第6話 ダイヤモンド(2)
ヒガン王国西部最大の都市、フーシン。
ヒガン王国はシー火山を含む山岳地帯を国境として複数の国と接している。シオン達のいるソーヤ王国もその一つだ。
そのため国境に近いフーシンはヒガン国にとって重要な貿易拠点となっていた。
往来には世界各国の商人が行き交い、宿はどこも大繁盛だ。毎日のように市が立ち、そこでは各地のあらゆる品々が並べられ、ここで手に入らない物は無いと言われるほど。
ヒガン王国内で最も栄えている都市の一つといえるだろう。
そんなフーシンに伝説の竜<ダイヤモンド>が襲来した。
彼の竜はシー火山の噴火と共に姿を現した。
都市の位置からいってフーシンには噴火の被害は無いだろうと市民らが安心していたところだった。
彼らはシー火山の火口から一匹の竜が溶岩と共に飛び出すのを目撃した。
降り注ぐ火山灰の中、巨大な竜が透き通る鱗を燦めかせてぐるりと火山上空を旋回する。その溶岩と同じ赤い眼がフーシンの街を捉えるやいなや、まっすぐにこの大都市に向かってきた。
その姿は絵に描いたように美しく、人々はしばし危険が迫っていることを察知できなかった。
<ダイヤモンド>が目を付けたのはフーシン中央にある市庁舎だった。ここは小高い丘となっており、都市全体を見下ろすことができる。
竜は翼を大きく広げて滑空し、フーシン市庁の時計台へと降り立った。
いや、降り立ったなんておとなしいものではない。<ダイヤモンド>の体重がかかるや時計塔は上から一気に崩れ落ちた。
石材がばらばらと地面に向かって落ちてくる。周辺にいた人々は頭を覆って逃げ惑った。
その時になって初めて市民はフーシンが危機的な状況にあることを理解した。
<ダイヤモンド>は逃げ遅れた人間を踏み潰しながら土埃の中を歩き、市庁舎の前庭に行き着くとそこに悠々と寝そべった。翼を収め、長い尾をとぐろを巻くように胴の前へとぐるりと持ってくる。
『聞け、人間達よ』
声が都市全体に轟いた。
『我は竜の王<ダイヤモンド>。全ての竜の頂点にあるもの。地上にある何よりも硬く、何よりもまばゆく尊い存在である』
竜が、話している。
フーシン中の皆が皆、震え上がった。
多くの竜は人語を話さない。人語を解するのは等級の高い竜だと言われていた。この事実は、現れた竜が確かに伝説の<ダイヤモンド>であるということを証拠づけているように思われた。
『これよりこの地を我が宮廷と定める。ここを初めとしてあらゆる人間共の国を襲い、滅ぼし、世界の全てを征服する。
人間達よ、我に従え。さすればその命だけは助けてやろう』
<ダイヤモンド>はフーシンを足がかりにして世界征服、さらには人類を殲滅しようとしているのだ。
竜の言葉に市内は騒然となった。
訳もわからず固まっている者、恐怖のあまり叫ぶ者、家の中に走り込む者、その場で気を失って倒れてしまう者。
この頃には竜襲来の報を受けたフーシンが抱える守備兵が乗り出していたが、もはや収拾がつかなくなっていた。
「冗談じゃない!竜の家来なんてまっぴらだ」
「逃げろっ。ここを出るんだ。あいつの目が届かない所まで逃げるんだっ」
そう言って城門に向かって走り出したのは、主に外からフーシンを訪れた者達だった。
『愚か者めらが』
街の外へ向かって走り出す人間の群れを目にして、<ダイヤモンド>は鼻を鳴らした。そして大きく顎を開き、彼らに向かって火を吹いた。
「うわぁぁぁっ」
炎の帯は過たず、逃げる人々を灼いた。いくつもの黒焦げの物体が転げ回り、やがて動かなくなる。後には鼻につく臭いだけが残った。
『これでわかっただろう。逃げる者は殺す。逆らう者も殺す』
<ダイヤモンド>は炭化した人間達を冷たい眼で一瞥し、そう宣言した。
それまでの騒乱が嘘のように静まりかえった。もはや誰も動くことも、声を発することもできなくなっていた。
そんな中、
「ひぃっ、た、助けて……」
赤ん坊を抱いた女がふらふらと走り出した。
先に逃げた者達が焼かれたのは彼女の目の前だった。その光景をまともに目にして気が狂ったのだろう。明らかに彼らの後追いになるというのに、泣き出した子をめちゃくちゃに抱きしめて街の外へと向かう。
『我がわざわざお前達の言葉で話してやっているというのに、聞いておらぬ者がいるようだな』
竜はそれが例え生まれたばかりの弱い子供であっても容赦するつもりは無いようだった。この母子に向かって火を吹くべく、再び顎を開いた。
その時だった。
「ダ……、<ダイヤモンド>陛下よ。お許しくださいませ」
竜の前に姿を現したのは、白い髭をした立派な身なりの老人だった。彼は母子を庇うように前に立ち、震えを押し殺しながら声を張り上げる。
「陛下のお言葉には以後、何なりと従いましょう……。ですから、これ以上、市民を罰するのはおやめください……」
『貴様は?』
竜の眼球がぎょろりと彼の方へと動く。
「フーシンの市長であります。市民のことは私が取り仕切ります。ですから全て私に何なりとお申し付けください」
『……よかろう』
今後は市長が間に立って市民を管理するという申し出だ。竜は少し考えて納得した。
確かに一人一人の市民に命令し、逆らう度に殺していたのでは要領が悪い。そのやり方ではフーシン市内の人間は、十分に竜の役に立つ前に全滅してしまうだろう。市長一人に命令すれば良いように取り計らうと言っているのだから、その方がたやすい。
お手並み拝見とばかりに、すぐさま市長に命令を下す。
『まずは肉だ。この三百年、肉の一欠片も口にしていない。ありったけの肉を持ってこい』
「承知しました」
市長の命令によって、フーシン城壁内にいる牛や豚など全ての家畜が接収された。それらは市庁舎前の広場に何百と集められた。めいめいに興奮して鳴き声を上げ、一時は恐ろしいほどの騒がしさだった。
だが<ダイヤモンド>が二、三匹を片足の鉤爪で一気に掴み上げ口に放り入れ、ばりばりむしゃむしゃとやること複数回。広場にいた家禽は全て姿を消し、あっという間に静かになった。
市民は家の中に隠れて震えながら、竜の鋭い牙で肉や骨が噛み砕かれる音を聞いていた。
「肉」を求められた時、人間を喰らうのではないかと恐れていたが、その状況を避けられたことだけはほっとしていた。だが家畜が全て奪われ、明日からの自分達の肉は、ミルクはと考えると暗澹たる思いだった。
『金だ。宝石だ。この街にある全ての光り物を集めろ。一粒残らずだ』
次に<ダイヤモンド>が求めたのは金品の類いだった。
元来、竜は金銀財宝に目がない。あちこちから集めた宝を巣に隠し、そこから金貨一枚でも盗まれようものならすぐに気がついて、盗人を地の果てまで追いかけ殺しに掛かるのだ。
市内の富裕層の家全てから金品が運び出された。婦人らは泣く泣く宝石箱を差し出し、街のシンボルであった初代市長の銅像からも金箔が全て引っぺがされた。
市庁舎の前には宝の山が積み上がり、<ダイヤモンド>はその上に満足そうに寝そべった。
そしてついに、最も恐れていた命令が下された。
『女だ。若い女の肉を寄越せ。百人だ』
自身の透明な鱗に反射する金貨の煌めきを愛でながら、何でもないことのように言う。
「それはいくら何でも……女も皆、全て陛下に仕える臣民でございます。どうかどうか、彼女らの命はお許しください」
市長は真っ青になって断ろうとする。だが竜はそんな彼の様子を冷たい目でちらりと見ただけだった。
『逆らえると思っているのか。差し出さないならば、女どころかこの街にいる人間を皆殺しにしてやるまでよ。
――三日待ってやる。それまでに百人用意しろ』
「私が参りましょう」
頭を抱えて自身の邸宅に戻った市長を迎えたのは、ヒガン王国の王女キラクサだった。
彼女は<ダイヤモンド>襲来の際たまたまフーシンを訪問しており、今は市長の家に身を寄せていた。
豊かな金髪に海のような青い目をした十六歳の少女。彼女はその愛らしい容貌と清らかな心で、両親のみならず国民の全てから愛されていた。
王はフーシン近辺に軍を集め、どうにかこのかわいい末娘を城壁の外に連れ出すことはできまいかと悶々としている。二週間にわたる竜の支配下での不便な生活で顔色こそ悪かったが、変わらず美しかった。
「何をおっしゃいます!?王様があなたのお帰りを心待ちにしているのですよ」
「この危機の時にフーシンに居合わせたのは神の思し召しでしょう。私はヒガン王国の王女です。この命、民のために使わずして何が王女ですか」
「しかし竜が求めているのは女百人の命。わざわざキラクサ様が出ずとも……」
言いすがる市長に対し、キラクサはきっぱりと言った。
「私の素性を明かしなさい。それならば竜の王も納得するでしょう」
「申し訳ございません。百人の若い女は用意できませんでした」
三日後、やつれた顔の市長が<ダイヤモンド>の前に立った。斜め後ろには白いドレスの少女を伴っている。その顔はヴェールで隠されていた。
『ほう、それでよく我の前に顔を出せたものだな。まずはお前から喰ろうてやろうか』
竜は冷めた目で市長を見下ろす。
人間達がそう簡単に女百人の命を差し出さないだろうことはわかっていた。だからこの男をどう殺すかということばかり考えていた。生きたまま丸呑みにするか、手足を一本ずつ千切っていくか。どういう殺し方が残った市民に一番恐怖を与えて言うことを聞かせやすくなるだろう。
だが市長は思わぬ言葉を続けた。
「その代わり、一人の尊い女を差し出しましょう」
『どういうことだ』
市長は緊張の面持ちで、後ろの少女が自分から前に進み出るのを見ていた。
「ヒガン王国の王女、キラクサ様がいらっしゃいます。彼女ならば女百人を優に超える価値がありましょう」
少女が繊細なレースのヴェールを上げると、その下から美しく、そして高貴なかんばせがあらわになった。
『……なるほど。それならば我の舌にも合おう』
<ダイヤモンド>が宝の山から身を起こし、片腕を伸ばした。
「あ……っ」
押し殺した少女の声。鋭い鉤爪を備えた前脚がキラクサの細い腰を掴み上げ、金貨のベッドに転がす。
「ほう、なかなかに美しい」
広がる金髪と、白いドレス。恐怖に震えながらもまっすぐに己の運命を見据える少女の顔はどんな宝石よりも光り輝いている。
竜が舌なめずりをする。
女は好きだ。傷つけられる時にあげる高く細い声。それを聞くと高揚する。なるべく長く楽しみたい。少しずつ真っ白な肌に傷を付けていこう。
そう考えた<ダイヤモンド>は爪の先を彼女の胸元に立てる。触れた先から激しく乱れる心音が伝わってきて、いよいよ興奮した。
爪を横一線に滑らせようとしたその時――――
「待て…………っ」
一筋の閃光が、竜の鉤爪に衝突した。
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