竜退治に恋は必要ですか?

ウール100%

第1話 恋のはじまり

 もし誰かに恋とは何かと聞かれたら。

 私はきっとそれを「勇気をくれるもの」と答えるだろう――――




 ばしんっ、と拳が飛んできて、ホタルの視界は激しく揺れた。彼女の痩せこけた体では殴られた衝撃を受け止めきることができず、そのまま地面にばたりと倒れた。

「ばか、手が汚れるぞ。こんなに汚いんだから」

「汚いんだったら踏めばいいんだよ、ほらっ」

 子供達が寄って集って背中を踏みつける。ホタルはうずくまり、頭だけは両手で守って痛みに降ってくる靴底に必死で耐えた。

 ホタルがいじめられるのはこの辺で一番貧乏な家の子供で、食事が足りていないために体が小さく、いつもみすぼらしい格好をしているからだ。どんなに殴っても蹴っても問題ない。殴り返す力も、言いつけるあてもないのだから。

 子供は自分が優位に立てる相手を見つけるのが上手だ。無邪気で、だけど残酷な笑い声に、頭よりよほど耳を守りたくなる。

 痛みに歯を食いしばりながら、嵐が過ぎ去るのを待つ。きっとそのうち飽きる。だからもうちょっと、もうちょっと……


「おい、やめないか」


 唐突に嵐は止んだ。凜とした、良く通る声に子供達が動きを止める。

 ホタルはその場の空気が変わったことを感じ、おそるおそる頭を覆う指の間から様子をうかがった。

 そこに薄汚い路地にはにつかわしくない、美しい少年が立っていた。年の頃はホタルより二つ、三つは上だろう。明るい茶髪に陽光が反射してきらきらしている。陶磁器のような白い肌に、湖水のような深く碧い眼。

(こんなきれいな人、初めて見た)

 ホタルは、それこそ呼吸も忘れてその姿に見入った。蹴られた痛みも、まだ危ない状況であることも、全てが吹き飛んでいた。

「なんだよ、関係ないだろ。あっち行けよ」

 明らかに気圧されながらも、この場の子供達のリーダー格にあたる少年が手を振って追い払う仕草をする。

「関係は無いが、気にはなる。どうしてその子は暴力を振るわれているんだ?その子は何か悪いことをしたのか?」

「どうしてって……むかつくから蹴飛ばしてやってるんだよ。それ以外に理由なんてねえよ」

「そうだよ、そいつは見た目が悪いから何したっていいんだよ」

 淡々と訪ねる少年に対し、彼らはわあわあ言い立てる。だが少年は、

「?……いや、僕には君たちもさして変わらないように見えるが」

と心底不思議そうだ。

 確かに彼の人形めいた美しさに比べると、取り囲む連中は皆似たり寄ったりのじゃがいもだ。とはいえこの悪意のないストレートな暴言は、彼らの怒りに油を注いだ。矛先が変わった瞬間である。

「うるっせぇな。おい、お前らやっちまえ」

というリーダーの一声で、彼らは一斉に少年に襲いかかった。

「ごちゃごちゃ言うなら、お前から先にぶっ飛ばしてやるっ」

「そのご自慢の顔を見られないようにしてやるよ」

 その様子を呆れたように見て、

「やれやれ。なんで本当のことを言って怒るのかなあ」

と溜め息一つ吐いて、腰を落とした。

 そこからは魔法のようだった。

 最初に彼に到達した子供を足払いで地面に転がし、二人目の腹に拳を打ち込む。三人目は蹴倒し、四人目の首根っこ引っ捕らえて、最後に向かってきたリーダーの唖然とした顔に向かって放り投げた。

 わずか三十秒のうちに全員が全員、わけもわからぬままひっくり返っていた。だがすぐにこの少年には敵わないということに気がついたらしい。

「お……っ覚えてろよっ」

と言って、子供達は大通りに向かって逃げ出した。後には少年と、地面に伏したままぽかんとしているホタルだけが残った。

 少年は「大丈夫か」と言ってひざまずき、ホタルを助け起こしてくれた。

「どうしてやられっぱなしになっているんだ」

 助けてくれたは良いが、呆れた顔をしている。懐からハンカチを取り出し、シオンの頬をぬぐった。その肌触りの良さに、おそらく貴族などが使っている絹のハンカチではないか、とホタルは見当を付けた。

「……逆らっても勝てないから。おにいちゃんは強いね」

 正直な事実と、正直な気持ちを伝えると、少年は笑った。

「ああ、鍛えているからな。竜騎士を目指しているんだ」

「竜騎士?」

「竜を倒す戦士のことだよ。国中から強い戦士を集めて、選ばれた者だけが騎士団を名乗って竜征伐へいくんだ」

 ホタルは以前、城下町の上空を大きな影が通り過ぎ、市民が騒いでいたことを思い出した。

 翼を生やし、火を噴く、固い鱗の竜。普段は山奥や海の向こうで眠っているが、時折人里に降りてきて人間を襲う。

 あの時も、知らせを受けて城から騎士団が飛び出していき、見事、竜の首級を上げた。

「竜はさっきまでいた奴らよりずっと大きい。だからずっと強くならないといけない。強いのはいいぞ。皆に勝てるし、それどころか守ってやることもできる。だから君も強くなるといいよ。そうすればあいつらに仕返しもできる」

 少年は機嫌良さそうに話す。ホタルは首をかしげた。

 仕返しにはあまり興味は無いな……でも、強くなったらこの人と並び立つことができるんだろう。

 そのことには興味、ある。

「殿下、そろそろ」

 少し離れた場所で様子を見守っていた彼の部下らしき兵士が声をかける。

「わかった。じゃあ、君も気をつけて帰れよ」

 ひざまずいていた少年は最後に、ホタルの頭をぽん、とやさしく叩いた。

 ホタルはその人の背中が街の雑踏に紛れ見えなくなるまで、ずっと見送った。

「……竜騎士」

 初めて聞く言葉。

 だがその言葉は北極星のように、これから彼女の道を示す導となるのだ。



 十年後。

 円形闘技場は大いに盛り上がっていた。

 竜騎士団員選抜の最終試験は一般市民にも開放されている。市民は商売や家事を放り出して闘技場に押し寄せた。

 闘技場の中央には一匹の黒い竜。

 その脚には鉄輪が嵌められており、そこから伸びた鎖が重りにつながっている。これによって一定の距離以上は飛ぶことができない。

 それが我慢ならないのだろう。巨大な眼をぎらぎらさせ、機嫌悪く、地面を脚で何度もひっかいている

「個体名<ジェット>です」

 円形闘技場の最前列は特等席だった。つまり見物する王族や貴族、そして新団員を選抜する審査員が座っている。

「等級4。新人の審査には妥当でしょう」

 竜騎士団の現団長にして審査委員長を務める男が、王に説明する。

「殺せた奴を合格にするのか?」

「致命傷を与えた者はほぼ確実に団員に決まるでしょう。しかし騎士「団」である以上、単純に攻撃に優れている者だけを入れるわけにはいきません。治癒魔術を使える者、後方支援を得意とする者……そういった人間も、この試験で見出し合格者に加える予定です」

「なるほど」

 王はうなずき、

「そうやって選ばれた者がお前の下につくわけだ」

と横に座る青年に話を振った。

 明るい茶髪の精悍な青年だった。竜騎士団の青い制服をまとい、腰に剣を佩いている。彼はこの国の第三王子。そして竜殺しの聖剣の使い手だった。

「どんな者が来てくれるか楽しみです」

「まずは親友に来てほしいんだろう?」

「来てほしい、というか来ますよ。彼は」

 そう言って闘技場の中央に視線を戻す。

 <ジェット>を十五人の男女が取り囲んでいる。その中で率先して武器を奮っているのが件の親友だった。

 赤銅色の髪と眼をした、大柄な青年。

 彼は竜の鋭い爪を避けながら迫っては、何度も剣を打ち付け、少し離れると今度は背中から弓を取り出し矢を射かける。一人で近接の戦闘も遠距離からの支援も両方こなしている。

「ふむ、器用な男だな。彼がとどめを刺すかな」

「等級が低いとはいえ、竜を舐めてはいけません。聖剣なしでそう簡単に打ち倒すことはできませんよ。ここで他の候補者の動きが必要になってくるわけです」

 そう言って団長は候補者達の動きに厳しい目を向けた。


「蒼白の星、黒き夜を貫く光。

 降り注げ、戦士の上に。振り払え、重き帳を」

 血なまぐさい闘技場に似つかわしくない、軽やかで可憐な声が響く。

 白魔術の詠唱。詠うのは、春の光のような明るい金髪をベールで包んだ、空色の眼の修道女だった。白い法衣が、まるで本の中に出てくる天の使いのようだ。

 彼女の声が一音一音重ねられるごとに、他の候補者達は力が湧いてくるのを感じた。

 これは強化の呪文だ。白魔術は攻撃の術を持たないが、その代わり戦士達の傷を癒やしたり、力を増強させることができる。強化された力をもってすれば、<ジェット>を倒すことができるだろう。

「すまない、修道女殿」

「恩に着る」

 にわかに力を増した男達が鬨の声を上げて、竜に向かっていく。

 だが竜の方もさるもの。鎖の及ぶ範囲とはいえ、ばさりと翼を翻し空へと舞い上がった。

 大きく口を開けたかと思うと、中空より地面に向かって炎を吐き出した。

「やはり飛び上がられると厄介だな」

「どうにか引きずり下ろすことができれば……」

 舌打ちする戦士達の間を小柄な影がすり抜ける。その人物は目深にかぶった黒いローブから杖を引き出し、まっすぐ竜に向けた。

「――」

 誰にも聞き取れぬような小さな声の、最短最速の詠唱。だがそれが引き起こした効果は絶大だった。

 頭上を悠々と舞っていた竜が、急転直下、地面に派手な音を立てて落下したのだ。激しい衝撃に闘技場全体がが揺れ、土煙が立ちこめる。

「な、何が起こったんだ」

 塵を払いながら墜ちた竜を確認すると、そいつは地面に腹ばいになって身もだえていた。 なんと両翼が先端からじわりじわりと崩れてきている。これではもう二度と飛ぶことはできまい。

「腐食……黒魔術か」

 先程の修道女に対する歓迎とは反対に、今度は皆が一様にぞっとした顔になった。

 白魔術とは反対に黒魔術は攻撃に特化した魔術だ。それだけならまだ良いのだが、悪魔と契約を結んで使われる魔術なので大体が趣味が悪い。高い攻撃力を誇りながらも、忌避されがちなゆえんである。

 ともかく竜は地面に引きずり下ろされた。後は息の根を止めるだけだ。

 候補者達が我こそとどめを刺さんと竜に群がる。観客達がわあっと盛り上がった。

 竜の鱗は固い。それぞれが手持ちで一番強力な武器を持って打ちかかる。が、なかなか致命傷には至らない。

 だがシオンの言ったとおり、決定打をもたらしたのはアカザだった。彼は大剣を迷わず竜の片目に突き刺したのだ。

 闘技場いっぱいに恐ろしい咆哮が響き渡った。

 皆が耳を塞ぎ、中には驚きのあまり失神した者もいた。刺した本人も耳を塞いで慌てて竜から離れたが、頭がくらくらしてその場で崩れ落ちてしまう。

 最後のあがきだろう。竜は首を激しく振って眼から剣を振り落とそうとした。だが深く突き刺さったそれは抜けそうもない。

 さらにわけもわからず闘技場をどたどたと走り、客席に突っ込んでいく。よりにもよって貴賓席の方向だ。方々で悲鳴が上がった。

「王様、お逃げくださいっ」

 竜騎士団長が失礼を承知で王の腕を取り、立ち上がらせようとする。他の貴族や審査員らも悲鳴を上げて闘技場の入口へと逃れようと走り出した。

 混乱のさなか、シオンだけがその場で腰に佩いた柄から剣を抜く。陽光を受けて輝く透明な刃。怒り狂う竜を迎え撃つべく、聖剣を構えた。

 だが竜が目と鼻の先に迫るその瞬間、シオンの目の前に黒い影が滑り込んだ。

 先程の黒魔術師だった。わずか一秒にも満たない時間で、杖で空中に複雑な魔方陣を書き上げる。そして再び、

「――」

というたった一音の呪文で術を起動させた。

 現れたのは天まで届く、黒い糸で編まれた蜘蛛の巣だった。

 それはまさに巨大な網のよう。全身でぶつかってきた竜の体をしなやかに受け止め絡め取り、衝撃を殺して地面に転がした。

 観客席に乗り込むことを阻止された竜は、そのまま動かなくなった。

 場内に降りてきた龍騎士団の一人が絶命を確認する。おそるおそる闘技場に戻ってきた観客が竜の死を知らせる合図に、歓声を上げた。

 またこの国に尊敬すべき強い戦士が生まれる予感。日常の退屈を忘れさせるような、刺激的な見世物に会場は大満足だ。

 幸か不幸か活躍の場を与えられなかった聖剣を鞘に戻し、シオンは黒魔術師に、

「ありがとう。すばらしい機転だった」

と感謝の言葉を述べる。

 その人物はフードの下ではっと息をのんだようだったが、すぐに何でも無いような装いで小さく会釈した。そして最終試験が終わって他の候補者達が待機している場所へと去って行った。



「第六十六回竜騎士団員選抜試験合格者を発表する!」

 竜の死体が片付けられた闘技場の中央に、最終試験参加者十五名が一列に並ばされた。

 竜殺しという最大の見世物が終わった後も、観客はほとんど闘技場を去らなかった。

 彼らは新たな英雄誕生の瞬間に立ち会おうとしているのだ。これを見逃せるわけが無い。

「剣士、アカザ」

「はい」

 一番目に名前を呼ばれて前に進み出たのは、剣と弓を背負った男。先程<ジェット>にとどめを刺した者だ。

 彼は観客席のシオン王子に「やったぞ」と笑いかけると、差し出された竜騎士団団員であることを証明する金の腕輪を受け取った。

「修道女、ユリ」

「はぁい」

 次に呼ばれたのは白い法衣の女性。最終試験では白魔術によって他の候補者の力を強化し、竜殺しを支援した。彼女も優雅に頭を下げ、腕輪を受け取った。

「黒魔術師、ホタル」

「……はい」

 最後に呼ばれたのは、竜が観客席に乗り込むのを阻止した黒魔術師だった。


「おや、女性だったか」

 その声色を聞いて観客席で意外そうに言ったのはシオンだ。

「ローブで顔が見えないからわからなかった」

「どう見たってそうでしょう。あんなに華奢なんだから」

 竜騎士団の同僚が呆れたように応える。彼女の姿を見た人間の九割は、その体格から女性と見抜いていただろう。この第三王子は剣術馬鹿なところがあって、そういった観察力には欠けていた。

「しかし強力な魔術の使い手だ。瀕死とはいえ竜を軽々と転がした」

「いくら強くても黒魔術は良くないものですよ。あれだけのことをやるのに、どんなおぞましい手段を使っていることやら。これから同僚にはなりますが、あまり深く関わらない方が殿下のためですよ」

 黒魔術につきものの忠告にシオンは首をかしげた。

「そうかな?」

 視線の向こうでは問題の魔術師が腕輪を受け取っている。

 彼女の細腕には大柄すぎる腕輪は、手首をするりと抜けて肘まで滑り落ちていた。それを困ったように直そうとしている姿は、どうにも黒魔術師の肩書きがもたらす不穏さとにつかわしくなかった。

 それどころかおかしさすら感じてしまって、

「……でも、これから楽しくなりそうだ」

とシオンは頬を緩ませた。

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