第7話 ダイヤモンド(3)

 氷のように冷たく、美しく、そして鋭い<ダイヤモンド>の爪。その切っ先が王女の胸を切り裂こうとした、その時だった。


『!?』


 がっ……と音を激しい立てて、少女を襲う竜の前脚に光球が衝突した。

 それは光の矢だった。竜の爪が氷だとすれば、それは灼熱の飛礫。流星のように飛来し、爪の付け根の部分に突き刺さった。

 竜の鱗は固く、並大抵の武器では傷つけられない。ましてや伝説の竜<ダイヤモンド>ならばなおさらだ。本来なら矢など弾いてしまう。

 だがこの矢はちょうど竜の爪の生え際――硬い爪と鱗のわずかな隙間に食い込んでいた。狙ってやったのなら、射手の腕前は大したものだ。

 矢羽根の部分は皎々と輝き、まるで小さな太陽のよう。手元から放たれる強い光に竜は目を瞬かせた。先程まで微動だにせず横たわっていた王女キラクサも、直視していられず両手で目を覆う。

「よし、当たった!」

 声のした方へ<ダイヤモンド>はその眼球をぐるりと動かした。

 光の矢の射手は赤銅色の髪をした青年だった。

 驚くことに彼がいるのは空中だ。彼は子馬ほどの大きさの小さな白い竜にまたがっているのだ。

『<シェル>か。竜の身でありながら人間に従うとは見下げ果てた奴らよ』

 <シェル>は人間が飼い慣らすことに成功した唯一の竜だ。小型で等級も1~2と低いが、性格は穏やかで訓練すれば人間に忠実に働く。竜騎士団は空中戦のためにこの竜を飼育していた。

 <ダイヤモンド>が鼻を鳴らす。

『たかだか我に光る矢を当てた程度で喜びおって。こんなもの……』

 そう言いながら矢の刺さった指をくいっと曲げると、爪と鱗の合間に入り込んだそれはぽろりと地面に落ちた。まるで指に刺さった棘を抜くようなぞんざいさだ。

 だが青年、アカザは動じなかった。


「そうだ、ただ光るだけの矢だ……その光が尋常じゃないってこと以外はな!」


 彼が指を鳴らしたその瞬間、竜は目の前が真っ白になった。

『!?』

 矢が光を爆発させた。

 先程とは光度も距離も比べものにならない。全方位に向かって強力な光をまき散らし、竜の視界を真っ白に塗りつぶす。

 何も――――、何も見えない!

 <ダイヤモンド>は首を巡らすが、上下左右、東西南北、全て白、白、白。

 白い世界に己だけが取り残されたかのような感覚に目眩を覚えた。

「ボウ・モウ!」

 足下を通り抜ける微かな風を感じた。次いで何かを引きずるような音。

 竜の目が眩んでいるこの時、ホタルが使い魔の蜘蛛の糸でもってキラクサの身体を絡め取り彼の足下から引っ張り出していた。

 <ダイヤモンド>はわずかな音と風の動きで自身の足下で何が起こったのかを悟ったが、時既に遅し。王女は既に竜の足下から連れ去られている。

 有事でなければ王族を引きずるなどもってのほかだが、これによって彼女を竜の攻撃範囲から離脱させることに成功した。

 してやられた怒りに地面を引っ掻いた時、今度は別の少女の声が耳に入った。

「我はかよわき花。雨に濡れ風に吹かれて散り行くもの。その光でもて照らし給え。厚き大気でもて打ち払い給え……」

 何をしようとしているか知らないが、ちっぽけな人間共に好き勝手されたままでは気が済まない。光の中、隠れている人間を一人残らず引きずり出し、咬み千切ってやる。

 <ダイヤモンド>はそう決めて、見えないまま前に向かって進み出した。視覚はなくとも嗅覚はある。複数の人間の臭いがする。それをたどっていけば目が見えずとも捕まえることができるだろう。

 だが、

『!』

突如、何かにぶつかった。

 建物かと思ったが、前脚で探ると見えない障害物は縦横にのっぺりと広がっている。

 どうもここに壁が一枚あるらしい。<ダイヤモンド>の力をもってすれば粉砕できないこともなさそうだったが、何も見えていない現状、不用意なまねをするべきではない。

 竜はいらいらとしながら壁沿いに進んでいたが、ふいに壁に伝わせていた前脚に触れる感覚がなくなった。

 壁が終わったらしい。

 拍子抜けして終わった一枚壁の横を通り過ぎると今度は別の壁にぶつかった。その壁が終わると今度は次の壁、さらに新しい壁……

 ここまでくると<ダイヤモンド>も気がついた。

 敵は竜を誘導しようとしているのだと。

 木々を踏み潰している感覚があることから、街を離れ森の中に入ったということには気がついていた。白い闇の中、壁を何枚も立てて対象の向かう方向を決定づけているのだ。

 この壁はユリの白魔術によって立てられた光の障壁だ。光の壁は白光の世界に良く馴染み、同化する。竜にとってはまさに光の迷宮であった。

『ふん、小賢しい。地を離れてしまえばこんな壁など……』

 苛立ちが頂点に達した竜は、翼を広げた。手っ取り早く上空へーー先程の光の矢の影響範囲の外へと出ようとする。


「それは、駄目」


 呪文ですらない、ただの否定だった。

 だがホタルの喉からその音が紡がれた瞬間、蜘蛛の悪魔が生み出した糸が<ダイヤモンド>に向かって投げかけられる。

 キラクサを連れ去った時の頑丈だがしなやかなそれとは全く違う、黒い綱のような禍々しい糸。それは竜の両翼を縦横無尽に走り、がんじがらめに縛り付けた。

『く……っ』

 竜が思わず呻く。無数に巻き付いてきた糸は粘つき、翼を動かそうとするほど絡みついてくる。一瞬の離陸すら許されない。

 これで翼は封じられた。<ダイヤモンド>は人間共の仕掛けた誘導に従わざるを得ない。

 怒りを爆発させると思いきや、竜は大きな牙を見せて笑い出した。白い空間に咆哮のような笑い声が響く。

『面白い……お前達がどこまでやるのか見てやろうじゃないか』

 そう言って敵の思惑通り、壁沿いに進んでいく。見えない壁は竜を右に向かわせたと思ったら、今度は左へ向かわせ、次は右、次は左……というようにジグザグに進ませた。その方向転換の感覚は徐々に狭まり、

『お?』

最後には両側から壁に挟まれる格好になった。

 「ハ」の字に立てられた壁の狭い部分に首を突っ込んだ状態だ。壁と壁の間に首が嵌まり、動けない。

 なるほど、これが罠の終点か。

 冷静に状況を分析する<ダイヤモンド>の鼻に、かつてどこかで嗅いだことのある匂いがふわりと漂った。

 それが何の臭いであったか思い出す前に、

「終わりだ」

と真っ白な頭上から声が降ってきた。



「終わりだ」

 そう言って、シオンはそれまで乗っていた<シェル>から飛び降りた。落ちながら聖剣を大きく振りかぶる。

 狙うは真下の<ダイヤモンド>の首。

 ここまで光の中を彷徨わせ、ようやく竜を身動きできない状況に追い込んだ。絶対に外しようがない的。

 それなのに、


がんっ


と、振り下ろした刃は弾かれた。

「な……っ」

 初めにシオンが感じたのは聖剣を通して返ってきた衝撃による、両手の痺れだった。

 あらゆる竜を切ることができる聖剣。この剣を手にしてから、久しく彼が感じることのなかった竜の鱗の硬さだった。

 彼は混乱した。

 なぜだ、なぜだ、なぜだ!?

「聖剣で切れないだと……っ」

 なぜこの竜が切れないのだ?今までこんなことはなかった。聖剣に切れない竜はなかった。まさか<ダイヤモンド>は聖剣でさえ切れない竜だというのか?

 呆然とするシオンの耳に、竜の大きな笑い声が聞こえた。その声には明らかな悪意が含まれ、ぞっとするような響きがあった。

「はははっ……そうか、覚えのある臭いだと思ったら……ははっ、今ので思い出したぞ。貴様、ソーヤだな?」

 ソーヤとは、シオンらの祖国の英雄だ。そして初代の王、自身の先祖でもある。

 シオンも王城に飾られた肖像画を見たことがあるが、確かに目鼻立ちは自分とよく似ていた気がする。竜殺しの英雄と呼ばれた彼の最も有名な伝説が、まさに今目の前にしている<ダイヤモンド>退治の話なのだ。当然、彼の竜からの心象はよろしくないに決まっている。

「いや、もう奴に火口に落とされてから随分と経っているはずだ……ならばここにいるのは奴の子孫ということかな?」

 竜は機嫌良く、先程の自分の言葉を自ら打ち消した。予想外の事態に固まってしまったシオンをにんまりと見下ろす。

「どうやら知らんようだな。なぜ聖剣の最初の持ち主であるソーヤが我を剣で切るのではなく、わざわざ火山に落としたのだと思う?

 答えは簡単だ。我と戦ったとき、ソーヤはその剣を持っていなかったからだ」

 英雄ソーヤが現れた時、<ダイヤモンド>はちょうど脱皮の時期を迎えていた。

 多くの竜は五十年から百年に一度、脱皮する。爪も、牙も、鱗も古いものは全て脱ぎ捨て、新しくより固いものに生え替わる。体も一回り大きくなり、力が増す。

 だがその間は竜にとって最も危険な時間だ。一日前後であるが新しい鱗はまだ柔らかく定着を待たなければならないし、攻撃手段である爪や牙も使い物にならない。

 かつて戦った<プレーナイト>などは異常な頻度と速度で鱗を生え替わらせていたが、あれは例外だ。ほとんどの竜はこの期間に攻撃を仕掛けられれば逃げるしかない。そのため脱皮の時期が訪れると、攻撃の危険のない場所に隠れ、じっと終わるのを待つのだ。

「そういう一番脆い時期を奴は狙ったわけだ。我が新しい鱗が全て生え替わるまで休んでいるところを探り出し、千人の兵を率いて矢を雨嵐と降らせた。我はシー火山の上へと追い立てられて、最後には逃げ場がなくなり火口へと落とされた。

 つまり聖剣はその時に我が既に捨てた牙。新しい牙には及ばんよ」

 おそらくソーヤは<ダイヤモンド>を退治した後、寝床にしていた場所から抜け落ちた牙を見つけたのだろう。それを人間にとって使い勝手の良いように加工し、聖剣として王族に伝えてきたのだ。

「おや、やっと光が消えたようだな」

 その言葉でシオンははっと気がついた。

 視界を真っ白に染め上げていた放たれた光は薄れ、竜の視力は戻りつつある。

 まずい、とシオンは再び聖剣を構える。

 シオン班とていくら聖剣があるからといって、油断していたわけではない。相手は伝説の竜<ダイヤモンド>だ。班員全員で話し合い、入念に作戦を練ってこの場に臨んでいた。

 まずアカザが矢を放ち、王女から<ダイヤモンド>の気を逸らす。この矢はユリが持つ白魔術の知識と技術を結集して作り上げた特別製だった。半径1キロメートルに渡って強力な光を放射し、竜から視界を奪う。効果の範囲が広く強大であるがゆえに、時間は五分と限られていた。

 その間にホタルの使い魔によって王女を竜の間合いから救い出す。

 さらに光の壁によって竜を街から離れさせ、最終的には壁で挟み込むことによって一時的に動きを封じる。

 そこでシオンが聖剣によって一発で首を落とす予定だったのだ。

 一度限り、時間の制限がある作戦だった。

 これ以上は思いつかない。ここで失敗したらもう後がない。

 だがどうにかしなければならない。

 絶望的な状況で、シオンは必死に頭を動かす。

「当てが外れて残念だったな、小僧」

 <ダイヤモンド>はそんな彼の必死のあがきを嘲笑い、きらりと輝く爪を一閃。



 聖剣は、真っ二つに折れた。



 シオンは呼吸も忘れたかのように、折れた刀身を見て立ち尽くした。

 <ダイヤモンド>はいよいよ興が乗ってきたようだった。

「我は嬉しいぞ。この長い年月、灼熱の溶岩の中でソーヤを八つ裂きにすることだけを考えて、ようやっと噴火口を這い上がってきたのだ。

 死んだソーヤの代わりに――――お前を、肉の一片も残らずぐちゃぐちゃにしてやろう」

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