第2話 王子、剣士、修道女、黒魔術師そして悪魔・上

 ソーヤ王国は竜殺しの英雄が創った国だ。

 建国の祖ソーヤはこの地を荒らす竜を聖剣でもって追い払い、国を築いた。以来ソーヤの子孫である王家には約五十年に一人の割合で聖剣を扱える人間が生まれる。

 当代においてはそれが第三王子、シオンであった。

 彼はこれまでの聖剣の使い手と同様、生まれたときから竜騎士団に入ることが決まっていた。

 世界中の竜を倒しに行く。それが彼の宿命なのだ。

 先日の竜騎士団団員選抜試験では新たに三人の団員が加わった。シオンは彼らと班を組み、今まさに初めての任務に赴こうとしていた。



 森の中の一本道を馬車が走っていく。その幌から顔を出した黒魔術師・ホタルが腕を差し出すと、そこに大きなカラスが舞い降りた。

「いたぞ。この先、馬車で三十分ほどだろう。奴さん、村長の家をねぐらにしてくつろいでるよ」

 こくり、とホタルは頷く。

「ありがとう、ヒッシャ」

「まったく。この俺様を偵察に使おうなんて、お前は本当に生意気な娘だ」

 小さな謝意にカラスは流暢な人語でぶつくさ言いながら、ホタルの腕を伝って肩まで歩き、そこで羽を休めた。

 ホタルは意見を伺うように、馬車の中を見やる。そこにはシオン王子と修道女ユリが座っている。剣士アカザは御者台で手綱を握っていた。

「報告の通りだな」

 シオンの言葉に、アカザも視線を進行方向に向けたまま「ああ」と応じる。

 一週間前、カイシオ村という山奥の小さな集落から首都の竜騎士団本部に早馬で助けを求める知らせが入った。

 山から一匹の竜が下りてきて村で大暴れし、村民全員が近隣の別の村に避難する事態になっているのだという。竜は村人全員を追い出した後、食料がたんまり溜め込んである村長の家を巣にしてすっかり居座ってしまった。

 村人達としては放ってきた畑も心配だし、なるべく早くに村に戻りたい。でなければ今年は収穫できず、冬を飢えて過ごすことになる。

「で、急ぎの案件として聖剣を持つ僕らの班に白羽の矢が立ったわけだ」

 そう言って、シオンが鞘に収められた剣を揺らしてみせる。

「等級はいくつなのよ?」

と、向かいに座るユリが尋ねる。

「6」

「あらー、期待されてるわねぇ」

「聖剣があるからな。僕らの班は基本的に等級5以上の竜と対峙する」

 新規の竜が発見されると、その強さを1から10の等級でランク付けすることになっている。今回の等級は6。つまり平均より強い。

 この等級に応じて、騎士団から兵士が派遣される。今回も本来ならば十年来のベテランが選ばれるはずだった。しかし実際に派遣されることになったのはシオン班――シオン以外全員新人だ。

 それはひとえに聖剣の使い手がいるからだった。経験値を差し引いても戦闘力がずば抜けていると見られているのだ。

「作戦はどうする」

と言うアカザに、

「いらない。聖剣で首を落とす、それだけ。この等級なら僕一人でも大丈夫だよ」

とシオンがあっけらかんと答える。

「おい……!」

 思わずアカザは馬を御することを忘れ、後ろを振り返った。

 彼はシオンとは幼い頃からの遊び相手だ。この殿下の性格はよくわかっている。

 勝てば良い。強ければ良い。勝負の内容は考えない。あくまでも勝利という結果のみが重要。良くも悪くも単純な男なのだ。

 楽勝、楽勝と言う殿下にアカザは頭を抱えた。

「……」

 ホタルが何か言いたげにもぞりと身じろぎしたが、結局何も言わなかった。

「まあいざとなったら聖女とも名高いこの私がいるんだから大丈夫よ。竜の一匹や二匹、障壁で足止めできるわ。そうすればシオンが万が一しくじっても、体勢を立て直すことができるでしょ」

 そう言ったユリは法衣の裾がはだけるのも気にせず、馬車の上であぐらを掻いている。おまけに酒瓶を呷って、大口開けて笑いながらだ。すっかりできあがっている。

 ここにもお気楽な人間が一人。

「自信を持つのは結構だが、酒はほどほどにしろ。肝心の戦闘の時に役に立たないようでは困る。というか教会はそもそも禁酒では」

 アカザが苦言を呈するが、

「あたしの神は酒を飲む飲まないでぐちぐち言うようなちっちゃい男じゃないのよっ」

とぴしゃりと言い返してくる。こいつの聖書は虫食いだらけに違いない。

 処置無し、と判じたアカザは、先程から黙っている黒魔術師に「ホタルは?」と水を向ける。

「偵察した結果、お前はどう思う」

「……」

 ホタルは喋らなかった。代わりに、

「等級は低いが、竜の中でも特殊な形態だったぞ。大きさは家一軒くらいだが、ありゃ一般的な竜とは違う対策を取る必要があると思う」

と彼女の肩の上のカラスが喋った。

 一般的な竜退治の手順は次のようになる。

 まず翼を潰して飛べないようにする。次に火を噴く可能性のある口を塞ぐ。その上で急所である眼を狙う。

 先日の竜騎士団選抜試験で用意された竜<ジェット>はまさにこの一般的な例でもって倒された。

 このカラスはこの手順では今回の竜は倒せないと言っているのだ。

「違う対策?具体的には」

「……」

 やはりホタルは無言。そしてカラスが、

「見る限り翼がかなり小さかった。あれでは飛べないから翼を潰す必要は無い。だがその欠点を補うだけの何かを持っているんだろう。どういう攻撃をしてくるかわからないから、最大の防御を用意しておいた方が安全だろうな」

と言った。

 内容自体は至極真っ当だが、アカザはついに耐えかねて、

「……いや、俺はホタルに聞いているんだが」

と言った。

 ホタルが小柄な背中を一層縮こまらせた。

「仕方ないだろう。こいつはあまり喋らん」

 人慣れしてないんだ、とカラス。

 一方で酒瓶を一口啜ったユリが、

「悪魔の言うことなんか聞いちゃだめよ。そいつらすーぐ嘘つくんだから」

と機嫌悪そうに口を挟む。

「悪魔?」

「そ。今は仮の姿をしているだけで正真正銘の悪魔よ、そいつ。あたしにはわかるんだから」

 アカザとシオンはホタルとその肩に留まった真っ黒な鳥をまじまじと見た。

「あたし悪魔、嫌い。だから悪魔を使おうっていう黒魔術師も嫌いよ」

「……」

 ホタルは相変わらず何も言わない。表情はフードの下に隠され、見えないままだ。

「こら、空気を悪くするな」

「だって本当のことだもん」

 子供のように頬を膨らませるユリに、

「ふん。俺に言わせれば神なんて目に見えないものを信奉して、それどころか他の人間にまで信仰を強要するような連中も大概、嘘つきと言えると思うがな」

とカラスが鼻で笑う。

「なぁんですってぇ」

 逆上して、ユリが立ち上がった。

 酔っ払いは沸点が低い。馬車ががたがたと揺れる。その場で決闘騒ぎでも起こしかねない勢いに、

「良い加減にしないかっ」

とついにシオンが声を荒げた。

「どういう力であれ、竜を倒すのに役立てば良いんだ。とにかく今日の竜は僕が倒す。君達はそれまで頭を冷やしていなさい」

「……はーい」

 ユリがむすっとした顔で座り直し、ホタルもひっそりとうなだれた。カラスはけっと笑っている。アカザも仲間割れはごめんなので、黙って馬車を走らせるのに集中することにした。

 結局シオンが一人で突っ込むという無謀な作戦が変わっていないということに気がついたのは、しばらく経ってからだった。


「あれが<プレーナイト>。推定等級6の竜だ」

 カイシオ村は家屋が二十件程の本当に小さな集落だった。どれも藁葺き屋根の素朴な農家だ。その全ての家がぼこぼこと屋根やら壁やらに穴が開き壊されている。おそらく竜の仕業だろう。

 他より一回り大きな家が村長の家であるらしい。屋根が落とされ、代わりにそこから透き通った緑玉が無数埋め込まれた小山がはみ出ている。その小山は規則的に膨らんだり、しぼんだりしていた。

「眠っているようだな」

「ああ。竜はいびきも大きいな」

 村中にごうごうという音が響き渡っている。シオン班の四人は、村の入口に一番近い家を影にして、標的の竜の様子をうかがっていた。

 <プレーナイト>と名付けられた竜は、全身を鱗ではなく、人の頭ほどもある緑玉で覆っていた。見た目は巨大な葡萄のようだ。

 カラスの言っていた通り、翼は葡萄の粒と粒の間からひょろりと見えるくらい。あの小さな翼では体を支え切れまい。飛行に対する警戒は必要ないだろう。

 だが周囲の破壊状況を見るとそれなりの攻撃能力があることもうかがえる。安心はできない。

「確かに特殊な形態だ。こんな竜は初めて見る。気をつけろ」

 アカザの注意に、シオンは頷いた。

「大丈夫だ。聖剣ならどんな竜も切ることができる。あいつが目を覚まさないうちに全て終わらせるさ。お前達はここで待っていてくれ」

 そう言って足音を消して、ゆっくり<プレーナイト>へと向かっていく。他の三人は緊張してその後ろ姿を見守った。

 ついにシオンが村長の家の前に立つ。竜の眼が閉じられたままであることを確認し、鞘から聖剣を引き抜いた。

 磨き抜かれた透明な刀身が陽光を受けて強い輝きを放つ。誰もが息をのむ美しさだ。

 シオンが飛び上がり、竜の首に向かって聖剣を大きく振りかぶったその瞬間、今まで閉じられていた瞼が開いた。

 竜が目を覚ました!

 爬虫類の緑の眼がシオンを捉える。

 背筋に冷たいものが走った。それが何の予感であるかわからぬまま、本能に従い空中で体を捻った。

 その時シオンは<プレーナイト>の体が爆発したのではないかと思った。

 竜の全身に埋め込まれた緑玉が一気に飛び出してきたのである。

 とっさに身を逸らしたシオンだったが、攻撃は至近距離のものだ。完全には躱し損ね、緑玉が肩を弾いた。

「……っ」

 そのまま地面に倒れ込む。肩が熱い。衝撃が大きく、すぐには動けない。見上げると、<プレーナイト>のぎらぎらした眼がこちらを見下ろしていた。

 まさかこのような攻撃をしてくる竜がいるとは。

 竜の攻撃は爪や牙によるもの、そして口から吐き出される炎が一般的だ。彼らの鱗は固いが、あくまでも防御のためのものでそれを攻撃に転換してくるようなものがいるとは思わなかった。今更ながらアカザの注意が身に沁みる。

 眠りを邪魔された<プレーナイト>は明らかに苛立っている。うるさい蠅を潰すように、大きな前足をシオンにかけようとした。

「シオン様っ」

 聞き慣れぬ声だと思ったら、あの無口な黒魔術師ホタルだった。彼女は隠れていた農家の陰から一歩踏み出すと、

「ボウ・モウ!」

 彼女が従える悪魔の一人を呼び出した。

 彼女は随分と焦っているらしい。呪文の詠唱も魔方陣もない。発したのはただ名前という最も短い呪だけ。その音だけで杖から黒い蜘蛛の巣が飛び出す。

 それは網のように倒れたシオンに掛けられたかと思うと、一気に彼女の元へと引き寄せられた。

 同時にアカザが弓を引き絞りながら前へと飛び出す。硬い鱗を持つ竜相手には心許ない攻撃ではあったが、

「当たった!」

<プレーナイト>の背中に見事、矢が刺さった。

 ぎゃあっという声。竜の皮膚に血が滲む。二人の顔に気色が浮かぶ。だがそれも一瞬のことだった。

 竜の皮膚がぼこぼこと膨らみ、あの緑玉が突き出てきたのだ。あっという間に先程と同様の葡萄じみた姿になる。

「な、なんという新陳代謝……」

 家の陰に隠れていたユリが思わずこぼした。

 だがそんな冗談を言っている場合ではなかった。<プレーナイト>の憤怒に燃えた眼がアカザとホタルを捉える。竜の意図は明らかだった。

「逃げるぞ!」

 アカザが蜘蛛の巣ごとシオンを抱え上げ、竜に背中を向けて走り出す。

 同時に二度目の緑玉の射出が始まった。

「ヒッシャ!」

「ああもう仕方ねぇなっ」

 ホタルに呼ばれ、カラスの姿をした悪魔が翼を大きくはためかせる。するとその場に強風が巻き起こった。

 風の力によってわずかに緑玉が押しとどめられる。その間に四人は村の入口へと走り、森へと逃げ込んだ。

 悪魔の風も竜の攻撃を完全に防ぐことはできなかった。ヒッシャは四人が緑玉の射程距離から離れたことを確認すると、すぐさま風を起こすのをやめ彼らの背中を追った。

 緑玉が無人の村に雨あられと降り注ぐ。空っぽの家々はいよいよ穴だらけになった。

 <プレーナイト>は四人を追わなかった。うるさい人間達が完全に立ち去り、村は完全に静かになった。

 そのことに満足して、竜は再び眼を閉じて微睡み始めたのだった。

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