第4話 王子、剣士、修道女、黒魔術師そして悪魔・下
「ホタル!ユリ!やっと戻ったか」
「ごっめーん。ついつい話し込んじゃって」
ユリが軽く手を上げる。その後ろをフードを下ろしたホタルがついてきていた。
「まったく。そろそろこちらから探しに行くべきかと思っていたところだ」
アカザは二人がちゃんと戻ってきたことにほっとした。だが一応ホタルの単独行動については注意をしておくべきだろうと口を開いたその時だった。
ホタルがすっとアカザの前に出て、
「アカザ。迷惑をかけてごめんなさい。もう大丈夫だから」
自分から謝った。黒魔術師の肩書きには似つかわしくない、鈴が鳴るような声だった。
「え!?あ、ああ……それなら良いんだが」
思わずどぎまぎしながらそう返し、ちらりとシオンの方を見やる。さあ、さっさと謝ってしまえという意味の視線だ。
それを受けて慌ててシオンが話に入ろうとする。
「ホタル、さっきはすまな……」
「申し訳ありません、シオン様。今後はこのような勝手な行動はしませんから。どうかお許しください」
シオンが謝罪し終える前に、ホタルはさっと頭を下げた。
その勢いにシオンはひるんだ。
「あ、ああ」
自分の謝罪もできていないのに、ホタルの謝罪に頷いてしまう。
ホタルは自分の言葉が受け容れられたと見るや、
「ありがとうございます。お時間取らせてすみませんでした。それでは作戦会議に戻りましょう」
と言ってシオンに背を向けた。
ここに至るまでホタルは一度もシオンと目を合わせることをしなかった。いや、おそらく「できなかった」のだろう。
固まっている男性陣をよそに、ユリは「あちゃー」という顔をしていたのだった。
「まず<プレーナイト>の問題はあの緑玉による一斉掃射だな」
四人はようやく足並み揃え、車座になって対策を講じることとなった。
緑玉が全身を覆う、葡萄のような姿の竜、<プレーナイト>。近づく者があれば、その玉を射出することによって打ち払う。シオンは聖剣を持って近づいたが、まさにその攻撃によって撤退を余儀なくされた。
「あれは竜の鱗が球体に変異したものってことよね。道理で硬いわけだわ」
「ああ、並の武器では歯が立たない。聖剣では切れるだろうが、緑玉は全方位に向かって無数に発射される。向かってくる全てを聖剣でいなしきることはできないだろう」
特異型は何でもありねー、と感心するユリに対し、シオンは先程治癒してもらったばかりの肩をさすりながら苦々しく言う。
「緑玉が発射されると近寄ることもできない。しかもあの玉は打ち出してもすぐ新しい玉が竜の皮膚から生み出される。『攻撃は最大の防御』って言葉を具現化したような竜だな」
さてどうするか、とアカザが顎をさする。すると脇から「でも」と声がした。
「でも緑玉が皮膚から生えてくる直前なら、案外倒しやすいかもしれません」
ホタルだった。
「え?」
他の三人の視線が――とりわけシオンの視線が自分に向かってきて、ホタルはがばっとフードをかぶった。だが彼女は今までのようにそこで口を閉ざすことはなかった。
「その……先程アカザが射た矢が当たっていたでしょう?」
「そうだったな。聖剣でもないのにしっかり竜の皮膚に刺さっていた」
負傷したシオンを助け出す直前、駄目元で放った矢が<プレーナイト>の胴に刺さっていたのだ。
あの時はちょっとした幸運とくらいにしか思っていなかった。だがよく考えてみれば本来、等級5以上の竜の鱗は通常の剣や矢を弾いてしまうのである。
「おそらく緑玉を全て打ち出した後の竜は柔らかい皮膚がむき出しの状態なんです。一番無防備な時間でしょう。だから新しい玉を作り出す直前に攻撃すれば、致命傷を与えることができると思います」
「だがそのためにはどうする?玉の射出と射出の間はかなり短かったぞ。その間に至近距離まで近寄って攻撃するのは難しい」
すぐさまアカザが反論する。
あの時、最初に装填されていた緑玉を全て射出し終えてから、すぐに皮膚から新たな玉がにょきにょきと出てきていた。アカザの矢も、竜の様子を確認する前にがむしゃらに射たからたまたま当たったというだけだ。
「囮、というのはどうでしょうか」
その言葉にシオン、アカザ、ユリの眼がはっと見開かれる。
「最も強力な攻撃の前に<プレーナイト>の気を逸らすんです」
「なるほど。そこで私達シオン班の連携が試されるってわけね」
ユリがにやりと笑った。
<プレーナイト>は変わらず村長の家で微睡んでいた。
自分の体がうまく収まる人家は巣として寝心地が良い。餌はまだ食料庫にたっぷり残っており、全ての人間が去った後はとても静かで穏やかだ。しばらくはここで快適に暮らせるだろう。
だが彼の至福の時間は再び破られた。
うっすらと冷たい空気が流れてきたのを感じて、<プレーナイト>は片目を開けた。
なんだか薄暗い。まだ昼間のはずだが、と考えているうちに、それが霧だと気がついた。
黒い霧が村の入口から流れてきている。霧はどんどん濃くなっていき、やがて周囲が黒く濁ってすぐ近くすら見通せなくなった。
ここにきて竜は「おかしい」と感じて、四つ足を付けて立ち上がった。うなり声を漏らし、周囲を警戒する。
四方八方が霧の中。ある一方向がきらり、と光った。
<プレーナイト>が目を覚ます五分前。
「ムゲン」
村の入口でホタルが空中に魔方陣を描く。そこから現れたのは大きな蛾だ。否、蛾の姿をした悪魔だった。
それはひらひらと村の中に向かって飛んでいく。羽をはためかせる度に鱗粉が大量に落ちて、それが黒い霧となる。
蛾の悪魔は<プレーナイト>の周りを円を描くようにぐるぐると飛び回った。周回するごとに霧は濃くなり、やがて<プレーナイト>を黒い壁が取り囲んだ。村の中央に霧の筒がそびえ立つ。
「幻惑の霧です。この中にいる者は方向感覚や平衡感覚が曖昧になり、抵抗力が弱ければ幻を見ます」
等級の高い竜なのでそこまで効くかはわかりませんが、目眩ましにはなるでしょう、とホタル。
彼らは霧の輪が完成したのを確認して、その外側に立った。
「よくやった、ホタル。じゃあシオン、ユリ、後は手筈通りに行くぞ」
アカザの言葉に二人は緊張の面持ちで頷いた。
霧の向こうから竜の唸り声が聞こえる。どうやら異変に気がつき目を覚ましたらしい。
シオンがその声を聞きつけ、霧の中に身を投じた。
一方、残されたアカザが弓を引く。つがえているのは聖書の一節を彫り込まれた矢だった。ユリのお手製のものだ。
矢は弓から離れると同時に強力な光を放つ。黒い霧の中でそれは流れ星のように強く輝く。竜の注意を引くにはもってこいだ。
またアカザが矢を放つのに合わせて、ユリの詠唱が始まった。
「我はかよわき花。雨に濡れ風に吹かれて散り行くもの。その光でもて照らし給え。厚き大気でもて打ち払い給え……」
ユリの唇が一音一音を紡ぐごとに、地面から透明な物質が湧き上がってくる。それは三人の目の前で、上へ上へと成長していく。
アカザが射た矢は<プレーナイト>を直接攻撃しようとしたものではない。それは放物線を描いて竜から数十メートル離れた地面に落ちた。黒い霧の中、そこだけが強く輝いている。
「やはりこれだけではこちらに攻撃してこないか」
「ええ。でも興味を抱いたのは確かです」
緊張の面持ちで確認するアカザに、ホタルが肯定する。
「ならばあと一息というところか」
そう言って再び弓に矢をつがえた。先程と同じ聖なる光を灯した矢。今度は霧に隠される前に見た竜の位置に向かって射る。明確な殺意を込めて一本、さらに一本。矢筒に入った全ての矢を放つ。
ついに<プレーナイト>がこちらの敵意を認めた。
霧の向こうに無数の緑の光がちかちかっと瞬く。攻撃の予兆だ。
「……出でよ、神風の盾。悪しき者を抑え、僕たる我々を守り給え!」
同時にユリの詠唱が終わった。透明な物質はユリの頭上を越え、一枚の壁を構築する。神の手によって築かれた、聖なる城壁だ。
「アカザ!」
ホタルの鋭い声が飛ぶ。その声が発せられるより前に、アカザはユリの作り上げた壁の後ろへと滑り込んでいた。
間一髪のタイミングで緑玉が凄まじい勢いでこちらに向かって飛んでくる。それらはダン、ダン、ダン、ダン!!と透明な分厚い壁にぶち当たった。
玉は壁を突き抜けるぎりぎりの所でどうにか留められていた。直撃していれば命はなかっただろう。
緑玉が飛んできたときに起こされた風で、部分的に霧が吹き払われた。
薄まった霧の合間から、こちらを睨んで唸り声を上げる<プレーナイト>が見える。
その胴体は全ての玉を打ち出した後で一回り小さくなっていた。今が絶好の攻撃のチャンスだった。
竜の注意は完全にこちらに向かっている。だから霧の中に潜む伏兵に気づいていない。
先程、アカザが矢を射るのに先んじて霧の中から竜に近づいていたシオンだ。
彼は残っている黒い霧に隠れながら竜の脇に忍び寄り、
「はあっ!」
聖剣を竜の首に振り下ろした。
<プレーナイト>の目が見開かれる。大きく開かれた顎がそのまま動かなくなる。
真っ赤な血が噴水のように吹き上がる。
竜の頭がどさり、と地面に落ちた。
シオンが竜の首を切り落としたのだ。しばらく地の噴水が吹き上げられた後、胴体もぐらり、と傾ぎ地面に倒れた。
「ふぅ……、危なかった」
シオンが倒した竜を見下ろしながら、顔を拭う。彼は間近で血を浴びたため全身が真っ赤だった。
地面に倒れた竜の背中には、既にいくつか緑玉が顔を出していた。首を落とすのが一秒でも遅れたら、至近距離で攻撃を受けていただろう。
「シオン!よくやった」
囮役をやった他の三人がシオンに駆け寄ってくる。
「大丈夫か、怪我はないか?」
「ああ。これは全部、竜の血だ」
真っ先に駆けつけたアカザがシオンの両肩を掴んで、上から下まで検分する。その様子にシオンは心配性だな、と苦笑した。
「じゃあ私の手は必要ないわね」
ユリは満足そうだ。治癒魔術はそれなりに疲れる。できれば三日に一回に止めてほしいところなのだ。
「大丈夫だ。だけど洗濯は手伝ってくれると助かる。血は落とすのが大変なんだ」
「りょーかい。ホタルがやるわ」
「えっ」
ユリの安請け合いに、シオンが思わずホタルの方を見る。先程の態度からして、とてもじゃないがシオンの衣服の洗濯など手伝ってくれそうになかったはずだ。
だが当のホタルは、
「……シオン様っ」
焦った顔でシオンの胸元に飛び込み、そしてその体を思い切り突き飛ばした。
「え」
突き飛ばされたのには驚いた。そんなに嫌われているのかと。
だが彼らの背後で倒れていた<プレーナイト>の胴体から、たった一粒、緑玉がこちらに向かってくるのが眼に入った。
それから落とされた竜の首が今もなお、シオンをぎらぎらと睨みつけているのも。
竜は最後の力を振り絞って、シオンを道連れにしようとたった一つの緑玉を撃ち出したのだ。
ホタルが先に気がつき、シオンを庇おうとした。当然、ホタルの方は避けられない。
「ホタ……」
緑玉が彼女の目と鼻の先に迫ったその時。
突如として凄まじい強風がその場に巻き起こった。
悪魔の力を帯びた風はナイフのようだった。あの硬い緑玉はたやすく千々に切り刻まれ、ホタルの眼の前で爆散した。
飛び散った破片が一つ、ホタルの白い頬をぴっと切り裂く。彼女の傷はそれだけだった。
もうもうと立ちこめる土煙の中、ホタルの側には新たな人物の姿があった。
彼女の肩を抱いて、地面に散らばる緑玉の欠片を冷たく見下ろす一人の青年。
彼は黒ずくめだった。黒い髪、黒いフロックコート、黒い革靴。短い前髪の下、額には四本の角が生え、背中には大きな黒い翼が生えている。
「げ……っ」
ユリがものすごく嫌そうな顔をする。それでシオンとアカザにもはっきりとこの青年の正体がわかった。
悪魔ヒッシャ。先程までのカラスは仮の姿で、こちらが本当の姿なのだろう。
悪魔は仮の姿では本来持っている力を完全に行使することはできない。彼はホタルを守るために元の姿に戻ったのだろう。
ヒッシャが親指でホタルの頬をさっとかすめると、切り傷が消えた。
対象が契約を結ぶ主人に限られるとはいえ、この程度の怪我は治せるらしい。治癒は白魔術の領域だ。それができるということは、彼はよっぽど高位の悪魔なのだろう。
「ありがとう、ヒッシャ」
「まだまだお前には楽しませてもらわんといかんからな。こんな所で死んでもらっては困る。最高に不幸になってから、お前の魂を啜らせろ」
慣れたように礼を言うホタル。ヒッシャの言い草を少しも気にした様子がない。これが彼らの通常運行なのだろう。
せっかく手強い竜を倒したというのに、何なのだこの空気は。
シオンはむかむかしてきた。それがどういう感情に基づくものなのか本人もわからないまま、ずんずんと二人の元に歩いて行く。
「ホタル、手!」
シオンの声にびくり、とホタルは肩を震わせる。振り向くとシオンが片手を開いて顔の高さまで持ち上げていた。
「ん」
ホタルが視線を彷徨わせるも、彼は退く気が無いようだった。手を上げたままじっと待っている。
やがて彼女がおずおずと同じように片手を上げると、そこにぱしん、と打ち付けた。
「やったな、ホタル。俺達は勝ったんだぞ!」
シオンがにっこりと笑った。ホタルはしばしその笑顔をぼうっと見つめた後で、顔を赤らめながら、
「はい……っ」
と応えた。今度はフードで顔を隠すことは無かった。
「あー、ずるーい。私達もまぜてよーっ」
走り寄ってきたユリが背後からホタルに抱きつき、思い切り体重を掛けてくる。後からアカザも近寄ってきて、シオンの肩を叩いた。
「やったな」
「……おう!」
竜を倒した喜びに盛り上がる人間達を尻目に、ヒッシャは鼻を鳴らして再びカラスの姿に戻り馬車の方へ飛んでいってしまった。
彼は人間の不幸が大好きな一方、彼らが寄り添い喜びを分かち合う姿を見るのは反吐が出るくらい嫌いなのである。
こうしてシオン班の四人は、無事に初めての竜討伐を成功させたのだった。
ソーヤ王国と隣国であるヒガン王国の国境は急峻な山岳地帯である。
中でも一際目につくのはシー火山だ。周辺の山々の中でも一番高く、姿も美しい成層火山だ。
そのシー火山が噴火した。シオン班が<プレーナイト>に勝利したその直後のことである。
シー火山は真っ赤な溶岩と凶悪な火山礫を壊れた噴水のように吹き上げた。どろどろの火砕流が全方面に流れていく。ソーヤ王国側でもヒガン王国側でも等しく、山の麓の村がいくつも飲み込まれた。
「シー火山が噴火するなんて初めてじゃないですか?」
「少なくとも史実には無かったはずだ。ソーヤ王国建国以前はあったのかもしれないが」
物見台で兵士達が、今も山肌を流れ続ける溶岩を見ていた。
ここはシー火山の周辺では最も大規模な都市ジルシオである。彼らはここに置かれた竜騎士団支部に所属の団員だった。
ジルシオまで火砕流が達することは無いだろうと、学者達は推測している。だが熱風や火山灰はこちらまで届いている。麓の村で被災してなんとか生き延びた人々も続々と避難してきており、市民は皆、不安げな顔をしていた。
「いつになったら収まるんですかねー」
見張りをしていた二人の兵士のうち、若い方がぼやく。
年かさの方が、
「学者の見立てじゃ数日程度だって話だ。その間にどれだけの被害が出るかだな」
と答える。
そして、
「竜騎士団に火山対策は専門外だが、おそらく市内の治安維持のために駆り出されるだろう。準備しておけ」
と付け加えた。
そのあたりは若い方もなんとなくそういう気がしていたので素直に頷いた。
「了解……って、あれ?」
今も噴火が続いている火口の方を見て、彼は奇妙な顔をした。眼をこすってもう一度見て、さらに望遠鏡を取り出してよくよく確認しようとする。
「うん?どうした?」
「いや、あれ……」
若い方の妙な様子に気がつき、同じ方向を見た年長の兵士は目を見開いた。すぐさま望遠鏡を奪い取り、自分の目に合わせる。
溶岩の噴水の中、火口から何かが飛び出した。
きらきらと輝く巨大な生き物。そいつは翼があるらしく、降りかかる溶岩を振り払いながら火口の上を飛んでいる。
「そんな、まさか……」
兵士は思わず望遠鏡を取り落とした。自分の目が信じられない。
「え、何ですか。あいつ、竜ですよね。何であんな所にいるのか知りませんが」
竜騎士団にいる以上、竜は見慣れている。それなのに年長の彼が何をそんなに驚いているのかわからなかった。
相手はごくりと唾を飲み込んで、絞り出すように言った。
「ああ、竜だ。それも伝説上のな」
「それって……」
伝説、と言われ、若手の方もぴんと来る。そしてもしそれが本当ならとんでもないことだと思い当たり、同じように震え上がった。
火口を優雅に飛ぶ巨大な竜。
全身は透明な鱗で覆われており、それがマグマの光で眩しいほどに燦めいている。両目だけが炎と同じ、火傷しそうなほどの赤色だ。
「あの姿。建国記に書いてある姿そのままだ。
かつて英雄ソーヤが討った最古かつ最強の竜……<ダイヤモンド>だ!」
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