第3話 王子、剣士、修道女、黒魔術師そして悪魔・中
「ほら、これでわかっただろう。一人で竜と戦うのは無謀だって」
四人は命からがら村を逃げ出した。森の中の馬車を隠した所までたどり着くと、竜が追ってこないことを確認してようやく一息つくことができた。
ホタルが馬車の中から取りだした敷物を地面に敷き、肩を負傷したシオンを寝かせる。ユリが白魔術を行使して治癒に取りかかるやいなや、アカザの説教が始まった。
「お前は昔からいつもそうなんだ。何も考えずに馬鹿みたいに突っ込んでいく。城でもお前何度お付きの連中を泣かせたと思っているんだ」
「わかった、わかったから……」
竜騎士団本部を出発してからずっと我慢していたのだろう。シオンが怪我と任務の失敗でおとなしくなっているのを絶好の機会と捉え、一気に不満を吐き出してきた。
怒濤の勢いに、シオンが目をつぶったまま眉間にしわを寄せる。無事な方の手を上げて制しようとするが、アカザは止まらない。
「あの時だってそうだ。黙って街の貧民街にまで入り込みやがって……」
さすがにかわいそうに思ったらしいユリが、
「まあまあ、これであいつの手管はわかったんだから良しとしましょ。問題はこれからどうするかよ」
と尤もらしいことを言って、アカザを抑えにかかる。
ホタルも火を起こし、全員分のお茶を淹れ初める。「落ち着け」ということを行動で示しているらしい。
「……まあ一人で暴走したのはシオンだが、それを好きにさせた俺も悪い。今度はちゃんと作戦を立てよう」
アカザもやっと頭が冷えてきたらしく、そう絞り出すように言う。
彼は四人の中では一番年長だ。普段はもっと落ち着いていて、他の我が道を行く連中をたしなめ、まとめる側の人間なのだ。
アカザが本来の調子を取り戻してきたことで、他の三人はほっと息をついた。
シオン班は<プレーナイト>を駆除すべく作戦会議に入った。そこまでは良かったのだが。
「そもそも偵察に行ったからにはもうちょっと情報を持ち帰るべきじゃない?」
いきなりユリがホタルと彼女が従える悪魔ヒッシャに喧嘩を売り始めた。どうあっても白魔術師と黒魔術師は相容れないらしい。
「特殊な形態だって伝えただろう。それに対して何の対策もしなかったのはお前達じゃないか」
ヒッシャがぺっと唾を吐く。
「そこを具体的に調査するのが偵察ってもんでしょうが」
「眠っていて動かない竜から、それ以上の情報を読み取れるか。そもそも俺はホタルと契約しているんであって、お前にあーだこーだ言われる筋合いはない」
修道女とカラスがぎりぎりとにらみ合う様は端から見ると滑稽だ。何としてでも口喧嘩で負けたくないユリは、
「じゃあ、ホタル。あんた、こいつの主なんでしょ。もうちょっとちゃんとこいつを働かせなさいよ」
と今度はホタルに標的を変えた。
「……」
フードの下の彼女は無言だ。騎士団に入団してからもう一ヶ月以上経つのだが、この場にいる誰もが、彼女が話すところを数えるほどしか見たことがなかった。
このことはアカザも問題視していた。
「ホタル、お前は喋ることくらい悪魔に頼らず自分でやりなさい」
アカザは意識して少し厳しい声で言った。ユリに加勢するような格好になるのは心苦しいが、彼女に対してもこの機会に言うべきことをちゃんと言っておくべきだと考えたのだ。
「お前も竜騎士団の一員なんだ。悪魔を使うのは良いが、彼らは俺達にとっては信頼できない生き物だ。嘘をつくかもしれないし、人間と感覚が違う可能性もある。命令や取捨選択できるのは、黒魔術師であるお前だけだ。だから悪魔を使って得た情報はあくまでもお前自身が精査した上で、俺達に伝えるべきだ。でないとろくに作戦も立てられない」
「……」
ホタルは縮こまった。かわいそうだがアカザもここで退く気はなかった。
「ホタル、お前はどう思っているんだ」
「……」
「ホタル……」
仕方ない、とアカザは長期戦に入る構えを取った。
実際、悪魔による敵の偵察は有用なのだ。だからこそそれができるホタルとは円滑なコミュニケーションをとれるようにしておかなければならない。問題は他にも山積みだが、これはその中でも優先して解決するべきものだ。
アカザがそんな風に考えている一方で、シオンは既にこの話し合いに飽き始めていた。
もともと終わりが見えない会議が苦手な性分なのだ。そんなことをしているくらいならとっとと敵地に踏み込んで剣を振るいたい。
手持ち無沙汰に腕を組んで、目の前で二人に責められているホタルを見ていた。彼女はそのうち地面にのめり込んでしまうのではないかというくらいに、どんどん身を小さくしていた。
しゃべれないんだったらそれで良いじゃないか。首を縦や横に振れば「はい」か「いいえ」は示せるわけだし、表情を見れば大体彼女が「良い」と思っているか「悪い」と思っているかくらいは読み取れるだろう。
だがその顔もフードで隠しているんだな。じゃあフードはさすがにいけないよな。
シオンが考えていたのはその程度のことだった。それで何の気なしに手を伸ばして、彼女の目深にかぶったフードをがばっとまくり上げた。
フードの下にあったのは黒目黒髪の少女の顔だった。一年中フードに隠しているため肌は白い。十八歳とか聞いた気がするが、どちらかというと童顔だ。三つ編みを一本後ろに垂らした髪型が幼い印象を助長させる。
彼女は一瞬、何が起こったかわからないようだった。
目を二、三度瞬かせた後で、突如開けた視界に気づいた。
「…………!」
気づいた瞬間、ホタルの顔は茹で蛸のように真っ赤になった。その変化は他の三人をぎょっとさせるものだった。
彼女は下ろされたフードを自分の手で乱暴に、それこそ顔の全部が見えなくなるくらいにまで引き戻した。
そして逃走した。
「あっ」
止める間もなく、背後の木々の中に走り去っていく。
「おい、こらっ」
「待ちなさいっ」
残された者達はあまりの勢いに呆然として、彼女の後ろ姿が見えなくなるのを見送ってしまった。
しばらくしてから、
「いや、かわいい顔じゃないか。何をそんなに隠すことがあるんだ?」
とシオンが不思議そうに言った。
それを聞いたアカザとユリが、
「こんの、馬鹿っ」
「あんた、無神経にも程があるでしょうっ」
口々にシオンに向かって罵声を浴びせた。
「えっ、俺が怒られるところなのか」
「当たり前でしょう。女の子の服を勝手に脱がせるなんて最低。気持ち悪い」
「いや、そこまでのことはしていないだろう……?」
ゴミを見るような目のユリに、シオンが弱々しく反駁する。
対するアカザの方は、「確かにそこまではしていない」と冷静に否定してくれた。
親友の優しさに「アカザ……」と涙ぐみそうになるが、
「だがお前のやったことは、スカートめくりの一歩手前だ。明らかに騎士道に反した行いだ。反省しろ」
とアカザは冷たく言い放った。
真顔なのが余計につらい。誰も俺の味方はいないのか、とシオンは嘆いた。
「わかったよ。お前達がそこまで言うなら、今から謝ってくる」
口をとがらせながら立ち上がる。
おとなしい女の子を驚かせたのは確かなのだ。その点についてはシオンも反省していた。肩の治療も終わったことだし、体を慣らしがてらひとっ走りするのも悪くない。
しかしそこに待ったをかけたのはユリだった。
「待ちなさい。あんたのような変態が一人で追いかけてきたら、余計脅えさせるでしょう。同じ女の子同士の私が行ってくるわ」
「いや、お前が行くのもどうかと……さっきさんざん虐めていたのはお前じゃなかったか」
アカザが眉をしかめる。シオンを行かせるのも心配だが、ユリを行かせるのも不安である。
「虐めてないし。それに私が主にやり合っていたのは、悪魔の方よ」
ユリはそう言ってさっさと立ち上がり、ホタルの後を追って森の向こうへ姿を消した。
アカザは「それもそうか」と納得し、女性陣が戻るまでお茶を味わうことにした。さんざん言い争っていたせいで、まだほんの少し口を付けただけだったのだ。
それに、
「アカザ~……」
「なんだ?」
「俺、そんなに悪いことした?」
「悪いこととは言わないが、無神経なんだよお前は。今からどう謝るか考えておけ」
「うう……」
「俺も一緒に考えてやるから」
「うん……」
いじけた王子の相手をするという大事だが面倒くさい仕事が、アカザには残っているのである。
「いたいた。随分と遠くまで逃げたわねぇ」
ホタルは四人がいた場所から十分ほど歩いた場所にいた。倒木の上にぽつんと一人、膝を抱えていた。
「すみません……」
「あら、話せるのね」
予想外に返事が返ってきてユリは驚いた。
「……緊張、してしまって。態度が良くなかったですよね。本当に反省しています」
ホタルが一文より多く話しているのを初めて聞いた。ユリは彼女の隣に腰を下ろした。
「そんなに人と話してこなかったの?ひょっとして箱入り娘だったりする?」
「いえ、違います。竜騎士団選抜試験までは<果ての森>の中で修行していたので、かなり長く人間とは話していませんでしたが。でも話すこと自体は問題ないです」
「じゃあ今までの態度は何なのよ」
「その……シオン様がいると緊張してしまって」
言いながらローブの裾を握る。ユリは首をかしげた。
「シオン?あいつ王族とはいえ第三王子よ?よっぽどのことがない限り国王になることはないし、同じ竜騎士団にいる以上ただの一兵卒よ。どこに緊張する要素が……」
言いながら、そういえばシオンは班長なので兵卒ではないのでは、とユリは気がついたが「まあ良いか」と思い直した。首都から遠く離れた大地でたった四人、階級などたいした問題ではない。
「いえ、そこではなく。その、シオン様は私にとって恩人なんです」
ホタルの白い肌が再びほんのりと色づく。彼女は小さな声でシオンとの出会いについて次のように話した。
ホタルは首都の貧民街で育った。周囲から群を抜いて貧しく体つきも貧弱だったため、近所の子供達から毎日虐められていたのだという。
そこに十年前、たまたま現れていじめっ子達を追い払ってくれたのがシオンだった。
その時見たシオンの強さに憧れた。自分も強くなって彼の役に立ちたいと考えた。そこで彼が入るという竜騎士団を目指すことにした。
<果ての森>の魔女に弟子入りし、黒魔術の腕を磨いた。多くの悪魔を従えるようになり、無事選抜試験に合格した。
そしてシオン班に所属することになった。
「――――それなのに、こんな形で迷惑をかけて申し訳ない……」
そうホタルが話を締めて、ふと隣を見やると。
ユリが満面の笑みで、ぐびぐびと酒を飲んでいた。
「いやー、良い話ね。すっごい良い話」
「え」
「つまりホタルはシオンのことが大っ好きなわけね」
「い、いや、そういう話では」
「照れなくて良いのよ。おねーさん、そういう話すっごく好き。あー、お酒が進むわー」
「ほ、本当に違います!憧れなんですっ。それ以上の感情は……」
ユリは一人で納得して、どこからともなく新しい酒瓶を取り出し蓋を開けている。
酔っ払いは人の話を聞かない。「そんな恐れ多い気持ち、持ってないですからっ」というホタルの声もどこ吹く風だ。
「何だ、全部話したのか」
頭上からばさばさと羽音を立ててヒッシャが降りてきた。彼は先程逃走したホタルにその場に置いていかれてしまっていたのだ。
「げ、来た悪魔」
途端にユリの機嫌は急降下した。
「げ、とは何だ」
鼻を鳴らしてホタルのユリの間に留まる。そして「つまらんな」と言った。
「こいつはあの男のために悪魔と契約してまで力を得て竜騎士団に入ったくせに、肝心のあいつとはちっとも話すことができない、というのが面白かったのに」
それを聞いたユリが、
「あんた、さっすが悪魔よね。主人の不幸がそんなに嬉しいわけ?」
と、苦虫をかみつぶしたような顔をした。
「当然だろう。俺は人間が不幸になる姿が見たくて、人間と契約しているんだ。自分の願いを叶えるために悪魔と契約して、後になって「こんなつもりじゃなかった」と嘆く顔を見るのが最高の悦楽なのだ。
それなのにこいつは実につまらん女でな。俺が『力を貸してやるから、死んだら魂を寄越せ』と言ったときも、少しもびびらない。迷わず「はい」と契約書にサインして、後悔した様子もないときた」
ユリは今度はホタルに対して頭が痛くなった。
「ホタル、あんたそのへんもうちょっと考えて行動しなさい……?」
「死んだ後のことなので、魂がどうなっても別に良いかなって。必要なときに力が手に入れば、後のことはわりとどうでも」
淡々と顔色も変えず応えるホタル。
駄目だ、悪魔も黒魔術師も理解できない。修道女であるところのユリは両手を挙げた。 結局、
「……いろいろ言いたいことはあるけど、今は良いわ。とにかく!このいけすかない悪魔の娯楽にならないために、あんたはちゃんとシオンと話せるようにしなさい」
と、シオン班全員にとって一番重要なことだけを言い聞かせることにした。
「うう」
ホタルが涙目になる。
「話せた方がシオンの役に立てるでしょ!初心を忘れちゃ駄目。わかった?」
「う、はい……」
畳みかけると、ホタルは小さく頷いた。彼女もこのままではいけないとわかっているのだ。
二人の間でカラスが「けっ」と鳴いた。
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