2話 安堵する母と師、困惑するアルクス (アルクス5歳の夏)

 ニホン?どこだそれは?


 まだ幼くぽやっとした銀髪の弟子は、長寿を誇るヴィオレッタをして知らない国の名を答えた。


「ほむっ?」


 咄嗟に問いかけようとするも、ヴィオレッタより彼の母トリシャが息子の両頬をむぎゅっと挟んで自身の整った顔へ向き合わせる方が幾らか早かった。


 そうしていると二回り近く歳の離れた姉弟に見えないこともない。


「どこそれ?大陸にない国?答えなさいアル」


 平素とは違う真剣な表情の母に気圧されながらアルクスは答える。


「えっと、たぶん・・・・・異世界」


「異世界ですって?」


「うん、ぜんせに魔力とか魔術なんてなかったもん」


 これにはヴィオレッタもトリシャも愕然とした。


 転生自体よくある話ではないが、ない話ではない。一人だが今も存命の知り合いだっているくらいだ。


 しかし、異世界からの転生というのは聞いたこともない。


 そもそも魔力や魔術が存在しない世界で人々はどうやって暮らしているというのか?


 受けた衝撃が強過ぎたあまり逆に冷静になったヴィオレッタは、そこらへんの疑問を投げかけてみることにした。


 アルに取り乱した様子はないし、寧ろ母の膝で眠たそうにのほほんと瞼を擦っているだけなのでどうも一般的な転生とは違うような気がしたのだ。


 一方でアルの方はぼんやりとしたまま母や師の態度に疑問を覚えていた。


 驚かれるのはわかっていた。だがそんなに不安そうな表情を浮かべることなのだろうか?


「アルよ。前世のなれが魔力や魔術を知らなかっただけ、ということはないかの?」


「うぅん、それはない・・・とおもいます。そのときのぼくはもう大人だったし、ぼくのいた世界はカガク技術でハッテンしてきてたもん。あ、えと、でしたもん?うん?してましたから?きてましたもん?」


 無茶苦茶な敬語だがヴィオレッタは聞き流して更に訊ねた。


「カガクとはあの科学か?王国の港なんかに使われとる瓦斯灯とかそういうのに使われておるやつかの?」


「王国のとかいわれてもよくわかんないですけど、たぶんそう?かもです。んと、魔力とかはぜんぜん使わないで、デンキを使ったり生んだりする技術です。動力はデンリョクで、えとデンリョクは・・・・・んむぅ?ちょっとせつめいできないです」


 電気を使ったり生む?


 電気とは我々の使う雷撃らいげき系統の術で使う雷のことか?


 それを動力にするとはどういう意味か?


 しかも説明できないとはどういうことだろう。


 ヴィオレッタの脳内に次々と生まれる疑問。


「じゃが、アルはその世界で生きておったのじゃろう?」


「はい。でもつかい方がわかるイコール仕組みも知ってるとはならないでしょ?」


「?イコールとはなんじゃ?」


「あ・・・えと、あっちの世界での同じって意味です」


「ふぅ~む。つまり我々の世界に置き換えれば、魔導具や魔導器を扱うことは出来ても専門的な知識がないゆえ内部構造や設計と云った原理の説明は出来ぬ、みたいな話かのう?」


「んと、たぶん?」


 可愛らしく首をコテンと傾げる弟子。

 

 だとすればきっとアルの前世でいう電力が我々のいるこの世界の魔力に相当するものなのだろう。


 ヴィオレッタは恐らくそう間違いでもなかろうと当たりをつけた。実際には生成過程や使用用途に大きく違いはあるものの、文明の利器を利用する為の通貨と云う意味では間違っていない。


 これでも立派な魔導研究者だ。頭の回転も速いし、未知への興味も旺盛。弟子の語る世界は非常に興味深かった。


 しかし次いでぽやぽやとしたアルから紡がれた言葉は、新たな知啓へ触手を伸ばしかけていたヴィオレッタの意識を猛烈な勢いで引っ叩くことになった。



「それにぼくとぜんせのぼくは別人だし。よけいわかんないです」



「ええっ!?」


「なんじゃと!?ちょ、ちょっと待つのじゃアル!」


「?はい?」


 大声を上げて驚いた母と師を、アルは紅い瞳をキョトンとさせて不思議そうな顔で見上げる。


 すかさず黙っていられなくなったトリシャが勢い込んで訊ねた。


「アル!前世とは別人ってどういう意味!?」


「んぇ?だから、んと、んーと・・・あ、そだ。人格。人格がちがうの。えーと、まえのぼくと今のぼくは性格とか共有?してないの。

 ぜんせのきおくを映画みたいに、ついたいけん?しただけで。だからぼくはアルクスのままだし、かあさんはかあさんだけだよ」


 母の質問から、大人たちの不安がやっとわかったぞ!と言わんばかりにパアっと笑みを浮かべたアルは辿々しく説明した。


 正確を期するのであれば二人の危惧している事態はもっと重大なものだったが、結局は生まれと人格に帰結する問題である為あながち間違いとも言い難い。


 少なくとも青白い銀髪をふよふよと揺らす幼児の放った最後の一言は、トリシャとヴィオレッタの疑念をある程度振り払うには充分だった。


 息子を光の速さでぎゅうっと抱きしめ直したトリシャが自分とよく似た銀髪を撫でくり始める。本気で安堵したらしい。


 アルもされるがまま母に寄りかかり眠たげな表情で「んぅ~・・・」と目をこすっている。


 ヴィオレッタも張りつめていた神経を解いてフーと息を吐いた。


 母に抱きしめられてぽやぽやしている弟子の様子は幼ない子供のそれ。


 当初は本気で焦ったがどうやら最大の懸念はないと見て間違いなさそうだ。


「あ、ヴィーごめんなさい。結局お昼どころかお茶も出してなかったわね。すぐ持ってくるから」


「構わぬよ、というか儂がやろう。汝は今アルから離れたくなかろう?台所を貸してもらうぞ」


 立ち上がりかけたトリシャをヴィオレッタは静止して台所へ向かう。


「ありがとね、ヴィー」


「良い良い、儂となれの仲じゃろう」


 数分もせず茶を3杯入れて戻ってきたヴィオレッタはいまだ母に抱かれ呑気な顔でぽーっとしているアルに声をかけた。今にも眠りそうだ。


「というかアルよ、終わった~みたいな顔をしておるようじゃが訊きたいことはまだまだあるのじゃぞ?」


 それを聞いたアルは紅い瞳をきょろきょろさせて首を傾げる。


「ききたいこと?」


「うむ。まず、差し支えなければ汝の前世の死因じゃの。次に、こちらの世界にやって来たときに何かそれらしき・・・・・そうじゃのう、境界や次元の裂け目といったそれに準ずる何かを目撃したかどうか。最後に汝の元いた世界の技術や知識についてじゃ」


「うえぇ~?」


 面倒くさい。明らかにそんな反応を示す息子を今度はトリシャが窘めつつ促した。


「アル?今答えておかないとずうっと質問責めに合うわよ?それにさっきの映画っていうのもお母さんわからなかったわよ?」


 お腹をぽんぽんと叩く母にアルはむすーっと不満を表情で表明しつつ、渋々ながらに口を開く。


「映画っていうのはね・・・・・うーん、うぅん。えとね、おしばいとかをつなぎあわせてひとつの―――ってこれ説明むずかしいよ。

 あと、じげんの裂け目?みたいなのはぜんぜんわかんないです。事故で死んだとこまでのきおくしか見てないもん」


「事故死じゃったのか?」


「はい。えーと、ぜんせのぼくは長月ってよばれてる男で二十九さい?くらいだったかな?」


「そんなに若くして亡くなったの?」


 トリシャとヴィオレッタは驚いた。悠に100年以上生きている二人からすれば若いなんてものではないからだ。


 更に、強靭な魔族である2人からすれば事故死と言われて真っ先に思いつくのは戦争に類するものしかなかった。


「うん。えとね、友だちとツーリングに行ってて、途中のコンビニでバックしてた軽トラに―――」


「待て待て、アル。ちょっと待つのじゃ。知らぬ単語ばかりじゃぞ。それにそんなに若くして死ぬなぞ、汝のいた世界は荒れておったのか?」


 ヴィオレッタが慌ててアルの発言を遮る。ケイトラだのコンビニだの聞いたこともない。ちんぷんかんぷんだ。


「へ?あれて?うぅん、ぜんぜんそんなことは・・・・・んぁ~もぉじゃあぜんせのぼくが死んだ日をいちから説明します」


 これじゃいつまで経っても眠れないぞと思ったアルも鼻息をふんす、と吐いて腹を括る。トリシャとヴィオレッタの目が真剣だ。


 

 こうしてアルは前世で住んでいた世界―――――少なくとも日本は平和だったことに始まり、バイクやツーリング、コンビニ、軽トラ、ついでに映画、最後にもう一人の自分が死ぬまでを母と師にたびたび口を挟まれながら語り尽くすことになったのだった。



***



 足らぬ舌と知識でようやくすべてを語り終えたアルは心中で独り言ちた。


 さっきまでの和やかになりかけていた雰囲気はどこへいったんだろう?これじゃあまるでお葬式だ。


 現在トリシャは息子を痛いほど(と云うか痛い)抱きしめながらおいおい泣き、ヴィオレッタも鼻を噛みながらぐすぐすと涙ぐんでいた。


 アルからすれば、ぶっちゃけただの事故である。


 免許返納を渋った老人か、はたまたスマホをいじりながら運転していたクソッタレな大馬鹿野郎の誰かがアクセルとブレーキを踏み間違えたのだろう。


 殺された本人の人格でないこともあってか大して怒りも湧いていない。むしろ当人だからこそ誰よりも冷めた感想を持っている。


 死んじゃったもんはしょうがない、と。


 今世の母だって優しいし、もう一人の母とさえ呼べる師匠も優しくて厳しくてかっこいい人だ。どう考えても幸運である。


 しかしまさかここまで感情移入する2人だとは思っていなかった。


 実を言えば、トリシャとヴィオレッタは前世のアルに感情移入して泣いていたのではない。


 この世界では戦や人死は身近であり、そういった環境の中で残っていく美談の中には己が身を賭して友人の命を守るという哀しいものがあるのだ。


 アルは特に脚色もしていなかったが、それが余計友の為に命を張ったリアルさを感じさせた。


 更にこれもアルの知らないことだが、彼の父も似たような死に方をしているのだ。


 つまり2人が泣いているのは、彼の父を想起させる哀しい美談だと感じたからである。尚、アルがこの真相に至ったのはおよそ10年後のことだった。


 鼻を噛み噛み、ヴィオレッタは魔術の師として宣言する。


「ズズッ・・・ア゙、アルよ。ぐすっ、今世では儂よりも長生きするんじゃぞ。事故なんぞでは絶対に死なぬようしっかり鍛え、あらゆる知識を蓄えさせるからな。

 汝の家と仲の良い家の者達にも儂から誤解なきようしっかと伝えておくゆえ安心せい。

 とりあえず明日からはいよいよ魔術の授業じゃ。汝が死なぬよう厳しくいくからそのつもりでおるのじゃよ」


 そんなことをのたまってトリシャ達の家を後にした。


 アルの「いや厳しくなくていいです」という抗議は口中で霧散した。するしかなかった。


 師匠の紫紺の瞳に浮かぶ強い強い気迫に何も言い返せなかったのである。


「頑張ってね、アル!大丈夫よ!アルはお母さんに似て魔力量も生まれつき多いし、お父さんに似て頭の回転も良いもの!」


 ニッコリ笑ったトリシャが自身とは対照的に力なく笑う息子のふわふわした銀髪を撫で回す。


 息子が何やら変な知識を思い出したが変わらず己の息子でいてくれるという事実に目いっぱい安堵して、更に愛おしくなったのだ。


 結局、昼食も「一人で食べられる」と言うアルの声を無視して世話を焼き続け、夜眠る時もしっかり抱きしめたままであった。


 今は夏だ。いくら隠れ里が涼しい大森林にあるとは云え暑いったらない。


 何がどうしてこうなったんだろう?


 アルの素朴な疑問に答えてくれる者はいるはずもなかった。

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