴィオレッタ師匠による魔術授業はアルの持つ前世のイメージを早々にぶち壊した。もっとイメージ頼りなのかと思えばきちんとした理論があり、しかし想像力は必須なのだと言う。端的に言って興味が尽きない。


 アルはさっさと前世の魔術や魔法へのイメージをすべて脳内のゴミ箱に叩き込んで師匠の授業に熱中していた。切り替えの早さには自信があるのだ。




 そんな弟子の様子を見つつヴィオレッタは時計に視線を送る。


「む。もう昼か。アルや、残りの講義は昼を食べてからじゃ。次は魔法についてじゃ」


「はいっ!」


 元気の良いアルの声が研究室に響いた。

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