第1章 少年期

異世界への転生編

1話 転生者 (アルクス5歳の夏)

 ラービュラント大森林と呼ばれる大樹海の中に魔族達の隠れ里は存在している。里の西門を抜けた先は訓練場や子供たちの遊び場として拓かれ、周囲を囲む木々に生える青々とした葉は山間特有の涼風になびくままとなっている。

 現在は昼前ということもあってアルクスとその魔術の師ヴィオレッタしかいなかった。

 

 グラマラスな美人師匠ことヴィオレッタはアルクス―――アルの発した言葉に思わず唖然としていた。この幼い弟子は今何と言った?

「前世?」

「はい、ししょー」

 いまだ舌っ足らずな返答ではあったが頭を打つ以前よりも目に知性の光が見える。今朝出かけた時に較べても妙な落ち着きを感じる。

「冗談・・・などではじゃなさそうじゃな?本当に?確かなのじゃな?」

「はい」

 ヴィオレッタの執拗な確認にもアルはこくこくと真面目くさった顔で縦に振った。

 5歳児のアルがその手の冗談を言うはずもない。転生という概念すら知らなかったはず。少なくともヴィオレッタにはその手の話をした記憶はない。

 

 そこでようやくヴィオレッタの頭脳も本来の回転速度で回り出した。

 アルに前世の記憶が蘇った。ならば――――。

「訓練は中止じゃ、アル。今すぐなれの母御のところへ行くぞ」

「はい。んぅ?」

 なんで?と言いたそうなキョトンとした顔を浮かべるアル。ヴィオレッタはその青みがかった銀髪を安心させるように一撫でする。

「ししょー?」

「いくつか確かめねばならぬことがあるのじゃ。・・・なに、心配はいらぬよ」

 後半の呟きはアルに言ったものか、はたまた自身に言い聞かせたものか。着ているドレスと同じ紫紺の瞳は圧し潰されそうな不安に揺れていた。


***


 西門をくぐったヴィオレッタとアルの二人を見た里の守衛見習いである鬼人族の青年―――紅椿べにつばきが声をかけた。

「あれ?ヴィオレッタ様、お早いお帰りで。やぁアル坊。んん~、さてはなにか悪戯でも見つかったかい?元気ないみたいだけど」

「まぁそんなとこじゃ。ところでトリシャはおるかの?」

 珍しく歯切れの悪い返答を返したヴィオレッタはそう問うた。

「トリシャさんなら今日は非番だったはずなので、家だと思いますよ」

「そうか。すまぬの」 

「つばきにい、じゃあね」

 紅椿べにつばきに礼を言いつつ、ヴィオレッタは手を振るアルを連れてその母トリシャの家へ向かう。

 アルはこの時点でただ事ではないことを察してはいたが、何がどうただ事ではないのか見当もつかなかった為、只々師に連れられるがまま自宅へと向かった。


***


 トリシャ・ルミナスとアルクス・シルト・ルミナスの家―――ルミナス家は里の南端にある。質素ながらも丁寧に造られている家はどっしりとした印象があり、建築当初のまっさらだった外壁の煉瓦も少々時間が経った 現在では温かな良い風合いを見せている。

 家自体は1階建ての平屋だが南端に位置することもあって庭―――アルの遊び場にもトリシャが花を植えているためか、その質素さを打ち消すことに貢献していた。

 ヴィオレッタとアルは里の内部を走る道を抜け、家の戸を叩いた。

「トリシャよ、おるか?儂じゃ、ヴィオレッタじゃ」

 するとすぐに中から返事が返ってくる。

「ヴィー?どうしたの?今日は非番だし、ちょうど今あの子にお昼を持っていこうと思ってたところよ」

 息子とよく似た綺麗な銀髪を肩まで伸ばし、勝気な紅い瞳をした若々しい女性―――アルの母トリシャが戸を開いた。

「あら、アルもいるじゃない。二人ともどうしたの?」

「すまんの、緊急事態じゃ」

 端的にそう返したヴィオレッタにトリシャは困惑しながらも家に招き入れる。

「とりあえず入って。ヴィー、昼食は?アル、ちゃんと手は洗うのよ」

「頂こうかの。長くなりそうじゃ」

「はぁい」

 ヴィオレッタが樫で作られた大きなテーブルのある居間の方へ向かい、アルは言われた通り疑似水晶石の嵌められた水道で手を洗ってから子供用の椅子に座った。

「それで緊急事態ってどうしたのよ?アルのこと?」

 用件を催促するトリシャにヴィオレッタは言葉を選びつつも口を開く。

「うむ、アルについてじゃ。良い報せと悪いかもしれない報せがある」

「悪いかもしれない?」

「うむ。悪いと断定するにはまだ早い。確認がとれておらぬからの」

「そう。じゃあとりあえず良い方から聞かせてもらえる?」

「ではまず良い方の報せじゃ。アルが魔力を感知できるようになった。これで魔術の訓練に移れる」

「えっ、もう?私だって感知できるようになるまでもうちょっとかかったわよ?」

「毎日ひたすら練習し続けておったからのう。努力の成果じゃ」

「偉いじゃない、アル!頑張り屋さんだものね!」

「ん、がんばった」

 師と母の息の合った言葉のラリーを首を振り振り眺めていたアルは母からの称賛に、にへらっとはにかんだ。

 しかしちょっと眠い。眼をこすりながら軽い欠伸が出た。転生前の記憶を追体験したり、そのあと師に連れられて里を歩いたりと5歳児が疲れるには充分だ。いつもは昼食と昼寝も挟んで帰ってくるのだから当然である。

「それで悪いかもしれない方は?アルが何か悪さでもしたんじゃないでしょうね?」

 アルは母の言葉に慌てて頭を振って眠気を飛ばした。悪いことをした時の母のゲンコツは痛いのだ。頭頂部を狙い澄ました一撃に涙目にさせられた回数は数え切れない。

 トリシャは活発な息子を信用しきれなかったようで、アルを捕まえて膝に座らせた。これでは逃げられない。

「では、悪いかもしれない方を言おうか。アルは転生者だそうじゃ」

「えっ?転生者って――――!?」

 慌てて覗き込んだトリシャが見たのは己と同じ紅い瞳で不思議そうに自分を見つめ返す我が子の眠たげな顔だ。

 アルは母に抱えられているためか先ほどより強い眠気を感じていた。難しそうな話なら寝てよかな?そんな風に考えていたがそうは問屋が卸さない。

「アルよ、なれが転生者じゃというのは確かなんじゃな?」

何度目だっけ?というくらいの師匠からの質問。

「はい、ししょー」

 眠たげな声ながら間を置かず返された我が子の返答にトリシャは不安が掻き立てられた。

「アル、転生前の種族は?人間じゃったか?それとも他の種族じゃったか?」


「にんげんでした」


 最悪だ。トリシャとヴィオレッタはほぼ同時に同じ感想を抱く。


 転生した者たちがその事実を「はいそうですか」と簡単に受け入れることなどまずない。彼らには生前の家族や友人がいるのだから当たり前だ。

 その結果何が起こるのか―――?事実を受け入れられない者たちの現実への反抗だ。

 親を親と思えず生前の家族に会いたがって泣き喚く者や暴れる者、発狂する者さえいた。中には己の境遇を利用して好き放題する輩までいた。


 その中でも最悪と言われるのが人間から魔族への転生だ。

 魔族を嫌う”元人間”の魔族と根っからの魔族との争いや、「人間だ」と言い張る”元人間”の魔族とそれを知らないで襲われたと勘違いする人間との諍いが多数起こっては悲劇を生んだからである。

 中には元人間であることを隠して生きていた魔族が魔族を良く思っていない人間への間諜スパイ行為を行っていたりすることもあった。――――結局その後元人間でも魔族は魔族だと人間側から裏切られ殺されるまでがセットだ。

 かくのごとく”元人間”の魔族転生者はろくでもない悲劇ばかりを残している。

 

 つい数十年前も人間から魔族へ転生した子供が自分は人間で、お前たちの子供なんかじゃないと大騒ぎする事件があった。

 容易に取り押さえることはできたが、その子供の両親は深く心を痛めることとなった。

 長い生の中で実際に見聞きしただけこれほどあるのだ。アルが二の舞にならない保証などない。そうヴィオレッタは絶望した。


 トリシャも似たような事件を知っている。他人事だと思っていた当時の自分を叱りつけたい衝動に駆られた。まさか血を分けた我が子にそんなことが起こるとは。

 それでも愛する男との間に生まれた可愛い一人息子だ。例え里を追い出されたとしても共に生きよう。幸い里の外でやっていけるくらいには自分は強い。きっと少しずつでも歩み寄れるはずだ。


 トリシャはそこまで考えて、天啓にも似た閃きを得た。そうだ。帝国や王国の人間の可能性が残っている。聖国の人間であれば里に入った時点で発狂していただろう。

 おまけに元聖国の人間であるならば、ぱっと見は人間に見える自分―――龍人族の膝の上にこんな風に大人しく座っているはずがない。

 

 声の震えを辛うじて抑えつけ、トリシャは我が子に訊ねた。


「ねぇ・・アル?あなたはどこの国の人間だったの?」


 トリシャの最愛の息子―――アルは大人2人と対照的に呑気に微睡ながらのほほんと答えた。


「んぅ?日本だよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る