第10話 立場の気配




 聞いたことのない声は、魚のアタリとほぼ同時にやってきた。

 ────「へいか!」

 東シャトン・ファルダの近く。

 お昼ご飯を調達するため、釣りに勤しむわたし達の居場所をどこから掴んだのか、ヘンリーと呼ばれた男性は、なぜか「ぎょっ」と顔を引きつらせると、慌てた様子で口を開き、



「へ、へーい、カーレシ! ご、ごきげん、ようっ?」

「…………細心の注意を払え。ヘンドリック」

「…………」



 引きつり気味の彼。

 怪訝を交え注意するおにーさん。

 そして困るわたし。


 ……これは、えーと。どうするべきなのか。

 突如変わった雰囲気。。 

 ヘンリーさんの口調からして、どう考えても上下関係っぽい。

 わたし、一気にお邪魔虫。


 さっきの「へーか」は「陛下」? だとしたら……えっ?

 

 ────と。どうしたらいいかわからない状態に陥ったわたしの前で、彼らは「まったくおまえは」「すみませんどうしてもお耳に入れておきたいことが」などと話している。


 え────っと……、これは────、一旦席外すべき? それとも、「陛下」について突っ込むべき? どうするのが最適解──



「……ミリアさんですよね? ヘンリーと言います、こんにちは!」

「……!」



 渦巻く謎を蹴散らすように声をかけられ、わたしは一気に我に返った。驚きのまま顔を向ければ、へんりーさんが此方に手を差し伸べている。


 淡いヒスイオレンジのような色の髪に紫水晶の瞳。髪の毛は長め。

 遭遇したことはないが、夜な夜な女の子のいる酒場に入り浸っては盛り上がっている若いにーちゃんが居たらこんな感じなのではないだろうか。


 そんな彼は、怪訝顔で魚の針を外すエリックさんを背景に、握手を求めたまま笑っている。



「……こんにちは……、あ、えーっと、ミリアです」

「あぁ、書簡で把握してますよ♡ セント・ジュエルの姫君でしょう?」

です、。かこけいです。今はなんでもないんです」



 言われてさくっと否定した。

 そう、ね、

 今は追放されているので、王女でもなんでもない。ただの女ですよ~。


 っていうかそれよりセリフが気になる。

 ヘンリーさんは、 「書簡」と言った。

 「書簡」と言えば手紙のことだが、その単語を使うのは身分のある者・・・・・・が多い。


 ……「手紙」じゃなくて、そっちが出てきた……?

 なんか……やっぱり引っかかるんだけど……

 そっと息をひそめるわたしの前で、彼らはさらりと話始める。



「ヘンリー。あの小屋はどうなった?」

「もぬけの殻にしておきましたよ。まったく、人使い荒いんですから~」


「……すまない。ありがとう。この場所がよくわかったな? 探させて悪かった」

「ああ、いえいえ。一刻程前に、ここいらを抜けた商人がいたでしょう? 彼に偶然話を聞けたんで、幸運でした!」

「そうか。しかし、遠かっただろう?」

「いえいえ。──あ、そうだ、これ! ……はい、ミリアさんの荷物です」



 突然、ふたりの視線がこっちに向いた。

 一瞬びっくりするが、それよりも。

 差し出された見覚えのあるバッグに、わたしはすべてを忘れて声を上げていた。



「……わたしのバッグ!」 

「中、見ないで来たんで確認してもらえますか?」



 慌てて受け取った。

 確かにわたしのバッグ。

 前におにーさんが「回収させる」って言ったっきり、どうなっていたかわからなかったバッグ。わたしの大切なもの。


 ……ちゃんと帰ってきた……! 

 ……財布・髪飾り・ペーパーナイフ・それとブローチに宝石の小さいの。全部ある……! 

 ────良かった!



「ありがとうございますヘンリーさん! 全部ありました!」

「ああ、そりゃあ良かった。って、なんですかそのむらさきの・・・・・

「あ、これ紫水晶です。アメジストっていうの」



 首をかしげるヘンリーさんに見せるように、コロンとアメジストを手のひらに転がした。。


 これは実家でアメジスト兄さまがこぼしたやつ。

 そう。アメジスト・・・・・兄さまが・・・・こぼしたヤツ・・・・・・


 聞くと微妙な気持ちになるだろうが、事実である。

 純度の高い石を宿す王族は、たまに石を吐き出すことがあるのだ。

 非常に綺麗な石だが、正真正銘分泌物・・・


 ──そんな、「これは兄から出た石で」と微妙な情報は伏せるわたしに──ヘンリーさんは興味津々にのぞき込むと、



「へえー? アメジスト……?」

「そう、実家に居るとき、その辺に転がってるの集めるのが趣味で。こうやって撫でるとツルっときらっとするんですよ~!」


「へえ! 綺麗だ凄いですね~!」

「でっしょう~??」

「────ヘンリー。寄るな。迷惑だろ」

「もっとみてください!」



 横から棘を飛ばしてくるおにーさんはさくっと無視してはしゃぐわたし。

 

 そうそう、この反応ですよおにーさん、この反応が欲しかったのです。

 わたしがツヤツヤの石見せた時、おにーさんには冷たい目で『艶ですね』って言われたけど、これ! この反応が欲しかったの!

 ふふ、嬉しい~!



「ヘンリーさん、わたしわたし、家にこういうのいっぱいあるんです! 宝石未満の子たちだけど、綺麗でしょ? 可愛いでしょ~っ!」

「へえ~! こりゃ高値で売れそうだな! いくらですっ?」

「ヘンリー、下がれ」


「売値……? う、うりね……?」

「いくらで売ってくれます!?」

「────ヘンリー。寄るな。三度目だ」

「…………はいっ」

「………………」



 エリックさんのびしっとした声に、空気が一瞬にして引き締まった。

 目の前で汗をかきまくるヘンリーさん。

 殺気を放つエリックさん。

 引きつり姿勢を正すヘンリーさん。

 腕組みのエリックさん。

 …………やっぱり、主従関係……?


 そこにたどり着いたわたしの口から、疑問は、様子を伺いながら滑り出していく。



「で、エリックさん。……このお方は……おにーさんの、部下? ですか?」

「──あ~、ぼかぁその~、ねえ? ボス?」

「……「ぼす」?」



 気まずそうに頬を掻くヘンリーさんから、わたしの視線は彼のほうへ。流れるように見つめた彼は、少々困った顔をしていた。



「…………はあ……、ヘンリーは、いわば、俺の側近でな。いわゆる……」

「右腕ッス☆ よろしくどうぞ!」

「はい! よろしくです!」



 焦りを一瞬で切り替えて、パチンとウインクなんぞ飛ばしてくるヘンリーさんに、にこやかスマイルで返し── わたしは一歩。彼らと距離をとり考える。


 ……エリックさんの素性について。


 ……この人……実際、何者なんだろう……?

 今ある情報を整理すると、やっぱり立場のある人なのだと思う。


 側近っていってたし、側近が付けられるぐらいの実力者・あるいはお金のある人だ。へーかが陛下なら王族の……しかもキングということになる。でも。しかし、だけど。



 わたしの中の、「今まで見てきた彼のイメージ」がそれを邪魔する。


 ……だってこの人、この前わたしに間違って頼んだスパイス料理押し付けてきたよ? 卵の焼き加減で喧嘩したし、言った・言ってないで口論になったこともあったし。


 確かに威風堂々ってところもあって頼りになる時もあるし、小さな獣を狩るのもうまい。さばき方は彼から習った。けれど、王族とは思えないほど貧乏くさいっていうか、倹約家っていうか、生活力がありすぎる。


 「旅してるんだから節約するだろ」はもっともなのだが、自ら小動物を狩って捌いて、毛皮を売ってお金にして、竿を作って魚を釣り上げる王族なんて居るなんて思わない。


 今もほら、ヘンリーさんにブツブツ言いながら魚の内臓取ってるし。

 ほんとに貴族? 王様?

 小さなころに会った女の子のこと探してここまで来ちゃう人が王様? メルヘンキュートだよ? 王様そんなことやってていいの? 国は? 



「……く、くには……??」

 


 思わずひとり、くうに問いかけるわたしのその後ろから、男性二人の至極真面目な会話は、風に乗って聞こえてきた。



「ヘンリー、ファルダの様子はどうだ」

「復興は進んでいませんね、化生けしょうに食われてからずいぶん経つっていうのに」

「……民はよく凌いでいるな……、レジット侯爵は何をしているんだ」



 ──う、それっぽい会話ッ……!



「あれ? ここ、リュファスの管轄では?」

「いや、小領区合併の時に変わっている。今の領主はレジッド侯爵のはずだ」

 


 う……! 政治っぽい会話ッ……!



「レジッド侯爵って……ああ……あの偏屈な爺ですか……」

「現領主レジッド公と、リュファス伯爵は仲が悪いことで有名だ。ファルダは、熱心なリュファスの民が多くてな。それがレジッド公を刺激し、復興を遅らせているのだろう」

「…………は~、仲良くしてほしいもんです。まあ他国ですけど?」

「…………あのぉ……すみませぇん…………」



 ナチュラルに流れてくるそれらしい会話に、わたしはおずおずと手を上げた。限界である。二人の視線を浴びながら、わたしは、ちらり、ちらりと伺いながら、



「おにーさん、あ、もとい、エリックさんって……えらいひと? なの? デスカ?」

『…………』



 彼らは顔を見合わせ、そして黙った。

 目で何かを会話してる。

 じっとりとした眼差しを送るヘンリーさん。それから逃げるように目を伏せるエリックさん。

 ──そして。



「…………言ってないんスか」

「………………まあ」

「もう~~~、そういうとこ! そういうとこじゃないですかあ!」

「……いいだろ、俺にだって事情があるんだ」

「…………」



 心底気まずそうに、頬杖で口を塞いで顔を反らすエリックさんに、まるで衝動を堪えるかのように憤るヘンリーさんを見て──わたしは理解した。


 ────きっとこの人、本当に王様なのだろうと。


 そうじゃなくても、きっと……「その権力を煩わしく思ってる人」。

 だけど、本当は立場なしで生きて居たい人。自分のままで有りたい人。

 王族っていうか、貴族あるあるだよね。

 好きで立場ある身に生まれたわけじゃない。


 ……そこは、わたしと一緒ね、おにーさん。

 くすっと笑う。

 気持ちはわかる。


 わたしは追放された身だけど、あなたはどうなの?

 いつかは戻るの?



 ──なんて想いを胸の奥に、こっそりとほおを緩め、彼らから一歩、距離を取る。

 少し遠くなった彼らに思う。



 ……どこの国の王さまか知らないけど、まだ、聞かないでおくね。

 「らしくないで有りたい気持ち」、わたしもわかる。


 ほんのりふんわり。胸の奥に芽生えた、ちょっとしたわくわくを噛みしめて、小さくご機嫌になるわたしの前で、エリックさんは── 一拍。


 切り替えるように息をくと、真剣なまなざしをヘンリーさんに向け、厳格を纏いて口を開いた。



「──で、どうしたヘンリー。耳に入れておきたいことがあるのだろう」

「……いや……、ちょっと、ミリアさまの前じゃあ、言いにくいっつーか……」

 ……?

「……わたしに関係することですか? それとも人払いが必要な案件?」



 気まずそうな声色が引っかかり、切り込むわたしに、困惑を宿したヘンリーさんは瞳を迷わせ、────告げた。



「……関係すること、ですね」

「──聞かせてください」


「……セント・ジュエルが攻め込まれました」

『……!?』



 ────戦慄は、切れた縁でも容赦がない。


 

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